第402話 職人の意思と覚悟
昨日と同じく、本焚きと荒焚きを並行する。昨日はまだ曇りだったが、今日は日差しもあるので、室内はサウナだ。湿式サウナの癖に、温度も高い。いるだけで火傷しそうだ。窓は全開にしているが風が凪いでいる為、空気が籠もる。潮風が吹く村なのに、今日は穏やかだ。嬉しく無い。
「今日は昨日以上に水分補給に気を付けて。無理矢理にでも定期的に水を飲んで。お腹がちゃぽちゃぽになっても無視して。飲まなきゃ倒れるよ」
そう叫ぶと、おぅと言う声が一斉に聞こえる。親方か何かになった気分だ。実物の塩を実際に味わって、間違い無く連帯感は上がった。頑張れば、実物は出来る。それが分かった皆に後退の文字は無い。前進有るのみだ。
赤茶けた地獄と、ほのかな紅色の地獄。ぐらぐらと沸き立つ中を駆け回りながら、火の調子を見ていく。火は強いより弱い程度が望ましい。丁度良い炎を保ち続けられるのならそれが一番良いが、この練度では無理だ。ならば時間がかかっても弱火でじっくりと乾燥させるしかない。熱を入れすぎると縁で焦げて、香りが悪くなる。
「火の回しが甘いかな。奥側、火が上がっていないよ。荒焚きだからって舐めたら痛い目見るよ」
職人二人組が様子を見ている竈の奥側の火勢が弱い。明らかに釜の沸騰具合に斑が見える。
「すみません!!」
二人が揃って頭を下げるが、一人ふらっとしたのが見えた。これ、連日は無理だな。荒焚きだけならいけるけど、本焚き入れちゃうと、普段なら寝ている時間を超過する。体力がどんどん削られている。
「村長、外の人間を焚きの方に回せますか? 流石に体力がもちません」
「衛兵の休暇に余裕が有りますので、そちらを一時的に回しましょう。明日以降はそれで補います。後は増援要請がどれだけで受理されるかですね」
村長が渋い顔で返答する。ここはまだ試験運用の村だ。必要最低限の人数しか揃えていない。
「ノーウェ子爵様もそこは取り計らってくれます。信じましょう。後、数日耐えれば、いけます」
改めて、三人に向き直る。
「皆、聞いて欲しい。今は辛い。でも、ノーウェ子爵様は決して部下を見捨てるお方では無い。ロスティー公爵閣下もだ。君達は、その元で働いていた。だから分かるだろう。必ず、人は増える。信じろ。私は信じなくても良い。君達が信じるノーウェ様を信じろ。必ず人は増える!!」
そう言うと、三人の目に闘志にも似た熱い物が宿る。飲料用に用意していた水を頭から引っ被り、炎の前に立ち向かう。
「領主様。貴方は、もう結果を出された。信じる、信じないの話じゃ無いです」
頭が座った眼で、二人に向き直り、ドスの利いた声で叫ぶ。
「俺等の頭が必死こいて、火ぃ焚いてんだ。俺等が泣き事抜かせるか。手前等、死ぬ気で手ぇ動かせ。領主様を働かせて、俺等がへばりましたなんて嫁に言えるか!? 俺等の嫁を守ると、幸せにしてくれると、俺等よりも先に嬉し涙を流させたお方だ。負けてんじゃねえぞ。このままで嫁に顔向け出来るかよ。動け、働け、根性入れろ!!」
「おぅ!!」
ふらついた人間の目にも火が宿る。猛然と火の前で調整を始める。赤々と輝くその横顔はまるで何かに憑りつかれた鬼のような形相だった。
人魚さん……そんな事まで伝えてるのか……。でも、助かる。モチベーションが上がれば、体力は一時的に騙せる。後は明日以降のローテーションで何とかもたせれば良いだろう。頭だけは入ってもらうしかないが……。そこがフェイタルポイントになるかも知れない。
がー。現状で人員問題まではフォロー出来ない。これ以上塩の生産を減らすと、技術の研鑽の時間がどんどん伸びる。成功した時にがっつりと経験を積んで、継続させないと意味が無い。
ここは我慢をする時だ。根性論は好きじゃないが、ここは耐えてもらう。
そこからは地獄の中、延々給水と火の管理だけに走り回る。昼を過ぎて、やっと荒焚きの火を落とせた。部屋の温度も一気に下がる。
「領主様。ここからは私達だけで大丈夫です。いえ、やらせて下さい。お願いします」
頭が言うと、三人が深々と頭を下げる。
「過酷だよ? 失敗するかもしれない」
「構いません。失敗すれば、明日成功させます。明日失敗すれば、明後日成功させます。もう決めました。私達は、塩を作ると。ここで、塩を作り続けると!!」
きっと頭を上げて、私の目を射抜かんばかりの勢いで見つめてくる三人。はぁ、これが職人だ。本当の職人だ。だから、思う。だから称える。
「我が誇りよ。我が誉よ。君達こそは、この領地の基礎を司る者。励め。失敗を恐れるな。進め。その先にこそ、栄光が待っているのだから」
「はい!!」
「では、ここは任せるよ。大変だけど、よろしく」
必死の形相の三人に苦笑で声をかけると、にっかりと良い笑顔を浮かべてくれる。あぁ、この人達はきっと、今、本当に職人になった。本当の、本物の職人に。
背中越しに、手を振りながら、製塩所を出る。久々の肉体労働は楽しかった。辛い事も有ったけど、思い出せば楽しい話だ。一抹の寂しさを感じながら、後進に任せる。日本でもこうやって引き継いできた。だから、ここでも引き継ぐ。職人の、日本の職人魂は渡した。後はあの三人の思いと働き次第だ。
嫁が喜ぶんだ。根性出せよ、男だろ?そんな事を思いながら、少しだけ微笑みが浮かぶ。あぁ、熱い人間と仕事するのはやっぱり楽しいや。