第344話 ヴァタニスとハーティスの去就について
夕方までは書類の確認に追われた。散歩に連れて行っても良いが、中途半端な時間になるので、後で連れて行ってもらうようリズに頼んでおいた。
書類を読んでいるが、膝の上では二匹が仲良くだらーんと伏せている。温かいが、物凄く邪魔だ。身じろぎする度に、何?何?と言う感じで頭を上げてくるので、身動きも出来ない。しかし、タロも大きくなった。この年齢の狼や大型犬は一気に成長すると言うが、もう中型犬の成犬に近いサイズは有る。ヒメも食料事情が良くなった所為か肉が付いて、しっかりしてきた。あのガリガリな感じはもう無い。健康的な感じだ。
ざっと読んで一息付けたので、二匹の頭を交互に撫でる。温かいのと気持ち良いので快の思考が流れてくる。これが猫とかだったら、書類の上に上がって邪魔して来そうだが、それが無い分ましと思うべきだろう。
ふと様子を見ていると、盛んにお辞儀をしてくる。これ、確か犬の時は遊ぼうのシグナルだったか。立ち上がろうとすると二匹共ひょいと膝から飛び降り、お座りしてはっはっと息を荒くする。ヒメの脚もそろそろ良いかと、二匹の目の前で骨の玩具をちらつかせて、ぽいっと投げる。すると、二匹が同時に駆け出して奪い合う。空中でキャッチしたタロが持って来て目の前に落とす。頭と言わず顔と言わず、揉みくちゃに撫でると、嬉しそうにしっぽを振る。
『まま!!まま!!』
横を見ると、次、次と言う感じでヒメが待っている。また目の前でちらつかせて、今度は滑らすように、玩具を投げる。いつも放り投げていたので虚を突かれたのかタロが出遅れるのを尻目にヒメがたーっと走って行って、かぷっと噛んで持ち帰る。同じく揉みくちゃにする。
『ぱぱ……すき』
そうやって何度か遊んで、双方が興奮では無く運動で息を切らす頃に水を生んで、箱の中に戻す。結構な回数を投げて腕がちょっと重怠い。外を見ると赤みがかった夕焼けが始まっている。そろそろ呼び出しの時間かな?
ここからの事を考えていると、リズが部屋に入ってくる。今日のお手伝いは終わったようだ。ちょっと疲れた顔だが、機嫌は良い。散歩の件で夕方からリズを借りたいと言う話をティーシアにはしていたので、解放されたのが嬉しいのだろう。
「そろそろ遅くなっちゃうから、散歩に連れて行くけど大丈夫そう?」
「遊んでいたから結構体力は消費しているかもしれないかな。少し少な目の散歩でも大丈夫だと思うよ。すぐに抱っこしてくれーって縋り付いて来たりして」
「あは。可愛いから良いけど。ヒメの脚も随分良くなってきたものね。程々で戻ってくる事にする。ヒロも頑張ってね」
「まぁ、頑張る事は無いと思うけど、子爵様の方が大変な話だしね」
そう言いながら、苦笑し合う。首輪を見せると、二匹共また興奮し始める。リズだけの散歩と言うのも経験しているので、連れて行く人間は誰でも構わない。十分に散歩が出来て、行きつけの店でご褒美が貰えれば大満足なのだろう。
リズが出て行ってすぐ、ノーウェ直属の執事が現れる。用意が整ったとの事で態々馬車まで用意してある。歩いても数分の距離だ。ここまで来ても賓客扱いは何と言うか、怖い。呆れとも面倒臭さともつかない表情が浮かびそうになるのを押さえて、馬車に乗り込む。案の定、走り出したらすぐに屋敷を巡り、入り口の横に着ける。この形式が重要なのかなと頭の中で諦める。私も将来的にホスト側に回らないといけないので、この辺りの機微は侍従ギルドの面々に聞いて確認しておくことにしよう。
執事の先導で、応接間に通される。扉をノックし応答が返ると、開け放たれる。
