第445話 鹿肉のソテーが出てきましたが、様子がおかしいです
「それでね……」
リズの話が途切れた瞬間に、カップに冷たい水を注ぎ渡す。
「あ、ありがとう。丁度喉が渇いていたの。嬉しい」
んくんくと飲み干していく。訓練で町を回って、あれだけ話したのだ。そりゃ喉も乾くだろう。
「でね、フィアが新しい雑貨屋さんでね……」
うぉ……まだ続くのか。女の子の話は長いのが相場だけど、本当に長い。にこにこして聞いているが、顔が若干引き攣っていないか心配だ。
話を逸らそうかとタロとヒメの方を見ると、グルーミングで落ち着いたのか十分に遊んで疲れたのか、二匹がまとまって丸まっている。うとうととしているので、食事までは寝るつもりなのだろう。
「でね、聞いている? ヒロ」
「うん、聞いているよ。フィアも結構身嗜みと言うか、装飾にも拘るようになったんだね」
「昔は着の身着のままでもあんまり気にせずに冒険者をやっていたのに。ロットと付き合い始めて、冒険者として成功して、余裕が出た感じなのかな」
「元々、あまりお金を使うタイプじゃないから、偶には良いんじゃないのかな。リズもあまりお金は使わないじゃ無い。香油以外には買わないの?」
「んー。使わない事に慣れちゃっているから、お金が有っても使えない感じなのかな」
「服は……前に結構買い込んだか。装飾品とかには興味は無いの?」
「あまり興味が無いかな。前に作ってもらった真珠のネックレスを見ていると、他の装飾品って言ってもあまり欲しいって感じないかな……」
あー。良いのを渡しちゃったので、目が肥えたのかな。逆に悪い事をした。
「指輪とか、そう言うのはいいの?」
「んー。武器を握るから、怖いかな。突き指をして抜けなくなったとか聞いちゃうとやっぱり嫌かも。ヒロの神術は有るけど、絶対にヒロがいるって保証は無いし。そう言う意味では、そもそも着けない方が気楽かな」
うーん。理由が男前だ。この子、本当に合理的と言うか、ちょっとそう言う意味での女の子らしさに乏しい。家の事情も有るのでしょうがないのだろうけど、もう少し身の回りの事にお金を使っても良いのにとは思う。
「あ、でも今日はちょっと東の方にも行ってみたけど、職人さん達の周りの屋台とか軽食屋さん、凄いね。種類も豊富だし、色々目移りしちゃったよ」
「私も食べたよ。良い塩梅の味付けで飽きが来ない感じだった」
「分かる。お母さんの料理に近いかも。あれだったら毎日食べても大丈夫だね」
「はは。そろそろティーシアさんのご飯が恋しくなった? 私は恋しいかな。アレクトリアも頑張ってくれているけど、やっぱり慣れている味を偶には食べたいなって思うね」
「うん。食べたいかな。でももうそろそろ兄さんも戻るだろうし、来るんじゃないのかな?」
「あ、ノーウェ子爵様から聞いたけど、結婚の許可は下りたって。後はお金を貯めるだけだけど、蝋燭と石鹸が有ればすぐに貯まりそうな気もするね」
「お義姉さんが凄く苦労しそうな気がするけど。きっと今、大変なんだろうね」
何を思い出したのか、リズが少し暗い表情になり、やや下を向きながら、ぼそっと呟く。
「ティーシアさんも流石に、お嫁さんにはきつく当たらないと思うけど……」
「なんで!! ずるい!! 私、大変だったのに」
「リズは子供だし、しょうがないよ。まともなお嫁さんとして家から出したかったんだと思う。逆にお義姉さんは家に入ってくる人なんだから、何も無いと思うよ。ただ、石鹸作りとか蝋燭作りとか、やらないといけない事は教え込まれると思うけど。それでも程々かな」
「むー。納得いかない」
むくれるリズを宥めていると、ノックの音と侍女が夕食の支度が出来た旨を伝えに来る。
「さぁ、リズ、ご飯を食べよう」
「何と無くはぐらかされている気がするけど、良いよ……」
リズと一緒に食堂に入り、席に着く。
この香りは……と思っていたらメインの皿が出てくる。
「鹿が入りましたので、レシピに書かれていた通りに作ってみました」
そこには昔、野営中に作った鹿のソテーが乗っていた。皆、味を思い出したのか、勢い込んで食べるが、きょとんとした顔で、ナイフとフォークを止める。
「あ、あれ? 何か粗相が有りましたでしょうか?」
アレクトリアが慌てた顔で聞いてくる。皆も何が違うのかが分からなくて首を傾げている。
ナイフで切り、口に含んでみて分かった。あぁ、ソースが単純なのだ。前の時は香草をふんだんに混ぜ込む事により、奥行きの有る味に仕上げた。今回はそれが無く煮詰めたワインビネガーに砂糖と塩と言う単調な味故に首を傾げているのだろう。でも、普通に美味しいのに、勿体無い。
「理想が高過ぎるよ。アレクトリアも落ち度は無いよ。レシピには書いていなかったけど、ソースそのものが単純だから、前回は手を加えたんだ。香草を混ぜ込んだり。それが影響しているんだ」
「なるほど。十分に美味しいと思っていましたが、まだ上が有るのですね……。その辺りも研究してみます。でもレシピに書いて頂けないのは困ります」
「ベースのソースだからね。後は創意工夫かと思って書かなかったんだ」
「宿題としておきます。必ず、より良い物を見つけ出します」
ふんすと言った顔でアレクトリアが言う。何が足りないかが分かったので、きっと改良して来るんだろうな。
