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異世界に来たみたいだけど如何すれば良いのだろう  作者:
第二章 異世界で男爵になるみたいだけど如何すれば良いんだろう?
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第302話 湯けむり厨房編~ロスティーの場合

 樽からは湯気が上がる。厨房は日中の熱と調理の熱でまだそこまで温度が下がっていない。流石に老いた人間を寒い所で裸にして熱い湯をかけるとか、ある種、拷問だ。心臓に悪い。

 衝立の外から人の気配を感じると、執事が荷物を持ち、ロスティーの先導をしていた。


「ようこそ、お爺様」


「気を遣ってもらったか。すまんな」


 初めて会った時の、好々爺然とした顔で、ロスティーがゆっくりと歩いてくる。心労も大分癒えたようだ。やや陰は見えるが、戻って来た時の憔悴具合に比べると全然ましだ。


「いえ、お気になさらず」


 執事が手伝い、服を脱がしていく。運動は欠かさないのか、そこそこの年齢の為政者とは思えない均整の取れた体つきだ。


「下がっておれ。また、呼ぶ」


 ロスティーが執事に声をかけると、脱いだ服を畳み、執事が衝立から出る。声のかかるぎりぎりの位置まで下がる。

 燭台が幾つか置かれ、厨房は煌かんばかりの世界になっている。その幻想的な世界の中で、1人の老人が佇んでいる。これが私の祖父、この国の大貴族だ。


「どうしたら良い?」


 少し戸惑った口調でロスティーが声をかけてくる。考えに集中し過ぎた。


「はい。そちらの椅子におかけ下さい。立ったままではお辛いでしょう」


 厨房仕事で使う椅子の新しい物を1つ借りている。元々水仕事や油仕事の場所で使う物だ。水には強い木材を使っているし、表面加工もされている。


「うむ。助かる」


 ロスティーが椅子に掛ける。その手足にゆっくりと、お湯を注ぐ。気温差が無いとは言わない。心臓に負担がかからないように、末端から徐々に温めて行く。


「おぅおぅ……。湯をかけるか。贅沢よのう……。何とも心地良い……」


 ロスティーが目を細め、気持ち良さそうに言葉を漏らす。やはり疲労も有るのか、手足の先は冷えている。痛みを感じない程度に血行が良くなるよう揉みながら、徐々に体全体にお湯をかけていく。


 首下までかけ終わった段階で、頭を前に下げてもらう。負担にならないよう、椅子に手を着いてもらい前傾姿勢になってもらう。耳の中にお湯が入らないよう注意しながら、頭、髪の毛にお湯をかけていく。


「うぅむ……温かな……」


 ロスティーがこの時点で、ほっと溜息を吐く。石鹸を泡立て、見てもらう。


「ムクロジのような効果を持つ物です。体の汚れを取ります。目などは沁みますのでお瞑り下さい」


 目を閉じてもらい、髪に泡を乗せて、頭皮から汚れを揉みだすようマッサージをしていく。心地良いのか、深いため息が聞こえる。流石に1回で泡はたたないので、声をかけ、2度目の洗髪に移る。泡立ったのを確認し、お湯で流し、延ばした酢を髪全体に含ませる。


「ふむ? 酸い匂いが……。酢か?」


「はい。髪は洗いますと軋みます。お湯で洗われても、指が通らなくなるかと思います。それを落ち着かせる為です」


 顔を洗い、髪の酢の余分を軽く絞り、上体を起こしてもらう。ロスティーが首を左右にこきりと鳴らし、振る。


「おぉ、何と言うか、髪も顔もさっぱりした。ここまで違うか。何か軽いぞ?」


「良うございました。さぁ、お体の方に参りましょう。ご自身でお体を清められているのと同じ感覚で洗って下さい」


 石鹸を十分に柔らかな厚手の布に塗り込み、揉み擦り泡立てる。フワフワとモチモチの中間程度で、腕などを洗う。見て大体の感覚を掴んだのか、ロスティーが自分で体を洗い始める。


「ふむ。このぬるりとした感触が気持ち良いな。何とも言えぬ。愉悦か……。ふふ、体を清めるだけでか。油とも違うな……」


 前面やお尻等は自分で洗えたので、布を預かり、背中を擦る。元々柔らかな布なので、少しくらい強めに擦っても痛みを感じない。


「ふふふ、ははは」


 ロスティーが笑い出す。


「どうかなさいましたか?」


「いやな。このように体を清めてもらうなど浴場を除けば、幼少の頃に父母の思い出だけよ。何か可笑しくなってな」


「左様ですか……。さぁ、もう一度です。汚れが溜まっておりますので」


 泡切れしたので、湯を全身にかけ、再度同じように洗ってもらう。


「ふうむ。確かに先程と違い、泡が残る。それに心地良さも少し違うな。感触が柔らかだ」


 そう言いながら、ロスティーが全身を洗う。頃合いを見て、布を受け取り、背中を洗う。泡も切れず洗いきれたので、全身を流す。頭の酢も一緒に流してしまう。


「はい。体を洗うのは終わりです。痒い箇所、痛い箇所はありますか?」


 手を取り、立ち上がらせる。ロスティーが全身を確認する。


「いや、無い。ふふふふふ。全身が軽いな。何とも言えぬこの触り心地……。ほんの一時前とは全く違う。面白い、面白いな」


「お気に入り頂ければ、幸いです。さぁ、湯に浸かりましょう。お手をどうぞ」


 手を支えに、樽を跨ぎ、浸かってもらう。まだまだ体は柔らかだ。ひょいと樽の縁を飛び越し、中に入る。


「くぅぅはぁぁぁ……。温かだぁ……。心地良い……」


 苦悶に喘ぐように、眉根に皺を寄せて体を固めていたロスティーが湯に慣れたのか、弛緩する。


「全身に温もりが巡りおる。これは浴場とは違うな……。ただただ心地良い。よう、このような事を思いつく……。贅沢と言っても水魔術か……。はは、人の技で得る贅沢か……悪く無いな……」


