第350話 ザワークラウトの可能性と「後」になった道
なんだかんだでちょっとご無沙汰だった食堂に入り、本日の定食を頼む。テディやネスとの会話を思い出し、『リザティア』に着いてからの動きを考える。一旦は庶民側は考えず、商工会との打ち合わせかな。前回、なんだかんだでフェンが出張のままで会えなかったので久々に話をしたいなぁ。
何よりテディとフェンが出会った時の化学反応を知りたいと言う何とも言えない欲求が湧いてくる。現代日本で言えば当たり前の、顧客優先の事業とサービス業から事業を立ち上げていくスタイル。これが出会った時、どんな動きをするのか、日本式のサービスはこの世界にも通用するのか、その辺りを考えると、胸がときめく。
ぽやーっと思い浮かべていると、イノシシのあばら辺りのグリルがドンと出てきた。オーブンから出したてなのか骨の辺りが油でちりちりしている。ナイフとフォークは有るけど豪快に手掴みの方が良い気がしてきた。この世界、特に手掴みで食べるのは無作法では無い。無理にと言うか、合理的に食べれば良いじゃないの精神なので、手掴みの方が食べやすい、汚れないなら手掴みだ。
一度席を立って、水魔術で手を洗ってから手掴みでぱくりと噛みつく。ふむ?噛んだ瞬間、懐かしい香りがする。これどこかで嗅いだ……甘い香り。プチプチした食感……。あー!!これ、キャラウェイだ……。これだけでもザワークラウトが出来る。おぉ、やっと見つけた。南の森産なのか!?
「すみません、このぷちぷちした食感の香辛料って、南の森で取れるんですか?」
通りかかった給仕を捕まえて聞いてみる。
「あ、店長に聞いてみます」
給仕も良く知らないようで、奥に引っ込む。暫くすると出てきて、説明してくれる。もう少し西側で栽培している物が『リザティア』行きの物流に乗って届いたらしい。
栽培物か……。確かキャラウェイって収獲に二年かかった記憶が有る。良くそんな物栽培する余裕が有るな。と言うか、何故そんな物仕入れて使おうと思ったのか不明だが、ここの店主なら有り得そうか。産地の紹介をお願いすると、取り扱いの商会を教えてくれる。カビアに言って取引と商品サンプルの提出をお願いしよう。こんなところで思わぬ収穫がとほくほく顔でイノシシを食べ進めていく。脂がちょっとくどい感じもするが胡椒の辛みと香り、キャラウェイの甘い香りと相まって、するすると食べられる。気付くと結構大きな塊を完食していた。
うん、やっぱりここの店主、趣味が良いと思う。キャラウェイと豚の脂は合う。若干違う甘み同士が相乗効果で引き立て合う。よくぞ見つけてくれたと言いたいけど、内緒にしておく。
ふふふ。遂にザワークラウトが食べられる。ソーセージは有る。後はビールか……。
ビール自体は一か月程度で出来た記憶がある。『リザティア』で試してみようかな。「温泉を出た後に、キンキンの一杯」は魅力だし、歓楽街で「取り敢えず、生で」を合言葉にさせたいな……。ワイン一択も飽きた。消毒するにもアルコールは有るし。問題はホップかなぁ。薬師ギルドに当たってみるか。胃薬として出ていそうだし、見た目が独特だから見つけやすい筈。ただ、カラハナソウだと駄目だし、セイヨウカラハナソウなのを祈ろう。これもカビア案件かな。
そんな事を考えながら、支払いを済ませて家に戻る。キッチンを覗くとリズが昼ご飯をティーシアに見張られながら若干涙目で作っている。そんな塩分いらないよ……リズ……。
「ただいま戻りました」
声をかけて、ティーシアに出発の相談をする。食料の補充にもよるが、明日には出発出来そうと言う形で話をすると、ちょっと渋る。話を聞いていると、リズの教育がまだ足りないらしい。その辺りは領主館で、こう、隠れてこそこそやってもらったら良いと何とか説得して明日出発の許可をもらう。リズ?超喜んでいる。ティーシアの見えない後ろで飛び上がって喜びを表現しているが、パタパタ鳴っている足音でティーシアが鬼の形相になっているのを私が何故見ないといけないのか誰か説明して欲しい。私に怒っても意味無いよ?こればっかりは自覚が芽生えないと中々吸収もしないし、貴族の奥様として扱われ始めたら、逆に勝手に学ぼうとし出しそうな気もする。リズの性格的には現場で吸収するタイプと見ている。
と言う訳で、ティーシアの許可が出たので、宿に向かう。宿には丁度ロットが戻ってきたところだったので、ドルの状況を聞いてみたが、革の補充も終わって荷物としてまとめ終えたらしい。と言う訳で、仲間の方は出る準備が完了した。明日予定と言う事で話を伝えてもらう事にする。そこに戻ってきたドルにネスのいない間の保守対応を話してみたが、どうも革もネスの所で補充したようで話が通っていた。なので、そこも問題無い。
