第388話 覚悟してしまえば、知らない人の生き死ににも比較的冷静になれます、手をかけていなければ
そのまま馬車は何事も無く、予定地より手前の野営地で止まる。途中で大きな猫は抜いたが、夜間移動が主なので、夜の間にもう一回抜かれるだろうと言うのがレイの判断だ。予定通り林の中を道に沿って移動しているようだ。夜行性なので、休憩している最中の横を通った形になった感じだろうか。
採取や狩りが終わり、食事を楽しむ。春になって色々採取出来る野草も増えてきたし、動物たちも活発化してきたので、食卓は豊かになった。冬の最中は野菜になるものが中々採取出来ずに困っていたが、色々と春の味覚が並んで野菜スキーも大喜びだ。ロットが一番春の訪れを謳歌している気がする。皆の調理のレベルも上がって来たので、かなり安心して美味しい物が食べられるようになってきた。うまみの概念が浸透してきたので、何かの出汁で味を調えたりと言うのが当たり前になってきた。後、野菜同士の複雑な甘さの複合なども食べ慣れてきて想像が出来るようになった。なので、結構豪勢な食卓になっている。これが余裕が余裕を生む状態なんだろうなと思いながら、樽風呂の準備をする。
女性陣に先に入ってもらいながら、タロとヒメのフォローをする。やはりまだ臭いが残っているのか、少し怯えられる。お風呂に入って石鹸で洗って、服も洗濯かな。テントから顔を出して空を見上げると、雲も散って星空が顔を出していた。気温的には一晩で服はちょっと難しいかな……。馬車の中で干しながら移動かな。貴族の略式紋章が入っている馬車の中で揺れている洗濯物。少しだけ絵面を想像して笑ってしまう。下着類は乾くだろうから、パンツとかが揺れないだけましと思ってもらおう。
「ヒロ、どうしたの? 少しだけ楽しそう」
リズがほこほこ状態でテントに入ってくる。リズが出たと言う事は次は男性陣かな。ちなみにリズのもちもち卵肌はまだ続いている。日差しも無いし、乾燥もしないからダメージを受ける余地が無いからかな。綺麗な奥様は好きなので純粋に嬉しい。香油を預かって髪の毛をブローする。
「いや、洗濯をしようかなって。雨で濡れたし、大きな獣を触ったでしょ。タロとヒメが怖がるから。でも、その洗濯物が馬車の中で揺れている姿を想像すると、貴族の馬車なのに面白いなって」
「はは。くだらないけど、想像すると面白いね。でも、取り繕っても男爵なんだし、元々庶民なんだからそう言うので良いと思うよ。変に構えていなくて、私は好きだな」
リズがブローされる際に髪の毛を優しく撫でられるのを気持ち良さそうに受け止めながら、リラックスした笑みを浮かべる。
「そうだね。雨の所為で洗濯物は溜まってきているし、この服だけは先に洗っちゃうね。これ以上怯えさせるのも申し訳無いしね」
そう言うと、リズがこくんと頷く。乾いた髪の様子を確認し、額にキスをしてから、樽のお湯を入れ替え、ロットのテントに声をかける。
男性陣が皆入った後はタロとヒメの番だが、あの様子だと怖がって緊張するだろう。と言う訳で、先に私が風呂に入ってしまって、服も着替える必要が有る。香油入りの石鹸で念入りに爪の間まで気にしながら全身を洗い、樽に浸かる。
しかし、朝は平和にタケノコの刺身とかを食べる余裕が有ったのに、昼からが忙しかった。まずは犯人の特定と制裁処置かな。ノーウェに頼るのはもう大前提だ。貴族間のトラブルだろうが国を跨いでのトラブルだろうが、親を頼らないと対処出来ない。私が何かをして禍根を残す方が問題が大きくなる。上司を交えて、根本的に問題に対処する方が適切だ。会社でも自分の裁量でこういう問題を処理しようとして何度も痛い目を見た。餅は餅屋。貴族や外交関係者には貴族に対処してもらう方が理に適っている。けど、まずは背後関係の洗い出しからだから、ノーウェには迷惑かけるかな。でも、向こうとしても迷惑と言うより頼らない人間が頼ると喜びそうだけど。
