第322話 鹿しゃぶも美味しいです、血合いも匂いも気になりません
男部屋と言う事で、狼の世話に当てさせてもらった。
もう一軒の方では鴨の出汁を作っている最中だった。捌く作業はもう終わっているようだ。大量のガラが大きな鍋で炊かれている。灰汁は丁寧にティアナが取り除いている。
「お疲れ様。順調そう?」
「前の時と同じよね? 灰汁は取り除いているわ。香りは上がってきているけど、まだかしら?」
ティアナが言うので、匙と小皿を作り、味見をする。出汁は出ているが、この量に対しては弱いか……。流石に時間が短すぎる。
「もう少しだけ手入れしてもらっても良い?」
「分かったわ」
ティアナが頷く。
その横で火を少し貰って、フライパンを温める。鴨肉を薄く削いで脂を引いて、じゅわっと焼く。さっと焙る程度で裏返し、同じく色付くのを待つ。さっと軽く塩を振り、味見をしてみる。
口に入れた瞬間、鴨独特の匂いとも臭いともつかない香りがぷんっと抜け、甘い肉と脂の味が舌に乗る。噛むとほのかな血の香りと共に熱せられた肉汁の味が広がる。あれ?美味しい。ぱさぱさじゃない……。ここでパニアシモの言葉を思い出す。んー。プロパティを弄っているのか?脂肪は野生動物が生きるには重要な要素だ。そう言う意味では可能性は高いか。ただ、個人的には時期が若干外れても美味しい鴨が食べられるなら、ありがたい。
出汁にしちゃうかと思ったが、これなら鍋の具材でも良いかな。気温も低い。体が温まる物を食べたい。
鹿は解体したのを見たが、結構な大きさだ。これはどうしよう。枝肉は持って帰って宿で食べて貰っても良い気もする。食べられるだけ食べるか。腹の肉を薄目に削ぎ切りにしてもらうようにお願いする。
フライパンを洗い、再度男部屋に戻り、狼の様子を見に行く。部屋の扉を開けると案の定、便の匂いがする。毛布を開けると床に下痢が流れている。やっぱり内臓が冷えて弱っていたか。
布で綺麗に清める。借り物の部屋なので、汚したままに出来ない。床はニスみたいな物が塗ってあるので染み込んではいない。
『まま?』
横でごちゃごちゃやっていたので薄く目を覚ます。ウォンみたいな鳴き声で警戒する。少しだけ元気な声だ。立ち上がろうとするが、よろける。
抱きとめて、そのまま抱きしめる。
『怖くない。怖くない』
思考を送りながら、背中を撫でる。強張っていた体が徐々に柔らかくなっていく。体温は大分戻ってきている。ただ、消化不良が有るので、予断は許さない。
『寒い?』
『さむい』
毛布だけでも駄目か。汚れたし、もう一度お湯に浸けて体温を戻して、下痢で出た分を食べさせるか。少しずつでも吸収消化してくれるならば良い。経口補水液や栄養飲料水でも有れば良いが贅沢は言えない。
タライにお湯を生む。ほかほかと湯気を上げるタライを見て、快の感情を感じる。温かいお湯に浸かるのが気持ち良いと理解したのだろう。
足を浸けると自分から伏せる。ちゃぽんと浸かり、体を温める。
『私は、ぱぱと呼んで』
『ぱぱ?』
『そう、ぱぱ』
タロと同じ呼ばれ方だと紛らわしい。ヒメがぱぱ、ぱぱと、タライの中で練習している。その間に再度ミンチを作る。体格から考えれば鳥1羽は決して大きな物では無い。タロならぺろりだ。内臓の機能低下が大きいんだろう。温めて、食べて、どうかかな。
先程は疲労も有ってうとうととしてしまったが、今回は眠気も覚めてゆっくり温もりを楽しんでいる。
『ヒメ、温かい?』
『ひめ?ぬくい』
『今日から、ヒメって呼ぶね。ヒメ。ご飯食べる?』
少し思考時間が有った。先程食べたのを反芻しているかのようだった。
『ひめ……たべる』
下痢で出した分、お腹も空いちゃっているのかな。少し量を調節して少な目に食べさせよう。便が固まったら、普通量に戻そう。病み上がりに気が利かなかったかとも思うが、野生動物だ。量を食べられる時に量を食べる。
まな板で叩きながら、量を調整する。固形を感じないくらいまで叩いた辺りで、ヒメの顔の毛の奥を確認する。体温は上がっている。そろそろ良いかな。ヒメをタライから抱き上げて、新しい布で全身を拭う。目を瞑ってもらいブローする。野生動物としては目を瞑るのは怖いんだろうけど、ここは我慢してもらう。
ほかほかになった状態で再度、食事を皿に移す。今度は匂いを嗅いでガツガツと食べる。皿まで舐めたところで水を生むと美味しそうに飲む。脱水も出ている筈だから、水分補給もこまめにしないといけないか。
『おいしい』
食べ終わって、食休みなのか、伏せて前脚に顎を乗せる。こう言うところはタロそっくりだ。やっぱり狼なんだな。頭を撫でると気持ち良さそうに目を細めてくれる。少しだけ気を許してくれたのかな。
そろそろ出汁も出た頃かな?昼も結構過ぎている。そろそろ食事にしないと調査時間が削られる。立ち上がり、部屋から出ようとする。
