第368話 先発優位は非常に重要な概念です、フロンティアにこそ青い大洋は広がっているのです
「ブラシですね。はい、ございます。ご案内致します」
営業スマイルで固めた女性の店員がリズの方を向きながら、先導していく。用途、頻度、ブラシの毛の硬さの好み等、雑談に混ぜながら必要な内容を聞きだしていく。
最適な一品を最速で提供する。そして、余剰時間でもう一品をと言うコンセプトの社員教育マニュアルだったけど、読み込んでいるし実践しているのは偉い。ここに入るだけの店なんだなとは思う。
「お客様のお話ですと、こちらの二点ですね。髪の毛の質を考えられても、こちらがお勧めです。こちらがイノシシ、こちらが豚の毛となります」
少し毛足の長いブラシを用意してくれる。どちらも綺麗に加工されており、精度が良い。良い品集めているな。
リズが二本を手にどちらが良いのだろうと首を傾げる。
「実際に梳かれますか? イノシシは毛が若干固い分、頭皮に当てて刺激出来ます。髪に元気の無い方には特に喜ばれております。髪の量が多い方にも向いていますね。豚の方は南の方で取れる黒い豚を使用しております。こちらは他の豚に比べてしっかりして若干硬いのが特徴です。ただ、豚そのものの柔らかでしなやかな部分も有りますので、髪に艶を出すのに向いております」
ふんふんと説明を聞きながら、リズが黒豚のブラシを試してみて、驚いた顔の後に綻ぶように微笑む。
「ヒロ、凄い。気持ち良い。それに見て! 艶々になるよ!」
「前のブラシに比べてどうかな? 使いやすい?」
「全然違うよ。前のは絡まったのを無理矢理真っ直ぐにしていた感じだけど、これ、するすると伸ばしてくれる。気持ち良い」
値段を聞いてみると、ブラシでその値段か!?と思う値段だが、日本でもまともなブラシを買うと良い値がしていたので、そう言うものなのだろうとは思う。店代と言うのも有るし。
「イノシシは試さなくても大丈夫?」
「うん、これが気に入った。こっちが良い」
リズが大切そうに抱きしめる。それに合わせて、にこやかに微笑みながら店員がブラシの手入れを細かく説明してくれる。
「基本はこちらのブラシを使って、汚れを掻き出して下さい。それでも脂などで汚れてしまった場合は常温の水の中で優しく掻き出して頂ければ、綺麗になります。その後は乾いた柔らかな布で水分を拭い、毛を下に風通しの良い場所で日に当てず乾燥させて下さい。毛を上にしますと、柄の方に水分が吸われますので割れたり傷んだりする恐れがあります」
この世界に来てから、中々こう言う細かい説明を受ける機会なんて無い。リズも真剣な顔で説明を聞いている。こう言うアフターサービス含めての値段だ。誠実な印象が強い。それに手入れ用のブラシもセット販売されているけど、リズは全然嫌がっていない。むしろありがたがっている。この辺もマニュアルに記載していたがきちんと吸収していて感心する。
「お客様の髪質でしたら、髪留めなども如何でしょう。今お使いの物は銀ですよね? お手入れも大変かと思いますし、予備が有れば何かと便利ですが」
抱き合わせの後は、目的の物に近しい物を畳みかけていく。客が予想していなかった購買意欲をそそり、どんどん買わせていくスタイルだ。
「これ、ヒロに貰ったものだから、出来れば着けておきたいな……」
リズが少しだけ迷うような顔をする。店員がこちらを向いてにこりと意味有り気に微笑む。はぁぁ、援護射撃を撃たせろなんて指示、書いたっけ?オリジナルだな、これ。
「良いよ。毎日磨くの大変でしょ? 予備が有れば便利だし、私のプレゼントだから。気にする事無いよ」
そう言うと、リズがぱぁっと明るい顔になり、いそいそと店員の後に着いて行く。髪飾り、髪留めだけでも結構な数が有る。広いと何でも置く事が出来て良いよね。場所のメリットと女性特化の店なのかな?
