第408話 公衆浴場(湯船方式)の誕生の予感
ほの明るさを感じて、目を覚ます。一瞬、何処か分からなくなったが、領主館のベッドか……。隣のリズを眺めると、穏やかにこちら側に寄り添いながら、涎を垂らしている。横に寝ると、垂れるよね……。部屋に持ち込んでいたタオル代わりの布でそっと拭き取り、布団から出る。窓を開けると、外は晴れ。でも、海の村に比べると大分気温は下がる。布団でぬくぬくしていた身としてはぶるっとすこしだけ寒さに体が震える。四月五日は晴れと。
今日の尋問はリズ抜きかな。取り敢えず、前の盗賊を考えれば、昼前には結果が出るだろう。人間はそこまで強くは無い。いじめられていた私が言うのもあれだが、肉体的にどんなに痛めつけられても人は変わらない。どうやって心を折るかだけだ。まぁ、どうとでもなるか。その辺り、日本より、この世界の方が余程えげつない。
厨房に向かい、タロとヒメの朝ご飯を貰って、部屋に戻る。皿に分けて、二匹を起こすが、昨日のお風呂の件はすっかり忘れたのか、嬉しそうに肉を頬張る。朝の内にリズに散歩を頼んじゃおうかな。嬉しい時に楽しい事を畳みかけて上機嫌にさせちゃおう。
ベッドで眠っているリズを優しく揺する。
「リズ、起きて」
「うにゅ?」
ふにゅっと細く目を開けた状態で、上体を起こす。
「あぁ、ヒロ、おはよう。早めに寝たからかな。大分楽になったよ」
「それは良かった。ノーウェ様が来られているから、スマートカジュアル辺りの服は有るかな?」
「あ、前に複合商業施設で買ったので良いかな。あのシャツなら、これからの物だし」
あぁ、あのちょっとブラウスっぽいのか。それにスカートで良いかな。
私は古着屋で買った、ジャケットとパンツで良いか。どうせ、男なんて女性の引き立て役だし。
「あー、ヒロ。それ着たの初めてだね。んー。格好良いよ」
「ありがとう。リズも良く似合っている」
朝の支度を済ませた後に、それぞれ服を着る。お褒めの言葉にキスで返し、部屋を出て食堂までエスコートする。
仲間達は揃っているが、ノーウェはまだ来ていない。良かった。ホストがお客様より遅いとか駄目駄目だ。早めに起きたけど、この世界の人早過ぎるし。
ノーウェもその辺り加味して待ってくれているんだろうな。気を遣わせる。
皆に体調などを聞きながら、席に着いたところで執事がノーウェの入室を伝えてくる。ほら、絶対に先に起きて部屋で仕事とかしてたよ……。見習おう……。
「おはよう、諸君。おや。リズさんは、今朝も綺麗だ。君もそんなに気を遣わなくて良いよ。ただの親なんだし」
ノーウェが苦笑しながら、食堂の上座にエスコートされて着席する。
「まだ国に来てからが浅いので、その辺りの機微は分かりかねます。失礼の無いように心がけます」
「固い、固いよ、やっぱり君は。さて、アレクトリアの食事だよね。あの子色々勉強家でね。領内では結構珍しい物好きの間では有名だったんだけど、こっちに来てから花開いたね」
「そのような有名な人間をこちらに融通頂いて良かったのですか?」
「珍しい物好きって言ったよ。本人も自覚していたから言うけど、あの子はあまり相手を気にせずに自分の作りたい物を作るところが有ってね。そう言う意味ではあのままだと大成は出来なかっただろう。そう言う意味でも、君には感謝している。より美味しい物が食べられるんだからね」
ノーウェがいたずら坊主っぽい、にやっとした笑みを浮かべる。それに合わせるように料理が運び込まれる。
「さぁ、忙しい身でね。さっさと済ませるべき事は済ませちゃいたい。食事を始めようか」
ノーウェが気を遣ってか、明るく振る舞い、食事を始める。開始の挨拶はホストの役目だが、それも買って出てくれるんだから、本当に、もう。
「そう言えば、お風呂は如何でした?」
「あー!!ずるいね、君。あれは良い物だ。良く分からないって避けてた自分を殴りたいね。最近忙しくて肩が凝っていたけど、それも大分楽になった。あんな簡単な事でこんなに良い効果が出るんだから広めるべきかな。町の方なら、公共事業でやれそうだしね」
また、一気に意見が変わるし。一足飛びに実施か。この辺り、機を見るに敏だよなぁ。
「気に入って頂き幸いです。温泉の方は楽しまれるだけの時間は有りそうですか?」
