第338話 歯磨き出来るかな?
「帰ったか。リズから聞く限りは大変だったようだな」
アストがリビングのテーブル席に腰かけて、話しかけてくる。
「一泊でしたが。現場はかなり酷いです。もう、冒険者程度では手が出ません。私達もかなり注意して行動していましたが、肝は冷えました」
「そうか……リズを無事帰してくれて感謝する。ありがとう」
そう言うと、アストが深々と頭を下げる。それを途中で止めて何とか頭を上げてもらう。
「いえ。危険に晒したのは私の判断故です。そもそも様子見の必要は有りませんでした。ノーウェ子爵様がお戻りになるまでに一度現状を確認しようなどと言う甘い考えでした。それで妻の身を危険に晒したのです。叱責頂かないと困ります」
「もう、嫁にやったつもりなので、付いて行くのは決まった話だ。アキヒロの判断で決めた事に従うのも仲間として、妻としての役目だからな。ただ、一人の親としては無事家に連れ帰ってくれた事に感謝したい」
そう言うと、アストが苦笑を浮かべる。もう、ここからは堂々巡りだろう。
「はい。そこは喜ばしい事ですし、誇ります。妻を無事連れ帰れたのですから。後は、新しい家族も増えました」
「聞いた。雌の狼か。名前は……ヒメ……だったか?」
「はい。ご負担をおかけするかも知れませんが、今後ともよろしくお願い致します」
そう言うと、アストの苦笑が深くなる。
「水臭い話だ。どうせ動物を飼うなら番になるだろうとは考えていた。それが早いか遅いかだけだ。それこそ気にする話では無い」
アストと今後のヒメの対応なども含めて話をしていると、テーブルに食事が並べられていく。リズも若干憔悴していた色が無くなり元気が戻っている。夜番はかなりきつい。そう言う意味では本当にお疲れ様だ。
「リズは体調戻った? 結構無理してもらったけど」
「直接現場に立った訳じゃ無いし大丈夫。ただやっぱり臭いは感じちゃうから。それがどうしても移っちゃった感じかな。寝てなかったのも辛かったし。だから、平気」
そう言うと、微笑みを返してくれる。何と言うか、1日程度の話なのだが、本当に人間の死臭は厄介だ。まぁ、さっさとお風呂に入って忘れよう。
食事がテーブルに並び、アストの声で夕ご飯が始まる。ティーシアも今日のリズの睡眠に関しては何も言わない。疲れていたのは分かっているので、体調が戻ればOKなのだろう。明日は重装の調整に入る旨を告げる。反対は無く、リズも手伝いが無いのでほっとしている。
食事を終え、風呂の準備を進める。アストに一番風呂を入ってもらっている間に、ティーシアにタロとヒメの夕ご飯をもらう。イノシシが狩れたのかイノシシ肉に新鮮なモツ、それに鳥の頭の水煮も有る。
「水煮、作られるの薪代かかるでしょう。少し増やしますか、お渡ししている金額の方」
「気にしなくて良いわ。体を清める分の薪代も大分浮いているの。それに料理の薪をそのまま流用しているから。収支では圧倒的に安くなっているし。少しでも手伝わせて欲しいわね」
ティーシアがにっこり笑いながら言う。
「助かります。育ちざかりなので。それに骨を作るには欠かせない物なので。本当にありがとうございます」
「良いのよ。さぁ、あげてきて」
そう言われて、皿を持って部屋に戻る。部屋ではリズが箱の中の二匹と一緒に触れあっていた。ヒメもリズに慣れたのか触れられても、強張ったりはしない。自然に撫でられて、嬉しそうに体を預けている。
「あ、ヒロ。お風呂の用意、お疲れ様」
「そう手間でも無いしね。ヒメの様子はどう?」
「うん。初めの頃の警戒感は無くなったかな。敵では無いって思ってくれているから。撫でさせてくれる。可愛い」
リズがにこにことわしゃわしゃと強めに背中の毛を弄っているが、ヒメも気持ち良さそうにしている。タロが拗ねるかと言うとそうでも無く、丸まって様子を見ている。次、自分かな?ワクワクと言う顔だ。
皿に食事を移し、二匹の前に用意する。ヒメはちょっとうずうずしているが、タロはもう泰然自若に待て状態だ。待てから、良しで二匹が争うように食べ始める。
『ふぉぉ、しゃくしゃく!!こりこり!!いのしし、うまー』
タロ的には豪華ラインナップだ。鳥頭水煮は大好物だし、イノシシのモツも大好きでもう、しっぽが凄い事になっている。