タロとヒメが待っていると言う事で、程々に温もった段階で樽から出る。樽の残り湯で服の洗濯を済ませて、林の方の木と木にロープを結んで引っ掛ける。風は無いのでハンガーで十分だろう。板バネ式でも良いから、洗濯バサミ欲しいな……。でも開発したらまた目を付けられそうだし……。痛し痒しな感じもする。その辺りはネスが来るまで我慢するか。
さっぱりと着替えた状態でテントに戻る。タロとヒメに近付くが、怯えは無い。
『ままなの!!ままなの!!』
『ぱぱ、すき』
箱から出すと、全力で甘えられる。とにかく自分の匂いを付けたい感じで体を延々擦り付けてくる。一段落すると、クンクンと嗅ぎ、安心したように周囲をくるくる回る。
「ほらお風呂だよ」
テント前でタライにお湯を用意して、タロからもにゅもにゅしていく。緊張して疲れたのか、いつになく体が強張っており、それを揉み解していくと安心したようにスヤァとなる。さっと拭ってブローをして箱に入れる。後ろで待っていたヒメも同じくで揉み解すとスヤァとしたので、乾かして、タロの横に寝かせる。冬の最中程密着せずに少しだけ距離が開いているのが無意識とは言え生々しくて面白い。その隙間に指を指し込んでこしょこしょすると、何だか二匹共押し付けてくるので、引き抜く。あまり弄り過ぎると起きそうだ。
「お母さんみたいな顔しているよ、ヒロ」
リズがニヤっとした顔で言ってくる。
「お母さんは少し傷つくかな。そんな顔していた?」
「うん、優しい顔。ヒロ、優しいから」
そう言って、珍しく背中から抱きしめてくれる。
「また、傷ついていないか、少しだけ心配だった」
あぁ、そう言われてみたら、実際の人の生き死にに直接触れたのは初めてだ。ただ、自分が手を下した事では無いと言う事で、少し感覚が麻痺していた。どちらかと言うと、怒りとかの方が大きい。
「どうかなぁ……。思ったより大丈夫だった。心配してくれてありがとう。きっと自分で手にかけない限りは、大丈夫だと思うよ」
そう答えると、リズが少しだけ悲しそうな、柔らかな笑みを浮かべる。
「貴族になってから時間が経って少しだけ変わった。でも、きっと良い変化だと思う。いつもこう言う時は、凄く重たい物を背負った顔をしていたよ。でも、それが無いなら、安心」
「色々有ったからね。リズを仲間をそして民を守る為には、全力を傾けるって決めたから。だから、こんな事で傷ついている訳にはいかないよ」
「そっか。うん。ヒロが決めて納得しているなら、それで良いと思う。私も良いと思う」
リズが笑みを深めてそっと頬に口付けてくれる。
「私だけの体じゃないって気付いたからかな。面倒事は皆に任せるようにしているし。悠々自適な貴族生活だよ」
「忙しそうに働いているのには気付いた方が良いよ。お母さんも心配していたけど、ヒロ、働き過ぎだよ」
あー。ティーシアにも言われたな。でも日本の社会人の感覚だと、まだまだ余裕が有る。ジャパニーズサラリーマンは伊達じゃ無い。
「はは。適当に休むよ。さて、今日は私が中番だから。早く寝ようか」
そう言って、布団を開けると背後のリズがするりと潜り込む。その横に入り、目を瞑る。今日は念の為『警戒』の高い人間に夜番を任せている。流石に追いつけないと思うが追っ手が有った場合は対処しなければならない。『隠身』もレイレベルまで極めないと、潜まない限り、『警戒』である程度の位置は特定される。接近されれば分かる。ロットには負担をかけるが二日連続で後番になる。でも襲撃が有るなら、明け方を狙ってくる可能性が高いのでしょうがない。
今日襲撃が無いなら、まず大丈夫だろう。村の方にはロスティーとノーウェが紛らせた草が混じって結界を張っている。安心は出来る。それにこちらの動きが読めなくなるので、網を張る事も出来なくなる筈だ。
考え事をしていると、寝息をたてるリズに気付く。私もさっさと寝ないと。そう思って、少しだけ昂った気持ちを静めて目を瞑る。
暫く寝ていると、ロッサの声が聞こえて目を覚ました。引継ぎを受けて焚火の前で座る。春と言っても夜は冷える。マントに包って火の温もりに体をまかせる。洗濯物を確認したら、下着はほとんど乾いていたが、上着とズボンはちょっと無理っぽい。馬車の中で乾かすしかないかな。そんな事を考えながら、眠らないように意識をしっかり保ち、眠りそうになったら魔術やグレイブの訓練をしながら時間を潰す。
