第474話 公共サービスは最低限の保障程度です
チャットと言う嵐が去った後、暫くお茶を片手に書類を片付けていたら、カビアが戻ってきた。
「あー、チャットを諜報に渡りを付けて欲しいんだけど。ちょっと面倒な案件っぽいから」
「先程伺いました。ざっと説明は聞きましたが、聞かなかった方が正解かと思いました」
「あれ? そんなに問題?」
「魔術は火だけではありません。土、風はまだしも、水をお考え下さい。永久に水が湧く水差しを想像されれば分かりやすいかと」
あー。ちょろちょろでも時間をかければ水は貯まるか……。飲まない時も延々生み出し続けるようにしておけば良いから、水筒も有りかな……。
「魔法が改定される可能性もありますね」
アレクトアならやるかな……。土の時も穴は潰されたし。風は見逃してもらっているけど。むーん、怖いから温泉宿が出来て、降りて来たら聞いてみよう。
「他の人が最低限出来ればの話だよ。結構精度がいる話っぽいよ」
「そう願います。新しい商売の種ですね。書類の方、処理が完了致しました」
涼しい顔でカビアが言う。脅しといてそれか……。
「ありがとう。問題は有った?」
「いえ。しかし、目は通しておりますが、微妙な案件が混ざっていた事は申し訳無いです。お手数をおかけ致しました」
「そうそう、冒険者ギルドには出来れば言っといて欲しいかな。直接は暇が無いから、頼みたい」
「はい。厳重に注意を入れておきます。ただ、向こうのギルド長印も有りませんし、職員の独断ではないかと。こちらも民の生活絡みと言う事で無条件に通しておりました」
「下から上がってくる案件に重大なトラブルが潜んでいる事は有るからそこはしょうがないかな。冒険者ギルドの総意にして欲しいけど、意見をまとめる間に現場にとって重要な部分が抜け落ちるしね。まぁ、今回は流石に通せない」
「無駄ですね。陳情に関しては、何かを通してからでないと吸い上げられないのは不便ですが」
「んー。直接意見を吸い上げても良いけど、きっと政務が破綻する。個人の欲求と公共の利益は必ずしも一致しない。矛盾が発生して機能停止するだけだよ」
「なるほど……。根拠と町としての利益が重要と言う訳ですか」
「うん。当たり前の話なんだけどね。民が幸せになってくれるのは嬉しいけど、それは公が提示するものじゃないしね。最低限の保障と出来る限りの機会の平等。ここら辺りまでかな、手が出せるのは。それ以上公が出しちゃうと、民が腐ると思うよ」
「予算が潤沢ゆえに、あれもこれもと考えますが、そうですね。通常はもっと絞っておりました」
「じゃぶじゃぶと言っても限りは有るしね。使い切れない可能性の方が高いけど、その場合は東への道に回せば良いしね。民は民で自立して儲けてもらわないと」
公共のサービスが充実しても結局それに胡坐をかくだけだ。後押しはするけど、おんぶにだっこ状態にはしない。自分を救うのはいつだって自分だからだ。国や公共が救ってくれると勘違いされても困る。
「そう言えば、そろそろ昼の時間だけど、何か言っていた?」
「いえ。ただ、イノシシの骨を煮込んでいるのか。香りはしました」
朝はウズラだったのに、豚骨スープで何を作るんだろう。アレクトリアはレシピを魔改造してくるので、読めない。ただ、スープ系の何かかな。ラディアも本調子ではないようだから、消化に良い物が出て来たら良いけど。塩豆腐は夜かな。様子見ておこう。酸っぱい豆腐になっていたら困る。
「そろそろ、訓練組も戻ってくるかな。お風呂の準備でもしようかな」
そう言うと、カビアが苦笑を浮かべる。
「男爵様がなさる仕事では無いかと思いますが」
「好きでやっている事だしね。魔術士を育てないといけないのは分かっているんだけどね。学校を建てても結局六年はかかるしね。流入してくる人材とかはどう?」
「当たってはおりますが、中々難しいかと。冒険者の火魔術士や土魔術士は比較的おります。風魔術士は少し減りますが……。水魔術士は本当におりません。引退した人材でも引き戻されるような話ですから」
