第359話 職業に貴賤など無く、ただの手段です
ノックの音に応答すると、フェン達を連れてきたとの事なので、入室の許可を出す。
「おはようございます。男爵様、お久しぶりです」
そこには少し痩せて、精悍さに凄みも少し足されたフェンがにこやかな笑顔で入って来た。背後には2名の男女が付いてきている。しかし、秋、冬場だったと言うのに、日焼けしている。かなりの距離を回ったのだろうと感じさせる。本当に、ありがたい。
「おはようございます。お久しぶりです。資料は拝見しました。王都中の有名な商家を根こそぎ誘うのではと冷や冷やしました」
「ははは。そのような事は有りません。吟味は致しましたし、王都も層が厚いです。後釜がきちんと回しますよ。一旦、『リザティア』を回すに足ると考える商家には声をかけて来てもらいました」
笑いながら簡単そうに言うけど、その地で成功している商家が成功するかどうかも分からない町に店を構えるんだ。余程何かのインセンティブが無ければ無理だろう。ちょっとフェンが何を言ったのか分からなくて怖い。
「ありがたい事です。ただ、構想だけで、結果がまだ伴っていない町でも有ります。その辺り危惧されていないか心配です」
私は苦笑で返す。
「商業の町でもう一度挑戦してみないか? と言う言葉には魅力が有ります。王都も結局各地の税で回っているだけですので、商売の幅も自ずと決まってきます。商家の人間にとっては新鮮味の無い面白く無い場所なのです。莫大な予算を費やして作られた新しい町、新しい概念、そして、今後東側との交易を一手に引き受けるだろう場所の潜在価値。男爵様が思っている以上にこの町は商家の人間の想像力を掻き立てるのです」
フェンがにこやかに言い切る。この辺りは実際回してみないと分からないが、短期目標のスーパー型、将来目標のデパート型、コンビニ型の概念は説明済みだ。多種多様な商家が少しずつ色々な場所で儲ける。これはこの世界では新しい試みなのだろう。もう、賽は投げられた話だ。商家の面々に愛想を尽かされないように頑張るしかないかな。
「分かりました。ご期待に沿えるよう頑張ります。その辺りは現状の設営状況を見ながら、設計と照らし合わせて考えましょう。で、後ろの方々は?」
どう見ても20代後半程度の男性と、40代になるかと言う女性。誰なんだろう?
「あぁ、紹介が送れました。歓楽街の娼館を掌握しております、ロルフ商会のロルフさん。そして、野菜及び香辛料を掌握しておりますアマンダ商会のアマンダさんです」
アマンダ商会?どこかで聞いた……。あれ……。あぁ!!村の食堂にキャラウェイを売った商会の名前だ。こんな所で出会えるとは。ありがたい。
「まずは、男爵様がお気に為されていたことからでしょうか。ロルフさん、お願い出来ますか?」
フェンがそう言うと、後ろに控えていた男性が前に出てくる。
「初めまして。男爵様。ご紹介に与りましたロルフと申します。今後とも末永くお付き合い出来れば幸いです」
この人が王都随一の娼館経営者か……。
「お若い……ですね。もっと年齢の高い方を想像していました」
私がそう言うとフェンがにやっと笑い、ロルフが苦笑する。
「失礼。分かり難いですね。私、今年で96歳です」
用意されたお茶を含んでいた瞬間だったので、吹きだしそうになった。おいおい、どんなご高齢だよ。と言うか、社会人の新人にしか見えない。15歳成人だから15年選手かぁ。やり手なんだろうなとか思っていたら、桁が違う。
「若返り……ですか?」
「はい。この商売、感性が物を言いますので。肉体が老いると、その辺りが鈍るのを如実に感じます。なので、私の分の儲けは全て年齢の維持に使っています」
商売に賭ける情熱が怖い。下手したら80年以上、この業界やっているのか?化け物じゃん。
「それにあの子達を置いて先に死ぬ訳にもいかないのです。大切な娘達ですので。皆が幸せになる事。それが私のたった一つの小さな望みです」
そう言うロルフの目には強い意思と愛惜が少しだけ映っていた。
「娘……ですか。失礼ですが、この商売だと、感情移入をされるときついのではないのですか?」
「私も特段感情を篭めている訳では有りません。人を取る際にも心掛けておりますし」
心掛ける?
