第304話 湯けむり厨房編~メイドさんの場合
部屋に戻ると、リズがタロと戯れていた。咥え紐を噛んだままプラーンと揺れているタロ。歯は大丈夫かなとちょっと心配だけど、本人は楽しそうだ。大丈夫……かな?
「あ、ヒロ。おかえり。お爺様、喜んで下さった?」
「喜んでくれたかな。次、リズの番だから。どうする? タロも一緒にお願いして良い?」
「うん。あ、じゃあ、一緒に行こうか。タロを先に洗って、そのまま預けちゃうね」
そんな用意をしていると、お風呂っぽい気配に気付いたのか、タロがむくりと立ち上がり、しっぽが振られ始める。
『まま!!ぬくいの?ぬくいの!!』
箱を見ると、糞尿は済ませているので、大丈夫かな。
リズが荷物を漁り、下着を取り出す。大きめの布を何枚か持って、厨房に向かう。
タライにお湯を生むと、タロが自分で入ろうともがくが、ちょっと縁が高いので抱き上げて、中に浸ける。
『ぬくいのー』
ちょこりとお座りで浸かり、そのまま伏せ状態に移行し、顎を縁に乗せて、ぷかぷか状態に移行する。
ふにゅふにゅと体全体を揉み洗いしていると、だらしない顔になる。可愛い。目を細めて、ふにゅーとなった顔に野生は感じない。
『もみもみ……』
お腹側も綺麗にして、頭と顔も洗う。マズルのバランス的にはそろそろ狼な感じだ。このままのバランスで大きくなるのかな?
『もみ……も……み……』
欠伸をしていたなと思ったら、眠ってしまった。今日は抵抗も出来なかったらしい。
「寝ちゃった?」
様子を見ていたリズが、肩の辺りから覗き込んでくる。
「うん。ぐっすりっぽい。散歩でも歩いたし、夕ご飯はどうだった?」
「食べてた。嬉しそうに沢山。太っちゃわないかな?」
「まだまだ成長期だから、大丈夫かな。でも、きちんと運動はさせないと丸々としちゃうかも。狩りの出来ない狼って、なんだか、変だけどね」
「見る限りは可愛いかもだけど。飼い主に似るのかな? お嫁さんに愛想を尽かされないようにしないとね」
「それは酷く無い?」
「ヒロは大丈夫だよ、まだ」
「まだ、かぁ……」
スヤァと眠っているタロを引き上げて、布で水分を拭い、ブローして乾かす。フワフワの毛がもこもこになる。まだまだ幼い柔らかい毛だ。もう少し成長したら、硬い毛になるのかな。でも、冬もそろそろ終わるから、夏毛に移行するのかな。ブラッシングしたらごっそり抜けそうだな。
「じゃあ、先に部屋に戻っているね」
「うん。上がったら戻るよ」
リズに手を振り、部屋に戻る。箱の掃除は完了しており、その中に丸まった感じで収めると、タロがもぞもぞと無意識に寝相を調整する。落ち着いた所で毛皮をかけて完了だ。
なんだか、ひゃんひゃんと寝言を言っている。何の夢を見ているんだろう。タロだと食べ物かな。見渡す限りのイノシシとか。負けるな……タロだと……。
燭台を手元に寄せて、石鹸のレシピを書き起こしていく。獣脂ベースの樫材灰での石鹸だ。今後植物油と塩生植物灰での石鹸に移行する可能性が高い。そうなれば再度周回は開けられる。
しかし、世界史の授業の横道と言うのも馬鹿に出来ない。石鹸の歴史なんて教えて貰えて僥倖だった。その知識が無ければ、そもそも作り方も分からない。学校の授業というのも意味が有るものだ。
何かの度に揺ら揺らと揺れる明かりの元、レシピを書き写していく。配合バランスと気温、乾燥期間や撹拌の目安などを記載し、署名と紋章を押す。正式なレポートなので、必須だ。
肩口に残る疲労を首を振ってこきりと追い出す。暖炉の調整をしていると、湯上り美人が部屋に戻って来た。
「やっぱり広いお風呂の方が良いね。でも家に持って帰るとちょっと邪魔かな。悩むね」
「『リザティア』に行けば、領主館に浴槽は設けたからいらないしね。アストさん達が運用するには大きすぎるし、このまま置いてもらう方が良いと思うよ」