 ロスティーが目を瞑ったまま、縁に首を押し当て、くいくいと左右に揺らし、そのままもたれ掛かる。全身でリラックスしたように浮かんでいる。


「はぁぁ……良いな。良い。このような思いが出来るとはな……。このような単純な事を思いつかなんだ事が腹立たしいな……はは。詮無き事か」


 目を開け、髪の通りをチェックして、するりと滑らかに通る事に驚いた顔をする。

 額の上の方に軽く汗を浮かべながら、縁に腕を出し、そのまま支えにする。


「此度の件、お前に負担をかけ過ぎた……」


 眉根に皺を寄せ、若干悲し気な顔をしながら、ロスティーが小さく呟く。


「元々、為政者にとお前を推挙したのはノーウェが才を見た故だ。だが、お前はそれに応え、尚先を行く。危なっかしうてな。無理にでも育ってもらわねば、命の危険も有る。故に辛い選択を任せた事も有った。いらぬ覚悟も背負わせたな……」


「そのような事は」


「良い。儂の独り言だ。兄上の件は情報が正しければ、別の献策も有ったろう。お前はあの時点での最善を考えたのだろう。昼の話を聞いて、儂も思い直した。兄と隣国一つ。どちらが民にとって重いか。比べられぬ事を比べねばならぬのも為政者の務めよ……」


 ロスティーが額の汗を湯で拭う。


「ただのう。ここからは儂らの領分だ。必要以上に背負う事は無い。お前はお前の出来る範囲でやり通した。もう、甘いなどとは言えぬ。その覚悟を見せた。それが嬉しうてな……」


 縁に乗せた首をこきりと揺らす。


「お前を我が孫と出来た事、ほんに幸いよ。あの危なっかしいのが、我が孫だぞ? はは、面白くも無いこの人生にも、このような愉悦が残っておったか……。のう、アキヒロ。我が孫よ」


「はい」


「焦るな。嘆くな。お前にそれを強いたのは儂等だ。恨んでも良い。だから(ゆが)むな。真っ直ぐ、お前の言ったあの夢を、民が笑う、あの夢を実現せよ。儂の心を躍らせた、あの世界を実現せよ」


「……はい」


「それが無くともな。お前は我が孫ぞ? お前はな、おるだけで良い。おってくれるだけで有り難い。この世に、おってくれるだけで、儂は嬉しいのだ」


 あぁ……。兄を亡くして尚、私がいても良いのか……。存在そのものを幸いと言ってもらえるのか……。


「辛さは一旦置いて行け。それは儂等が被るもの故な。お前はその身を持って、東を治めよ。リザティア……リズか。儂の可愛い孫達よ。幸せを望め。お前達の幸いの先に、民の安寧は有ろう」


 瞼を上げ、私の目を貫く。それは柔らかく優しくも、強く、どこまでも奥を覗き込む瞳だった。


「アキヒロ……ヒロか。我が孫よ。これよりは幸いの時と成せ。辛い時も来ようが、その時は儂等がおる。生きよ、生きて、生きて、生きてくれ。それは兄の望みでもあろう。未来を、先を見せておくれ」


 はぁぁ……。無条件の承認か……。弱いな、私って……。嬉しいと……思ってしまうんだから。苦笑とも微笑みともつかない何かが、顔を歪める。


「はい、お爺様」


「ふふふふふははははは。良い。愉悦だ。このような思いが出来るとは……。兄上、ご覧下さい。貴方の願いの先は、ここで先を見つめております。これよりもお守り下さい、お導き下さい。どうか、安らかに……」


 ロスティーの呟きの、その先は聞こえなかった。


「ふむ。少々長かったか。茹ってきた、手を貸してくれぬか」


 その声に合わせて、腕を支える。ロスティーがまた軽やかに樽を飛び越えて、スノコの上に立つ。


「おうおう……。体の節々の痛みが無い。あのじくじくとした痛みが無い。指先の重い痛みもだ。良い、良いな。これが愉悦か……。快い。愉快だ、愉快だ」


 全身に湯気を纏い、ロスティーが微笑む。湯上りの気配を感じたのか、執事が乾いた大きな布を持って来て、ロスティーの全身を拭う。


「そのままではお風邪を召されますよ」


 ざっくりと髪の水分を拭ったところで、リズから預かったリズの香油を少し取り出し、水で馴染ませ、ロスティーの髪に広げる。風魔術で風を送り、乾かす。


「ふむ……。これは……。何とも言えぬ指通りよな。お嬢もこれを味わったか。あの顔も分かるわ。はは、良いな、良い。これは戻ったら広めよう。湯に浸かる事だけでも愉悦よ」


「北は寒うございます。良いと思います。『リザティア』には、これの何倍もの湯の原が広がっております。出来上がりましたら、一番においで下さい。お爺様に楽しんで頂きたく思います」


「ははははは。何とも楽しみよのう。今日は愉快だった。ありがたいな、我が孫よ。ゆるりと休め」


 にこやかに笑いながらロスティーが部屋に戻る。その軽やかな足取りからは、昼のあの悲壮感は感じなかった。少しでも慰めになったのなら、良かった……。

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