第351話 家の味と最後のキッチン樽風呂
家に戻り、タロとヒメの足を拭う。首輪から解放すると、我先にと部屋に戻って行く。リズが空気を通すのに窓と一緒に開けていたのか、扉が解放、固定されていたのでそのまま部屋に入って箱の前でちょこんとお座りする。暖かくなってきたからか、水をくれぇと言う目で見上げてくる。抱きかかえてそっと箱の中に入れて、皿を水で満たす。ペロペロと言うより、ジャバジャバに近い勢いで二匹共飲んでいく。無くなったら補充と言う感じで三周目辺りで落ち着く。疲労の為か、さっさと二匹共丸くなり、箱の中で目を閉じる。軽く頭を撫でて、リズの様子を見に行く。
キッチンでは夕食の準備が始まっており、リズも頑張って手伝っている。あと少しで解放されると分かってか、昼のように涙目モードでは無い。溢れるような笑顔で調理を進めている。自棄な感じもしなくもないけど、もう少しだから、頑張れ。スープの香りを嗅いでいると、いつもの単純な香りでは無くちょっと複雑な香りが付いている。ん、なんだろう?と思いながら、夕食を楽しみに待つ事にする。
部屋に戻り、仲良く睡眠と休憩の境で微睡む二匹を見ながら、残光で書類を読み進める。ロットがまとめてくれた補充指示のリストを確認し、向こう一か月程度は補給無しでも生活可能な感触はある。流石に人数が増えたので、積載を考えてもちょっとそれ以上は積めない。そろそろ荷物用に二台目をおねだりしたいなと思いながらも御者の問題で少し頭を悩ませる。レイが優秀過ぎるので、何かと頼りきりになりそうな気もする。優秀な人材なんてそうそう転がっていない。普通に御者をやってくれる人かな。一緒に行動する限りは防衛をあまり考えなくても良いし。海に行くまでに用意してもらえれば、助かる気もする。ノーウェに打診してみよう。二台は予算の範疇の筈だし。
後は引き続き、商家の職種と町の配置バランスを見ていく。一般の民の流入は少し先で、農家、商工業者、政務官辺りが各区にばらけて生活する事になる。田畑は西に広げ放題なので、南西側には農家の人間を優先して家を建ててもらっている。中央には行政官庁が集まっているので官舎が建つ。東側は川沿いに職人街が並ぶ。この三カ所に過不足、不便無く物流を巡らさないといけない。馬での輸送も考えながら、町の概略図と照らし合わせて、タイムテーブルを組んでみる。道幅が広いので、歩道と車道は完全に区別可能だ。条坊制の利点なのでラウンドアバウトで曲がって行けばいつかは目的地に辿り着く。真ん中に各交差点名でも入れれば、分かり易いかな。その辺りは日本の道路標識を参考にしても良いだろう。
徐々に世界が薄闇に包まれる頃に、表から納屋、そして玄関で物音が聞こえてくる。アストが帰ったのかな?残光が途切れ、闇に変わる手前で燭台の蝋燭に灯りを点す。リビングに向かうと、装備を外してテーブルを挟んで雑談を交わしているアストの姿が見える。
「おかえりなさい」
「ただいま。今日は良い獲物がかかった。春と言う事で肥え始めているしな。中々の収獲だった」
アストが嬉しそうに笑いながら報告してくる。こう言うところは根っからの狩人なんだろうなとも感じる。
「それは、良かったです。後、少し唐突かも知れませんが、明日『リザティア』に出発しようかと考えています」
そう言うと、アストが一瞬驚いた顔をして、そのまま納得顔に変わる。
「そうか。決心したなら良い。こちらもアテンが戻れば調整して向かう。それまでの間、リズの事は頼む」
微笑みを浮かべ、軽く頭を下げられる。
「いえ。世話になるのは私の方ですから。ノーウェ子爵様にお伝えしました。知らせを出して頂けるようにはしていますので、頃合いになったらお教え下さい。お義兄さんにも挨拶をしたいです」
「そうか、結局会わず終いだったな。良い機会だから、その際にはよろしく頼む」
にこやかなアストと話をしていると、テーブルに食事が並ぶ。ティーシアが席に着き、リズが後に続く。
アストの挨拶に合わせて、食事が始まる。気になっていたスープを口に含むと、色々なスパイスが混ざっていて、複雑な香りと味を感じる。下品な感じでは無く、それぞれの特徴を生かした肉に合う素朴なブレンドだ。初めての味だが、どこか懐かしい感じがする。
「これが私の家に伝わるスープよ。リズにも覚えて欲しかったけど、少し時間が足りなかったわね。ちゃんと自分で完成しなさいよ」
