第385話 後始末を考えないからテロリストです
霧雨はまとわりつくように、馬車の中にも侵入してくる。ちょっとした隙間でも、疾走に伴う圧力で吹き込んでしまう。じめっとした空気の中、書類が痛むので読むのを諦めてフォルダに戻して、箱に仕舞う。
カビアの婦人教育は継続しているので、魔術の訓練を併用しながら話を聞く。偶に事象だけを説明して、リズが首を傾げるのを見て、何故それをするのかを推測、質問してカビアに答えてもらう。こうする事によって、リズが納得する。納得してしまえば、理解も進む。
カビアは政務だけあって、どうしても前例や事象をそのまま鵜呑みにして説明をしてしまう癖が有る。これをしちゃうと分からない人間は何故が溜まっていって、何が分からないのか分からない事になる。なので、実例や、何の為と言う前提を教えてあげる必要が有る。
「今の例だと、奥側が上座になるよね。でも、例えば大きな窓が有って景色が良い部屋なら、景色を見て欲しいって思う時は有るよね? そう言う時はお客様を敢えて下座でも座らせる。その部屋に取って最上の環境がそこなら、そこに据えてあげる。基本は奥側が上座。でも、相手が喜ぶ事をしてあげたいって言うもて成しの心で考えれば、景色が良く見える場所が上座になるよ」
「温泉宿のエントランスの席とかなら、入り口に遠い方が大開放から外が眺められるよね。その場合だと、入り口に近い方を敢えて勧めるの?」
エントランスでお客様を迎える事は無いけど、言っている事は間違っていない。
「そうだね。あの景色は見たら気持ち良くなるから、庭が見える席をどうぞと言う意味で、下座を勧める事も有るよ。その辺りは臨機応変だし、相手が機微を感じられる人かにも寄っちゃうから。分からなかったら聞いてくれれば良いよ」
「うん。嬉しいとか、喜んで欲しいって気持ちで相手に接するのが大事なんだね。礼儀って奥が深いね」
もて成したいって気持ちが有れば、自ずと礼儀通りに対応出来る。そう言う意味ではリズの感性は真っ当だし、上座下座の前提を理解しつつ応用もきちんと把握している。
万事その調子でカビア先生の授業は進んで行く。
仲間達はと言うと、トランプは木製なので湿気を吸うのが問題だと言う事で、布に包れて、箱の奥底に仕舞われた。今はリバーシとチェスを集団でやっている。セコンド付きのリバーシやチェスと言うのもなんだか、碁会所で後でぶつくさ言っている人達を思い出して和む。
天気は大きく崩れる事無く、そのまま維持し続ける。お昼は保存食で済ます。タロとヒメは鳥とモツが残っているのでそれを嬉しそうに食べている。
レイも全身を覆っているが、やはり露出している顔から雨が入ってくるらしく、布を巻いていてもびしょびしょになっている。念の為、拭った上で着替えてもらったが、やはり体調は心配だ。湯たんぽの中身を入れ替えて渡す。レイ的にはそれだけでも全然違うと微笑んでくれたので信じる事にする。軍人なので、そう言う体調管理などの事で嘘はつかないだろう。
昼ご飯も終わり暫く走っていると、レイが声をかけてくる。
「何か有った?」
「はい。この先二キロメートル程の所に不明な対象がいます」
不明な対象?よく意味が分からないし、レイがこんな不確定な事を言うのも珍しい。
「珍しいね、レイがそんな事を言うなんて」
「申し訳御座いません。何と言うか……。北方に生息している虎の仲間と思われる生き物の気配、それに少し離れて馬の気配を感じます。かなり前から察知していたのですが一向に襲う気配も無く留まっているので、お声がけしました」
いる筈の無い肉食獣が獲物を近くにして、大人しくしている。うん、おかしい。罠っぽい。
「人の気配は?」
「不明です。感じません」
レイが見つけられないと言うならよっぽどだ。『隠身』が高い人間が『馴致』を使って、悪さを企てているとしか思えない。しかしこの道、諸般の事情が有って輸送の馬車でも警護が厚い。そう言う意味では肉食獣とは言え、動物一匹でどうこうは出来ない。目的が読めないな……。
「その虎って私達では対処は出来ないのかな?」
「熊よりも俊敏で手足が長いので戦いにくいです。ただ、きちっと前衛の方が抑え込めばそこまで苦労する相手では無いです。元々余程飢えているか、子を守る場合でも無い限りは人を襲いません」
そんな生き物を使役して、態々こんな片田舎でテロ行為をするのか?ますます分からない……。
