第278話 朝からきちんと身嗜みはします、人に会うんですから
肌寒さを感じて目を覚ます。息が白くなるほどでは無いが十分に寒い。裸身に布団だけではちょっと寒かった。リズに触れてみるが、少し冷たい。女性特有の脂肪の冷たさと言うより、気温の問題だな。
暖炉に薪を加えて、火を大きくする。ついでにタロの毛皮の中にも指を入れてみるが、こちらはぬくぬくだ。流石、タロ。毛皮は伊達じゃ無いか。
窓の隙間から日の光が柔らかく入ってくる。開けてみると、昨日の雪と打って変わって晴れだ。気温はまだ上がっていないが、ここまで晴れれば徐々に暖かくなるだろう。2月12日はノーウェ達に取っても動きやすいだろう。昨日の雪では鳩を飛ばせたのかも分からない。
タライは置いてもらっているので、お湯を生み、体を軽く清めて、服を着こむ。リズを起こさないと風邪引いちゃいそうだ。タライのお湯を窓から捨てて軽く濯ぎ、新しく熱めのお湯を生む。
「リズ、起きないと風邪ひいちゃうよ。リーズー」
耳元で囁くが、半笑いでむにゃむにゃ言いながら、逆側に転がっていく……。ほっぺを突くが反応は無い。しょうがないので、耳たぶの部分をはむっと咥えてみる。
その瞬間、目を開いて体ごと転がり、ふにゃ!?とか言いながらそのままベッドから落ちる。あーあ……。何をしているのだか。
「ヒロ、もう……。起こしてくれるのは嬉しいけど、耳は駄目だって言ったよ?」
「舐めたりしていないよ?」
「むー。ああ言えばこう言う……。痛くは無いけど、床は冷たいね。うー寒いぃ」
リズが思い出したように体を腕で包みながら、しゃがみ込む。
「ほら、暖炉の方に行って。タライにお湯は用意しているから、体を清めちゃおう。ブラシは……はい。下着は適当で良い?」
「あ、今日、服飾屋さんが来るから、新しいのが良いかな。荷物の中に灰色の巾着が入っている、あ、それ。その中に新しいのが入っているから、巾着ごと投げて。ん。ありがとう」
リズが暖炉の前で温まっているのに向かって。巾着を山なりに軽く投げる。いつものように髪を清めて、布で軽く拭う。その後、私が風魔術でブローする。ブラシを当てながらいつもの髪型に整えていく。顔を洗って、布を濡らし、体を拭っていく。流石にその辺りはちょっと見るのが申し訳無いので、その間書類を確認する。昨日の続きの特許関係の書類に何枚か署名をしていると衣擦れの音が聞こえる。顔を上げると、いつものリズがそこに立っていた。
「すっごい寒かったけど、お湯で拭ったら大丈夫になったよ。体、冷えてたんだね」
木製のカップに水を生み、二人並んで歯磨きの木をしがみ、繊維をブラシ状にして歯を磨いていく。ほのかに香る芳香と苦みが目を覚ましてくれる。お互いに磨き残しをチェックして濯ぐ。タライの水を再度捨てて濯ぎ、立てかけて置く。
「暖炉の世話が出来る訳じゃ無いから、流石に裸だと風邪ひいちゃいそうだったね」
「ヒロが悪いと思うよ? もう、動く気も無くなるし。あれ、何なの? もう、そのまま寝るしか出来ないけど……」
「んー。私が拭って服を着せた方が良いかな?」
「それもちょっと嫌かな。嫌って言う程じゃ無いけど抵抗感は有るよ。んー。でも、嬉しいのは嬉しいかなぁ。愛されている感じはするよ? でも汚れているのを綺麗にされるのは少し恥ずかしいかな」
「私が汚しているから気にしないけどね」
そんないつもの会話を繰り広げていると、ノックの音が聞こえる。タロはまだスヤァな状態なので、玩具だけ横にそっと置いてそのまま寝かせておく。侍女の誘導に従い、食堂に向かう。
「おぉ、おはよう。朝から身綺麗だな。出かけるのか?」
食堂に向かう途中でベティアスタと合流する。
「おはようございます、ベティアスタさん。出掛ける予定は有りません。毎度こんな感じですが。おかしいですか」
「いや。ここも昔から出入りしている所為か、あまり格好に気が回らんからな。まぁ、悪癖なのだろうな」
そう言うベティアスタの頭を見ると、少し寝癖がついてたりする。まぁ、領主館内で政務をする限りは格好を気にしても無駄だろう。私はただ単に習慣的に汚い恰好で人に会うのが嫌いなだけだ。
「政務でお忙しそうですし、問題は無いかと思います。リズも私の方針に巻き込んでいるだけですので」
「ふむ……。同じ女としては恥ずかしい限りだな。まぁ、少しは気を遣うようにしよう」
ベティアスタが苦笑いを浮かべて、食堂に入る。現職の男爵及び婚約者なのでベティアスタの上座に誘導されるんだが、伯爵の直属の部下、しかも娘の上座と言うのが気持ち悪い。何だろう。部長直属の部下、しかも娘の上座に係長が座る感じだろうか?うーん、もやっとする。
他の皆は既に席に着いている。そんな事を考えていると、ロスティーとノーウェが連れ立って食堂に入ってくる。
「皆、おはよう。ゆっくり出来たかな?」
