第339話 知らない事を知るって楽しいですよね
タライにお湯を生む。取り敢えず、タロを先に寝かしつけてしまおう。ヒメはリズが、抱えて撫でている。ヒメもリズを気に入ったのか頻りに体を擦り付けて、匂いを移している。
タロは湯気が上がるタライを確認した段階で、いつも通り大はしゃぎだ。抱えると大人しくなり、お湯に浸けると、一刻も早くと言った感じで垂れたアイツみたいに、弛緩して伸びる。何と言うか玄人な動きだ。何のプロかは謎だけど。
もにゅもにゅと洗っていると、恍惚とした思考が漏れてくる。きゅーんに近い溜息のような鳴き声が絞り出される。それを聞いたヒメが何と無くそわそわとし始める。頭も顔も含めてきちんと洗って後は浸かるだけなのだが、少しずつ思考が途切れ途切れになる。
『まだなの、ぬくい……の……ねな……い……の……』
あ、寝た。首元を触ると十分温度は上がっている。風邪の心配は無いだろう。
「リズ、タロ寝ちゃった。布もらって良い?」
「はい、どうぞ。相変わらずだね、可愛いけど」
「タロももう、慣れちゃって、こう言う流れになっちゃうんだろうね」
そんな話をしながら、手早くタロを拭っていく。最後にブローでふわふわもこもこにして、一丁上がりだ。
リズが冷めない内に、部屋に抱えて行って、箱の中に収める。敷布は先程変えたので綺麗だ。タライのお湯を捨てて、新しい物と入れ替える。
「さて次はヒメかな」
そう呟くと、ヒメのしっぽが緩やかに振られる。名前を呼ばれたのが分かったのだろう。もう、体験済みなので、気持ち良さは分かっている。何度も入ったので勝手も分かっている。足が治ってから初めてなので、そこがどうかだろうか。そっと抱きかかえて、足先から浸けるが、すぐに四肢を広げて、タライの中でびよーんっと弛緩する。
『ぱぱ……ぬくい……』
快の思考が流れてくる。漏れ出てしまうのか、ウォフみたいな鳴き声が、数回、上げられる。背中から体全体を揉んで洗っていく。もう汚れって感じは出ない。今日の分の分泌した皮脂汚れ程度だろう。柔らかく、時に力強く、マッサージを兼ねて揉み込んでいく。左後脚に触った瞬間はちょっとびくっとしたが、痛みや違和感が無かったので、そのまま大人しくされるがままになる。腱の部分、筋肉全体も他の脚に比べてちょっと固い。慣れないし庇っていたのに無理をしたからだろうか。指先とかではなく、手の腹で優しく押しておく。血行が良くなって少しでも疲労や痛みが無くなれば嬉しい。
最後に首元から頭にかけて、洗っていくが、何と無く顎を乗せたが陶然としている。気持ち良かったなら良かった。顔を洗って、洗浄終わり。後は温もってくれればと思ったが、やっぱりヒメもうとうとし始める。
『ぱぱ……も……と……ぬく……いの……ほし……』
あ、寝た。体温確認をして、タロと同じく拭ってブローだ。ちょっと脂っぽかった白い毛もフワフワとして別嬪さん度合いが上がった。
横で見ていたリズが優しい目で、ヒメを受け取ってくれる。首がかくんとならないようにきちんと頭の後を支えて、部屋に運んでくれる。
最後にリズ用のお風呂の準備をしたところでリズが戻ってくる。
「二匹共寝たかな?」
「ぐっすり。毛皮はかけておいたよ。何だか、温かいのが近くにいるのが分かっているんだろうね。お互い寄り添って寝ていたよ。可愛い」
「そっか。仲が良さそうでなによりだ。ヒメが色々狼っぽい常識を押してくるかと思ったけど、そうでも無いしね」
「んー。まだまだ体が本調子じゃないから。遠慮している感じは伝わってくるかも。でも良い子で良かった。タロも凄く好きそうで嬉しそう」
リズが微笑みながら、服を脱ぎ始める。私はそっと頬に口付けて、部屋に戻る。
箱を覗くと丸まった毛玉がお互いにかばい合うように絡まっている。昔から連れ添った兄弟姉妹みたいで微笑ましい。
ふと温かい微笑みが零れるのを感じて、久々だなと思う。ちょっとここ最近ハード過ぎた。こう言う時間も良い物だなとは思う。
書類の続きの確認を進める。移住住民とお仕事の紐付け予定がメインだが、結構色々人材がノーウェ領、ロスティー領から入って来てくれる。農家だと継ぎ難い次男とか三男以降が来るのは分かるが、結構現職の職人とか商家の人が記載されていて驚く。元の場所は平気なのかとも思うが、厚意かと思い、ありがたく受ける事にする。工業系は玩具等の製造から最終的には線路のレールまで作ってもらわないといけないと考えている。ネスが頭を張って、各親方に指導、それを弟子が実施みたいなピラミッド構造になるのかな。ある程度、一気に熟練工にするんだったら部品毎にラインを作って、各部品の習熟を極限まで上げて貰って幅を広げて行くと言う形も良いかも知れない。そこはネスや親方衆とも相談か。出自を確認しながら移住可否の部分に署名をしていく。賞罰ははっきりと出るし、ノーウェ達も大分気を遣っているのか、犯罪経験者は全くいない。ただ、経験上パレートの法則や2-6-2の法則は出ちゃうだろう。人間が多く集まると余程現場に手を入れないとそうなる。それは前提として生産性を上げる方法を模索するかと、目尻とこめかみを揉みながら、思う。
