第439話 チャット先生と実践的実験
「これが実物になります」
チャットの部屋も私達と同じサイズの部屋だ。客室の基準サイズが有るので、各部屋はそれに則ってレイアウトされている。私達の部屋は書類が多いがチャットの部屋は書類に加えて、実験道具の類も有るので、ごちゃっとした印象になっている。棚でも置いて整理したら良いのにとは思う。でも、大工を領主館の中に入れて寸法を測って作ってもらうと言う行為そのものに遠慮しているのかな?その辺り、後で聞いてみよう。
チャットの差し出してきた物は掌大の大きさの木の箱の真ん中に小さなレバーみたいな物が付いている。今は無色の方に倒れているが、逆側は赤色に塗られている。昔の機械のスイッチを彷彿とさせるデザインだ。
「えと、これはどう言う物なのかな?」
「その棒を倒すと、赤い方の正面三十センチメートル程の場所に蝋燭程度の炎を出します。倒している限りはそれが続きます」
あぁ、発火装置か。こっちのライターって感じなのかな?
「倒してみて良い?」
「危なぁは無いですが、念の為、暖炉の方を向けて試して下さい」
暖炉の灰の上から、三十センチメートル程度の距離でレバーを倒してみる。手応えは無く、すっと倒れる。その瞬間、魔素が魔力に変わる感覚が手元から伝わってきて、灰の上に小さな火球が浮かぶ。
「おぉ。火が出た。これが有れば、火口箱とかいらないと思うけど……」
「あ、戻して下さい。後で説明しますが、魔素と魔力を変換するのに、スライムの核の変換能力を使います。そのまま使い続けると、使えんようになります」
慌てて、チャットが言ってくるのでレバーを元に戻す。すると、魔素と魔力を変換する流れが途絶えて炎が消える。
「これも試験用に作った物です。一般的なスライムの核を使うていますが、使える時間は大体三十分から五十分程でしょうか」
「え? そんなに短いの? あんな小さな炎を出すだけで?」
「その辺りは研究中です。ただ、何度も繰り返し作っている魔術士の方の場合は、同じ大きさや品質の核を使っても、炎の勢いが激しく、使える時間も長うなると言う結果が出ています。条件や魔術の状態を明確に想定出来れば出来る程、効率が良くなるのではないかと言うのが現在の研究での結論です」
あぁ、昨日の火球もアレクトアが言っていたが、原理を明確にイメージして、実行すれば効率が良くなってより少ない魔素の変換で実施出来るし、継続するのに魔力を必要としなくなる。スキルの習熟とは別で、イメージの習熟と言ったところだろうか。
魔術士達は結果を知って、それを元に何かを変えてトライアルアンドエラーで時間を伸ばしていたり、規模を大きくしているんだろうな。
「実際にはどんな構造になっているの?」
「はい。開けますね」
チャットがそう言うと、レバーの付いた箱の上蓋を開けるが、中にはスライムの核が入っているだけだった。スライムもダイアウルフも核は無色透明のガラス玉みたいな物だ。ただ、これは模様が刻まれているし、何だか中の方が曇っている。でも、何これ?何の機械的な構造も無い。何の為の箱なんだろう。
「単純と言うか、良く分からない。これ、箱である意味は有るの?」
「分かり易い、言うのが理由ですね。魔術士の人が魔術を想定する際に、箱の上の棒が赤い方に倒れたら発動して、戻したら消える。その為にこの箱の形状をしています」
イメージの問題だけか……。と言う事は条件付けはもっと自由な物なのだろう。
「実際に魔術士は何をすれば良いの?」
「この核の表面を見て下さい。細かく模様が刻まれてるのが見える思います。これ、アレクトア様が各国の研究機関に伝授している記憶用の紋様になります」
あー。神様が伝授しているのね。そりゃ、こんな技術トライアンドエラーしても出て来ないか。端緒の部分を人間に教えていると言う感じなのかな。と言う事は魔物サイドにも同じように教えていると見て良いか……。うーん。魔素の有る所に核を持った生き物が住む分、魔物側の方が有利な気もするんだけど。また機会が有れば聞いてみようか。
「その紋様を刻むとどうなるの?」
「はい。ここからここまでは初期に刻みます。魔術士の方が魔術の実行をイメージし終わると輝きますんで、ここからここまでの紋様を刻みます。そうすれば、核にその魔術が記憶されます」
ふーむ。イメージだけで良いのかな?と言う事はシミュレーターで実行イメージだけを思い描けば良いのかな。
「実際にやってみる事は出来る?」
「はい。核は手持ちが有りますし、紋様を刻むのはお手の物ですさかい」
そう言うと、チャットが机の上に置かれた箱を開ける。中は間仕切りで小分けにされており、その小さな空間に核が入っている。
「基本的に重さと魔力の運用時間は比例しています。また、仕切りになってるんは同じ場所に置いていると勝手に核同士がくっつくんです」
「くっつく?」
「寝ずの番をして観察していたんですが、駄目でした。意識を離したタイミングで融合して大きくなっていました。大体、二、三日くっつけて置いていると勝手にくっついて大きくなります」
「屑の核は無いって事?」
「冒険者ギルドでも、数と言うより、秤で計っていた思います。あれ、重さで買い取り額を決めてるんです」
あぁ……。核の買取の時って殆ど現場にいなかった。数にしても品質にばらつきが有るのをどうやって買い取っているのかと思ったけど、重さか。
「あんまり大きくなり過ぎると、逆に使い辛くなるので、割ったりします。割った分もいつの間にか滑らかに丸く戻っているので、不思議なんです。傷を付けてもいつの間にか直ります。この紋様を刻んだ時以外で傷がそのままと言う事は有りません」