スムーズに話が通ってしまったので、まぁ良いかとノーウェの館に向かう。門衛から執事に話が行くが生憎、ノーウェは来客対応中らしい。伝言で明日の出発の旨、ネスとテディ達の移動に伴う護衛の依頼、アスト達が動けるようになった場合の連絡のお願いをしたところ、執事から了解が返ってくる。ノーウェの判断もいらない話と言うか、予想範囲の話だったらしく、もう手配も済んでいると言われる。また、用意周到で。頭が下がる。
そんな感じで出発の準備もあっと言う間に終わってしまった。空はまだ明るい。ふむ。中々村に戻る事も無いからタロとヒメを散歩に連れていく事にしようかな。折角慣れたのに申し訳無いなとは思うけど、そこは諦めてもらおう。せめて向こうの肉屋さんとは調整して行きつけになるようにしておこう。
家に戻ると、リズが最後のひと踏ん張りと我慢してか、機織り機の前で格闘している。邪魔をするのもあれなので、タロとヒメを散歩に連れて行く旨だけ告げて部屋に戻る。
部屋に戻ると、ご飯を食べて休憩も終わったのだろう。二匹が仲良く玩具で遊んでいる。引っ張り合いが好きなのはもう本能なのだろう。
『散歩に行こうか。明日からここを離れるよ』
『いどう?』
『馴致』でヒメが聞いてくる。子供心にも巣の移動は経験したのを覚えているのだろう。
『移動だよ。新しい場所に移る』
そう告げるとヒメは納得した感じになる。タロはピンと来ていない様子だ。経験が無いと仕方が無いか。『リザティア』にはタロも行った事は有る。でも大分様変わりしているだろう。早く慣れてくれれば良いけど。少し祈るように思いながら、首輪を用意する。二匹共喜びながらも大人しく首輪を受け入れる。箱から出し、玄関を通り、村に出る。
秋に訪れたこの村にも、もう春の気配を濃厚に感じる。半年経っちゃったな。そう思いながら、色々な記憶を辿りながら村の道を歩く。元々日本では出歩く習慣があまりなかった。でもタロを飼い始めて村の中でも色々な場所を訪れた。ヒメが増えてからはその道中が騒がしくなった。少しだけの感傷に浸りながら引かれるままに進む。帰ろうと思えば帰る事は出来る。でも、もうこの村は私の住む村じゃない。さようなら、トルカ村。今度来る時はお客さんとしてかな。
タロもヒメも春になって色々芽吹いてきた植物達に魅了され、興味津々だ。クンクンと嗅いでは納得して、次に移動する。先に行き過ぎると、片方がまだかなまだかなと言う感じでしっぽを振りながら待つ。お互いに楽しそうに待ちあいながら、周囲を確認し、歩いていく。今日は外周を大きく回るコースを取った。この村での散歩は取り敢えずこれでお預けだ。ゆっくりと楽しんで欲しい。
程々に歩き疲れたかなと言うところで、市場方向に向かう。奥様方にはティーシアが説明してくれるだろう。肉屋にはきちんと伝えたい。いつもお世話になった。
タロとヒメがいつものように並んで待つ。ぴしっとお座りして、しっぽを振っている。
「すみません」
声をかけて、すぐに店主が顔を出す。こちらを見ると慣れた感じで肉を切り出す。
「実は明日、東の『リザティア』に移動する事になりまして。今日はお別れに上がりました」
そう声をかけると、店主が一瞬驚いた顔をした後、微笑む。
「そうか。領主様だったな。タロちゃん、ヒメちゃんの成長が見れないのは寂しいけど、お勤めじゃしょうがないよ。また、何か有ったら来るんだろ? その時は寄ってくれな。どうせアテンの奴に世話になんだから。一緒だよ」
若干寂しそうな色を滲ませながら、二匹に肉を投げてくれる。
「本当に、今までお世話になりました。また必ず寄らせてもらいます」
二匹はハクハクと美味しそうに食べて、また市場の珍しい物を探すようにちょこちょこと歩いていく。
肉屋の店主はそれを見て、微笑みを強くする。
「あぁ、また来てくれ」
短い別れだが、散歩の時は必ず寄っていたから、感慨深いものは有る。成長した姿が見せられたら良いな。そんな事を考えながら、散歩の続きに戻る。
外周で長めに歩いていた所為か、ヒメが若干疲れた感じを見せるようになった。左後脚も若干引き気味だ。そろそろ散歩も終わりかな。夕焼けの中二匹を抱いて、家に戻る道を歩く。
夕焼けに染まった村をもう一度見直して、記憶に留める。
少しだけ名残惜しい気持ちを覚えながら、家路を歩む。初めて迎えたこの世界の春の夕暮れは少しだけ暖かな風と、緑の芽吹く匂いを感じさせてくれる。この村のこの匂いを嗅ぐのももう無いかもしれない。そう思うと、勿体無く思い、大きく息を吸い、吐き出す。さて、アストに事情を説明して、明日からは移動だ。前に進むと決めたからには前に進まないといけない。ここはもう、後になる。