第462話 キジ鍋の締めと言えばあれかと思います
自室に戻ると、リズがタロとヒメと一緒に遊んでいた。と言うか、ぺたーんと上に乗られて、身動き出来ない状態だった。
「何しているのリズ?」
「あ、ヒロ。助けて。タロとヒメが何か、凄く懐いてくる」
リズの上ででろーんと伸びている、タロとヒメを持ち上げて、箱に戻す。
『何かあったの?』
『まま、すき!!』
このままは私じゃないか。好きな人全体的に向けられている。何かあったのかな?
人恋しそうに、しっぽを振り、再度向かってくるが、夕ご飯なので、箱の中に戻す。何度か攻防戦を繰り返し、大人しく箱に戻っていった。
「ありがとう、ヒロ。ご飯って聞いたから部屋に戻ってヒロを待とうと思って、それまで相手しようかなって思ったら、凄い勢いで乗ってきて、大変だった」
「何か嬉しい事があったのかも。汚れたりしていない? 大丈夫?」
「それは大丈夫。ちょっと舐められたくらい」
「お湯生むから、軽く清めてから、食事に行こうか」
「わぁ、ありがとう。うん、嬉しい」
そう言うと、リズが布を取りに行くので、私はタライに適温のお湯を生む。朝は少し蒸すかなと思っていたが一日中雨が降っていたせいか、肌寒い温度になっている。少し熱めのお湯を用意すると、リズがあちちと言いながら、顔や腕など舐められた部分を擦っていく。
『嬉しい事があったの?』
『きもちいいの!!』
『うまい』
意味が分からない。部屋に入るのは侍女ぐらいだから、侍女に遊んでもらったのかな。今度話を聞いてみよう。
撫でて興奮を静めていると、少しずつ落ち着いてきたのか、お互いにグルーミングを始めたので、そっと傍から離れる。リズの方も体を清めて、服も着替えている。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
そう言いながら、食堂に向かう。テスラは今日はチェスを覚えたとか、ティアナが新しい相手が出来て喜んでいるとかそんな話をしながら食堂に着き、席に座る。
「ドル、雨の中戻って来たなら後でお風呂に入る? 風邪引かない?」
「構わん。仕事で火照った分冷えて丁度良い。それに頭からマントを被っていたからな。特に濡れていないから気にするな」
やや苦笑を浮かべながらありがたそうな顔でドルが答える。
そんな雑談をしていると、アレクトリアを筆頭にネスが試供品として作ったワゴンに乗せて、大きな平鍋が厨房から運ばれてくる。
「お待たせ致しました、皆様。鳥鍋にございます」
辺りに強い鳥ガラの香りが漂い、お腹がきゅぅっとなるのが分かる。
「じゃあ、伝令のディルスさんもお休みは今日までと言う事で、明日には出立されます。最後の食事と言う事で楽しんでもらえれば幸いです。では、食べましょう」
小皿にお玉で鳥と野菜を取り分けて、軽く塩を振る。これも海水塩か。本当にアレクトリアは海水塩好きになったな。
そんな事を考えながら、スープを軽く啜る。鳥ガラだけではさっぱりとしていても匂いの部分とコラーゲンのせいでべとっとしたスープになるが、昆布出汁で割っているようだ。それが複雑なうまみになっている。頬の際がきゅっと痛いようなそんなうまみを感じさせる。
箸で鳥を摘まんで口に含む。野生の雉なんて熱が通れば固くなるが、中まで熱が通りつつも通し過ぎないくらいの頃合いで調整していて、非常に柔らかい。かつ、噛むと鳥の香りとうまみがじゅわっと出てくる。それが昆布の香りと相まってさっぱりとしながらも香り高く幾らでも食べられる味になっている。肉も柔らかいだけかと思えば適度に弾力を持ち、噛み締めては肉汁を楽しみ、咀嚼を繰り返せる、そんな肉になっている。
野菜も春の香りのする野菜が過剰に火が通らないようにタイミング良く投入されて歯応えと、爽やかな香りを振りまいてくる。あぁ……。柚子胡椒とか欲しい。柑橘系の果物探したい。
「鳥、超美味しい。何これ、キジっぽいけど、普通カッチカチに固くなるのに、柔らかい。噛んで気持ち良い」
フィアがにこにこと鳥肉を攻めていく。肉食系の人間が攻防戦を繰り広げている。量が有るのに、恥ずかしい……。
ロットは春野菜の香り高さに感動し、じっくりと味わいながら食べている。流石野菜スキー。
「こちらで食事を頂く度に思いますが、味が複雑なのですね。何とも言えず奥深い。また、ノーウェティスカに戻って兵舎の食事に戻ると考えると憂鬱になります」
ディルスが苦笑交じりに言うと、笑いが漏れる。ノーウェも食事には気を遣っているはずだ。それをここまで言われると、ちょっと可哀想な感じもする。ただ、出汁の概念が無い世界で複雑妙味と言うのは難しいだろうなとは思う。
銘々がアレクトリアを称賛しながら、鍋を突いていくと、すっかり空になってしまった。それでも欠食児童達は足りないと言う顔をしているので、すいとんでも作るかと席を立とうとすると、アレクトリアに制される。
「お待ち下さい。男爵様。このような事も有ろうかと思い、用意済みです」