店員に勧められて木彫りの細工が細かな髪留めをキラキラした目で見ている。嵌まっている石もそう大きな物では無いが、上品でさり気なく輝いている。リズがこちらの顔を上目遣いで覗き込んでくるので、店員に頷く。微笑みを強くした店員が、布にブラシ類と髪留めを綺麗に包み、籠に入れてくれる。他に客がいないので、このまま付き添ってくれるみたいだ。
「少し店内を見ても良いですか?」
「はい。どうぞご覧下さい」
冷やかし半分で店内を覗いていく。基本この世界、男女問わず過酷なので、女性も男性と同じく収入を得る。日本なんて比べ物にならないぐらい女性が社会進出している。
ただ、雑貨等でもそうなんだけど、扱っている品は男性向けかユニセックスな物が多い。
女性と言う市場は有るのだが、供給が乏しい。そこを敢えて女性向け商品を強化して勝負に出てきている印象が強い。ここの店主は良い所に目をつけていると考える。
横を歩くリズも色々目移りしてはしゃいでいる。やはり、愛する人の喜ぶ姿を見るのは嬉しい。
「店員さん。店主さんにこれを渡して、会いたい旨を伝えてくれるかな?」
そう言って、名刺代わりの木札を渡す。五弁桜の略式紋章を見た瞬間店員が一瞬固まるが、刹那の後に笑顔を取り戻し、辞去して店の奥に向かう。
「リズ他に何か欲しい物は有る?」
「見たら全部欲しくなっちゃうよ……。あ、石鹸が有る。見に行ってみよう」
そう言ってたーっと先に行く。追いついて見て見ると、包み紙に五弁桜の紋章が打たれている。あぁ、ティーシアの作品か。
ノーウェと相談して、トルカ村と『リザティア』で生産する石鹸には私の略式紋章を、他の町村で生産される物にはノーウェの略式紋章を打つことにした。石鹸発祥の地に敬意を表してと言う話だが、生産管理に一日の長が有る分、品質では負けない。石鹸と言えば五弁桜と言われるように頑張ろう。
「あ、香り付きの奴だ。お母さん、こんな所にまで販売しているんだね」
取って香りを確かめると、確かに香油を混ぜたものだ。香油の兼ね合い上、生産数が少ないのに、態々仕入れたか。先見の明も有るのかな。値段は原価を知っている人間としては驚く程高いがこの辺りを水準にしてしまっても良いだろう。
石鹸の前ではしゃいでいると、妙齢の女性が近付いてくる。
「トルカ村の石鹸ですね。ティーシアさんの作品です。領主様にはお母様になるのでしたか? 初めまして、ヤーガスと申します。本日はご来店まことにありがとうございます」
ヤーガスと名乗った女性が、深々と頭を下げる。
「初めまして。領主のアキヒロです。リズ、店員さんとお店の中、巡っておいで。他に欲しい物が有ったら遠慮しなくて良いよ」
そう言うと、先程の店員と一緒にワクワクした顔をしながら、店の奥に進んで行く。
「領主様直々のご訪問とは。ご視察ですか?」
「そんな大層な物では無いです。複合商業施設なんて建ててみましたが、中はどうなっているかなと言う好奇心ですよ。いや、しかし驚きました。接客対応の基本方針はお渡ししましたが、完璧にこなされている上に応用までとは。素晴らしいです」
そう言うと、ヤーガスが若干慌てたように、両手を振る。
「いえ。頂いた資料を拝見して、販売とはの部分で改めて色々と示唆されました。私も雑貨屋を営んで長いつもりでしたが、まだまだ甘い、考え無しだったのだと気付かされました。しかし、あの方針は領主様のお考えですか……。商いのご経験でもお有なんですか?」
「経営はやっていませんよ。ただ、そうですね。商売の真似事程度は少し。まぁ、本職の方には敵いませんね。見事な接客です。こちらが書いたのに、まんまと買わされていますから」
ははっと笑い声をあげる。
「恐縮です。しかし、そのように仰って頂けるのなら光栄です。これからも精進致します」
「しかし、女性に寄った商売ですか。良い目の付け所ですね。品も良い。これから流行るのでしょう」
そう言うとヤーガスの目が少し下を向く。
「そうですね。王都での商売は長いですが、中々柵も多いもので。今回フェンさんにお話を頂いたので心機一転と思い、こちらに寄せさせて頂きました。やはり新しい町と言うのは良い物です。活気が有りますし、お客様の喜ぶ顔を見る事が出来る。何より、それが嬉しく思います」
あー、王都で何か有ったのかな、これは。でも、この地なら成功する可能性は十分に高い。『リザティア』の女性の社会進出者は他の町村を考えても桁が違うだろう。サービス業には女性が向いている。そうなると、この店の付加価値、方針は『リザティア』と合致している事になる。楽しみだ、本当に。
「他の町に比べると、最終的には女性の数が圧倒的に多くなります。そう言う意味では先駆者として一気に顧客を掻っ攫ってもらえれば嬉しいですね。そのまま繋ぎ止めてしまえばもう、追いつける者もいないでしょうし」
デパートの高級化と先発優位を維持してくれれば、高品質、高付加価値の物を提供し続ける事が可能だろう。正しく、百貨店の雑貨屋さんだ。このまま走って行って欲しい。
「そうですね。政庁の職員の方、歓楽街の方も徐々にご来店下さっています。フェンさんには今後の町の発展予想は聞きましたが、そうですね。文字通りここは中心となるのでしょう。そこに入れた強みを生かして、頑張る事と致します」
強かな経営者の顔でにこやかに笑う。うん、この人なら良い商売をやってくれるだろう。ちゃんと先を見る事が出来るし、商売にも真摯だ。流石、フェンと言うところだろうか。
「忙しいところ、時間を取らせてしまい、申し訳無かったです。色々お話を聞けて良かったです」
「いえ。私こそ領主様直々にお話をお伺い出来て光栄でした。またのご来店お待ちしております」
ヤーガスが華やかに微笑み、目礼の上、店の奥に向かう。
さてさて、他の面々はどうなっている事やら。この辺、免疫の無い人間が入ると大変な事になりそうな気もする。