「こんばんは。ノーウェ様。御機嫌いかがでしょうか?」
「久しぶり。その変わらない挨拶を聞くと少しささくれだった心が癒される。大丈夫、そこまで悪く無いよ」
ノーウェが苦笑を浮かべながら、席を勧める。
「んー。どこから話した物か。まずは君の件かな。報告ありがとう。助かった。あれが無かったら、まだ伯爵領でうだうだやっていたかも知れない」
ノーウェが苦笑を強める。
「前王の件はある程度話をした。東の交易で大きく影響を受けるのはこっちと父上、伯爵だからね。その辺りの経緯を知ってもらっておかないと面倒臭い。そう言う意味では話は分かる人間だから大丈夫、万事解決。で、報告の方だけど、ありがたいけど無茶しすぎ。態々確認までしてくれるのは嬉しいけど、『リザティア』も有るんだからもうちょっと慎重にね。ヴァタニスの報告と合わせて読んで、肝が冷えたよ」
「自身が絡んだ案件です。状況の確認まではと考えましたが、あそこまで酷いとは思っていなかったです。ただ、無事こうやってお顔を見る事が出来て幸いです」
「僥倖だよ。本当に。報告で30人かぁ。7等級は申し訳無いけど適性外なので自業自得の部分は有る。ただ、6等級12人って軍の二小隊とほとんど作戦遂行能力に差は無い。装備の差、練度の差は有るけど、何でも有りだからね、彼等。そう言う意味では民間で軍に匹敵する実力者がなす術も無く殺されましたなんて、公表し辛いんだよね。ただ、今後を考えると素直に冒険者ギルドが等級を見誤っていたと言う形で流布した方が傷は浅くて済む。群れの規模が予想外に膨れ上がっていると言うのも理由にはなるからね。今後は、4等級推奨かな。5等級32名体勢なら30匹相手なら五分でやり合えるだろうし。まぁ、こっちがどこまで狩るか次第によるけど」
ふむ。きちんと非を認めて公表するか。その方が後の傷跡は小さくて済む。なまじ隠したり、取り繕うと痛い目に遭う。その辺り、きちんと出来るから、やっぱり政治感覚、感度は高い。
それに4等級か。もう、どんな人間なのか、人間なのかすら分からない。7等級で熊を狩っていて分かったが、普通の人間が考える強者って7等級辺りまでだと思う。それより上って本当に想像出来ない。
「冒険者側は自己責任で仕事をしています。きちんとした情報が流れてくるので有れば納得するでしょう。ギルドのごたごたも僅かですが漏れている部分も有るようですし、良い風に解釈してくれればと考えます」
「ギルドの件は隠し通せる話では無いからね。ちょっとずつ話は漏らすように調整はしている。今回の6等級の件は痛ましい話だ。7等級の件も言ってみれば犠牲者だからね。ふぅぅ……。中々難しいね」
ノーウェが下を向き、息を吐き出す。やはり自分の庭で人が無為に死ぬのはノーウェであってもきついか。
「ヴァタニスさんはどうなさいますか?」
「ん? 去就かい? あれはこっちのミスだからね。ギルド側の予算の自由度を下げていた部分も有るし、領主権限を委譲しなかったのも問題だ。森があそこまで酷くなっているのは斥候、諜報の不備だけど予算の自由度を下げていたのは私だからね。責められない。森の封鎖も領主権限だからね。政務官ましてや冒険者ギルドのギルド長の一存で実行は出来ない。そう言う意味ではヴァタニスは正しい動きをした。ただ、融通が効かなかったのと柔軟性が無かったのが問題だっただけだね。私が町にいたなら話は別だけど、色々重なった不運だ。平時は有能だけど、大きな問題が発生した時に見えないのは、ちょっと年齢の部分も有るしね。さっさと下が育って再度引退した方が本人にも良いと思うよ。今回の件は注意はしたけど、留任だね。職務上の落ち度は無い。ただ、やり方が若干まずかっただけだ。そこも納得はしてくれたから、この件はこれでお終いかな」