そう言うと、平鍋が一度厨房の方に戻される。
「用意って、何を用意したの?」
「ふふふ。男爵様のレシピの中では鍋の後と言えば、いえ、ここからは実物を見て頂ければと思います」
自信たっぷりの顔でアレクトリアが宣言する。
何が来るんだろうと、皆がざわついていると、ほかほかと湯気を上げながら、再度平鍋が運ばれてくる。そこには空になったスープの中にうどんが泳いでいた。
「あら、うどんじゃない!」
ティアナが驚いたように叫ぶ。
「あれ? うどんなんていつの間に作ったの?」
「鍋だけでは足りないと思い、主食としてご用意致しました。さぁ、存分に召し上がって下さい。まだ、おかわりも有ります」
アレクトリアが宣言すると、うどんスキー達がこぞって果敢に攻め始める。ちなみに、ロットは野菜とおなじくらいにうどんやすいとんの炭水化物も好きだ。
私も箸で皿に取り、味見をしてみるが、糊状の粘っこさが無くつるりと食べられる。わざわざ炊いたのを水洗いして粘り気を落としてから、再度温めたのか。そんな運用レシピにも書いていないのに、スープが濁るのを考えると、アレクトリアが独自に考えたっぽいかな。腰も有り、周囲はふんわりもちもちとして、ふわっからしこっと切れる良い塩梅のうどんだ。水気が飛んで少し濃くなった出汁と合わさり、非常に美味しい。
「ノーウェティスカでも平たい似たような物を食べましたが、このようにフワフワとしながらも歯応えの有るものでは無かったです。これは、美味しい」
ディルスも絶賛だ。言っているのは、あのパスタモドキかな。そろそろパスタも作ってみたいな。明日の味噌の仕込みが終わったら、少し厨房で色々作るのも良いかもしれない。
そんな事を思っていると鍋一杯のうどんが消費されて、おかわりになった。見ていると、料理人達が少しだけ悲しそうにしているので、余った分は賄いになる予定だったのかな?悪い事をしたなと思いながら、二杯目を完食すると、流石に皆も動けなくなっている。ディルスも思ったより食べたのか、うどんがお腹の中で水分を吸って膨らんだのか、自分でも驚くほどに食べたようだ。
「常に動けるようにと節制している筈ですが、気付かず食べていたようです。いや、お恥ずかしい」
ディルスが少し恥ずかし気に笑うと、皆も穏やかに笑い合う。少し肌寒い中で、温かな空気が流れる。
動けるようになった順番から、部屋に戻って行く。ディルスは侍女が介添えして部屋まで連れて行っている。私もリズと一緒に部屋に戻る。
「お腹いっぱい。うどん、久々だった。美味しかったー」
リズがパタンとベッドに倒れ込みながら、叫ぶ。
「うどんは驚いた。レシピには書いていたけど、実際に出てくると思わなかった」
タロとヒメに食事をあげながら、答える。
「うにゃー。お腹いっぱいで動きたくないー」
リズが駄目な人みたいな事を言っている。
「まぁ、ゆっくりしたら良いよ。しかし、雨、いつまで続くのかな。ディルスさん、明日には出ないといけないのに、雨の中の出立とか大変そうだ」
「いつもだとそろそろ上がって、ちょっとしたらまた降るって流れだけど。どうなのかな? 明日にならないと分からないよ」
リズがベッドからうんしょと起き上がり、窓から外を覗く。
「でも、朝は少し暑いかなと思ったけど、かなり冷えて来たね。リズは風邪とか大丈夫?」
「お風呂にも入ったし、特に平気。ヒロは?」
「私も大丈夫。雨に濡れる事は殆どしていないから」
「そっかぁ。なら一安心だね」
そう言うと、再度リズはベッドに寝転がりに行く。私もタロとヒメに水を飲ませて、寝つき始めたのを確認し、ベッドに座る。
「人魚さんの件も、早ければ明日、遅ければ明後日には伝令が来るだろう。それ次第では南に向かう必要が有るかも知れない」
無事なら伝令を飛ばすだけで大丈夫だけど、何か有ったら弔意を伝えに向かわなければならない。流石にそれは人任せに出来ない。
「あまり心配してもしょうがないよ。なるようにしかならない。ヒロの出来る事は無いよ」
冷たい言葉のようだが、リズが温かい視線で言ってくれる。そう、私には何も出来ないのだから。
「そうだね。明日も早めに伝令が到着するかもしれないから、早めに寝ちゃおうか」
「うん。この幸せな状態で寝られるのは最高」
「食べてすぐ寝ると太るよ」
「いやだー。もうちょっと起きてる。ヒロ、お話しよう!!」
思わず笑いが漏れる。そんな感じで雑談をしながら、お腹がこなれてくると、少しずつ眠たくなってきたのか、リズが朦朧としてくるので、布団の中に誘導する。蝋燭の明かりを消し、雨音の中、布団に潜る。そう、どんな結果であれ、受け止めなければならない。もし、悪い結果だった場合は? 私の領民の子供に手を出されたのだ。相応の対応は必要だろう。食いしばった歯がガキっと音を鳴らすのを感じ、冷静になる。まぁ、伝令次第だし、今から考えても仕方ないか。そう考えて、リズの横に潜り込む。目を瞑り、味噌作りの方は頑張ってくれているのかなと思いながら、意識を手放す。