第418話 競馬の準備も着々と進んでいます
「お待たせ致しました。そろそろですので、食堂に移動致しましょう」
テディが部屋に戻り、先導してくれる。そのまま温泉宿の食堂に向かう。
食堂に入ると、従業員達が食事を取っている。あれも厨房の試作品を評価している。温泉宿の稼働後には従業員は従業員用の食堂で食事を取るが、今は給仕の練習も兼ねてお互いに評価し合っているらしい。ロールプレイングは重要なので、どんどんとやって欲しいなと思う。
「しかし、厨房のレパートリーが多彩なのには驚きました。アレクトリアさん仕込みも有りますが、男爵様のレシピが大きいのでしょう。それに鶏の養殖も始まりましたので卵が豊富に使えるのはありがたいですね」
「卵は料理の幅を広げますので、是非増やしたいなと考えていました。鶏糞もそのまま肥料になりますので、無駄も有りません」
「冬は蕪等の日持ちがする野菜と穀物で家畜を育てるですか。南方の暖かい場所であれば可能ですが、ここなら温泉を下に循環させて冬用の畜舎を作る事が出来ますので、冬場も料理の幅が狭まらないのは大きいですね」
「森での狩猟は続けますが、人口が増えるのであれば、森の供給に頼る形では破綻します。なので、自分達で育てるしかないです」
「なるほど……。町の規模から考えれば、住人の数は膨れ上がりますか……。そうなった時の町の姿を早く見たいですね。あぁ、来ました」
テディと雑談をしていると、スープと皿を一枚テーブルに置いてくれる。おぉ、キッシュだ。卵と言っていたから、卵料理かなと思っていたが。
「これも男爵様のレシピの品ですね。パンでも無く、おかずでも無い。なのに腹持ちも良く、色々と具材で表情が変わる。非常に面白い食べ物ですね。冷えても美味しいので、屋台に出せないか検討中ですね」
「この時期だと、もうバターが保存出来ないので、その日作った分をその日の内に消費する形になりますね。オリーブオイルなどの植物油でも作れますが、コクが物足りないのが欠点です」
そう言うと、テディが苦笑する。
「はは、手厳しい。料理になると男爵様は頑なだと、アレクトリアさんも言っていました。妥協の産物を出されるよりは余程ましですが。さぁ、温かい内に頂きましょう」
キッシュをナイフで開くとアスパラと水分が多い葉野菜、それに塩漬けのイノシシがメインのキッシュだった。塩抜きがきちんとされており、卵の甘みに包まれてイノシシ肉が塩辛いと言う感じはしない。元々漬ける時にハーブと一緒に漬けたのかほのかに残る香りが燻製と違ってまた別の清涼感やうまみを引き出してくる。アスパラのシャキシャキした感じと野菜が多い感じが健康的で贅沢だ。新鮮な野菜を大量に食べられるのはこの世界では本当に幸せだ。
トマトが見つかってからにしようかなと思っていたが、そろそろピザのレシピを出しても良い頃かな。
そんな事を考えながら、食事を食べつつテディと半月後の温泉宿の開店に向けての最終スケジュールの調整を進めていった。
「いや、有意義でした。また、ご相談する事は有るかと思いますが、一旦は頂いた情報で再度練り直します」
テディがメモの紙束をまとめながら、テーブルから立つ。
「はい。半月と言ってもすぐです。温泉宿が開けば、歓楽街も正式に稼働開始です。そうなれば、町開きも秒読みですね」
「そうですね。それまでには最低限の稼働が出来る環境は構築致します。サービスに完璧は有りませんので。日々精進ですね」
そう言いながら微笑むテディと握手をして、辞去する。
さて、騎士団に挨拶かなと、てくてくと進む。道も整備されて街路樹も少しずつ環境に溶け込んできている。もう少し生い茂ってくれれば、自然な感じになるかな。
競馬場の入り口で騎士団長の居場所を聞くと、レース場で馬の訓練中という事なので、業務員通路を通って、馬場の方に出る。整地した上に芝を植えているのが少しずつ育って来て緑の絨毯のようになってきている。板バネは有るので、前にネスに手動の芝刈り機を開発してもらっているので、芝の長さも一定で綺麗だ。その中をダカッダカッと馬が駆ける音が聞こえる。こちらに気付いた騎士団員が駆け寄ってくる。
「これは男爵様。本日はどのようなご用件ですか?」
「視察と、中々顔を出す事も出来ないからね。少し団長と話が出来ればと思って来てみた」
「分かりました。団長は今、周回途中ですので、戻ってきたらお声がけ致します」
そう言うと、まだロットよりも若い、騎士団員が走って戻っていく。確か、隊員見習いの筈だったけど大分体つきもしっかりし始めている。このまま正隊員に編成されていくのかな。
そんな事を考えながら、訓練を眺めていると、一組の人馬がゆっくりと近付いてくる。かなり手前で馬から降り、手綱を引きながら向かってくる。
「お久しぶり、ガディウス。精が出るね」
「お久しぶりです、男爵様。ありがとうございます。しかし、直接お顔を合せるのは久々ですね。着任のご挨拶の時でしたか?」
領地視察の時に騎士団を率いてくれたガディウス。そのまま騎士団として領内に入ってもらった。有事の際は、この四個小隊が暴力装置として働く。
「着任の時以来、走り回っているからね。そっちはどう? 訓練に差し支える事は無い?」
