第325話 水揚げマグロなのか、トドなのか
落ち着いたヒメが欠伸をして、眠りに着いたのを見て、キッチンに戻る。
「濾して、再度温め直している最中よ。どの程度鴨の出汁を足すの?」
ティアナの問いに鹿の出汁の味見をする。雑味が無く澄んだ味わいの鹿出汁だ。鴨の方はしゃぶしゃぶ鍋が終わっているので結構雑味が強い。んー。鴨の出汁を延ばす方向で足しちゃおう。香りは過熱で飛んだが、うまみは強くなっている。濃縮液の感覚で延ばしてしまおう。
味を見ながら、鴨出汁に追加を注いでいく。鶏の出汁に獣の出汁が加わる。徹底的にタワシで骨は洗ってもらったし、荒く炊いたので、髄の血液も固まったか、流れている。生臭さはほぼ感じず、甘みだけが濃厚に感じられる。
ここでまた、鴨肉の出汁が足されるので、結構延ばしても大丈夫か。明日も鍋で3連続だけど、皆好きなので、問題無いかな。
味を決めて、鍋を沸騰直前まで温める。鍋に煮え難い根菜類を投入し、火が通った段階で脇に寄せ鴨をちゃぽちゃぽと投入していく、ここからは弱火で硬くならないように気を付ける。灰汁を掬いつつ、葉野菜とネギを投入し、蓋を閉じて鍋の中の音を聞く。ごっぽごっぽと大きな動きが徐々に静かになっていく。蒸らされた野菜がスープに沈んでいくのを想像しながら、暫し待つ。
「そろそろ出来上がるから、男性陣を呼んで来て」
そう声をかけると、フィアが飛び出していく。
そろそろかと蓋を開けると、良い感じで野菜もしんなりしている。匙で突いてみるが鴨も弾力を返してくる。これでパサついていなければ良いのだが。焼いた感じでは大丈夫そうだったが。
テーブルに並べていると、男性陣が入ってくる。
「他の冒険者は帰ってきた? 夜も結構更けた。野営は厳しいと思う」
聞いてみたが、どうも人の気配は無いし、戻っても来ていない。ロットが『警戒』で確認したので、人はいないのだろう。嫌な予感が胸に生まれる。赤の他人だが、地場で冒険者をやっているパーティーの筈だ。村に影響が出るのは望ましく無い。様子を見に行きたいが、今日の状況を見る限り二次遭難が確定な気がする。諦めて報告だけするか。私達が無事に帰る事が出来るのか。それすら現状だと未知数だ。
そんな暗い話は表情で隠して、鴨鍋をテーブルにどんと置く。3月に入ったと言っても日が落ちれば気温は急激に下がる。鍋からは大量の蒸気が上がって見るからに美味しそうだ。蒸気に乗って香りが立ち上り、部屋中を埋め尽くす。誰かのお腹がグゥと音を鳴らすが、気にしていられない。
「さて、ダイアウルフ狩りと言う訳では無いし、現状調査と言う名目で森に入ったから、予定は達成と言う事で。皆が無事ここまで帰って来られて本当に良かった。明日も油断しないよう頑張ろう。では、食べましょう」
そう言って、鴨ゾーンと野菜ゾーンの境目辺りを攻めて、両方を皿に盛る。ぱらりと軽く塩を振って、鴨肉を口に入れる。まず来るのは鴨の暴力的に濃い香りと鹿の柔らかな独特の香り。噛んだ瞬間舌に鴨からの脂が広がり、出汁そのものの甘さと相乗し、これでもかと甘さを引き立てる。肉をみちりと噛みちぎると、厚めに削いだ肉からはスープと肉汁が混じった物が溢れ出る。噛む度に、鴨出汁、鹿出汁、鴨の脂、鴨の肉汁が変幻自在に口の中を暴れまわる。勿体無い思いを感じて野菜を口に入れるが、これも出汁を十分に吸い取りながらも野菜本来のうまみを染み出して来て、うまい。米が……米が欲しい……。