ノーウェが肩を竦める。顔には若干沈痛な色が浮かんでいる。
「亡くなった冒険者の家族には領主名義と言う形で特例で見舞金を出しておく。形式上は不手際に巻き込んだ分に対しての温情と言う形になるのかな。何も無いよりは有った方が良いしね。普通は無い物が来るんだから、それで納得してもらうしかないかな」
問題把握はノーウェも認識しているか。上下の連絡不足と組織の硬直が原因なので、もう、ある種事故だし。そこはしょうがないか。
ヴァタニスも組織の歯車だ。歯車は歯車が動ける範囲でしか対応出来ない。本来はしちゃいけない。でも、その「本来」が上手く動いていなかったので、問題が発生したし、ノーウェが頭を痛める話にもなった。歯車に緩衝まで求めるのは酷だが、組織がまだ十全で無い以上はそれも上位者の仕事だろう。叱責で済んで良かったのだろう。
冒険者側にも、本来なら何の補償も無い。自己責任の派遣社員だ。それでも今回は冒険者ギルドが非を認めて、幾許かでも補償が出るのだから、良い方だろう。亡くなった人には申し訳無いが、この仕事はこう言う仕事だ。一攫千金と命を天秤にかけているのだから、いつかは天秤が命に傾く事も有る。
となると、ハーティスが問題になってくる。結果的に彼の立案で無駄な人死には出なかったが、組織で考えた場合は越権行為だ。ノーウェにとっては頭が痛いだろうな。
「ではハーティスさんに関してはどうなさいますか?」
「それなんだよね。君の報告と迅速な森の閉鎖で無為な人間の死は防げた。この二点が非常に大きい。君の場合は手放しで称賛出来るんだけど、彼の場合組織の命から逸脱しちゃっているんだよね。困った。本当に困った」
困ったと言っているが、困った顔をしていない。はぁぁ、このパターンか。まぁ、本人の事を嫌いじゃないし、非常に有能だ。きちんと上下関係も理解してくれるから、おいたはしないだろう。あぁ、これが宮仕えか。分かっているけど面倒臭い。
「『リザティア』の冒険者ギルドのギルド長、まだ決定していないですよね。実績も無い辺境の地です。なり手もいないでしょうし、現状の人員が動く場合でも左遷扱いでしょうしね」
「ふーん、それは大変だね。どう? 今、良い人材いるんだけど、紹介するよ?」
「瑕疵付いていますよ、それ。まぁ、はい。私が出した報告で動いた話です。私が面倒を見ます」
「はは。ありがたい。どっちにせよ、君の領地はこれから発展するのが目に見えているしね。結局栄転だ。話は通しておく。ただヴァタニスの支えをどうしようかなとは思うけどね。やっぱり冒険者ギルドの中身は政務と勝手が違う。その辺りで参っている部分も有るよ」
「それこそ、ハーティスさんに後進を紹介させれば良いかと。その辺、目端が利きますし。この事態です。もう人選まで終わらせているでしょう、きっと」
「んー。そう考えると本当に惜しいんだけどね。組織の話で言うと庇えないんだよね。うん、君に任せる。君の所が安泰になれば、東側に気をかけずに済むしね。そっちの方がありがたい」
これも貸しか?貸しだろうな。流石に騙し討ちは御免だが、これからは同じ領地で責任を持って働く仲間だ。根性入れて働いてもらおう。
「さて、ちょっと話し込み過ぎたかな。夕食の準備はしている。食べていってくれるかい?」
「はい。喜んでご相伴に預かります」
そう言って立ち上がるノーウェに合わせ、席を立つ。ここからは実際に森をどうするかの話か。食事の味が分かれば良いけどな……。