第450話 食生活の根本的な違いと風呂の萌芽
「食事と言っても、ノーウェ様より仕入れているものが大半です。若干を森などで採取している程度です。農業もまだまだこれからですし、畜産も鶏の量産に着手した程度ですか。あれは五ヵ月もすれば食べられるようになりますし、卵を産む年齢の鶏も貰っています」
「そうですよね。材料に関しては、ノーウェティスカで食べる物と大差は無いのだと考えます。調味料や調理方法の部分で全く考え方が違うのだろうとは考えます。鶏を焼いた物ですか? 先程出して頂きましたが、外側はカリカリと香ばしく内側は汁気が残っているのに、生では無い。絶妙な焼き加減です」
高温でさっと表面を熱した後に、低温でじっくりと油をかけながら外はカリッと中はふんわりジューシーになるように調理している。よくそんなところまで見ている。
「オートミールも大概軽く塩をしたものですが、何とも甘く贅沢な物でした。砂糖は食した事は有りますが、それに匹敵するほどに甘く、それなのに砂糖ほどべとつかず、すんなりと胃に落ち込んでいく。粥で愉悦を感じることになるとは思いませんでした」
鹿の出汁は甘い。とにかく甘い。その甘みを存分に抽出し、野菜の甘みもプラスして、粥にした。麦を潰して煮て塩をかけた物と言うより、中華粥とかの方が近いのではなかろうか。
「それにあれはサラダですか? 火が通っている野菜にかかったソースも初めて味わいました。濃厚なのに、どこか懐かしい香りがします。豆は好きなのですがそれらしい味を感じるのですが、どこにも豆が無い。不思議な感覚です」
この世界でも飼料になる前の採れたて大豆を塩茹でにして、枝豆にして食べる事は有る。そう言う豆の香りを感じたのか。粥の時もそうだけど、結構鋭敏な舌をもっているようだ。斥候も伝令も諜報もインテリ職だ。そう言う意味ではこの人も教育は相当受けている筈だ。
「料理に関しては、ノーウェ様よりアレクトリアを預かっております。そちらの力が大きいのかと思います」
そう言うと、ディルスが少し思案顔で俯き、顎に手を当てる。
「アレクトリアさんですか。ノーウェティスカでも何度か名は聞きました。良い料理人では有るが、実験的な創作が強く、当たり外れが大きいと」
「はは。確かに知識欲は旺盛ですね。『リザティア』に来ても色々試行錯誤していましたよ。ただ、そう言う部分が結実して羽ばたき始めたと言う事では無いでしょうか。元々良い料理人だったのでしょう?」
「そう……ですね……。そうかもしれません。いやぁ、そんな料理が食べられる皆様を本当に羨ましく思います。伝令の任で三日も走れば、一食目なんてほぼ固形物は食べられません。携帯食だけで凌いでいますから胃が受け付けないのです。それがするすると食べられるのですから。まるで神様の作った料理のようでした」
「神様とは。アレクトリアも喜ぶでしょう。それにお風呂に関しては、ノーウェティスカの方で公衆浴場の建設が始まったと聞いております」
そう言うと、ディルスが顔を輝かせる。
「そう。お風呂です。あれは良い物ですな。乗馬の倦怠が一気に吹き飛びました。ノーウェティスカでも試験的に樽で湯に浸かると言う行為は政務と軍の方で導入を始めています。薬師ギルドも入っていますが、統計では如実に傷病の治癒に効果が見られますね」
「傷病の治癒ですか?」
「はい。色々と病になる確率は使う前と後では明らかに下がる傾向にありますし、打ち身、捻挫、脱臼などでもある程度治った後はお風呂に入った方が最終的な治癒までの時間が短いと言うのも見えてきました。薪代はかかりますが、良い事ずくめかと考えます」
風呂の効能に血流増加と代謝亢進は有るので、確かに傷にも一定の効果は有るだろう。
「そうですか。ノーウェ様も初めは効能に懐疑的でしたが、そこまで研究されているとは」
