第314話 当たり前のコストって本当に高価で大切です
「さて、こっちもそろそろ出発するよ。お嬢、準備は大丈夫?」
ノーウェが見送りを終えて、馬車に向かう。
「内約が有るから、予定通りある程度伯爵には話すよ? 今後北部、中央、南部で国を発展させる際にどうしても、テラクスタ伯爵にはこっちについてもらわないといけない。その辺りは了承して欲しいかな」
「今後に関して、人間関係等はさっぱりです。そこはノーウェ様にお任せします」
「分かったよ。あぁ、石鹸の件。説明書き、ありがとう。研究者に試験をさせている。問題無ければ各村で製造開始かな。行って帰ってで10日程は予定している。書いている限りだとまだ出来上がらない感じかな?」
「乾燥期間が短いですね。もう5日も乾燥させれば完成かと思います」
「それはそれで楽しみだ。じゃあ、何か有れば屋敷か町の領主館に知らせて欲しい」
「あ、一点だけお願いが有ります。ロスティー様の方が詳しいかも知れませんが、作物を一つ探しています」
ノーウェが不思議そうに首を傾げる。
「作物? 君が? 珍しいね」
「根の部分に実がなる芋です。葉に毒が有って、実も緑色に変色して毒を持つ物なのですが」
「んー。あぁ、父上が実験的に増やしているよ。食べられる時も有る芋だよね? 増やすのは比較的簡単だけど、どうするの?」
「領地で栽培を考えています。出来ればそこそこの数を分けて頂ければと考えています」
「分かった。伝えておくよ。『リザティア』に送れば良いかな?」
「はい。お願いします」
ノーウェが微笑むと、移動の準備の確認に戻る。
入れ替わりにベティアスタがこちらに向かってくる。
「偶然とは言え世話になった。感謝を」
「いえ、楽しかったです。リズにも良くして頂いてありがとうございます。」
「なんの。私も楽しい経験が出来た。領地では風呂は流行させるぞ」
フンスと鼻息荒く言うベティアスタを見ていると、何だか、元気を分けて貰えているような気になる。この人、本当にポジティブで自分の好きな事を曲げない。偉いと思う。
そんな話をしていると、馬車の準備が出来たようだ。
「じゃあ、次はうちの町か『リザティア』かな。息災に。くれぐれも無理はしないようにね」
ノーウェが馬車から顔を出して、手を振る。ベティアスタも横から手を振ってくる。それに合わせて、こちらも手を振る。
緩やかに速度を上げて、馬車がノーウェの町の方向に出て行く。
それを見送り、見えなくなったところでほっと息を吐く。色々忙しかったし、大変だった。それでも得る物は有った日々だった。どうか無事にまた出会える事を祈る。
見送りも終わったので、ネスの所に向かう。
「こんにちは」
「……。それだけか?」
「はい。後は、少しお久しぶりです」
「……。まぁ、良い。何か調子が狂うが。牛鍬の方はどうだ? 設計の通りに作ったが」
「まだ、試験までは行っていないですね。村長に牛を借りて耕してみないと何とも言えません。ただ、見ている限りは出来が良さそうだと思いました」
「まぁ、実用器具だからな。試さんと悪い点も分からん。後は頼まれてた小物か。取り敢えず、これは仕上げた。鋳造もいける。しかし、何なんだこれ? 玩具と言っていたが」
そう言いながらネスが鉄片を幾つか出してくる。おぉ、出来たか。バランスを見て見るが狂いはすぐに感じない。流石鍛冶師。良い仕事をしている。
「これ、何なんだ? 水流調整用のコマにも見えるが」
「お、鋭いです。コマです。ベーゴマと言います。紐有りますか?細くて長めのが良いです。それに大きめの布と小さな樽を貸して下さい」
ネスがタコ糸より荒い太めの紐を数本と布と30cm程度の樽を用意してくれる。樽に布を張って紐で固定する。
「何か濾すのかよ?」
「いえいえ」
ベーゴマを男巻きにして、手首のスナップを効かせて樽の上の布に落とす。回転は悪く無い、ぶれもしていない。鋳造の時の金属が偏っていないのと加工精度が高いからか。流石ネス。
「ほぉ、回して遊ぶのか……」
同じく、もう1個も男巻きにして、布の上に落とす。それぞれが重みで中央に移動し、カッカッと言う音を鳴らしながら、弾き合う。
「こんな感じで、喧嘩させて遊ぶ物ですね。回転が止まるか、弾き出されたら負けです」
「ちょっと、面白そうじゃねえか。巻き方教えてくれ。ここに2個、玉を作るんだな。それを固定にして、巻いて行って……。で投げる時にどうする? 引くのか?」
「はい。投げてコマが目標の上空辺りに来たら、思いっきり引いて下さい」
ネスが何度か巻いて投げるが、縦回転になるか、どこかに飛んで行って回る。
「腕に力を入れすぎです。手首、ここだけの力で回りますよ」
ネスの手首に手を添えて、一緒に回してみる。
「おぉ、回った。これか!! 面白いなこれ。どれ、勝負すっか」
「良いですね。じゃぁ、せーので回しましょう」
両者でせーので回し始める。布の上でカチッカチッ当たり合いながら、くるくると周回する。だが、ネスの方が引くのに躊躇いが有る分すぐにへたり、ころりと転がる。
「うぉぉぉ……。負けるかよ。見た感じは競っているように見えるんだが」
「引くのに躊躇いが有るので、回転が弱いです。こんな感じで勝った方が負けたのを貰うみたいな遊びを考えています」