予定時間が時間が経ちロットに交代を告げに行く。引継ぎは特に無い旨を伝えてそのままテントに戻る。布団に潜り込み、泥のように眠る。
ふと意識が覚醒する。辺りはまだ仄暗い。時計を確認すると日が昇るか昇らないかくらいの時間だ。テントから顔を出すと、まだ薄暗い。焚火の方を見ると、ロットが薪を投げ入れたところだった。襲撃は無かったか……。三月二十五日は晴れっぽい。
「おはようロット」
その背中に声をかける。これで別人だったら、サスペンスかホラーだよなと思っていたら、ロットがいつもの優しい顔で振り返る。
「おはようございます、リーダー。早いですね。中番でしたのに」
「んー。目が覚めちゃった。変わった事は無い? もし襲撃が来るとしたら朝方と見ていたけど」
「大丈夫です。特に気配は感じませんでした。少しぴりぴりしていたので、疲れましたけどね」
ロットが苦笑を浮かべて、肩を竦める。冗談を言う余裕が有るなら大丈夫か。
「朝の当番、リズとドルだっけ? まだ肉の在庫は有るし、唐辛子も無いから安心かな。変わるから、寝ておいで。もう少しは眠られるだろうから」
ロットにそう言うと頷き、素直にテントに戻る。眠られる時に眠っておかないとパフォーマンスを発揮出来ない。怠けるのとは違う。その辺りはプロフェッショナルなので、皆、素直で真摯だ。
洗濯物の乾燥状況を確認し、何とか上着もズボンも乾いているかなと言う感じだったのでそのまま仕舞う事にする。焚火の前で座って、暫く魔術の訓練をしているとリズとドルが起きてきた。
「あれ? ヒロ中番だったよね? ロットは?」
「早めに起きたから、交代した。朝食よろしく。美味しいのを期待している、奥様」
「もう、変に期待値を上げないで。でも、頑張るね」
焚火の前を譲り、私はテントの片付けをする。タロとヒメの箱を出して、布団を畳んで丸めて縛る。そしてテントを片付ける。蝋引きだからヘタるかなと思ったけど結構長持ちしている。元々折っていた通りに忠実に折っていると、店員さんが長持ちするって言っていたけど確かにそんな感じはする。
そんな感じで、朝の訓練をしていると、ご飯が出来たとリズが呼びに来たので、食事となる。
流石に材料が無かったら激辛料理は作れないので、普通に美味しい朝食だ。ただ、パンが雨の所為で湿気ているので今日中に食べきらないとカビが生えそうな気がする。保存用のずっしりした水分少な目のパンも湿気ると弱い。雨、やっぱり厄介だな……。
朝食の最中にレイが地図を示しながら皆に伝えていたが、やはり村への到着は夜になりそうらしい。ただ、そこまでは遅くならないので、村の皆が起きている時間帯には辿り着ける算段のようだ。
片付けをさっさと終わらせて、馬車に乗り込む。出来るだけ早めに着いてゆっくり休みたいと言うのは皆も同じで、黙っていてもちゃっちゃと片付けを済ませていく。
そこからは早かった。レイが『警戒』を全開にして前方の荷馬車も華麗に避けて行く。何と言うか、鬼気迫る物を感じる。んー。レイも責任感が強いから、遅れている事と昨日の男を捕らえきれなかった事を気にしているのかな。あんまり気にしなくて良いし、のんびりしても良い旅なんだけどな……。
休憩の時も馬を癒し続けて、レイの爆走が続き、結局とっぷり日が暮れた頃に海の村の近くまで辿り着いてしまった……。おーい、レイ、頑張り過ぎ。馬達が心配だ。1個前の休憩の時にそれとなく『馴致』で聞いてみたが、どうも中々全力疾走する機会も無いので、楽しんでいるようでそっちは良かった。ただ、道が良く無い所でスピードを出したので、チェスもリバーシもコマが飛び散って散々だった。晴れていたので、皆でトランプを取り合いしていたのは笑い話だろう。
ちなみに虎は途中で追い抜いた。まだ二、三日はかかるかな、あのペースなら。
と言う訳で、久々の海の村だ。設営状況がどうなっているのか気になるが、それ以上に人魚さん達が元気か、それが気になる。