「男爵様より情報を頂き、即時に対応を始めました。各村で作られる石鹸ですか? あれとの併用で体が綺麗になった感覚はしますね。女性隊員にも非常に好評です。しかし、狭い樽に浸かると言うのも中々それはそれで大変なのですが、ここではあのような広いお風呂でのんびりと寛げる。贅沢ですな」
「水魔術が使える者が居りますので、そちらに任せています。風呂はゆったりと入った方が効能が高いと見ておりますので、ノーウェ様の考えられているある程度大規模の公衆浴場と言うのは理に適っているのでしょう」
「はい。今から出来上がりが楽しみです。ちなみに、『リザティア』の方でも温泉宿なるものが存在するとお聞きしましたが?」
「まだ、サービスの質が低く、開店にはもう少し時間がかかるでしょう。しかし、試験的に入る事は可能です。今回はどの程度ゆっくり出来ますか?」
「一般的に三日の伝令距離なら、二日は休息に充てても良い扱いです。出来れば、温泉宿の方も試してみたくは有りますが……」
「分かりました。ただ、ノーウェ様もロスティー公爵閣下も試していない物ですよ? 後が怖いかもしれませんが」
そう言うと、ディルスの顔が引き攣る。
「そう……ですか……。残念です。流石にノーウェ様より先に楽しんでは申し訳有りませんね。この領主館のお風呂でも十分堪能出来ます。出来れば、滞在中の利用を許可頂ければ幸いです」
「はい。折角お越し頂いたのですから、どうぞご随意に。風呂の際は侍女にお声がけ下さい。一般的に夕方、食事前か、食事後が入浴時間となります」
「分かりました」
そう言うとディルスが嬉しそうに破顔する。余程風呂が気に入ったのかな。
「話は変わりますが、本日辺りが突入という事は『リザティア』に結果が届くのは十四日辺りですか?」
「そうですね。テラクスティスカからノーウェティスカで一日、そこから伝令を出して、十四日辺りを見て頂ければと考えます」
「分かりました。良い知らせを待つ事にします」
その後は雑談タイムになる。私達がいなくなった後もトルカは平和そのもののようだ。ただ、商人の往来が激しい為、拡張計画は出されているようだ。特に各村で製造が開始された石鹸は飛ぶように売れている。女性が綺麗な村と言う事でも評判になっており、その理由が石鹸に有ると見ているようだ。
ダイアウルフの件は先程の通り、もう少しで粗方の制圧は完了のようだ。ある程度間引きして、少数の群れだけを放つらしい。獲物として狩れる程度で繁殖させていく方針らしい。その為に森全体に冒険者ギルドとノーウェの諜報の方で結界を張って維持管理をする。
その他色々こちらに来てからの変化は聞いていて楽しかったのだが、流石にディルスも疲労が出て来たのか、欠伸を噛み殺している。無理が過ぎたか。
「では、夜まではまだ時間が有ります。もう少しゆっくりとされては如何でしょう。必要なお話は頂けました。まずは体を労わって下さい」
「本当にありがたいお言葉です。では、失礼して、もう少し休むよう致します」
そう言うと、ディルスが深々と頭を下げて辞去していく。
トルカ村の方は平和そうか。しかし、あの村が拡張って、元々大きい村なのに、もっと大きくするのか。もう町レベルの大きさだな。でも延々流れ込む商人を捌くにはちょっと小さいか。
そろそろアスト達も引継ぎが終わり、こちらに来る頃だろう。迎えに行きたいが、温泉宿のオープンも控えている。リズと仲間達に護衛をお願いしてしまうのも有りかな。んー。結局お義兄さん、お義姉さんには挨拶出来ずになりそうだ。結婚祝いだけは多目に包んでおこう。
お茶の用意を片付ける侍女の姿を見ながら、そんな事を考える。あぁ、メイド服と執事服、どうなんだろう。そろそろサンプルくらい出来たのかな。ちょっと確認はしたいかも。テスラには申し訳無いけど、馬車を出してもらおうかな。流石に雨の中を歩くのは面倒だ。