第412話 鶏の天ぷらって食べ始めると止まりません
薪をくべて第一竈の周辺にイワナの串を刺していく。イワナの塩焼きの基本は強火の遠火だ。熱でふっくらほろほろにした辺りで、皮に焼き目が付くくらいが一番望ましい。
第四の竈も火を入れて、たっぷりのオリーブオイルを鍋に入れて温度を上げる。衣を落として、瞬間的に浮き上がってじゅぷじゅぷ言う程度まで温度が上がったら、部位毎に投入していく。鍋の大きさも油の量も有るので、まとめて投入が可能なのがありがたい。ちまちまやっていたら、昼の時間が終わってしまう。きつね色の一歩手前で完全に浮いて泡が小さくなったところで取り上げて、端切れの上で油を切る。
今度、ネスに油切り用のバットを作ってもらおうかな……。何に使うのか不明だろうけど。土魔術で作ってしまっても良いけど、洗っている時に折れそうな気がする。
端切れを変えながら、どんどん揚げていく。イワナは串を回して全体的に火を通していく。最後の天ぷらの段階で、イワナを腹を下にして火にかける。これで余分な水分を落としてよりふっくらほろほろ感を出す。執事が厨房に現れたので、焼き終えたイワナを皿に乗せ、カラっと綺麗に揚がった天ぷらを皿に端切れを乗せて、部位毎に飾り付けて完成っと。別に料理に使う訳では無いので、土魔術で作ったクロッシュを被せて、熱が逃げないようにする。量が多く無いので、天ぷらからの湯気が垂れて衣がぐちゃっとなるのは防げる。ドーム状だし、内側の表面をざらつかせているので水滴が落ちる事は無い。
アレクトリアに配膳は任せて、私は食堂に向かう。仲間も含めて、皆、席に着いて今か今かと待っている。
「お待たせ致しました。お昼ご飯と致しましょう」
そう声をかけると、使用人達が皿をテーブルに並べ始める。クロッシュを開けた瞬間、蒸気と共に香りが上がり、歓声が上がる。海に行った人間は天ぷらの美味さは分かっている。喜びも一入だろう。
「ノーウェ様もお忙しい中、態々この領内の事で足を運んで下さいました。その感謝と言う事で僭越ながら、私の手料理を食べて頂ければと思います」
「君も多才と言うか、料理もなんだよね……。さて、折角の塩の味、試させてもらうね」
ノーウェが苦笑を浮かべながら、ナイフとフォークを握る。
「では、食べましょう」
まずは何を置いてもイワナだ。塩が馴染んで程良く水分が抜けて皮がぱりっとしているのを、ぷりりと剥す。生の時にはほんのりと桃色がかった身の色なのに、焼くと象牙のように滑らかな白色になる。ほろりとした身をフォークで毟り、口に含む。イワナのあの独特の臭みをほんの僅か鼻に感じた後に、香ばしい香りが広がる。噛んだ瞬間、ほろりと砕け、身にまとった塩気とただただ美味しい汁気を口に広げてくれる。焼き過ぎてはこのふんわりとした瑞々しい口当たりにならない。美味しい。海水塩のほろ苦さが魚と兎に角合う。イワナの塩焼き、本当に好きだ……。
ふと顔を上げると、ノーウェがイワナの身を皮ごと口に含む。口を閉じて噛んだ瞬間、目を瞑り、顔をくしゅっとさせる。あれだ、美味しい物を食べた時に頬っぺた辺りが痛くなる、あれだ。
「これ、川の魚だよね。同じ物は何度も食べたよ? でも、こんな味じゃ無い……。香りと、味の奥行きが全然違う。噛んだら噛んだだけ、味が生まれて来る……。美味しい」
その後は夢中になって、三十センチメートルのイワナを骨と頭だけにしてしまう。ヒレまでパリパリと食べちゃった。あれも化粧塩が付いていると御煎餅感覚で食べちゃうよなぁ。
「これ、美味しい……。素材が単純だと、余計にはっきりと分かる。塩自体の味もそうだけど、感じるか感じないかの若干苦みが有るんだろうね。それが食欲を何処までもそそるよ……」
呆然とした顔で、ノーウェが呟く。
仲間達は、もう途中から手掴みで、骨身をしゃぶっている。テーブルマナーどうこうは無いので良いけど、そこまで気に入ったか。
「楽しんで頂き幸いです。こちらは海の村で好評でした天ぷらと言う料理です。村では海産物で作りましたが、本日は鶏で作りました。小皿の塩を軽くかけてお召し上がり下さい」
料理の説明をして、一欠けらを口に放り込む。酢とアルコールの効果かさくっとした衣を歯が抜けた瞬間、ショウガの香りが鼻から抜ける。その後は溢れ出る肉汁と油、そして塩胡椒の雪崩に顔が崩れる。ずるいよな、唐揚げも美味しいけど、鶏を天ぷらにするなんて絶対にずるい。大分に行った時に初めて食べた時は、声をあげてしまった。それぐらい、インパクトが有る。
「はははは。これは美味しい! 鶏なんて食べ飽きたと思っていたけど、何、これ。駄目だよ。何故か分からないけど、笑いが込み上げてくる。ははははは。美味しい。ずるいよ、君。本当にずるい。どうやって料理するのこれ? 後でレシピを欲しいな」
