第467話 四対一でも勝てるとはっきり明言されると、純粋に凄いとしか言えません
「ご無事です」
ラディアが、疲労に負けないように口をはっきりと動かし、明確に告げてくる。
「無事……無事と言う事は……犠牲者は……いないん……ですね?」
「はい」
こちらの気迫が伝わったのか、ラディアが眦を決して力強く頷く。
鷹揚な姿は懸命に維持しながら、心の中で盛大に安堵の溜息を吐く。良かったぁぁぁぁ。本当に良かったぁぁ。
もし何かの犠牲、死者じゃ無い、怪我人でも出ていようものなら、同じ国の貴族とか知らん。本気で喧嘩を売る気だった。大事な領民、それも海の覇者の子供の安否と木端貴族との今後なんて天秤に乗らない。
別に領民に優劣を付ける気は無い。皆、大事な私の民だ。そう言う意味で、その子供が何の理由も無く虐げられていると聞けば義憤も感じる。
それとは別に実利の部分も有る。今後国が亡ぼうとも今領民達、人間と人魚さん達がいればどうとでもなる。海洋国家として再建すらも可能だ。海洋防衛と海洋進出が出来るのであれば、新天地への開拓も可能だからだ。
海洋国家日本で生活していれば嫌でも分かるのだが、領海の防衛、将来的にはシーレーンの防衛と言うのは非常にコストがかかるし、難度も高い。レーダー技術や衛星監視でも出来ないのなら、大量の船を浮かべるくらいしか手が無い。乗員のコストもかかる。保守その他の維持費もかかる。
それを人魚さん達は普通に生活をしながらこなしてくれる。どれ程にこれが将来大きな意味を持つか。生活圏の拡充が進めば、大航海時代が訪れる。その際には無敵の守護神が防衛、攻勢に出てくれる。こんなに心強い事は無い。その無敵性も、爆雷が開発されるまで続くだろう。私達が生存している間は海に関してはエースでジョーカーのままなのだ。言うなれば、大航海時代前夜の状況で既に高性能な潜水艦をこれでもかと手にしているのと状況は変わりない。
その子供が無事だった……。本気で心の底から安堵した。人魚さん達に言わなければ分からないとかそう言う話では無い。どこかで話は伝わるだろうし、その時に何の対応もしていない領主なんて信用出来ない。少なくとも私なら見限る可能性が高い。そう考えれば、良くやってくれたとしか言いようが無い。
「それは良かったです。衰弱や怪我をしている子達もいないですか?」
「はい。そもそも教会に預けられている子供を害すると言う状況は考えにくいです。神の御許で将来への結晶に対して何かをすると考える事自体が神への冒涜です」
「それは……領主の指示が有ったとしてもですか?」
「その場合は……。そうですね。何らかの理由で教会から遠ざけてから、凶行に及ぶ可能性は有るでしょう。ただ、今回の場合はノーウェ子爵様が件の実行犯を囲っていますので、領主側が気付く事は無いかと考えます。絶縁状は現在国内を回っている最中ですし、最低限街道沿いの襲撃行為が露呈した程度しか認識出来ないでしょう」
「実行犯を囲っている状態では、テラクスタ伯爵様の軍事行動に名目が付かないかと考えますが?」
人魚さんの子供を助けたいと言う事で焦っていたが、テラクスタ側が動く根拠は用意出来たのだろうか。
「開明派が保守派の内偵行為を行っているのは公然の秘密です。今回はその内偵情報を前提に軍事行動を起こした形になっております」
「それでは、問題の男爵及びその親の伯爵に何らかの介入の手を与えている事になりませんか?」
そう言うと、ラディアが薄く微笑む。
「ノーウェ子爵様が仰る通りですね……」
「は?」
「いえ。失礼致しました。今回の軍事目的に関しては人魚の子供が不当に扱われているのを助けるのが目的となります。明確な差別行為は重罪です。また、別途後付けで証拠も用意しておりますので、ご安心下さい」
「後付け……ですか?」
「その村の住人に証言してもらえば良いだけです。軍務と上級貴族からの証言の要求です。真実を話さない訳にはいきません」
あー。きっちり脅したか。神明裁判が有るから偽証出来ないし、正当な証言として採用可能か……。ありがたいが、無茶をする。
「証言者の保護はどうなっていますか?」
「そちらも教会関係者と合わせて、テラクスタ伯爵様の領地にて保護しております」
きっちり報復対策もしてくれているか。ありがたい。それに証言者が生きている限り裁判でも負けない……か。少なくとも、破綻した部分は無いな。無茶無理を通している部分は有るが、最低限裁判で勝てるだけの根拠は揃えてくれた。
