第309話 母親としては心配しなくて良くても心配します
そろそろ夕暮れの光も残り僅かの中、家の扉を叩くと、アストが細く顔を出す。
「おぉ……。良く帰ったな。しかし、予定より大分遅くなったな。話は聞いていたが心配はした」
微笑みを浮かべながら、扉を開けてくれる。
「ただいま戻りました」
「ただいま、お父さん」
2人で帰還の挨拶をする。リズを抱きしめ、私を抱きしめてくれる。
「すまんが、予定が分かっていなかったので、食事の用意が無い。ティーシアに相談するが……」
「リズ、リナが報告していると思うけど、宿には顔を出そうか? そこで食べちゃう?」
「うん。良いと思うよ。お父さん、外で食べるよ。大丈夫」
「そうか。まぁ、入れ。寒かっただろう」
晴れているとは言え、日が落ちると急速に冷え込んで来た。扉を潜ると炊事の香りと暖かな空気に包まれる。
キッチンに向かうと、ティーシアが食事の支度をしていた。
「ただいま。お母さん」
リズが、後ろから抱き着く。鍋の様子を見ていたので大事は無い。ティーシアが顔を綻ばせる。
「おかえり、貴方達。心配したのよ? ふふ、元気そうで良かったわ。病気はしなかった?」
そう言いながら、リズの頬に口付ける。私は苦笑しながら頷きを返す。
「リズもおかえり。ふふ、少しだけ大きくなったのかしら? きちんとアキヒロさんのお世話は出来たかしら?」
「えーと……。出来たよ?」
「リーズー? 大きくなったと言うか、ちょっとふっくらしたわよね? 貴方、あちらで何をしていたの? 怠けていたわね?」
「あー、えー、頑張って……ました?」
ティーシアが額を右手で抱えて俯き首を振る。
「リズ、明日から手伝い、厳しくするわよ」
「ちょ、お母さん。酷い。頑張った、十分頑張ったよ!!」
リズが慌てて言い訳を始める。
「領主様のお館で何をしているのよ、貴方は。言ったわよね、男爵夫人になるって。領主様にはきちんとご挨拶出来たの? 使用人の方の話だと公爵様もいらしていたって話じゃない。もう、貴方が何かへまをしないか、ずっと心配していたのよ?」
「お母さん、大丈夫。へましていない。喜んでもらったから。だから、お手伝いは普通でお願いしま……」
「リズ!!貴方は本当に……」
ティーシアがリズをぎゅっと抱きしめる。
「心配するのよ。そう言うものなんだから。どんなに教えても、心配するわよ。リズ、無事に帰ってきてくれて、本当に良かった」
「お母さん……」
おずおずとリズがティーシアを抱きしめ返す。双方でぎゅっと抱きしめ合い、暫しの時が経つ。
「でも、手伝いは厳しくするわ」
「お母さん……」
リズの顔が絶望に染まった。まぁ、うん、読めてた。これはしょうがない。本人も言ってたし。リズが援護しろと言う目でこっちを見てくるが、何も言いようが無い……。はぁぁ……。
「あの、リズはよくやってくれました。ロスティー公爵閣下のお覚えめでたいですし……」
「アキヒロさん……」
「はい……」
ティーシアがちょっと怖い笑顔でこちらを向く。
「リズを大切に思って下さるのは本当に、本当に嬉しいのだけど、それはそれ。この子の教育の話なので、私に任せて欲しいのだけど」
「はい……」
怖くて何も言えなくなると、リズが口パクでひどい、ひどいと言っているのが見えたが、ごめん、ティーシアには勝てない。
「いつまで遊んでいる。仲間にも会いに行くのだろう? 食事を共にするなら、片付けてからだろう。さっさと終わらせなさい」
アストが仲介に入ってくれて、リズが解放される。リズがぴゅーっと勢い良くタロと荷物を担いで、部屋に走って行く。
「本当に……あの子は……変わらないんだから」
ティーシアが呆れたように微笑む。
「そんな彼女に救われました。また詳しくはお話ししますが、まず2点。私、法衣ですが子爵位が叙爵される事が内定しました」
「まぁ。でも実績はまだ無いわよね? 良く分からないわ……」
ティーシアの言葉にアストも頷く。
「政務官としての爵位ですので、名目だけですね。なのであまりお気になさらず。実際には男爵扱いですので」