明るくノーウェが笑いながら、鶏の天ぷらをぱくぱくと食べ進めていく。胸や、腿、ササミ等、部位によっても味や香り、油の量、水分が微妙に変化する。その変化を楽しみながら食べ進める。
「岩塩は有るかい?」
ノーウェが聞く。使用人が細かく磨り潰した物を即座に用意する。さっと振りかけて、天ぷらを口に放り込む。咀嚼した後に眉根に皺を寄せる。
「んー。やっぱりか……。塩そのものに味が有るから、立体感が生まれる。舌で感じる部分が違うね……。ただ、それが良い部分に働く時と悪い部分に働く時は有るかも知れない。ほぼ全面的に置き換えは可能だけど、どこかでこの豊かな味わいが足を引っ張る料理と言うのは有るのかな……」
「はい。特徴が有ると言う事は、その特徴が逆に作用すると言う事でも有ります。アレクトリアも意見は同じですね。複雑繊細な料理の場合、逆にこのほのかな苦み、えぐみが逆効果になる場合と言うのは有るかと考えます」
「ただ、そこまで味が分かる人間がどれだけいるのかと言うのと、大部分の置き換えは可能だと言う事実の方が重要だね。方針では『リザティア』での流通からだっけ?」
「はい。まずは、町と村の塩の消費を置き換えます。それだけでも全体の費用は大きく変わります」
「少なくとも、ラインを増やせば余剰在庫は生まれると言う話か……。在庫が出来たら、父上の略式紋章を使って良いよ。こっちに回して。領内の塩の消費を置き換える。その上で、王都方面にも信用出来る所から少量ずつ流してみる」
ノーウェが嬉しそうに天ぷらを頬張りながら、言う。
「ロスティー様の略式紋章ですか……。やはり塩ギルドは面倒ですか」
「念の為だね。難癖をつけられたくないから父上の名義でまずは流通させる。理由も無く表立って、公爵に喧嘩売る程耄碌はしていないだろうしね。裏もきちんと面倒は見る。責任は勿論こっちで持つから安心して良いよ」
天ぷらを食べ終え、スープと一緒にパンを食べながら、ノーウェが言う。
「まずは増員の件ですね」
「あぁ、それはもう手配をした。元々農家の増員の希望も有ったでしょ。『リザティア』の建設に出て来ている三男坊以下で見込みの有るのに、政務団の方から声をかけた。口が堅くてしっかりしているのを揃えたから、馴染むだろうしね。聞けば大変な現場みたいだし、人員は厚めに送る。釜屋と竈の増築に関しては、建設が終わった業者に声をかけた。こればっかりは機会だからね。くいっぱぐれない仕事が増えるんだから大喜びだったみたいだよ」
早い……対応が早すぎる。増員の件を手紙で先に出していたと言っても、『リザティア』に来て、そこまで時間は経っていない。どれだけ処理しているんだ、この人……。
「ふぅぅ、ご馳走さま。美味しかった。アレクトリア、帰って来ないかな……。凄く残念」
「これから、まだ色々教えますけど?」
「うー。教えた後のアレクトリアが帰って来ないかなぁ」
「その上で、まだ教える事が多々と有ると思いますが」
「君の多才さには負けるよ。良いよ、ここに来れば美味しい物が食べられるんだから。それだけで満足だよ」
笑いながら、ノーウェが席を立つ。
「さて、ゆっくりするのもそろそろお終い。春蒔きはそろそろ片が付くし、並行して進めているダイアウルフの方を処理しないといけない。名残惜しいけど、戻るね」
「今回は本当にありがとうございました」
「いや。こっちこそ助かった。ああ言うのは機会を見てきちんと潰さないといけないしね。そう言う意味では良い機会だったよ。君にとっては災難だっただろうけどね」
「いえ。ただ、人魚さん達が喜ぶ結果になればとは思います」
「そこはテラクスタ伯爵に任せよう。彼なら、さっさと処理してくれるさ。その辺りは信用しているしね」
ノーウェがにこりと笑い、執事に連れられ、部屋に戻る。荷物の片付けが終わり次第、トルカ村に戻るのだろう。
ふと後ろを振り向くと、皆にじとっとした目で見られている。
「どうしたの?」
「天ぷら、もう少し食べたい……かな?」
リズが上目遣いで言う。
「いやいやいやいや。結構な量有ったよ? 後、残っているのはアレクトリアの分だから食べたら、もう料理を作ってくれなくなるかもしれないよ?」
「うー。残念」
そう言うと、皆も諦めたのか銘々席を立つ。午後は町に出て『警戒』と『隠身』の訓練の筈だ。取り敢えず、大量の人数がいる所で広く詳細に気配を把握し、その人間達から隠れる。この二点で効率的にスキルが上がるのは確認出来たので、訓練に組み込んだ。チャットは薬師ギルドの方の研究を確認しに行くし、ドルはネスが到着したらしいので会いに行くらしい。
私は取り敢えず、廃油の処理かな。そう思いながら、リズと一緒に部屋に戻る。