ヒメは初めての鳥頭水煮に警戒しフンフンと匂いを嗅いで、モツにフンフンと匂いを嗅ぐ感じだ。水煮を噛んで、おぉぉぉみたいな驚きと感動が思考として流れ込んでくる。やはりしゃくしゃくした食感は気持ち良いのか。イノシシのモツも匂い的にイノシシと分かったのか安心して食べ始めたが全然違う食感に完全に魅了されている。油の甘みも有ってヒメ的にはモツが好きっぽい。ドルみたいだなと苦笑が浮かぶ。
『ぱぱ、しゃくしゃくしたの、こりこりしたの、すき』
『うん。いっぱいお食べ。早く大きくなったら良いよ。今だと痩せすぎだから』
『いっぱいたべられて、うれしい』
野生の狼なんて、一回獲物が捕れても次にいつ食べられるか分からない。そう言う体の構造になっているのであまり大量に食事をあげられない。なので、毎日毎食少しずつで調整だ。飢餓感はかなり減るので精神的には安定しやすい。
さっさと食べ終えたタロがヒメの食事をちょっと羨ましそうに見ているが、前に鼻を突かれたのを覚えているのか近付いたりはしない。ヒメの分はヒメの分と理解したのか、大人しく水を飲んで丸くなる。
ヒメも匂いで悪い物では無いと判断し、積極的に食べていく。もう、初めて食べる物のオンパレードで驚きと美味しさでびっくりと喜びに満ち満ちている。
『おいしい、ぱぱ、おいしい』
食べながらも、ちらちらとこちらを確認しながら、感謝の思考が送られてくる。母狼も獲物を捕るのに相当苦労していたのだろう。それが目の前で皿の上に色々豪華盛りだ。もう、どうして良いのか分からない、でも食べちゃう状態なのだろう。
ヒメも食べ終えて皿を舐めた後に、水を生んであげる。満足するまで飲んだ後は、歯磨きの時間かな。その時に丁度ティーシアがお湯の追加を依頼しに来たので、先にそっちを終わらせる。
『タロ、歯磨きしようか』
『はみがき!!』
箱から抱きかかえて出すと自分で胡坐の上に背中から乗って、口を大きく開ける。そこに野生の姿は無い。
ヒメは不安がらないように、リズが構いながら、タロの様子を見る事になる。
濡らした布で、各牙を順に磨いていく。歯間ブラシ変わりに布を牙の間を通したりして、汚れを落としていく。歯垢と言われる程固まったものは無いので、綺麗に落ちていく。でも、最近歯磨きも咥え紐も少な目だったので、ちょっと汚れていた。チェックをまめにしないといけない。タロはタロで歯を触られる快感であふあふしている。涎を流しながら、もっと、もっとと思考を送ってくるが一式終わったので、終わり。抱き上げて箱に戻す。ちょっと残念そうな顔をして、箱の中で伏せる。
次はヒメと言う事で新しい布を用意して、濡らす。ヒメを抱き上げて、胡坐に背中から寝転がらせる。まだちょっと緊張するのか硬直している。わしゃわしゃしている時はお腹は出してくれるのだが、まだまだ怖いのかな。
『歯を綺麗にするから、口を開けて』
『いたい?』
『痛くはしない』
そう返すとおずおずと口を開ける。ちょっとだけ開き直してから、牙の一本一本を丁寧に磨いていく。んー。今まで磨いていなかったから結構歯垢は溜まっているかな。でも歯石になる程では無いので磨いていると綺麗に取れる。歯茎の方まで含めて丁寧に綺麗にしていく。ヒメも牙を触られるのは快感なのか、始まると目を細めて、しっぽを振っている。何と言うか、むずむず痒い所を掻かれている、そんな思考が流れ込んでくる。と言う訳で、奥の方も含めて歯磨き完了と言う事で解放する。
『ぱぱ、もっと』
『もう終わり、全部綺麗になったよ』
『うー』
箱の中に戻すと食欲と快楽が満たされたので、双方共に大らかな気持ちになっているのか、お互いがお互いにグルーミングし合っている。うん。仲が良い。
丁度、ティーシアから声をかけられて、次はリズの番だ。
「どうする、先にタロとヒメ洗っちゃおうか」
「そうだね。もう寝かしつけるのも良いかも。洗っちゃおう」
『温いのだよ』
そう『馴致』で伝えると、二匹共立ち上がりそわそわしながらしっぽをぶんぶん振る。さて、ちょっと忙しそうな気配もするな。タロだけなら手はかからないけど、ヒメもなので、どうしようかな。そう考えながら両手に担いでキッチンに向かう。