「次の仕事はちょっと急ぎでトルカだからね。今日中には出ないといけないかな。楽しむなら折角だし出来ればゆっくりしたいし、そろそろ父上も戻る筈だよ。それに合わせて時間を調整する。本当に無念だけどね」
物凄い嫌そうな顔をしながら、ノーウェが言うので、皆笑ってしまう。
「それまでは樽で我慢だよ。と言うか、親より良い環境と言うのはやっぱり納得いかないよ。後で作られた建物の方が住み心地が良いのは当たり前だけど、君の所は根本的に違う。この領主館の特許の処理だけで、政務団が倒れそうだったよ」
やはりか……。壁の木組みの製法、柱の組み方も現代建築の技法を取り入れている。そう言う意味では、ある種オーバーテクノロジーだ。
「出して良い情報と悪い情報は有るしね。お抱えに全部任せているから、漏れる事は無いよ。その辺りは安心して良い」
人の口に戸は立てられないけど、ロスティー、ノーウェに逆らってまでお小遣い稼ぎが出来る度胸が有るとも思えない。人の出入りはかなり厳密に分かる。ばらして逃げても、まぁ良い結果にはならないだろう。信用も失うしね。
「しかし、美味しい。良いなぁ。こっちに別邸建てようかなぁ……。でも、ちょっとだけ遠いんだよね。鳩の育成が終わってからかな」
「街道が出来れば、三日です。もう少しの辛抱ですよ」
「まぁね。いや、本当に子が優秀でありがたい。色々楽しみが増えるし。これからも頼むね」
ノーウェがお道化て言う。
「はい。楽しんで頂けるのであれば幸いです」
雑談を楽しみながら、食事を進める。急ぎの案件は無いので、仲間達は訓練をリズはタロとヒメの散歩が終わったらそっちに合流、カビアは海の村の報告と拡充と人員補充の件をノーウェが連れてきた政務団の人間と調整だ。レイは御者と、尋問の付き添い。こればかりは他の人間に頼めない。微妙に契約から外れるが、軍組織の掌握の一環と言う事でレイに押し切られた。本当に義理堅い。
食事を終えて、少し休憩をした後に、馬車に乗り込む。
「じゃあ、行ってくるね」
態々皆が見送りに出て来てくれたので、手を振る。
レイの掛け声と共に、馬車がゆっくりと進み始める。
「しかし、証拠と仰っていましたが、そんな物を常時持ってらっしゃるんですか?」
「ん? あぁ、あの二人の話? 情報は開明派で共有しているし、どこで何が起こるか分からないからね。持っておくに越した事は無いかな」
閻魔帳を常に持ち歩いている訳か……。
「写しは今作成中。ただ、更新分とかも有るから。もう少し待って」
ノーウェが書類を漁りながら言う。
「あぁ、これこれ。この二人。麦の税金回収の際に不当な金を農家側に要求している。立替えは済んでいるし、真偽の確認も終えている。収賄罪でいつでも立件可能だね」
「真偽の判定が出来るのに、そんな無茶が出来るんですか……?」
「んー。出来ないよ。農家側が官憲に通報したら間違い無く罪に問われる。でも、官憲まで腐っていると意味無いしね。その地に住む人間にとって、他の地に移動するのもきつい。なので、定期的に、各地に諜報や斥候団が入り込んでこう言う情報を引っこ抜いて来る。噂が立つと言う事は、何らかの火種が有ると言う事だしね。王家派の仕事は斥候団の管理も兼ねているって、この前父上に教えてもらった。貴族各員の諜報だけで調査するのも限界が有ると思っていたから、納得はしたけどね」
あー。旅のご隠居みたいな人が各地を回っているのか……。自浄能力を失った領地なんて、救いようが無いし……。救えぬ者に救いの手を……か。
「人は自分を律する事が出来る。でも出来ない人間って言うのもいる。これに関しては、教育も何も関係無い。厳然とただ、事実として存在する。最悪にならないように現状を維持する。これが今の国の限界だよ。現実は物語のように甘く無い。それでも、救いたいと願い、それを行動として実施しているんだから、まだ現実も捨てた物では無いよ」
ノーウェが優しい笑顔で慰めるように呟く。
「だからこそ、一定以上の悪さをしたのなら、きちんとお仕置きされないとね。盗賊の親玉の末路はきちんと見たよ。君の手腕が楽しみだ」
ノーウェがニヤニヤと笑い直し、言ってくる。
高い確率で、私の民が害されたかもしれない。人魚さん達だって、この男爵領で何をされていたのか分からない。うん、何の良心の呵責も感じない。
さて、処理の時間だ。事務的にさっさと終わらそう。報いは受けてもらう。