第294話 器に満ちる、青い血
本文改稿に伴い、第294話から内容が変更されています。
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屋敷の前に馬車が止まる。兵達が周囲を警戒する中、ロスティーが馬車を降り、進んでくる。
「心配をかけたな。無事、事は成った。後は東との調整だな」
玄関の前で待つ私達に、微笑みながら言う。だが、目の下と頬の部分を見ると憔悴は隠せない。為政者として隠そうとしていても隠し切れない衝撃が襲ったと見える。戻ってくる間も満足に眠られていないのかもしれない。
考えている間に、私の横をロスティーが通る。
「ノーウェと共に話が有る。内密故、応接室に疾く向かうが良い」
ロスティーが痛ましい表情のまま周囲に聞こえないよう、小声で囁く。どうも余裕が無いのか、リズの姿も目に収めずそのまま領主館の中に向かっていく。
「お疲れのご様子だね……」
リズが少し悲しそうに言う。
「そうだね。リズの姿も目に入っていないご様子だし。話が有るようだから、部屋で待っていてもらえるかな。少し様子の確認を含めて話を聞いてくる」
そう言うと、リズが頷き、侍女と一緒に部屋に戻る。
私はロスティーの言いつけに従い、応接室の扉を叩く。応答の声を聞くとノーウェだった。内密と言っていたか、使用人はいないな。そう思いながら、扉を開けて、中に入る。
扉を閉めると同時にロスティーの声が聞こえる。
「待っておった。かけよ。取り急ぎ、状況を説明する」
ロスティーが瞑目し、ソファーにかけている。その向かいにノーウェが座り、私はノーウェの隣に言われた通り腰かける。ノーウェの方を見るが、首を振られる。ノーウェも詳しい内容は分からないか……。
「ふむ。揃ったな。では、結論から述べる。儂は兄上を、王を弑した」
沈痛な面持ちで絞り出すように、ロスティーが一言一句をはっきりと発音する。
事は成った。しかし、思った通り、ロスティーにここまでのダメージを与えたのは私だ……。そう思った瞬間、私の表情を読んだのかノーウェが肩を掴み首を振る。
「父上は父上の意思で献策を呑んだ。それは話をしたよね? 君、また繰り返すのかい?」
ノーウェの冷静な眼差しを感じ、改めて心を取り戻す。そうだ、これはロスティーに預けた仕事だ。ロスティーの責の元遂行される話だ……。
「ふふ……。少しは成長したか。出る前であったら不安は有ったが、まぁ及第点と言うところだな」
ロスティーが沈痛ながらも微笑みを浮かべ、優しい目でこちらを見つめる。
暫し瞑目し、深い息を吐く。
「ノーウェもそろそろ知らねばならぬ事だ。また、我が孫よ。お前も献策を上げた者として聞く義務が有る。辛い話になるやも知れぬが、心して聞け」
目を開いたロスティーが真剣な表情で言う。その眼光は鋭く、何もかもを貫かんとする意思を感じた。
「まず、隠していた事を一つ明かす。王家派と言う派閥に関してだ」
それを聞いた瞬間、私とノーウェが顔を合わせて、不思議な表情をする。
「まぁ、王家で隠された話故、王家派以外では儂しか知らぬ話だ。本来なら王家筋に伝える話では有るが、我が息子達はまだ先が見えぬでな」
そう言うと、ロスティーが腹の前で手を組む。
「王家派とは王の裏の顔を支える為に存在する派閥だ。献策の際に、解体すると言うたが文字通り、解体再編成になるな。今は現王の指揮の元、新たな体勢に移行しておる」
裏の顔?なんだそりゃ……。
「そして王に関してだな。愚王、愚物か……。ふふ。のう、ノーウェよ。本当に王が愚王として30余年、この国を維持管理出来ると見るか?」
「それは……」
急に聞かれたノーウェが答えに詰まる。
「意地の悪い質問だったか。この辺りは侯爵を超えれば国務を通して見えてくるがな。あれは仮の顔よ」