「レイ、速度を落として普通の馬車並みにして。皆、その間に装備を整えて。私が魔術で牽制するから、馬車から飛び出して欲しい。レイはきっといる首謀者を探して見つけて欲しい」
「馬を押さえてしまえば移動は不可能でしょう。私はそちらを優先します」
レイが答えると同時に、皆が装備を着用し始める。
じりじりとした時間が過ぎ、レイの言ったポイントに近付く。
「あの辺りの木陰に潜んでいますね。人の気配はまだ不明です。動いてくれれば分かるでしょうが……」
獣の相手と人間の捕縛か……。ここで傷を負うのも美味しくは無い。獣の処理を優先で、捕縛は二の次かな。
「優先は獣の殺傷。操っていると思われる人間はレイに任せる。我々は獣の相手に専念。間違っても馬に傷を負わせる事態は避けたい」
そう言うと、カビアを除く皆が頷く。
馬車はその間もぽくぽくと先に進む。私は御者台のレイの横でしゃがみ込み、機をうかがう。
私の『警戒』にも不明な生き物が確認出来る。周囲の空気はその生き物が発する気配でちりちりと焼け焦げたような感覚を与えてくる。これ、普通の状態じゃ無いな……。野生の生き物はこんな気配を撒き散らさない。もっとスマートに潜む。『馴致』を使う人間の可能性は高い……。
ある程度馬車が近付いた段階で、大きなネコ科の動物が木々の隙間から、馬を目がけて走り出してくる。『警戒』で接近を感知していた私は、発光と一瞬の熱に特化した火魔術を相手の鼻先に叩き込む。パァっとマグネシウムを燃やしたような鋭い閃光が辺りを刹那照らす。襲ってきた動物も目前に突如強い光源が生まれた事により、目を眩まされ、じっと蹲って威嚇の咆哮を上げる。これで先制の芽は潰した。
「レイ、首謀者を頼む」
囁くように伝えると、十分に速度を落としていた馬車が完全に停まり、レイが御者台から飛び出す。同時に仲間達もわらわらと馬車から降り動物の前に集まる。
ドルとリナが大盾を構えて一気に距離を詰めて盾を突き出す。動物側は目が眩んだ状態でまともに食らい、そのまま後方に吹っ飛ばされる。ギャワに近いネコ系の低い悲鳴を上げて、立ち上がり前脚を振り回す。リーチは長いが目が潰されているので、明後日の方向を薙いでいる。そのままドルとリナがじりじりと注意しながら近付いていき、大盾で抑え込もうとする。その間に『馴致』で意思疎通を図るが、何かに邪魔されたかのように思考がブロックされる。経験は無いが、これ何かと思考をつないでいる状態なんだろうな……。そう思っていると、動物が大きく飛び退る。目が治ったのかと思いきや、そのまま後ろを向いてどこかに逃げようとする。咄嗟に風魔術で脚を狙う。しかし、動きに翻弄されてシミュレーター通りに撃っても当たらない。微妙にずれて避けられる。うがぁ、足の速い生き物は……。予測の後の動きがランダムな所為でシミュレーターだと当てきれない。
「追う。馬車の護衛を頼む」
木陰に入られると、視界が確保しにくい。接近して、魔術をぶち当てようとした瞬間、動物が呆けたように立ち止まる。あれ?周囲を確認し、こちらを見ると、威嚇の声を上げながら、じりじりと後退していく。明らかに先程までと動きが違う。『馴致』で大人しくするように思考を送ると、若干の抵抗は有ったが、そのまま伏せる。しかし、虎と言うにはちょっと大きい。大きくても体長二百八十センチメートル程度の筈だが、こいつは三メートル以上は有る。それに模様も斑で虎っぽく無い。『認識』先生に聞いてみたが、名前は聞いた事も無い名前だし、持っているスキルは『隠身』と『剛力』だけだ。正直殺す価値も無い。
「やられました。どこかの諜報の可能性が高いです。逃げられないと分かった段階で毒を飲まれました」
レイが人を担ぎながら、林の奥から出てくる。みすぼらしい服装に顔を布で覆っている。布を剥すと、平凡な男性の顔が出てくる。
「身元の手掛かりになりそうな物は無かった?」
「ざっと確認しましたが、有りません。服もどこでも買える物ですね。もう少し詳細を確認します」
がぁぁ、自爆テロとこの大きなネコをどうしろと言うんだ……。正直一回『馴致』で思考を結んだ生き物殺すのは非常に抵抗が有る。でも、このままこのネコをここに置く訳にもいけない。もう、本気で困る。後始末をきちんとしてくれよ。
テロリストに向けるにしては甚だ間違った思いを抱きながら、心の中でそう叫ぶしかない状況だった。