あぁ、楽しみだ。夕ご飯を毎日楽しみに出来るのは本当に有り難い。
「あ、でも、明日は温泉宿の方に出かけますので、朝だけかと思います」
温泉宿の方も開店が近付いているので最後の追い込みだ。アレクトリアには期待している。良い結果になれば嬉しいな。
その後は謎が解けたのか、皆も鹿を楽しみながら雑談を楽しんでいる。やはり町が少しずつ発展して行く様をリアルタイムに見るのは楽しいらしい。あそこの辻に何が出来た、大路の方に何が出来たと盛り上がっている。
「あ、リーダー、新しく出来た雑貨屋に超可愛い……」
フィアが上機嫌で話しかけてくる。ただ、その内容はもうリズによって伝えられている。
微笑みを浮かべながら、相槌を打つ。ティアナやロッサも同じようにわくわくした感じで話に入り込んでくる。この辺りは若い女の子の共通項なんだろうな。中々大きな町に行く機会も無いし、ここが大きな町になると言うなら、好都合の部分も有るのだろう。
暫し雑談を楽しみ、お風呂の準備をして、女性陣に入ってもらう。
お湯の用意が終わり、リズが用意を済ませてお風呂に行こうとした時に、扉がノックされる。侍女かなと思って声をかけると、チャットだった。扉を開けると困惑した顔のチャットが立っている。
「リーダー、作ってもろうた魔道具の件なんですが……」
「うん」
「まだ、動いています。それに核の方にも曇りが出ていません。少なくとも、今日と同じ時間使っても、問題無いでしょう」
朝から夜までなので、十二時間近くは動いている。
「普通じゃない……か」
「はい。明日も引き続き継続させますが、何とも言えません。画期的な話やと思いますが……。まずは限界値の確認を行います。まだ動いていた。この事実だけを伝えたかっただけですんで」
そう言うと、リズと一緒にお風呂に向かう。
やはりこの世界の人間にはまだ、エネルギーの流れみたいなのをはっきりと理解するのは難しいかなと思う。私自身はバッテリーと機器の関係を考えて行使出来ると言う点が違う。そのイメージが良い風に働いてくれているらしい。
蝋燭代も馬鹿にならない。もし蝋燭代を超えるだけの時間灯ってくれるなら、自分用に作るのも良いかなとは思う。蝋燭代を考慮しなくても、揺らがない光源は夜、書類を読む身としてはありがたい。
そんな事を考えながら、書類の決裁を進めていく。建物の引き渡しが主だった決裁も、営業許可を求める物に変わって来た。少しずつ、町は構築の段階から、稼働の段階へと進んで行っている。ご飯を食べて、ぺちぺちと肉球で叩きあいながら、じゃれあっているタロとヒメを横目にしながら、書類を片付けていく。
中央部と、職人街、農家街、及び歓楽街の一部の決裁が終わった段階でリズが戻ってくる。
「上がったよー」
「分かった。入るよ」
下着類を準備して、二匹を抱える。もう慣れた物で下着類を用意し始めると、足元で待つようになってしまった。
「じゃあ、お風呂入って来るね」
「はーい」
リズに見送られて、お風呂に向かう。服を脱いで、タロとヒメを洗う。いつものように洗っている最中にロット達が来て、先にお風呂に入っていく。
私は二匹をさくさくとスヤァさせてしまう。今日はたっぷり走り回って疲れたのか、いつもより早い段階で寝入ってしまった。脱衣所でくるりんと無意識に二匹が丸くなっている姿は愛らしい。
「ふぁぁ……。最近、馬車での移動ばかりだから体が鈍っているって気付いたよ。お風呂に浸かったら、一気に疲労が出た」
「忙しそうだな。体の方は大丈夫なのか?」
私が、風呂に浸かり唸り声を上げながら今日の疲れの理由を話すと、ドルが心配そうな顔で言ってくる。
「書類の方はもう、どんどん増えるから、どんどんこなすしかないよ。それが町を作って運用するって事だろうから。体の方は大丈夫。大袈裟に言っているだけだから」
そう答えて、体の随所を揉む。肩は凝った。あー、そう言えば温泉宿のマッサージ、体験した事無かった。カビアが体験しているのに、私が体験していないって不公平な気もする。明日隙を見て、行ってみようかな。揉まれるだけでも全然変わりそうだ。
皆と町の様子に関して話すが、女性陣と違って見るところが違うのが面白い。男性陣は衛兵の配置や練度、建物の建築状況やその配置などの方に興味が有るらしい。
町の構築と衛兵の配置のバランスなどに関して、レイやカビアも交えて相談していく。
現場の意見を聞けて良かったと思いながら、湯船から出る。脱衣所の開いた窓からは涼しい風が入ってくる。まだまだ春も序盤だなと思ってしまう。
汗が引いたところで二匹を抱えて部屋に戻る。
部屋ではリズが珍しく編み物なんてやっていた。
「あれ、リズが編み物なんて珍しいね」
「うん。そろそろ暖かくなってきたから。それに侍女の人に教えてもらえたから、試してみようかなって。作ったら着てくれる?」
「え? 私のだったの?」
「ふふ。ヒロのを編んでから、私の分かな」
女性の手編み品なんていつ以来だろう。少しだけ気恥ずかしい。
「ありがとう。大切に着るね」
「うん。嬉しい」
そんな温かいやり取りをしながら、蝋燭の明かりに照らされ、それぞれのやるべき事をやっていく。
春の暖かく、まだどこか涼しさも残した夜はそうやって更けていった。