「日常だと一番使うからね。私も元々風魔術士だったはずなのに、水の方が得意になりそうだよ」
スキル一覧のガラス板を表示させるが、水魔術の習熟度が風魔術に僅差となっている。合間合間にトレーニングしていてもやっぱり大規模に使う物が成長するのはしょうがないかな。
「魔術士そのものの数が少ないのは問題ですね。学校も余程大きな町にしか有りませんし」
「軍学校も六年だよね。新人が育つまでは現職が頑張ってくれるけど、引継ぎ後は引退かな。その頃にはそこそこ金は貯まっているだろうから、町で商売だろうね」
「そうですね。年齢的にはそうなるかと考えます。それまでに魅力のある町を作らなければならないですね」
「そうだね。定住してもらえるよう頑張らないとね。箱はまだまだ余裕があるだろうし。急ぎはしないけど、拡大は続けたいね」
ふっと微笑みを浮かべると、カビアも同じように微笑む。幸せな民が増えてくれれば嬉しいな。
「あぁ、定住で思い出した。ティアナとの生活に不自由は無い? 仲間達で差別する訳じゃ無いけど、家宰の相手だし、考慮はしないと駄目かなと思っているんだけど」
立ち上がりながら、聞いてみる。状況によっては代官になる人間の相手だ。考えないといけない事も有る。
「その事でしたら、ご心配無く。ティアナとも話し合いましたが、自分達で出来る範囲で対応致します。そこまで手を借りては仲間では無いと言う事です」
カビアがどこか誇らしげに伝えてくる。流石、ティアナ。男前な。
「分かった。その気持ちは嬉しいし、頼もしい。ただ、補助をする用意は常にある。強情は張らないように。代官となった場合は、代官夫人として動いてもらう必要があるから」
「それももう少し落ち着いてからですね。まだ、冒険者としての役割の方が多いかと思います。その際はお気になさらず、皆と同様に扱って下さい」
「そっか、分かった。助かる。ありがとう」
冒険の最中に不平等な扱いをすると、関係が崩れる。リズも冒険中は一人の仲間として扱っている。そう言う意味ではティアナを特別扱いするのは難しい。なので、カビアの返事には正直、助けられる。
「では、処理済みの書類を確認しております」
「じゃあ、ちょっと浴場に行ってくるよ。少し、厨房にも寄るから」
「分かりました。いってらっしゃいませ」
手をひらひら振りながら、部屋を出る。浴場に着き中を覗くと、湯船は綺麗に磨かれて乾燥している。毎回掃除をしてくれる使用人の皆さんに感謝だ。自分達も使う場所なので余計に手をかけてくれている。お湯を生み、厨房に向かおうと廊下を歩いていると、練兵室の方から、皆が歩いてくる。
「あぁ、丁度良かった。浴場、お湯を入れたから。入って」
リズ達にそう言うと、歓声が上がる。ロットやレイも嬉しそうだ。流石に汗まみれと言うのもきついのだろう。
「浴場、ですか?」
ラディアが少し憂鬱を浮かべながら呟く。
「ノーウェ子爵様も新しい浴場を建設中と伺いました。お湯に浸かられた経験は無いのですか?」
「はい。領主館や政務の方で試験中という話は聞きましたが、まだ軍までは浸透していないです」
「従来の浴場もあるかと思いますが?」
「熱い空気や湯気の中で長時間いるのが苦痛なのです。喉が弱いのか、咽ます」
「では、試されてみますか? 湯に浸かる形ですので、特に空気が熱い訳では無いですし、湯気もさほど酷くは無いです」
そう言うと、ラディアが思案顔になる。
「そう……ですね。折角のお誘いですし、試してみます。態々お誘い頂き、ありがとうございます」
「いえいえ。ゆるりとお楽しみ下さい。作法は皆が知っておりますので」
そう言うと、女性陣が頷く。髪の毛や体の洗い方は大丈夫だろう。
「用意、手伝ってくるね」
そっと近づいてきたリズが耳元で囁く。
「助かる。面倒かけるけどよろしく」
「大丈夫。お客様だし、きちんと対応するよ」
そう言うと、にこやかにリズがラディアの手を引きながら、部屋の方に向かって行く。仲良くなってくれれば良いけど。
さて、塩豆腐の様子と、昼ご飯の状況確認かな。