「お前、それ、えげつないな。でも、売れるな……。子供とか喜ぶぞ? と言うか、賭けの対象にもなりそうだな」
「故郷ではそんな遊びも有りましたね。まぁ、賭博行為は許可制にしますので、全面禁止にしますけど。どうです? 手応え有りそうですか?」
そう言うとネスの目が輝く。
「精度は求められるが、製造コストはそこまで高くねぇ。設計だと上に文字を浮き彫りにしろとか書いてあったが、蒐集させるのが目的か?」
「そうですね。蒐集もそうですし、自分のコマと分かるのも目的です。細かい商売ですが、当たると大きいですよ?」
「これは……。独占販売権で良いな。特許は出しておく。数作んぞ。どうせあれだろ? 子供相手に大量に売り捌くんだろ?」
「人聞きの悪い。遊戯を提供すると言って下さい。まぁ、親が子供に言う事を聞かせる時に、お小遣い代わりに渡すくらいが丁度良い気もします。値段もその辺りでしょう?」
「農家でも、10日も働けばこの程度やっても良いくらいの労働量にはなるだろ。大人もやるぞ、これ。分かった。型は用意しておく」
「はい。バランスを変えて重いの、軽いの、大き目の等を作るのも楽しいですね。それぞれ得手不得手も有るでしょうし。回しやすいコマを探すのも楽しいですから」
「分かりゃ面白いな。どこでも遊べるのが良い。よし、作るぞ。あぁ、『リザティア』の方はどうだ?」
「もう少しですね。領主館はほぼ出来ている筈です。町側も大丈夫ですね。問題は歓楽街が後付けなので、時間がかかっています。そちらをどうにかしないと開始にはなりませんね」
「つーことは、移動は出来る話か?」
「鋼材の流通が弱いですよ? その辺りは鍛冶ギルドと調整して下さい。なるべくコストは抑えて欲しいですが」
「その辺りは調整する。まぁ、移動が近付いてきたと言うのは母ちゃんには伝えておく。今後もよろしくな」
「はい。こちらこそ」
「んじゃ、もうひと勝負だ。負けんぞ?」
「こちらこそです」
そうやって雑談をしながら、ベーゴマ遊びに夢中になる。客が来た時点でお開きとなり、辞去する。
後は、宿かな。皆とは明日話をするとして、主人と話をしないと駄目だ。青空亭に向かう。
宿に入ると、いつも通り質素だが清潔感に溢れる気持ちの良い空間が広がる。
受付の女性に話をすると、すぐに主人が顔を出して、目礼をしてくる。
「お久しぶりです。町に出られていたとお聞きしました」
主人がにこやかに口を開く。
「散々でしたよ。で、『リザティア』の方も大分出来上がってきました。回答をお伺いしたく思い参上しました」
「態々ご丁寧に。色々考えましたが、1点、納得して頂きたい事が有ります」
主人が真剣な面持ちで呟く。
「1点ですか?」
「はい。宿屋ですが、見て頂いたら分かりますが、日々の清掃や細やかな補修、シーツの取り換えなど、多くの仕事が当たり前にこなされるのが基本となります。これにはルールが有り、膨大な教育と人的コストがかかります。外から見ている場合は特殊な事例に目が行きがちですが本当はこう言う地味な作業が私共の基本となります。そこにコストをかける事を許容頂けるのか。そこが一番の問題だと考えます」
それを聞いた瞬間、この人は誠実だし、プロフェッショナルだと改めて理解した。サプライズなんて言うが、そんなものその場限りのサービスだ。ちょっと調べておけばなんとでもなる。この人は日々の保守運用の品質を極限まで高めて、宿泊施設の環境向上を土台に全てのサービスを組み立てている。逆では無い。土台が有るからサプライズが生まれる。あぁ、この世界にこんな考え方が出来る人間がいるなんて……。本当に有り難い……。
「大いに結構です。どんどんとやって下さい。コストは見合いで付けて行きましょう。基本サービスの向上は望むところです。再度ご利用頂けるお客様を極限まで増やしましょう。そのような考え方の方と一緒にお仕事が出来るのは幸いです」
当たり前と言うのは本当にコストがかかる。それをこの主人はきちんとコストとして見た上で実施しろと言っているのだ。本当に稀有な思考だ。何としても欲しい。この人なら、任せられる。
主人が瞑目し、何かを決心したのか小さく頷く。
「申し遅れました。私の名はテディニスタです。親しい物はテディと呼びます。お客様をお相手に私の名前を出すのは烏滸がましいですが、今後は一緒にお仕事をしていかれる方です。どうぞ、テディとお呼び下さい」
「では?」
「はい。引継ぎは始めております。この話が流れても損にはなりませんので。10日から20日程度で片付きます。どうか貴方の夢の世界で共に働く事をお許し下さい」
へなへなと腰から力が抜けるのが分かった。プロが望んでくれるんだ。こんなに嬉しい事は無い。良かった。温泉宿のマネジメントは任せられる。
膝を付きながら、笑みが零れる。
「テディさん。楽は出来ません。ただ、貴方が思う以上の楽しい世界、お客様の笑顔はお見せします。約束します。どうかお力を貸して下さい」
「はい。微力ながら、全力でお手伝い致します。今後ともよろしくお願い致します」
そう言うと、テディは優雅に腰から深々と頭を下げた。
へなへなと崩れた私と威風堂々と一礼するテディ。どっちが主人かは周りから見たら分からないだろうなと思いながら、力強く握手を両手で交わす。
さぁ、温泉宿もやっと正式稼働の目途が付きそうだ……。『リザティア』がやっと始まる。