「何を……ですか?」
「この業界で成功する女性と言うのを長く見て来ました。まぁ、分け方は色々有りますが大きく女性と言うのは二つの種類の性格に分かれます。依存心が強い人間と独立心が強い人間です。この業界は女性に取って手段で有って、目的では無いです。そこを間違えると悲惨な結果になります。若い頃は何度も見ました……。」
依存心と独立心……。悲惨な結果って。この世界の悲惨な結果って何だろう?
「独立心が強い娘は、黙っていても自分の目的に邁進します。その為の道程が何であれ、結果を掴めばそれで良いと割り切れます。そのような娘とならば、未来を見据えて、共に商売が出来ます。問題は依存心の強い娘ですな。こちらは何かに依存をしたがります。他の商家で有れば、店の人間に依存させて繋ぎ止める真似など致しますが、そのような姿を見るだけで虫唾が走ります」
ロルフが眉根に皺を寄せる。
「どのように辛い境遇も、自らの幸せな未来の為と割り切り、前に進む人間。私が求めるのはそう言う娘です。なので、ここまで幸せにやってくる事が出来ました。逆に依存をされては困るのです。そう長くいて欲しい世界でも有りません。そんな場所に依存先を見つけて、縋り付き続ける姿は、悲しい物です……」
ロルフがほっと息を吐く。
「男爵様の企画書は拝見致しました。疑似恋愛と言う概念は非常に面白く感じます。この業界、基本的には欲望を吐き捨てる場所と言う前提は拭えません。それでも両者が楽しく幸せな時間が過ごせるのであれば、それは良い事だと考えます。また、その辺りを割り切れるだけの人材も揃えております。と言うか、若干失礼かと思いますが、微に入り細に入り、企画が現実的なのですが、この業界のご経験がおありなのですか?」
変態日本に生きていれば、行った事が無くても情報だけは、ばかばか入る。その辺りをアレンジして、企画にまとめただけだ。どうもその辺りの新規性が評価されたらしい。コスプレすら無い世界だ。付加価値なんて幾らでも付けられる。
「経験は有りませんが、私も一個の男として、考える事は有ります。また、温泉との連携も良い商売ですので、その辺りも含めて提案しました」
「湯がほぼ無制限に使えると言うのは本当に助かります。衛生状態は事業継続に直結します。そう言う意味では、体を清める事を主体にした企画ですか? あれなど、非常に望ましい事かと考えます。このような環境故と言っても、良くお考えになります」
褒めないで……本当に恥ずかしい……。おめでとう、変態日本。君達の頑張りは、この世界でも認められているよ……。
「詳細はこれから詰めていくと言う事となりましょうが、これより、男爵様の町にて骨を埋める覚悟で商売を致します。今後ともよろしくお願い致します」
ロルフが深々と頭を下げる。娘……か……。大切な娘……。これも矛盾した感情なのかもしれないけど、彼の中ではもう確固たる信念になっているのだろうな。私には分からない数十年を経験してきた人間だ。私が出来るのはフォローだけだ。歓楽街と言うとどうしても夜側の部分は付いて回る。そこを上手く彼にコントロールしてもらおう。
肩を掴み、頭を上げてもらう。
「こちらこそ。どうか歓楽街を盛り上げる為にも、今後ともお願いします」
そう言って、お互い笑顔で握手を交わす。少なくとも自分の部下の幸せを願っている人間と仕事が出来ないとは思わない。甘い話かも知れないが、その程度の甘さは持っていたい。
まずは、夜側の管理者として、頑張ってもらおう。大切な仕事なのだから。職業に貴賤など有る筈がない。人は、生きる為に稼ぐのだから。その手段に貴賤を存在させては、幅を狭めるだけだ。だからこそ、この人の、信念有る経営方針に敬意を表す。共に働きたい人だ。
お互い頷きあい、離れる。次は、アマンダかな?