『ぱぱ、いくの?』
『皆の食事を用意して来るよ』
『みな……わかった』
立ち上がろうとしたヒメが納得したのか、再度伏せの状態に戻る。群れの餌やりと思ったのかな?念の為石タライに布を敷いて、その中に丸まってもらい、毛布をかける。なるべく簡易宿泊所は綺麗に使わないと怒られそうだ。
何か有ったら、鳴くように伝えて、もう一軒に移動する。
「あぁ、丁度良かったわ。そろそろ骨もぐずぐずになってきたわよ」
重い蓋で圧力をかけていたら、そろそろかな?お玉を借りて、骨を押してみるが、脆く崩れる。減った分、少しお湯を足して、再度煮出し、布で濾す。部屋中に香りが広がり、どこかでグゥと言うお腹の音が聞こえる。
流石に昼も結構過ぎている。さっさと食べて調査に入りたい。葉野菜やネギ等は刻んでくれている。石で皿を生み、それぞれを盛り付ける。鹿肉も結構、量が有るけど皆で食べればすぐになくなりそうかな。
大きめの七輪を生み出し、薪を移す。土魔術上がった途端、精度とサイズが一気に変化した。七輪もかなり想像に近い。テーブルを移動して、七輪を皆で囲む。
「リーダー、何も入っていないよ? 何食べるの?」
フィアが不思議そうに言う。
「故郷の料理でしゃぶしゃぶって言うんだけど。こうやって肉を掬って」
薄目の削ぎ切りをお願いしていたら、結構薄く切ってくれた。ドルが手入れしている包丁の性能も有るか。
「このスープで色が変わるまで泳がせる」
赤色が強かった肉が灰色になった段階で、匙で掬う。
「最後にぱらりと塩をかけて、食べる」
鴨出汁の芳醇な香りが口に広がり、鼻に抜ける。噛んだ瞬間鹿の甘さとうまみが出てくる。鴨の油が強いので淡白で血合いの香りの強い鹿が程良くコーティングされて、甘みと滋味の部分だけが強く出る。塩気が甘みを引き立たせただただ美味しい。噛んでも柔らかでほろりと解ける。鴨も鹿も兎に角甘い……。
「美味しい……」
そう呟いた瞬間、フィアが肉を掬い、鍋に投入する。早い、早いよ、フィア。びっくりしたよ。
さっと掬い上げて、塩をかけてはむっと頬張る。
「甘い!!鴨だけでも美味しいのに、鹿も美味しい。柔らかい……。お肉好き……」
フィアが陶然とした顔になる。他の皆も、負けじと肉を投入し始める。いやぁ、出汁が、出汁が冷えるわぁ……。薪を調整し、ちょっと増やして火魔術で一気に火力を上げる。
「複雑……なのに鴨だし、鹿なのね。喧嘩しそうだけど、鹿の美味しさはそのまま出ているし……。この食べ方美味しいわね。面白いわ」
ティアナが顔を綻ばして言う。
チャットはもう、黙って肉を投入して上げて食べる機械みたいになっている。
ロットも珍しく、肉なのに量を食べる。鹿は好きなのかな?前焼いた時も美味しそうに食べていたし。
「某鹿は好かんで御座ったが、これは食べられるで御座る。あの薬臭いと言うか、血の香りが強いのが好かんで御座った。この厚みと口に入れて噛み、肉汁が出て解ける感覚が何とも快いで御座るな」
リナもにこにこしている。
ドルとロッサはお互いに肉を温め合って、食べ合いっこをしている。何あの幸せそうな顔。後でドル用にレバーのソテーでも作ろうかと考えていたがちょっと考えが改まりそうだ。
リズも目を白黒させながら、しゃぶしゃぶを口に運ぶ。その速度が美味しいと言う感情の表れだろう。
個人的には昆布出汁でさっぱりしゃぶしゃぶして、醤油たれで食べたいが……。やはり、味噌、醤油の開発は急務か。でも、この世界の人間だと鴨出汁の方が匂い、香りに違和感が無くて食べやすいのかな?
などと考えている内に、山と盛った肉が無くなる。早いよ。どんだけ欠食児童なんだよ。と言う訳で、野菜を投入して蓋をする。ロットの目が輝く。この野菜スキーめ。イケメンの体は高たんぱくと野菜で出来ているんだろうな……。
並行して、レバーを切り分けて小麦粉を塗してソテーする。こっちはドルが目を輝かせる。分かり易い。
残りの内臓関係はどうしようかな。気温的には持って帰る事は出来る。腸とかは石鹸の材料かな。んー。枝脚だけで良いか。ヒメにあげて残りは処分かな。
そうこう考えている間に、レバーが焼きあがったので、皿に盛る。ドルが早速フォークで突き刺して、堪能している。新鮮な鹿のレバーは本当に甘くて美味い。
蓋を開けると、野菜類のお出ましだ。
小鉢に掬って食べてみるが、濃厚な鴨出汁に鹿の肉から出たうまみが合わさり複雑な味わいを醸し出したスープをこれでもかと野菜が吸い込み、美味しい。
あまり野菜を食べないフィアもガツガツ食べている。ロットは言うまでもない。
最近ノーウェの領主館生活が長かったから、料理が出来なかったけど、やっぱり作るのは楽しいな。
そう思いながら、これから調査だと言うのに、お腹パンパンで動けない面々を見て、どうしようかなとも思った。