「現状の盤面を引っ繰り返す為に、問題の伯爵が動く事は無いのでしょうか? 男爵は問題無いですが、伯爵側への影響が少ないと考えますが」
そう言うと、ラディアが少しきょとんとした顔になる。
「盤面? えっと、伯爵が何らかの妨害工作に出る事を危惧なさっていますか?」
あー。盤面辺りが上手く意訳されなかったか。中途半端にリバーシやチェスが世界に存在する故にそのままの意味で伝わったか。本人がリバーシやチェスを知らなければ、意味不明な単語だな。
「まず、男爵は現在テラクスタ伯爵様によって拘束されています。これに関してはこれまでの罪状を前提にしておりますので、正当な対応です。また駐留軍もおりますので王都付近まで連絡を取るのは難しいと考えます」
裁判どころか、もう既に男爵自体を拘束しちゃっているか。果断だなテラクスタは。でも頭が抑えられていれば連絡要員に指示を出す事は出来ないか……。
「また、仮に問題の伯爵側に情報が渡ったとしても、既に絶縁状が効力を発揮しております。保守派はノーウェ子爵領を通過出来ません。もしそれを推して参ると言うのなら」
「言うのなら?」
「戦争です。軍として対応します」
また、きっぱりと言い切る。戦争行為なんて結果の知れない物に打って出るのか?
「絶縁したからには、それを事実とするには力を見せつける必要も有ります。王都周辺でのほほんと遊んでいる兵と、北の森を延々と平定し続けている我々では相手にもならないでしょう」
「それは……自信が有るのですね……」
「そうですね……。平地で開戦した場合の兵力差は相手の四個小隊と我々一個小隊で大体同等程度でしょうか。騎兵が混じればもう少し多くても問題無いですが。実際、年次での集合訓練が有ります。そこに国内の精鋭同士が集まって模擬戦を行いますが、それくらいの差が無いと相手になりません」
えーと、意味が分からない。四倍の敵を平地で相手して、何故勝てるんだろう。
「あの森の過酷さは男爵様が一番ご存知かと。その難治を治めるのです。並大抵の能力では務まりません。我々はそれだけの自負を持って任務に当たっています」
この世界にしては練度も高いし、軍人は優秀なのかと思ったけど、ノーウェ子爵領内の軍が精強なだけか。確かに下手をしたら東の防人の役目も負うしそうもなるか。
「分かりました。勝つ勝たないはとにかく、遅滞行動は可能だと言う事ですね」
「はい。その程度であれば可能です。その間にロスティー公爵閣下がお戻りになれば、万事対応頂けますので」
内戦が勃発する前に早く帰ってきて欲しい……。
「では、問題を起こす相手の処理は完了していると。結局、子供達はどうなるのでしょうか?」
「はい。まだ幼いですし、十分な食事を与えられていなかったのも有りますので、衰弱と言う程では無いですが休養は必要です。一旦テラクスタ伯爵領にて休み、元気になり次第、こちらに送り届けて下さるそうです」
「と言う事は、『リザティア』に連れて来て下さるのでしょうか?」
「はい。町開きの招待状は出されましたよね? あれに合わせて同行出来ればと調整なさっている最中です」
あぁ、そうか。そのタイミングなら、こちらに来る理由も有るか。良かった。無意味な借りを作らなくても済みそうだ。
「ご報告出来る内容はまだ有りますが、書状の方が詳しいかと思います。そちらをご覧頂ければと思いますが」
ラディアがそう言うと欠伸を噛み殺す。どれだけ意識を保っていても体の疲労は勝手に表に出てくる。そろそろ限界か。
「分かりました。大役ご苦労様です。ゆるりとお休み頂き、不明点を改めて質問させてもらいます」
「はい、そうして頂ければ助かります。では、伝令の任は以上となります」
「ノーウェ子爵様には感謝の旨をお伝え下さい」
「畏まりました」
そう言うと、深々とラディアが頭を下げる。
それに合わせて、使用人に合図を送る。もう、疲労で限界なのだろう。一旦休んでもらおう。
「では、部屋まで案内させますので」
「ありがとう……ございます」
頭を下げた時点で意識が朦朧としたのか、若干呂律が回っていない。侍女が二人がかりで両脇を抱えて、客室の方に運んでいく。
今からなら、夕ご飯時には目が覚めるかな。折角のお客様だし、隠して用意していたあれを出すかな。
書状の方を確認して、準備を始めるとしますか。