「そっかぁ。あ、侍女さんが、そのまま待っているから。対応は私がフォローするからお湯をお願い出来る?」
「分かった。一緒に行こう」
リズと一緒に厨房に向かう。現場では若い侍女の2人が少し不安そうな顔で待っている。まぁ、何が起こるか分からない状態で待っているのだ。不安にも思うか。
樽にお湯を満たす。私は衝立から離れて椅子に座り、歴史書を読んでいく。
衝立の中ではひゃーとかきゃーとか黄色い声が聞こえて、凄く気になる。私、気になります。桃色の桃源郷が……。メイドさんかぁ。秋葉原では見たけど、本物だしなぁ……。
暫く経つと、一人目が衝立から出てくる。ふらふらしながら、こちらに向かってくる。
「リズ様より、髪に関しては男爵様にお願いするよう仰せ付かりました」
「分かった。いつも使っている香油とかは有る?」
「はい、こちらです」
湯上りで頬を紅潮させながら、背中を向ける。香油を延ばし髪全体に馴染ませて、ブローする。少し経つと、そこには現代的美少女が誕生していた。髪の毛も艶々さらさらだ。
「あ、これ、凄いです……。こんな髪、初めてです……。ありがとうございます」
深々と礼をして、廊下に去っていく。冷静っぽい顔をしていたが、にまにまは隠せていなかった。
少し経つと二人目がひょこっと衝立から出てくる。同じように対応する。反応も似たようなものだ。嬉しそうに去っていく。2人でノーウェに報告なのかな?色香に負けてお手つきしてしまえば良いのに。孫見せてあげろよ、本当に。
苦笑いをしながら、衝立からリズが現れる。
「お疲れ様。大変だったでしょ」
「いや、もう慣れたけど。喜んでもらえるのは嬉しいね」
リズが仕事をやり遂げたと言う顔で爽やかに笑う。
「じゃあ、私、部屋に戻るね。ゆっくりしてね」
頬に口付けを残し、リズが厨房を後にする。樽を洗い、お湯を満たす。
ざっと洗い、お湯に浸かる。ぼへーっとしていると、今日一日の思い出が蘇ってくる。今日、ちょっと濃過ぎじゃないか?
リズのドレス姿は可愛かった。真珠も良いなあ。あれ、量産したら目玉商品になりそうだ。人魚さんにはお世話になりそうだ。
ロスティーの憔悴は分かる。私の献策のミスだが、結局それを強かに外交カードに変えるだけの老獪さも示してくれた。
それに、爺ちゃんの背中を流したのも思い出か……。
まぁ、東側の件は一旦ロスティーに任せよう。下が出て行っても上にとっては迷惑だ。ここは大人しく成るのを待とう。
さて、明日からは村での生活を再開させないと。皆元気かな。ドルとロッサの件はどうなっているのかな……。
そんな事を考えていると、茹ってきた。樽から出て、後片付けをして、部屋に戻る。
部屋では、暖炉の前に座り、優しくタロを撫でているリズの姿が見えた。
「タロはぐっすり?」
「ふふ。撫でると気持ち良さそうな顔をするから。気持ち良いのかな?」
「犬や狼は家族でまとまって寝るから、温かい接触は幸せなんだろうね」
そう言いながら、リズをお姫様抱っこで、ベッドに運ぶ。
「ちょ、ヒロ?」
「明日、早いよ? 村に戻るんでしょ。荷物の整理は終わっているんだから、さっさと寝るよ。リズもドレスで疲れたでしょ?」
「あは、ばれてた? うん、ちょっと眠たい。ヒロ……お願いが有るんだけど」
「ん?」
「ぎゅっと抱きしめて、寝てみたい」
その言葉にふっと微笑みを浮かべて、燭台の明かりを落とす。ベッドの中でぎゅっと抱きしめ耳元で囁く。
「ごめんね、私が決めた事に巻き込んで。大変だと思うけど、出来るだけ守る」
「あは。ううん。ちょっとだけ不安になっただけだから。安心する。ありがとう」
そんな風に囁き合いながら、いつの間にか二人とも、うつらうつらと夢の世界へと移って行った。