第386話 諜報教育と言うのも有りますが、まだまだ杜撰な感じの印象です
「レイ、こんな大きな生き物を嗾けて来るんだから、補給が無いと無理な筈なんだけど、周囲に仲間はいないかな?」
溜息を押し殺しながら、レイに聞く。
「周辺にはいないです。潜んでいる可能性が無いとは言わないです。ただ、馬車か何かで食べ物などを運んでいた可能性の方が高いと考えます。ですが探すには広すぎますし、手が足りません。キロ単位でここまで出て来られていた場合、探索範囲が広すぎます」
一頭引きの馬車なら、人間一人とこの虎モドキの食料なら運べるか……。
「軍の方で、動物を操る部隊とかは無かったかな?」
「独立した部隊では無いです。ただ、一部の斥候や諜報の方でそう言う人材がいると言う噂は聞きました。男爵様程巧みに飼い慣らしているかは不明ですが」
正直、こんなのを『馴致』で操るんだ。それなりに習熟度が高く無ければ無理だろう。自分のスキルの確認をしたが、『馴致』はもう2.00に近い。延々タロとヒメと交流しているので勝手に、にょきにょき上がる。テレパシーと言う概念がこう言う物だろうと明確にイメージ出来ているので、伸びも早いと考える。
そう言う意味では、普通の人間は軍とかそれなりの規模の機関で援助を受けながら出なければ中々上がらないだろう。単独行動が許されるレベルの人間か……。この国の人間か他国の人間かでまた話も変わってくるんだが……。
「せめて、ワラニカか他国か。それだけでも知りたいかな」
「そうですね。その辺りは調べてみない事には何とも言えないです」
レイが申し訳なさそうに、返答してくる。契約を交わして、改めて軍の教導役にはなってもらったが、厳密には現場に立つ立たないは明文化しなかった。レイの方が臨機応変に対応するから契約に記載しなくて良いと言った為だ。ただ、こういう場合に動いてもらうと非常に申し訳無い気がする。立つなら立つできちんと報酬を支払いたいのだが、その辺りを遠慮されると困る。はぁぁ、しょうがない。レイの事はこの際良いか。
男性の見分は引き続き、レイに任せる。皆は馬車に戻し、私は虎モドキに『馴致』で情報を得られないか、やり取りをしてみるが、はっきりしない。タロやヒメは小さな頃から教えて学習しているので会話っぽいものが成立しているが、こんな大きな成獣相手には無理だ。ぼやっとしたニュアンスと指示しか与えられない。苦労しながら思考のやり取りをしていく。
ある日、先程の男に誘われた。遠くから狭い所に閉じ込められた。で、ここまで移動して来た。生活をしていたのはもっと寒い所らしい。レイが言っていた北方と言うのがそれだろう。苦労した割に引き出せた情報は少ない。何回寝たのか聞いてみたが数の概念が分からないので、聞くだけ無駄だった。
今後どうしたいのか聞いてみたが、暖かいのでこの辺りでのんびり過ごしたいらしい。元々人は危ないので襲わない。近付いてきた時点で逃げるのが基本のようだ。獲物はいるけど、同族はいないと思う。その辺りも聞いてみたが、もう子供も育て終わったし、自分だけで過ごす方が気楽らしい。失礼して、しっぽを上げて覗き込むとオスだった。人間と一緒に生活するのはどうかと聞いてみると別に構わないと言う。先程の男に餌を貰っていて慣れたらしい。餌は自分で捕るし、寝床も自分で作る……か。虎って一日に体重の二十パーセントの食料を食べた記憶が有る。となると、この辺りに一匹くらいなら居ても問題無いのかな。でもまた同じネタでテロをされるのも嫌だな……。人魚さんの村で匿ってもらうか。食事は自分で捕ってもらう。あ、魚のイメージを送って食べるのかと聞いてみると、川魚を良く捕って食べていたらしい。海魚でも大丈夫かな。塩分過多にならないかな。
んー。後腐れが無いのは殺処分だけど、気が進まない。『馴致』で思考をやり取りしちゃうと、もう、どうしようもない。かと言って、この辺りに放っておくのも問題になりそうだ。町だと森を荒らされると辛い。海側なら、魚も豊富だし、陸の獲物も少し移動すれば沢山いる。迷子の大きな猫は、番犬ならぬ番猫として海の村で飼ってもらうか。
お腹は空いているかと聞くと、たっぷり食べたので問題無いとの答えが返ってくる。常時満足するまで食料は供給されていたようだ。飢えた虎と一緒に行動とか『馴致』が有っても嫌だろうな、きっと。
目をパチパチしながら、横に立ち、耳の後ろから首の辺りを撫でてみると、気持ち良いのか低いゴロゴロと言う音が喉元から伝わってくる。イヌ科はアルファ扱いされている気がしたけど、ネコ科には親扱いされるのかな、『馴致』って。頬の辺りを撫でるとスポっと毛の中に指が潜り込む。額の方に移動し、そのまま背中を撫でる。首や背中は痒気持ち良い感じなのか、ゴロゴロ音が強くなる。この辺は自分で中々触れないので、新鮮な感じなのかな。でも雨の所為で、濡れた獣の臭いがしてちょっと臭い……。
