第464話 味噌作りの開始と町の有り方に関して
アレクトリアに見送られながら厨房から出る。領主館から出ると、昨日とは一転して爽やかな空気だ。温度も蒸していた昼や肌寒かった夜と比べて丁度良い。ディルスも良い日に出立出来て良かった。そう思いながら、蔵の方に向かう。
アルコール消毒と二重扉を抜けて中に入ると、もう二人は食事を済ませたのか、蒸している麦麹の様子を見ている。
「あ、領主様。お帰りなさいませ」
こちらに気付いたのか、二人が声を合わせて、挨拶してくる。仲が良いのか、息がぴったりだ。
「ただいま。手数をかけたね。麹の方はどうなっている?」
「教えて頂いた通り、奥の方が手を付けて温かいと感じる程度の温度を保つように火にかけています」
あぁ、蒸すと言う表現を教えていなかったか。アレクトリアは蒸し料理を出してきているのに……。まだその域に達していない料理人なのかな。
「うん。表現としては、お湯を沸かして、蒸気を当てているよね。これを蒸すって言うよ。その内、アレクトリアから習うと思うけど。料理に使う場合は固くしないように熱を通す時に使ったりするかな。若しくは、余分な脂を落としたい時に熱を余計に通したくない時にも使うね。水分を損なわず、かと言って煮てしまうとうまみがスープに逃げてしまう場合などに使う調理法だよ」
そう言うと、感心したように改めて、鍋と布、そして立ち上る蒸気を眺め始める。
「領主様が料理の先生だとアレクトリアさんが仰っていましたが、本当だったのですね。貴族様で料理もなされるなんて」
「軟弱かい? はは、趣味みたいな物だしね。結婚した時に、奥さんに美味しい物を食べさせたいとか思ったりしないかい? 一方的に美味しい物を作ってもらってばかりと言うのも悪いじゃないか」
そう言うと、二人がビクッとした後に冗談と分かったのか笑い始める。
「怖がらせないで下さい」
「悪かったよ。さて、もう二時間程は熱と水分を与えたい。その間に豆の方を煮始めよう。昨日の豆を持って来てくれるかな」
そう言うと、二人がかりで樽を抱えて必死に持って来る。
「さて。豆を見てどう思う?」
表面から一粒、豆を取り出して掌の上に乗せる。
「あぁ、丸かったのに、乾燥させる前みたいな形になっています」
背の高い方が、指さしながら答える。
「そうだね。この形が本来の形だよね。丁度太陽が出ているし、透かして見ようか」
二重扉を抜けて、外に出る。太陽に透かすとむらなく水分を吸っている。
「ほら、色が均一だし、真ん中の方を触ってみて。周りと同じように柔らかだよね。この状態が望ましい。芯が残っていると、太陽に透かすと濃い色になるから、見たら分かる。水を吸わせる際は、きちんと確認してね」
そう言うと、二人が太陽に透かした豆を確認し、首をぶんぶん振る。
「はい、均等に色づいています。この状態ですね」
「水を十分に含んだから、今度は炊こうか。さて戻ろう」
また、消毒をして、中に戻る。窓は付けているが麹にどんな影響を及ぼすかが分からないので、今は開けられない。窓を開けるのは、麹が根付いたのを確認したらかな。
「ここまで水分をきちんと含んだら、炊くのに水はそこまで必要無い。表面がひたひたになる程度で良いよ」
寸胴鍋に豆を移し、水魔術で水を生む。試しに井戸水で戻した物には井戸水を注ぐ。
「後は表面が沸々と大きな泡にならない程度の火力で三時間程炊けば良い。アクが出てくるから、それは取り除きながら様子を見て欲しいかな」
竈に薪をくべて、火を点ける。部屋の温度が上がり過ぎるので、麦麹の方の火力を様子を見ながら徐々に下げる。
見ると、流石に二人共、汗だくになっている。温度もそうだが、湿度がとにかく高い。湿式サウナの中と変わらない。私? もう言うまでも無く汗だくだ。
「水分補給はこまめに。温度が上がっているから、余計に汗をかくはず。後、出来れば塩も少しずつで良いから含んで。そうしないと倒れるよ」