ティーシアが説明をしてくれる。あぁ、おふくろの味、家庭の味か。リズも神妙な顔で頷いている。スパイスの配合や入れるタイミングでがらりと味も変わる。その辺りの匙加減はリズ次第だ。向こうで楽しませてくれると嬉しいなとは思う。ティーシアには先に説明していたので、少しだけ豪華な食事が並ぶ。話を聞いていると、収穫祭の時に出す料理がこれだとか教えてくれる。収穫祭か……。後、三か月程度で秋蒔きの小麦の収穫は始まるのかな。その時は『リザティア』でもイベントが出来れば良いけど。頑張って余裕を作ろう。
食事が終わり、樽にお湯を生み、お風呂が始まる。リズと一緒に、部屋に戻る。
「大変だったのに、助けてくれなかった」
ベッドに座ると、リズが上目遣いで文句を言ってくる。
「移動するからってきちんと説明して、調整してもらったよ? あの辺りが限界だよ」
頭を撫でながら、慰める。
「もう、お昼とかすごく大変だった。お母さん、詰め込み過ぎ。覚えられない」
こてんとベッドに倒れ、ごろごろと左右に転がりながら言う。
「心配なのはしょうがないよ。向こうに着いたら、ゆっくり思い出しながら実践したら良いよ。奥様」
そう言うと、少しだけ機嫌が直った顔で座り直す。
「ふふふ。奥様かぁ……。全然想像もしていなかったけど、もう奥様なんだよね。式はいつにするの?」
気の早い事を言う。町の様子も開発状況も目にしていない状況だと何とも言えない。
「教会は幾つか建てるけど、領主館前の大教会は少し扱いが特殊になるかも。そこで挙げる予定だけど。もう少し、人が集まってからかな。折角だし」
「そっかぁ。楽しみ。領主様の結婚式なんて初めてだし、それが自分だなんて、信じられない」
リズがちょっとニヤニヤしながら、肩に頭を乗せてくる。
「精々盛大にしよう。これから暮らす人達が楽しい町だって思ってもらえるようにね」
そう言うと、肩の上で、リズの頭がこくんと動く。
そこからは明日以降の予定の話を始める。荷物周りはもうまとめ終わっている。いつもよりちょっと窮屈になるかもだけど、元々積載に余裕は有るし、人数も定員内だ。
話の最中にティーシアに呼ばれて、樽の補充に向かう。
夢の話は尽きない。現実は頑張って調整すれば良い。
リズも元々そんなに物欲が強く無い。と言うより、得る機会が無かったので分からないと言う感じだろうか。実際ドレスも綺麗に畳まれて仕舞い込まれているし、開けて見ている様子も無い。貯金の額も殆ど変動していない。好きな香油を雑貨屋で買ってみたり、その程度だ。こつこつと一緒に小さな幸せを集めていけたら良いな、そんな事を思う。
ティーシアが上がり、タロとヒメを浸けてしまう。タライに関しては、土魔術で作ってしまうかと考え始めた。1.00を超過した為か速度を極限まで落とせば、メートル級の石材を生み出せるようになった。別に大きなタライくらいはすぐに作る事が可能だ。
もみもみとしていると、ちょっと長めの散歩の疲労が出たのか、二匹共くてんと寝てしまう。この辺りはまだまだ可愛い。
先に寝てしまったタロの横にヒメを入れて、引き続き書類の確認を進める。移動中にカビアと調整すれば良いかと、色々保留していっているが、荷物そのものより書類の方が多い気がしてきた。馬車、やっぱり頼もう。飼い葉の消費量を考えても積載が欲しい。日頃は農作業に勤しんでもらおう。
そんな事を考えていると、リズが上がったので、交代で樽に浸かる。キッチン風呂も今日で最後かな。アテンには教えるのかな?石鹸の有効性を理解してもらうには実際に入ってもらうのが一番か。お湯は沸かせば良いだけなので、教えそうかな。
しかし、調整だけで一日が終わってしまった。ただ、色々と有ったこの村ときちんとお別れ出来たのは幸いだ。昔から転勤族の子供だったので、移動には慣れているが、やっぱり寂寥感は感じる。それでも、バイバイって言えたのだけでもありがたい。湿っぽくなりそうだったので、さっさと樽から出る。最後のご奉仕と念入りに樽も洗って、後片付けを終わらせる。
部屋に戻るとリズが、やりきった顔をして寝ている。お疲れ様と頬を軽く撫でる。
二匹も仲良く寄り添って眠っている。暑くなってきたら、どうなるんだろう。ちょっと距離を置いたりするんだろうか。気になる。
そんな阿呆な事を考えながら、布団に潜りこむ。羽毛布団を作りたいけど、前の鴨の分でも掛布団にはまだ足りない。出来れば量を揃えて、洗って、夏の天日で一気に乾かしたい。そうしないと臭い。
まぁ、色々開発絡みで浮かぶ事は多いけど、まずは明日の出発と移動を成功させないといけない。
準備の確認も有るし、明日は少し早めに起きないとな。スマホのアラームを久々にセットして、そのまま目を閉じる。
春の穏やかな空気と何処からともなく香る花の香りに連れられて、いつしか意識を失っていった。