第463話 伝令の見送りと人員調整
ふと寝苦しさを感じて目を覚ます。寝相の良いリズが珍しく抱き着いてきている。喉元を圧迫されていたのが苦しかったのか目が覚めた。時計を見ると夜明けにはもう少しの時間だ。起こさないように注意しながら、リズの腕を解き布団の中に潜らせる。窓の外を見て見ると、雲は殆ど去り、薄雲が残る程度になっている。火魔術に照らされた春の植物達は雨を浴び、瑞々しいまでにキラキラしている。四月十二日は晴れそうかな。
味噌の状況を確認しに行きたいので、急いで厨房にタロとヒメの食事を取りに行く。料理人がこちらを確認すると、にこやかに奥の方に向かい、イノシシ肉とモツを切り分けて渡してくる。朝にはもう雨は止んでいたらしく、猟師が朝から捕らえた獲物らしい。ありがとうと伝え、部屋に戻る。
昨日の興奮でちょっと寝不足気味なのか、タロもヒメも起こしてもちょっとぐずる。でも朝ご飯を見せると機嫌が一気に回復する。待て良しで食べさせて、食べ終わった頃に水をあげると、二匹は食休みに入る。
いつもならリズをそのまま起こすけど、先に蔵の方を確認しに行こう。今朝はまだ早いし、料理人達も朝ご飯までにはまだ時間がかかると言っていた。仕込みは朝食後でも良いけど、夜を徹して番をしてくれた二人は労ってあげたい。
ランタンに蝋燭を入れて火を点し、薄暗い中を蔵まで向かう。扉を叩きながら、声をかけて中に入る。
「無事かい、二人共?」
「あ、おはようございます、領主様。はい、御命令通り、水を足して竈の火は絶やしていないです」
二人の内の少し背の低い方の子が伝えてくれる。もう一人は床に転がって眠っている。部屋に入った瞬間、むわっとした湿気と暑さにくらっとなりそうだった。この二人、良く平気だ。慣れなのかな。
「徹夜で番をしてくれてありがとう。じゃあ、共麹の方、確認してみようか」
「はい。ちょっと待って下さい。起こします」
そう言うと、寝入っているもう一人を起こす。
三人で、共麹を包んだ木綿布を開けると、かなり麹が繁殖して半透明だった大麦を包み込み始めている。
「うわぁ、透明だったのが、くすんでいますね」
「それにちょっとだけ甘い香りがする……」
二人が蝋燭の明かりの元でワクワクした顔を輝かせながら、眺める。
「うん。昨日振りかけて揉み込んだのが麹なんだけど、それが繁殖してこうなっているよ。昨日蒸していたのは覚えているよね。このままお昼くらいまで再度熱を入れて欲しいんだけど、お願い出来るかな」
麹間で固まり始めているのを解してばらばらにしながらお願いしてみる。ここで再度四十度くらいまで温度を上げて、麹の活性化を促さないといけない。
「分かりました。交代で食事には行きますので、大丈夫です」
二人が頷くので、蒸す準備だけ手伝って、後はお願いする。
蔵を出ると、もう日が昇り始めている。そろそろ朝食の時間だ。リズを起こさないといけないな。部屋に急ぎ戻る。
「リズ、起きて」
揺すっていると、今日は素直に起きてくれる。やはり寝る時間が早いのと訓練量が少ないと起きるのは早いか。疲労が溜まっていると中々起きてくれない。
「おはよう、ヒロ。んー。良く寝た。あれ? ランタンって、どこかに行っていたの?」
「ん? あぁ、味噌の様子を見に行っていたよ。後で仕込みに行くけど、徹夜で番をしてもらっていたから、大丈夫かなって」
「味噌を作るのも大変なんだね。って、これからずっと徹夜で作り続けるの?」
「うーん。麹が蔵に住み着くまでは続けないといけないかなとは思っている。もう少し増員出来ないかアレクトリアには掛け合ってみるよ」
「ずっと徹夜を続けるのはきついよ。絶対に駄目」
「うん、そうだね。リズの言う通りだよ。ちょっと考えが甘かった。試作で済まそうかと思っていたけど、思ったよりも上手くいっているから、ちょっとこのまま続けたくなった」
「いつも計画をきちんとするのに、今回は無計画なんだ。どうしたの?」
リズが少し疑問顔で首を傾げる。
「正直、ここまで初回で上手くいくと思っていなかったから。反省会でもしながら、人員調整をしようかなと思っていたけど、思った以上に成果が出ちゃったからね。私のミスだよ」