「分かりました。流石に四基の竈に火を入れると、きついです。領主様は平気なんですか?」
「見たら分かると思うけど、平気じゃ無いよ。汗だくだし、倒れそう。でも、豆の様子はこまめに見ないと駄目だしね」
そう言いながら、今までの生活や、なぜ料理人を目指したのかなどの雑談をしながら、豆を炊いていく。こまめにアクを取り除き均等に熱が回るように大きな木匙で底の方から混ぜ続ける。もう、暑さでハイになってきて、延々と雑談を続けながら豆を炊き続ける。途中で、麦麹のタイミングが来たので、蒸した状態から降ろし、再度タライに乗せて蓋をする。
「そっかぁ。やはり、南の方は仕事が無いかぁ」
「はい。船大工と漁師だけですね。なんとか生活が成り立っているのは。他は税を滞納しながらぎりぎりで生活している状況です。農家も麦も出来ないし、水も貴重なので中々自由に使えません」
「川の水は流石にそのまま飲めないか。でも農業用水として使うなら別に構わないんじゃないのかな?」
「昔は川から直接畑に引いていたそうですが、どうも漁に影響が出たそうで、直接引き込むのは禁止になりました。そうなると、桶に汲んでかけていく作業です。農家も廃業して町に出て行きました。そうなると、食料全般の値段が高騰します。魚だけを食べて生活なんて出来ませんから。なので、家族で町に出ましたが、仕事も無いので、私達はノーウェ子爵様の領地に足を伸ばしました」
「と言う事は、ご家族はまだテラクスタ伯爵領にいるのかな?」
「はい。親も兄弟姉妹も料理人なので、細々とやってはいっているようです。出来ればこの町で大きくなって、呼べたら良いなとは思っています」
背の低い方が言うと、お互いに頷きあう。
「そっかぁ。うん。成功してくれよ。機会はいくらでも与えるから、掴んで欲しい。これから町の人口だって増える。料理人の需要も伸びるんだから、どんどん成長して独立するも良し、このまま領主館の料理人を続けるも良し、味噌作りに専念するも良し、好きに生きたら良いよ」
「そう……ですね。私達、そう言う生きるって部分に諦めていたのかもしれません。この町でアレクトリアさんにお世話になって、町そのものの成長を見ていると、私達でも何か出来るんじゃないか。そう思えてきました」
結果としての平等なんてただの妄想だ。これから走り出すこの町だ。機会なんてどこにでも転がっている。それを掴んで、一緒に走ってくれるなら、それに優る喜びは無い。
「出来るさ。その為に、この町は有るんだから。新しい町、走り始めた町だよ。一緒に走らないと置いて行かれちゃうよ」
そう言うと、三人で笑う。この二人は大丈夫だな。諦めていない、先を見据えて走る事が出来る人材だ。ノーウェも本当に良い人材を回してくれる。まぁ、この世界の人間が素直だって言うのも有るかも知れないが……。
「さぁ、豆の方もそろそろ炊ける頃だ。昼ご飯の時間もそろそろだし、確認してみようか」
そう言って、炊いていた豆を一粒取り出し、右手の親指と小指で挟んで潰す。
「この程度の圧力で潰れるのが理想だよ。これは感覚で覚えて。何個潰しても構わないから」
二人が熱々の豆に息を吹きかけて冷ましながら、潰し、その感覚を体に覚え込ませる。
「さて、ザルに開けて少し冷まそう。これから潰さないといけないけど、熱過ぎる。ザルに開けたまま昼ご飯を食べて、少し冷めた頃に潰す事にしようか」
そう言うと、流石にこの暑い中でいるのに疲れたのか、力無い同意が返ってくる。
煮汁はまた使うので、別の鍋にザルで開けて煮汁と豆に分離させて、そのまま冷ます事にする。
「昼ご飯の後が本番だよ。これから、この作業は続いていく。きちんと覚えて欲しいから、たっぷり食べて、元気を取り戻して来て欲しい」
二人の頭を撫でながらそう言うと、はにかみながら頷いてくる。さぁ、昼ご飯だ。