そう言うと、2人が頷く。
「後1点。こちらはまだ正式に戸籍の変更は終わっていないですが、ロスティー公爵閣下の孫と言う扱いになります。なので、リズも名目上ですがウェンティの家に入る形になります」
それを言うと、2人とも絶句する。
「私が新しいマエカワ家を興しましたので、名前はリザティア・マエカワです。ただ、公爵閣下の孫と言う扱いともなります」
「あの子が、公爵様の孫……?と言うか、アキヒロさんが公爵様の孫?」
ティーシアがいち早く立ち直り、聞いてくる。
「はい。まぁ、色々有りまして。そう言う事になりました。ただ、今後とも変わらず、よろしくお願い致します。私の父母はお二人です」
腰から頭を下げ、言う。その肩をアストが掴む。
「事情も有るのだろう。私はあの子が幸せになってくれれば良い。それを望んで、こうなった。そうだろう?」
「はい」
「ならば気にするな。私達の事は考えなくて良い。二人の未来だけを考えろ。それで良い」
アストが私の上体を上げる。真摯な瞳が覗き込んでくる。
「分かりました。全力で幸せにします」
その真摯な瞳に応えられるように力強く告げる。
「うむ。さぁ、片付けて来い。私達は先に食事だ。ティーシア、頼む」
アストが言うと、ティーシアが料理の続きに動く。部屋に戻ろうとすると、ティーシアが皿を渡してくる。イノシシ肉が乗っている。あぁ、タロの食事か。
「ふふ。タロちゃんは先に食べさせてあげてね」
敵わんなと思いながら笑顔で会釈して、部屋に戻る。
部屋ではリズが荷物を解いていた。
「あ、ヒロ。ずるい、助けてくれなかった!!」
「あれは、無理。ちゃんとフォローはしたよ?」
「足りない。もっとちゃんと守る。あぁ……明日から憂鬱だぁ……」
リズが頭を抱える。
「さぁ、さっさと片付けて、宿に向かおう。取り敢えず食事を取らないと」
そう言いながら、タロの元に向かう。イノシシ肉の匂いを感じたのか、しっぽが振られる。
皿を移し、待て良しをすると、豪快に食べ始める。家に戻って安心したのか、元気だ。
『いのしし、うまー!!はっ!!こりこりは?こりこりは?』
『こりこり、無い』
『ざんねん……いのしし、うまー!!』
少しだけ動きが止まったが、そのまま食事に戻る。何と無くどっちでも良いんじゃね?と思ってしまった。有れば嬉しい感じなのだろうか……。まぁ、ティーシアに相談はしよう。
食べ終わったところで皿に水を生む。ティーシアに預けようかなと思ったが、食事の間だけか……。
『タロ、寝る?』
『ねむー?ねむー』
くいっと首を傾げ、そのまま箱の中の毛皮に潜り、丸くなる。くわっと欠伸をし、前脚に顎を乗せ、むふーと言う顔で、目を瞑る。
『ねるの』
『馴致』で返してくると、そのままスヤァと寝始める。タロも移動でお疲れ様だ。ゆっくり寝て欲しい。
「ヒロ、ほとんど片付いたかな。後、そっちの箱。ヒロの服だけど」
「あぁ。分かった。仕舞うだけだから、ちょっとだけ待って」
そう言いながら、片付けをバトンタッチする。リズはうとうとし始めたタロの背中を優しく撫でている。タロも優しい顔でゆっくり眠りに落ちて行っている。
服類程度なので、さっさと箪笥に仕舞っていく。政務書類はまとめているので、バインダーとまとめて机の横に置く。ノーウェの略式紋章の無制限使用許可証は……諦めてエロ本置き場に仕舞う。
「さぁ、行こうか。皆に会うのも久々な気がする」
「うん。フィア、驚くかな? 公爵様の孫って言ったら」
まぁ、隠してもしょうがないので、口止め程度で仲間には言う。そうしないと後々面倒だ。
アスト達に出て行く旨を伝えて、家を出る。さぁ、久々の青空亭だ。主人の返事も聞かないと。色々忙しいな。まぁ、この世界に来てからそんなもんか。知らず知らずの内に苦笑が零れる。
「あー、いつもの顔だ。でも、悪い顔じゃなさそうだから良しとするよ」
リズが顔を覗き込んで、頷く。お墨付きかな。左手を取り、手をつないで道を進む。夕暮れも落ち、暗闇の中、ランタンの明かりを頼りに、一路青空亭に。