第42話 優しい夜
アスト宅に戻るとティーシアに迎えられる。
「なんだか忙しないわね」
笑われた。確かに走り回り過ぎだ。出してもらったお茶に口をつけ、ほっと一息。
「子供っていつの間にか大きくなるのね」
少ししんみりした顔つきで呟く。
「今回の件、後悔されていますか?」
「いや。そうじゃ無いの。皆出て行って、今晩はあの人と2人でしょ?そんな事、久々だから」
微笑みを浮かべる。
「子供の巣立ちは親の本懐よ。ただ、やっぱり寂しいなとは思っちゃう」
子供が出来なかった身としては何とも言えない。
うちの親もそんな感覚なのだろうか。
「愚痴とも、違うわね。何だろう、誰かに聞いて貰いたかったのかもしれないわ。あの人にはこんな話しないもの」
「子供の成長は早いものですから。温かく見送ってあげるのが一番だと思います」
「そうね。ふふ。でも、まだまだいて欲しいのは有るはね。特にあの子、寂しがり屋だから」
「もう大人ですから。でも、分かります」
そんな話をしていると、2人が帰ってきた。
「リズ、少し話があるんだ」
先程からの経緯を軽く伝え、宿へと誘う。その間、ティーシアがアストに何かを伝えている。
アストは若干複雑そうな顔だが、こちらを向くと、目礼で許可を出してきた。
「うん、良いけど。何か有ったの?」
「それなりに達成料も出たから、看病のお礼も兼ねてお祝い会みたいなものかな」
「ん。楽しみ」
にっこりと微笑んでくれる。もっと微笑んで貰う様にしなければ。
宿までの道すがら、雑談が弾む。
「本当に、世話になった。ありがとう」
「もう、何度も。でも、良いの。無事だったんだから」
話を続けていると、宿に着いた。
扉を開け、店員に挨拶をすると、テーブルに誘導される。
テーブルには蝋燭が置かれ、幻想的で明るい雰囲気を演出している。
次々と、料理が並ぶ。コースではないので、全てが一気に出て来る。
料理が並ぶと、ワインの栓が開けられ、カップに注がれる。
グラスの方が雰囲気出るのに、ちょっと残念。
ちなみに、ガラスは存在するし、単純な形状だがグラスも存在する。
ただ、やはり手工芸品なので高価な為、小さな村の宿屋で使う事は無い。割れたら、大損だ。
「今日のリズは、本当に綺麗だ」
薄暗い中、蝋燭の灯りに照らされた姿は髪の所為も有り、仄かに輝いていた。
「何よ……それ。なんだか、恥ずかしい。でも、凄い料理ね」
「今日は特別な日だから」
懐から、おまけしてもらった綺麗な端切れに包まれた腕輪を取り出す。
「受け取ってくれないか」
端切れを開き、腕輪を露出させる。
「君を永遠に縛りたい。結婚してくれ」
一瞬、目を見開き、腕輪を見つめる。みるみる内に、瞳が潤んでいく。
「うん……うん。うんっ。嬉しい……」
「さぁ、腕を出して」
差し出してきた左腕に、腕輪を通す。灯りを反射し、キラキラと輝いていた。
「綺麗……。こんなに綺麗だったんだ……」
「そんなことは無いさ。腕輪より、いや、遍く星々よりリズは輝いている。世界の何よりリズは綺麗だよ」
こういう時はどんどん押して行くべきだ。褒め倒せと、頭の冷静な部分が囁く。
「いや。綺麗と言う表現に悪いかな。リズはそれよりももっと、上だ」
どんどんと頬が紅潮し瞳が潤む。
効果有りか。
「さぁ、記念すべき日だ。食べよう」
「婚約だけで、こんな用意まで……。ありがとう……」
恥ずかしそうに俯きながら、言葉を発する。でも、口元がにやけているのは見えている。
2人でワインを口に含む。水が悪い事も有るので、ワインは飲める様だ。
前菜から食べ始める。川魚をスモークし、香草と一緒にマリネにしていた。薄くスライスされた玉ねぎの刺激と淡い胡椒の刺激が心地良い。