「ヒロでもそんな事になるんだ」
「私だって人間だし、全てを見通せる訳じゃ無いから。無理、無理」
「あはは。そうだよね。いつも上手くいっているから何でも出来るように見えちゃうけどそうじゃないもんね」
「そんな人間いないよ。いつも一杯一杯だよ」
そんな話をしながら、朝の準備をしていると、扉がノックされる。朝ご飯の用意が出来たらしい。そのまま、二人で食堂に向かう。
今朝はイノシシと昨日のキジの合挽でハンバーグを作ってくれたので、それを楽しむ。キジの香りとイノシシの脂の甘さが絶妙でパンが進む。
「この肉は柔らかいですね。それに水気も多いし、美味しい汁が幾らでも迸る。面白いです。いや、美味しい」
ハンバーグはディルスにも絶賛だった。もう旅装の準備は終わっている。朝食が終わればそのまま出て行く予定だ。
「ここでの食事も、もう終わりですね。色々温かくお世話頂き、本当にありがとうございます」
心の底から残念そうなのが印象的だった。
食事を終えて、玄関前に皆で立つ。ノーウェティスカに戻るディルスの見送りだ。
「伝令のお仕事、ご苦労様でした。ノーウェ様にはよろしくお伝え下さい」
「畏まりました。温かいおもてなし本当に感謝致します。予定通りであれば、成功でも失敗でも伝令がもう近付いています。今日か明日には着くかと考えます。こちらの状況は上手くすれ違う事が出来れば報告しておきます」
「よろしくお願いします」
そう言うと、テスラが引いてきた馬に跨る。
「では、お世話になりました。またの出会いを」
「またの出会いを」
そう告げると、馬を出す。その姿が見えなくなるまで皆で手を振り、見送っていた。
「次の伝令が本命か……」
ふと呟くと、それを聞いてか、皆が頷く。
「良い結果になっていると願うわ……」
ティアナがディルスの向かった先を見ながら呟く。その肩をカビアが抱く。
「大丈夫。テラクスタ伯爵様は有能な方です。心配しないで」
皆、人魚さんとは親しくしている。心配しない訳が無い。それでも、現状は我慢して待つしか出来ない。
「さぁ、ディルスさんの言う通り、伝令は向かっているはずだよ。私達はきちんと日常を送る義務がある。心配するのも大事だけど、私達がいつも通りじゃ無くなっても意味が無い。今日も一日頑張ろう」
努めて明るい声で叫ぶと、皆が乗っておぅと言う掛け声を上げる。ふふ、ありがたいな。そのまま、皆は練兵室で訓練、そのまま町で訓練の流れとなる。
部屋に戻り、リズが重装を着込むのを手伝い、部屋の外まで見送る。
「じゃあ、訓練に行ってくるね。ヒロもあまり無理しないように」
「リズこそ、怪我とかしないでね。気を付けていってらっしゃい」
コンと小手と拳を軽く突き合わせて、見送る。
私はそのまま厨房に向かう。
「アレクトリアー、いるー?」
叫んでみると、またたーっとアレクトリアが走ってくる。
「はい、男爵様。何かございましたか?」
「味噌の方だけど、順調に進んでいる。と言うか、順調に進んじゃった。このままだと、毎晩徹夜で面倒を見る事になっちゃう。あの二人だけだと大変だから出来れば増員をお願いしたいのだけど」
「なるほど。麹でしたか? 味噌の元を作るのは徹夜で世話が必要だと工程表にも書かれていましたね。それが毎日となると流石に辛いですね。分かりました、人員は交代制にします。調整はしますので、今晩まではあの二人をお使い下さい」
「徹夜明けだけど大丈夫かな?」
「二人おりますので、交代で寝ています。まだまだ若いんですから、大丈夫です」
若いアレクトリアに言われるのはどうかと思うが、問題無いと言うなら良いか。人員調整もしてくれるらしいし。
「計画に無い話で申し訳無いけど、お願い出来るかな」
「はい。元々館の方には余剰人員を多めに配置しておりますので可能です。温泉宿の方と人員を共有しておりますので、調整も可能です」
あぁ……。こちらでも温泉宿でも同レベルの食事を出せる為にか……。
「分かった。そちらで調整可能なら、お願いするよ」
「お任せ下さい!!」
さて、アレクトリアの太鼓判も押されたので、本格的に味噌作りといきますか。