「いえ、特には有りません。このような良好な馬場までお借りして、騎士冥利に尽きます。只。教練書がきついですね。皆、訓練の度に嘆いています」
「でも、実際に効果は有るんじゃないの?」
「そうですね。平衡感覚を養う事と腰を意識して動作を行う事。この二点を守るだけで見違えるように安定感が増しました。今までの訓練が何だったのかと言う思いです」
日本でも流行っている体幹トレーニングや、武術系のトレーニングを訓練に取り込んでみた。
「そう言えば、警察機構と合わせて、最終的に一軍としてまとめようと考えている。将はレイに任せようと考えているけど異論は無い?」
「はい。有りません。元々斥候団でも上位の方です。私は現場での戦術までしか考えられません。将の器では無いので、お願い出来て幸いです」
「分かった。別に命令系統上の上下と言うだけで、実働部隊としての君達には全幅の信頼を寄せている。特に海の村で何か有れば、走ってもらうのは君達だしね」
そう言うと、ガディウスが姿勢を正す。
「と仰られますと、何か事件が有りましたか?」
「んー。報告書はまだ回っていないかな。旅の途中で襲撃が有ってね。その首謀者らしき者は捕まえたけど、余罪が有った。人魚の子供を略取しているらしい。テラクスタ伯爵に救出は依頼しているから、それが成れば海の村に送ってもらえる段取りだよ」
「初耳です。しかし、襲撃ですか……。護衛は本当によろしかったのですか?」
「私達も七等級の冒険者だしね。レイもいるから、大丈夫。逆に私がいない間にこの町で悪さをしようとする輩がいた場合の方が心配だ。明確に警察機構の上に軍組織が置かれているんだから。その命令権も持っているでしょ。大局を見てしっかり励んでね」
「今でも五百名以上の人間が警邏等で警察機構に組み込まれています。正直、荷が重いのですが」
「政務から補佐は付けているでしょ。全部自分でやろうとしていない?」
「内容の確認は必要かと考えますが」
あぁ……。軍の中でも小隊員の把握をみっちりしていただけに、組織運営となると弱さが出ちゃうか。
「正常に回っている事象は偶に監査する程度で大丈夫。どんなに小さな事でも異常が発生した場合は、きちんと確認する事。対処はまた別だけど初動は重要だから、そこだけは確実にこなす事。それだけで大丈夫だよ。基本的に平時の職務は政務に任せて大丈夫。君達は有事にこそ、走ってもらわないと駄目だからね」
「分かりました。あぁ、走るで思い出しました。企画書を頂いたのですが、競馬とは何でしょうか?」
あぁ、説明していなかった。
「馬を走らせて、一番早い馬を予想して金を賭ける遊戯だよ。早駆けの訓練にもなるから、乗り手は騎士団にお願いしようと思ってね」
「これ、かなり辛い内容だと思いますが。一日で三回は試合に出るのですよね。それだけの数、早駆けで真剣勝負となると疲労困憊になるかと考えます」
「その辺りは、警察機構の元軍人から乗馬が得意なのを引っ張ってきても良いんじゃないかな。再度伝令として再訓練しちゃっても良いだろうし。ただ、本人の意思は尊重するけど」
「そうですね。少し当たってみます。と申しますか、過去の上官がいらっしゃったりと中々に難しい職場ですね……」
ロスティー領、ノーウェ領の元軍人だ。現役のノーウェ軍から編入してきたガディウスにとっては古巣の元上官もいるか。
「まぁ、もう相手は軍属じゃないし、再訓練後は部下なんだから、しっかりしてくれよ。私の騎士団の団長は君なんだから」
「はっ!! そこは心掛けます」
その言葉に苦笑を浮かべる。
「うん。信じる。忙しい所、邪魔したね。少し上から訓練模様を眺めても良い?」
「はい。結構です。領主館の練兵室も使わせて頂いておりますし、偶には馬で走る様も存分にご覧下さい」
そう言ってにこりと笑い、再度馬に跨り、走って行く。
競馬場の観客席に移動して、馬場を上から眺める。緑が目に優しい中、茶や鹿毛、白、色取り取りの馬達が馬場を周回する。やはり、馬群が走るのは迫力が有る。
訓練の模様を飽きるまで眺めながら、今後の軍編成をどうしていくか考えていく。
レイの再訓練が終われば、最悪集団行動が取れる組織になる。一旦は長柄の武器と盾でファランクスを組ませれば良い。将来的にはクロスボウ兵か……。
現状、敵性の人材が混じり込んでいる事は無い。諜報の方で動向チェックを行ってもらっているがそんな素振りも無い。長年をかけての諜報と言う可能性は捨てられないが、態々そんな人材を新興の貴族領に送り込める程、余裕の有る貴族はいない。
ロッサも、クロスボウの習熟訓練はほぼ完了した。元の才能が有る分、早かったし、スキルの恩恵で、もう立派なスナイパーだ。
さてと、保守派に絶縁状を出したは良いけど、きっとこの町の儲けが大きくなった時には不満が噴出する。そうなれば、戦争行為も覚悟しなければならない。まぁ、もう喧嘩は売られたんだ。精々高値で買ってあげる事にしよう。最終的な商材は、その欲に塗れた汚い血になるのだろうな。そう思うと、若干の遣る瀬無さを感じる。
競馬場の観客席に春の爽やかな風がふわっと吹いていく。悩んでも無駄だなと考え、領主館に戻る道を歩む。
まだ、若干の猶予は有る。その間に、三千世界の烏を殺し尽くす算段を付けないといけないな。そう思うと、苦笑が勝手に零れた。