ヒュージスライムの時に結構荒っぽく魔術をぶち込んだけど、ハーティスが何も言わなかったのはそれが分かっていたからか……。それに元々、丈夫だし材質も良く分からない。ガラスでも無いし、鉄でも無い。ナイフみたいな物でスライムを抉った時に傷が付く事は有ったけど、何と言うかもう少し柔らかい物に傷を付けているような感触と傷跡だった。
「んじゃ、同じ機構で試してみようか。レバーが赤い方に倒れれば、魔術を実行する。それを条件として、直径二センチ程度の火球を三十センチ先に出現させる感じかな。パラメータ的に速度は必要だからじりじりと前進するイメージかな」
「はい。他の魔術士の方も実際は前進させています。極僅かなので気付かんと思いますが」
「じゃあ、試してみようか」
「では、刻んだ物が有りますよって、こちらをお使い下さい」
そう言って渡された核を箱に仕舞う。レバーと言っても、棒の真ん中に鉄芯を刺して固定しているだけの物だ。木の圧で固定されているけど、何度もオンオフしていたら緩んできそうだ。もう少しスマートなスイッチや条件の方が良いな。これはその内の課題かな。
時速でコンマ一ミリ程度の速度で、移動する直径二センチ程度の火球をまずイメージする。温度は千度。色は明るい黄色かな。その火力を供給するのは核が変換する魔力だ。具体的に変換されている状況は『術式制御』の感覚で先程掴んだ。この魔術を行使する為だけに必要な魔力の量も把握出来ている。無駄に魔力を使わないように、維持に最小限だけ魔力が供給されるように緻密にイメージをする。で、シミューレータで作り出したこの魔術をスイッチが赤い方に倒れた場合のみに起動するようにイメージを付け足す。すると、核が仄かに白く発光する。極々微量だが、魔素と魔力の変換が行われている。それを使って光っているっぽい。
「あ、そこまでで大丈夫です。後は残りの紋様を刻めば終了です」
チャットがそう言いながら、光る核を持っていき、机で彫刻刀みたいな物を使って残りの紋様を刻み始める。数分程で刻み終わると、発光現象が止む。
「この光っているのも核の変換能力を使っているらしくて、早く刻まないとどんどん劣化します」
「劣化と言うのが、中の方が白く濁っている状況なの?」
「はい。完全に白濁すると、いつの間にか無くなっています。空気に溶けていくと言う感じでしょうか?」
ますます材質も動きも分からない。流石異世界アイテム。現代日本の常識なんて通用しないな。
「じゃあ、試してみようか」
「はい。えと、条件はこの箱に紐付けましたか?」
「この箱しか無かったから、この箱にしたけど、不味かった?」
「いえ。混ざらんように注意せなあかんなと思っただけです」
そう言って、箱から核を取り出し、注意深く箱の仕切りの間に仕舞う。
「紋様を刻んだ後の核と刻んでいない核を一緒にしているとどうなるの?」
「白濁が薄れていくのと、完全に晴れると融合します。白濁すると、実は徐々に軽くなっていますんで。重さで計っても分かります」
質量保存の法則もガン無視か……。いや、成分が抜けて反射が乱反射になって白濁したように見えるとか……。無いな。うん、無い。謎物質だ、やっぱり。
「では、試します」
初めての魔道具作り。成功かな? 失敗かな?
チャットが暖炉に向けて、箱を置き、レバーを倒すとふわっと火球がイメージ通りに浮かび上がる。
「お、成功」
「はぁ……。凄いですね。中々初めてで成功なんて無いんですけど……。リーダーの魔術ってどこかおかしい気がするんですけど」
「それ、褒めていない。魔力の流れも先程の物より、緻密で綺麗に流れているね。比べたら分かる。この辺りがイメージの差だと思う」
「あぁ、ほんまですわ。でも、こないに綺麗な流れを感じたん、初めてです。どないな事を想像したら、こうなるんやろ……」
チャットが研究者っぽく考え込む。私は純粋に直流の電化製品に電気が流れるのと同じ感覚でイメージしただけだ。魔力と電力、似たような物だし、イメージしやすかったし。
「使い切るのにどの程度かかるか試してみたいんだけど、良いかな? 核を一個無駄にしちゃうけど」
「いえ。試すんは必要な事ですから。このまま様子見ておきます。どうせ一時間とか二時間の話でしょうし、資料まとめときます」
「訓練の邪魔をしちゃってごめんね」
「いや。研究も重要ですから。お気になさらず。じゃあ、様子見ときますね」
チャットがそのまま机で資料を漁り始めるので、辞去する。
取り敢えず魔道具の仕組みは分かった。トリガーもイメージでなんとでもなりそうだ。例えば、対象の人物から十メートル離れたら起動させるとか。イメージだけなら百キロでも二百キロでも可能だろう。馬車で一日走った距離を離れたらとかでも良いのだから。これなら、鹵獲されても発火させる事は可能だろう。高温になった場合にどれだけの時間燃やせるかによるかな。その辺りもテストしてみたいな。まぁ、まずは試作一号がどうなるか、その様子を確認してからでも良いか。
目的の魔道具も初めて作れたので少しわくわくしながら、部屋に戻る。リズは訓練で練兵室だろうし、タロとヒメは大人しくじゃれあっている。んー。思ったより時間がかからなかった。タロ達に見つかると絶対にフライングディスクをせがまれるので、何か仕事を……。あぁ、石鹸の方だ。塩析のテストをしないと。確か海水塩だと余分な成分が多くて逆に塩析には不向きだった筈だ。純粋な塩化ナトリウムに近い岩塩を使って試してみるか。厨房、厨房っと……。