そう言った瞬間、組まれた手の握り拳に血管が浮かぶ。
「のう、我が孫よ。お前が成した冒険者ギルドの処理に伴う利権だが、あれが儂に直接来た場合の影響をどう見る?」
ロスティーの眼差しが私の目をひたと捉える。
「冒険者ギルドですか? ノーウェ様とロスティー様の平定した権利。そこまでの反発は無い物と考えますが……」
うんうんとロスティーが頷き、用意されていたお茶を一口含む。
「若いのぉ……。いや、貶してはおらぬ。それは良い。正しいし美しい。だがのう、政またそれに付随する利権と言うのは厄介でな。まぁ、間違い無く10日も経たぬ内に儂は殺されておる可能性が高い。儂も身は守るが、人の欲、人の利己と言うのは斯様に大きな物だ。それが貴族、大貴族ともなれば余計にな」
確かに会社の中でも大きな業績を上げた人間に対して、やっかみが出る事は有る。だが、そこまでか……。
「ふふ。兄上はな、愚物を演じて、一旦大きな利権を取り上げ、然る後に下賜する形で皆を守っておった。意に染まぬ形でなったとは言え、兄上も王よ。それは形を変えて現王も踏襲するであろうな。実際に、冒険者ギルド利権の譲渡は内々に示されておったし、実務も儂が裏で回しておった。お前のお蔭でそれが表に出るのが早まっただけだな」
と言う事は、私がやった事は余計だったのか?
「人は信じたい物、聞き心地の良い事しか聞かぬ。愚物が、小物が美味しい所を持って行きおる。そう聞くか? まぁ、若い貴族は苦い思いはしておろうな。しかしな、それもその者達を守る為の行いよ」
ロスティーがお茶を含む。
「分不相応の利権を持つとな、不幸が起こる。皆、お前のように大きな後ろ盾を持っておる訳では無いしな。お前も、上手く立ち回りよるが、儂が守り切れぬ事も有る。お前も間接的に兄上に守られておったのだよ」
情報は多方面から検証しろと言うのが社会の、現代社会での鉄則だが、それを怠った報いか?しかし、情報のソースが無さすぎる。
「儂も暗君としての像を広めよと命ぜられたが故に、あのような物言いになった。その点に関しては、お前達を騙した形になるな……。すまぬ、これも兄上の望み故。許してくれ」
ロスティーが軽くとは言え、頭を下げる。公爵の礼か……。それ程の話か……。それ程の話だよな。暗君が実は作られた虚像だったなんて。騙されたとは思わない。ただ、戸惑いは感じる。
「此度の顛末は、兄上から聞いた。東の伯爵の動きに呼応して、国内でも動きが有った。まぁ、厳密には保守派の侯爵が一人、欲に駆られて兄上を弑しようと動き始めたと言う訳だな。冒険者ギルド利権、お前の領地開発による好景気、苦かった果実も熟れたと見たか。まぁ、現実が見えぬ者はどこにでもおる。儂の目もそこまで何にでも届く訳では無い」
ロスティーの拳がぎりぎりと握られる。
「それを王家派が察知してのう。兄上はその動きを逆手に取って、侯爵と外交官の前で失態を演じた。実際には国の所属に関して決定的な内容ははぐらかしておる。外交官が喧伝している事実は一切無い。それは同席した王家派の証言が取れた。儂が締め上げた執事もどうも欺瞞情報が渡されておった。神明裁判でも間違い無くこちらが勝てる状況だな。侯爵に関しては、今回の軍も有った故、既に制圧、蟄居済みだ。追って沙汰は出るが、まぁ、死罪だな」
今回の開明派の軍をそこで使うか……。まぁ、反逆罪か。軍に関して献策しておいて良かったと見るべきか……。
「儂も予算審議が終わった隙を突かれてな。情報が無い中での行動だ。兄上も隠しておられた故、儂の失態だな。踊らされた。侯爵と公爵で戦端が開かれれば、大きく国が乱れる故に隠したと兄上は仰せだが……。儂はそこまで不甲斐無いか……。いや、詮無き事か……」