丁度扉開けて、リズが入って来た。髪の毛をブローしながら話をする。
「お昼、怖い顔をしてギルドがって言っていたけど、何か有ったの?」
「あぁ、それ。解決しちゃった。ギルド長がノーウェ子爵様の部下に変わったでしょ。その人の方針がちょっと危なかったので一旦距離を置こうと思ったんだ。でもハーティスさんが間に入ったみたいだから一旦は良いかなって」
「へぇ……そんな事が有ったんだ。で、これからはどうするの?」
「熊も美味しく無いし、結構稼いじゃったから、ちょっとお休みにしても良いかなとは思う。ノーウェ子爵様が戻ってきたら報告はしないといけないからそれまで待つけど、それが終われば本格的に『リザティア』に入って周辺探索を初めても良いかなって。領主館もそろそろ出来るだろうし、まずはそこが拠点かな」
「温泉入れるんだったら、皆喜びそうだね。兄さんも春には帰るって言っていたから、お父さん達も引継ぎが終わったら移動してくるだろうし」
「そうだね。迎えには来ないと駄目だね。引っ越し荷物も有るだろうし。でも、そのままお兄さんに荷物は引き継いでもらって向こうで買っても良いかなとは思うけど」
「兄さんも何かと物入りになると思うから、そうしてもらえると助かるかも。お義姉さんも色々買わなくて良いから家計は楽だろうし」
「うん。その辺りはアストさんとティーシアさんとで調整しちゃおう。折角新しい場所で生活するんだから、その辺りも一新するのも良いと思うし」
髪の毛の手入れも終わり、リズを布団の中に導く。ぽふっと倒れ込んだリズに布団をかける。
「あは、寝ちゃったからかな。眠くならない」
「凄く良く寝ていたよ。寝顔も可愛かった」
そう言うと拳を振り回されたので、早々に退散して、お風呂に向かう。
いつも通り、頭体を洗い、樽に浸かる。しかし、昨日今日と色々有った。
ダイアウルフはもう手が付けられない。少なくとも一般の冒険者が手を出す相手では無い。私が樹上とかで延々狩り続ければ減らせられるだろうけど、それはちょっと違う。いつもそれが出来る訳じゃ無いので、ノーウェにノウハウを積んでもらわないと結局どこかで破綻しちゃう。
それに死体か……。日本では幸運な事に出会った事は無かったけど、実際に見ちゃうとやっぱりきつい物が有る。でも、これからはそう言うものと向き合っていかないと駄目なんだろう。その予行演習と思えば良いか。
後は新しい家族、ヒメにも出会えた。タロも嬉しそうだし、良い家族になってくれれば嬉しいな。悲しい過去の有る子だ。出来れば幸せになって欲しい。
冒険者ギルドはどうなるんだろうな。ノーウェも馬鹿じゃないから叱責で免職なんて事にはならないだろう。あの人の特性は平時の効率化だろう。有事に弱かったのが問題で有って、そこはフォローが出来る話だ。どうするにせよ、まぁ、様子を見るしかないか。私が手出しして良い話じゃ無い。ロスティーからも言われた。ノーウェに頼れって。なので、この件は一切手を出さない。そう決めた。
後の収獲はなによりもテディかな。お風呂の概念も理解してくれたし、感動の共有も出来た。きっと現場でもどんどん小さな感動を生み出してくれるだろう。
そんな事を考えていると、流石に茹る。2日分の内容が頭の中で整理されながら思い出されているので、結構膨大な量になっている。上がらないと湯当たりを起こしそうだ。
後片付けを済ませて部屋に戻る。リズは布団の中で寝転がって歴史書を開いている。あれも読まないといけないけど、ちょっと先になりそうだな。
「面白い?」
「んー。分からない。でも知らない事を知るのは好きかな」
そう言って静かに本を閉じて、リズがこちらを向く。
「知らない事を知るのが好き……かぁ……」
魔術で蝋燭を吹き消す。
「今日は知らない事を色々と知ってみる?」
「あー!!ヒロ、何か悪い事考えている。こういう雰囲気の時のヒロは悪いヒロだ!!」
叫ぶリズの唇を唇で塞ぎ、布団に潜りこむ。色々有ってご無沙汰だなと思いつつ、その白い肌に唇を這わせる。
「まぁ、良い経験じゃないかな? 知らない事を知るのも楽しいってきっと」
そう言いながら、リズに覆い被さる。他者の温もりが肌に心地良い。春と言っても名ばかりで、まだまだ空気は冷たい。その空気を暖めながら夜は更けていく。