「美味しい……。こんなに美味しいもの初めてかも……」
「そんな事無いさ。これから一緒にもっと美味しい物を食べて行こう。ずっと一緒なんだから」
また俯く。よし、押せ、押せだ。くさくても良い。
どうもこの世界は口説き文句が乏しい様だし褒める事をしない。褒められ慣れていない相手は褒め倒しだ。
「美味しそうに食べて貰って本当に、嬉しい。何より、その上品な姿。美しいと言うのも憚られる。あぁ、私程度では言葉に表せない」
自分を殺し、兎に角、押せ、押せと頭の冷静な部分が囁く。
イノシシのステーキは適度に熟成された良い所を使ってくれた様だ。
依頼した通り、ニンニク等の匂いのきつい物は入っていない。素晴らしい。流石だ、店主。
「イノシシよねこれ……。こんなに美味しかったの……。食べた事無い……」
そう、猟師は狩っては来るが、食べる事は無い。熟成させた正肉なんて、生産者は食べられない。
いや食べられはするだろうが商品だ。手を付ける事は無い。
「うん。美味しいね。折角リズ達が苦労して狩った物を楽しんで欲しかったんだ。こんなに偉大な仕事なんだ、リズがやっているのは。そんなリズを誇りに思う」
押せ。押せ。
「ありがとう……嬉しい……でも、ちょっと怖い」
「何がだい?」
「こんなに幸せになっても、良いのかなって」
「良いさ、この位。いや、これからもっと、もっと、もっと、幸せになってもらわないと」
頬の紅潮がピークになる。瞳は尚潤んでいる。
食事を終え、店主に目礼で合図を送る。
部屋に入ると、簡易な部屋着とお湯が置かれていた。食事の終了に合わせて用意してくれたのだろう。
水差しにも、澄んだ水が満ち満ちと用意されていた。完璧だ店主。
「寝る前に、体を清めてしまおう」
「恥ずかしいから、向こうを向いていて」
「あぁ。分かった」
お互いベッドを挟み、背中合わせに体を清める。衣擦れの音が聞こえ、髪の毛を洗っているのか、水の音が聞こえる。
こちらは男だ。念入りではあるが急いで、頭を洗い、体を清める。全てを終えた時、まだ体を清めている音が聞こえた。
しばし待ち、音が止むのを見計らい振り向き。ベッドを回り込み、近づく。
「リズ」
「きゃっ……」
慌てて胸元を隠す。
タイミングを外した……。
重要な所は見えなかったが、蝋燭の灯りにその白い肌が仄かに輝きながら浮かぶ。日中外で働いているにも関わらず、肌はあまりにも白い。
白磁の様な滑らかさ。
素晴らしい物を見れたと思う。
部屋の蝋燭は蜜蝋なのか、仄かに甘い香りが漂う。
「けじめとして、元いた場所の法を大切にする。ごめんね」
そっと口づけ、喉元まで唇を触れさせていく。所々を啄む様に、口づける。
「じゃあ、今日はその代わりに、お互いに触れ合おう。」
「……触れ合う?」
そっと抱擁する。首元に口づけ、そして、口元に。
抱きしめ合い、お互いの温かさを感じ合う。
ふと、喉の渇きを感じる。
水差しに水を注ぎ、優しくしっかりと差し出す。
「……ありがとう……」
ふわふわっとしながら、受け取り、ゆっくりと飲み干す。嚥下する際の喉が動く様も綺麗だ。
「ずるい……。何か、いつもより格好良い」
「幸せになって貰って、何より」
「ばか……」
弱弱しく、叩かれた。
看病疲れも有るのだろう。朦朧としている。
優しくベッドに横たわらせ、その横に入り込む。
「おやすみ、リズ。今夜は楽しかった」
「おやすみ、ヒロ。何も出来なくて……ごめんね……」
呟いている最中にもう、眠りに落ちて行っていた。
色々有ったが、用意も上手くいったし、満足いく結果だっただろう。
心地良い疲労感と共に眠りに落ちる。
「おやすみ。最高の一日だった」