と言う訳で、大きな猫は取り敢えず、村に預ける事にした。本人曰く飢えたとしても、人を食べるより、逃げて獲物を探すと言っているので信じる。『馴致』で伝えあうのは表層の思考だけでは無いので、信用は出来る。ただ、人魚さんを人間にカウントしてくれるかが微妙な感じだろうか。そこはきちんと言い聞かせよう。
ただ、問題としては、移動速度が違う事か……。後百三、四十キロメートル近く残っている。時速十五キロメートルで一日七時間近く歩いてくれるかだが……。その辺りを聞いてみると、道と言う概念は分かるらしい。で、自分の匂いの付いていない方向に進めば良いだけなので、適当に周辺で狩りをしながら道沿いに林の中を進むのは可能なようだ。先程の男の仲間が来ても南に進んでいるとは思わないだろうから、追っ手はかからないかな。
大きな猫の件はもう、これ以上どうしようもない。少なくとも人を襲わない個体なら、周辺で生活してもらっても問題は無い。後は先程の男の情報か。
虎モドキを先に向かわせる。馬の方が持続力は有るので、どこかで追いつくだろう。
「レイ、どう、何か分かった?」
「はい。少なくともきちんとした諜報の訓練は受けているものと考えられます。身元が分かる物を一切持っていないです。馬車か何かの移動手段の中にまとめて置いているのでしょう。ただこちらをご覧下さい」
レイがじゃらりと音のする巾着を渡してくる。口を開くと毎度お馴染のワール硬貨が入っている。十万ワール金貨もゴロゴロと入っており、百二十万ちょっとになった。
「ん? ワールだけ?」
「はい。商業系ギルドの所属員でも無い限り、両替は非常に面倒です。他国の人間で諜報なら、通常両国の貨幣を持ちます。両替の際に身分を提示して対応するだけでも問題を起こしかねないからです。これすらも欺瞞情報と言う可能性は有りますが、懐に入れる物ですので忘れがちな事です。ただ、諜報がそこまで気にしているかは分かりません」
襲撃の際に、財布の中身を別にしてから出てくる……。んー。本職ならそこまでやりそうだけど、そこまで気が回るか……か。
レイに引き続きの調査を依頼して、馬車に戻りリナを呼ぶ。
「ごめん、体を拭いたのに。ちょっと聞きたい事が有る。元の口調で構わない」
リナと一緒に馬車から少し離れた場所に移動し、声をかける。
「はい。何が有りました?」
「先程の騒ぎだけど、諜報の仕業の可能性が高い。諜報に関して基礎的な事を教えて欲しい」
「分かりました。浸透型と言う事も有り、基礎的な教育しか受けていないですが、それでよろしければ可能です」
リナが若干険しい顔で頷く。
「今回の犯人だけど、身元が分かる品を持っていない。ただ、財布は持っていた。だけど、中身はワールだ。一般的な諜報員は襲撃の際に財布の中身まで調整するように教育されるかな?」
リナが少しだけ考え込み、口を開く。
「浸透先での襲撃は教育にも有りました。身元を示す品は排除してから行えと教育はされましたが、財布までは言われていません。基礎教育なので、これに関しては共通かと考えます」
「他に身元が判明しそうな情報って有りそうかな?」
「その身元を隠す為に対応しますので。財布の件も今お聞きして、他国を移動したかが分かると気付きました」
ワラニカの諜報の教育レベルはこの辺りか……。と言う事は、国内の人間の可能性は高い、か。これが欺瞞なら、余程高度だ。ただ、国同士で戦争をする余裕の無い世界と言う事で、そう言う考えが育つ土壌は少ない。レイも唯一持っていた物と言う事で気付いた話だろうし。
「ありがとう。馬車に戻って。ごめんね、濡らしちゃって」
「いえ。お気になさらず。大丈夫です。では戻ります」
リナがいつもの表情に戻り、馬車の方に戻っていく。
レイの方に向かうが首を横に振られる。お互い諜報の事に関してはそこまで詳しく無い。諜報の人間に聞いてもあれだ。これ以上の情報は出て来ないだろう。
「死体は埋めよう。ある程度移動して、偽装していれば探し出すのは困難だろう」
そうレイに声をかけると、頷きが返る。
馬車に死体を乗せるのも嫌なので、私が背負ってホバーで移動させる事にした。道具入れから鍬を一本取り出す。この辺りの道具は一式揃えて、車両下のトランクスペースに入れている。
「じゃあ、馬車で先導して欲しいかな。他に隠れていられると私が襲われそうだよ」
苦笑しながらレイに伝えると、急いで移動の準備を始めてくれる。馬に関してだが、虎の出現による動揺は無かった。肉食獣が近付くと本能的に恐怖に怯えるかと思ったが、私が対応しているので大丈夫と思ったらしい。馬達の思考を読む限りは安心しているし、平静だ。
少し経つと、馬車が動き出す。男の死体を背負い、ホバーで馬車の後を追う。
しかし面倒臭い。テロ行為をしてでも何らかの形で足を引っ張りたい国内の人間がいると見た方が良いのか……。開明派じゃないだろう。どこのどいつだろう、私に喧嘩を売るのは。もう覚悟は決めたと言うのに。
背中に背負ったずしっとした重みに若干苦い物を感じながら、霧雨の中を滑るように突き進む。私にこの重さを背負わせたのだ。手を出すと言うのなら、後悔させる。それが抑止になると言うのなら喜んでやる。もう、そう、決めたのだから。