日本にいる時に猟の期間が終わる直前の鴨を食べた事が有るが、ぱっさぱさで全然美味しく無かった。脂もほぼ感じない。何と言うか、不毛な味だった。これは違う。この世界に感謝だ。
その表情を見たのか、皆がいてもいられなくなったかのように鍋に群がる。
「うわ……。同じ鴨だよね? 前の鍋より複雑。美味しい。あー。パン持って来て良かった!!」
フィアが珍しくしみじみと呟きながら、黒パンと一緒に食べている。確かに、この出汁の甘さとパンの酸味はマッチしそうだ。後で試そう。
今回は携帯食をちょっと減らしてパン等嵩張る物も持って来ている。1泊予定だし荷車2台なので、積載が余るからだ。
「元はお昼の出汁よね? 雑味が増えて粗い味になるかと思ったけど、そうでもないわね。肉が一貫しているからかしら。上品とは言えないけど、下品でも無いわ。うん、何と言うか、幾らでも食べられる味ね」
ティアナが眉根に皺を寄せながら、味を確かめていたが、徐々に皺は消えて、ぱくつき始めた。
チャットは疲労で食べられないかなとも心配したが、休憩したら元気になって、一生懸命頬張っている。
ロットはもう、野菜に夢中だ。野菜7肉3くらいで掬っていっている。本当にぶれない。
ドルとロッサは相変わらずだ。熱々感が微笑ましくて少しにやける。
「はい、リズ。お肉もっと食べたら?」
リズの皿に肉を投入する。
「ありがとう。ヒロも食べてる?」
「主食が欲しいかな。パン先に用意しておけば良かった」
「私も食べたいから取ってくるよ。他に欲しい人ー」
そう言うとフィア以外から全員手が上がる。フィアはこっそり一人でもそもそパンを頬張っている。リズが苦笑しながらパンが入っている袋ごと持ってくる。
「スープに浸して食べるパンも贅沢で御座るな。いやぁ……。この食事が続くと腹が出そうで怖いで御座るな」
リナが何かを踏み抜いたのか、女性陣の顔が強張る。しかし、一瞬後には普通にお玉の争奪戦に戻るので何かの折り合いはついたらしい。
散々鍋とパンを食べて、また陸に上がったトドの群れみたいになっている。反省と言う文字は無いらしい。まぁ、良いけど。寝るだけだから。夜番の件は相談済みだ。フィア、ティアナ、リズの順番らしい。
私はトドの群れを抜けて、ヒメの様子を見に行く。眠っていたが、人の接近を感じたか目を覚まし、私と理解して警戒を解く。
『お腹は大丈夫?』
『いたくない、すいていない』
布の様子を見るが、便も出ていない。体がコントロール出来るところまでは回復したかな?水をさらに生むと飲み始める。脱水の状況も脱して来たか。首元に指を指し込むが、体温も正常だ。酷い状況は脱したように見える。
夜はどうしようかな。一緒に寝ると寝返りで潰しちゃいそうだな……。男部屋の枕元に移動させて様子を見ておくか。
『一緒に寝る?』
『うん』
ヒメがウォフみたいな短い鳴き声で同意を表す。胡坐の中にすぽっとはめると安心したように目を細める。指先でわしゃわしゃと撫でるが、タロ程敏感に反応しない。我慢するかのようにぴくぴくと反応する。しっぽの方はばたばたと動こうとしている。そっと抱きしめて、体温を感じ合う。
『におい、ついている』
ヒメが盛んに体を擦り付けてくる。タロの匂いが気になるのかな?擦り付けた場所をクンクンと嗅ぎ、安心した顔で体重をかけて、もたれ掛かってくる。あぁ、少しは懐いてくれたかな?その事に喜びながら、トドの群れの復活を待つ。