あぁ……。ロスティーにも相談せずにやった事なのか……。通りで話に食い違いが見られると思った。王の姿のずれは分かったが、ロスティーの動きがおかしいのは、諜報が調整出来ていなかったからか。
「本来であれば、兄上の周りにも諜報を置くべきだがな……。王家派との調整も有り、儂も最低限しか置けぬ。それも見事に攪乱されておった。ほんにあの兄上は……。こう言う演技だけは昔から得意で有った……。歳を取れば鈍る可能性も有る。故に暗君となったかを考え動いたが……。儂の方が鈍っておったのかも知れぬな……」
ほのかな郷愁を目に浮かべた後、改めて、眦を決する。
「まぁ、愚かな公爵が馳せ参じた頃には、大勢は決しておった。侯爵の捕縛程度の話故な。正直、お前の献策の件はどうするか迷った。だがのう、兄上が聞くのだ。国を、この国をこの機会を持って飛躍させる術は無いかと。数十万の民を今までの苦しみから解放させる術は無いかと。あの兄上が……。あの兄上が……」
徐々に眉根に皺が寄る。肩の力が抜け、やや俯き加減になる。
「献策は上げた……。兄上は笑っておられた……。暗君なれど、この身で国の益を生めるなら本望と。王を糧と成し、国の益を見るその目に未来を見る事が出来た。その事実に喜びを感じ、逝けるとな……」
あぁ……。私の失策だ……。情報も分からない中、見えた情報だけで考えた策だ……。賢王を弑したのか?私は。
「あの馬鹿兄が、最期に恰好をつけおって……。役者になればと見たのは儂だが、最期の最後まで王と言う役をこなされた。故に儂も決心した。兄上の首を以って、この国を飛躍させる。お前の献策を以ってな」
ふと、立ち上がったロスティーが私を抱きしめる。
「お前の策は間違っておらぬ。兄が望み、儂が手を下した。お前の策はこれより数十万の命を支える糧となる。誇れ。悲しむ事は無い。兄上は笑っておられた。あの兄上が……王を嫌って嫌って嫌い抜いて、それでも演じ続けたあの兄上が、笑っておられたのだ」
心の中のどこかが鋭く切り裂かれる。止めど無く流れる青い血……。覚悟をした私と言う器に、満たされていく……。あぁ……この無力感、この悔恨、この寂寥感……。悲しい……けど、呑み込むと決めた……。私がそう、決めた。
「私は、賢王を弑した大逆者ですね……」
「それは!!」
ロスティーが叫ぼうとするのを首を振り、制止する。
「それは呑み込みます。現王もこの体制を維持すると言う話であれば、これまで通り問題も起こらないでしょう。老獪さは必要でしょうが、宰相としてロスティー様が支えて下されば良いだけの事。予定通り、東と調整をしましょう。王の最期の望みです。出来うる限りの益を生みましょう。王を糧と成し、数十万の民の笑みを生む為に」
死ぬまで暗君を演じ通した王。その兄を演技と分かっていながらも扱き下ろさなければならなかったロスティー。あぁ、私なんて、ちっぽけだ。無力だし、無知だ。でも、託された。この国の未来を。この国の民の笑顔を。ならば成すべき事は成さねばならない。
「これより東との交易は多くの富を生むでしょう。私の領地からは無から有を生み続けます。あらゆる万難から私を支えて下さい。先王の望みです。私は私の民を、この国の民の笑顔を託されました。私は成すべき事を成します」
気負いも無く、ただただ、事実だけを胸に、前を向く。覚悟は決めた。後は実践するだけだ。
「為政者として、生きます」
その言葉に、ロスティーが目を見開く。
「……頼んだ、我が孫よ。我が兄の思い、受け継いでおくれ」
ノーウェが横から、顔を覗きこんでくる。
「はは。うん。その顔だよ。それが、正しく為政者の顔だ。頑張って」
ノーウェがやっと及第点だよと、そんな顔で微笑んだ。
この二人を身内とし、後ろ盾とし、私は前に進む。リズを、仲間を、民を笑顔にする為に。今もだくだくと流れる物を心に感じる。だけど、それで良い。それが良い。