ノーウェが代表して、声をかけてくる。皆でそれぞれ挨拶を返す。指先を見ると汚れが見えるので、朝食前から2人で対応を進めていたのかな……。
ロスティーとノーウェが席に着き、食事が運ばれてくる。冬も深いと言うのに、やはり野菜が豊富だ。栄養的に助かるが、値段的に怖い……。肉は鶏っぽい。しっかりとした肉質だが、噛むとうまみが出るので、日本の鶏より好きかも知れない。
「孫娘にドレスを贈れるとは思ってもみなかった幸せよな。はは、楽しみよ、のう?」
ロスティーがノーウェに肘打つ。
「父上、朝から恥ずかしいです。皆も気にしないでね。父上、娘がいないから女の子に憧れていてね。こんな感じなんだ」
ノーウェが面倒臭そうに言う。それを聞いたロスティーがふふんと言う顔で口を開く。
「ふむ。まぁ、ノーウェも子供の頃は可愛かったがな。まぁ、歳を取ってからは遊び呆けてばかりだったが。あれは幾つだ?19の頃か」
ロスティーが何かを言おうとするのをノーウェが止めさせる。まぁ、父親なんて子供の悪い事だけは良く覚えている。
そんな話をしながら食事を進めて行く。どうも食事の後、リズは別室で服飾屋が来るまで型紙を見て色々考えなければならないらしい。まぁ、出来たのを見て楽しむ事にしよう。
食事を終え、リズが侍女に連れていかれる。
「我が孫よ。お前はこっちだ」
ロスティーがそう言うと、ノーウェの政務室に連れていかれる。ベティアスタはベティアスタで別に政務の処理らしい。
「さて、状況説明からかな。昨日の間に開明派の諸侯向けの書状は書き終えた。鳩を出すのは雪だったので見合わせたけどね。今日は晴れているし、農家に聞いたが晴天が続きそうだとの事なので、書状をばら撒く」
政務室のソファーに座ると、ノーウェが切り出した。今後の状況を聞かないとリナ達を戻すかどうかが決められない。進捗は把握したい。
「開明派内の意思統一まで待っていては手遅れになる可能性が高い。開明派に対しては告知を前提とし、各所に対して順繰りに書状を投げてもらう形にしたよ。これで派閥内の動揺を防ぐと共に他派閥への牽制に動いてもらう。また、王都周辺の開明派には兵を出してもらう。王都内の直轄軍に関しても4割強は開明派寄りでね。兵を王都に入れる際には抑えに回ってくれる。このまま晴天を維持出来るなら5日ないし6日後が実行日になるね」
ノーウェがテーブルに置かれた王都周辺の地図を指さしながら、説明を進める。
「儂は5日後実行を目安に動く。なので、明日朝には出ねばならぬな。新型の馬車でぎりぎり間に合うかだが、その他の書状回りの後始末が有る故、待つしかないな。やや、もどかしいがな」
ロスティーが眉根に若干皺を寄せながら、鋭く言い放ち、やや溜息に近い息を吐く。幾らあの馬車でも、4日間を馬車で延々移動か……。体がもつのか?体調不良で指揮とか、兵の士気が保てないぞ。
「ん? 儂の心配か? 途中で神術士を拾う。例え儂に何か有っても、引継ぎは行う。少なくとも、この国難を解決させる事、それが最優先故な。お前の献策を聞いていても時間との勝負だろう? 儂の事は構うな」
ロスティーが若干苦笑いを浮かべながら、言う。はぁぁ、こっちの視線で読まれたか。これだから、老練な為政者は怖い。6日か……。首を移動させる時間を考えて、この件が始まっただろうタイミングから約ひと月弱か……。何とも言えないな。ただひと月足らずで主権者に関わる騒動を収めるんだ、インパクトは有るか……。
「ふむ。勝算の有りそうな顔はしとるの。これだけ大仰な策を献じたのだ。どっしり構えんか。儂等はこの策で行けると見た。故に走る。それはお前の責では無い。儂等の責だ。お前は泰然と事が成るのを見ておれ」
ロスティーがこちらの心配を笑い飛ばす。はぁぁ。自分が何も出来ないのはやはり苦手だ……。この辺がリーダー止まりの理由なんだろうな。
「と言う訳で、こっちは若干待ちに入るかな? 何か聞きたい事は有るかな?」
ノーウェが肩を竦めながら聞いてくる。
「そこそこ大規模な兵の移動、牽制行為、事後の処理、大きな額が動くかと思いますが、財源は有りますか?」
「はは。君、聞くのがそこかぁ。面白いねぇ。うん、一番大事だよね。財源に関しては、父上」
「うむ。国家の災害時特別予算が年次で編成されておる。これに関しては国家規模の災害、まぁ大規模な飢饉や諸侯の反乱が発生した際に割り当てられる。今回は拡大解釈で反乱行為と位置付けて充当する。今年度の予算も、もうふた月程で更新される故な。ぶん回すのが可能だ」
元々予算枠は有るか……。なら動かした後に補正予算を編成するのに、開明派以外と折衝する必要も無いか……。正直、この後に足の引っ張り合いなんて発生したら、そこから国が綻びかねない。事を収めた後は、平静に国家運用をしないと周辺諸国に変に勘繰られる。
「政変による王国の動揺、周辺諸国の介入を警戒しておるのか?」
「はい。その通りです」
「ふん。態々予算の話をしよるからな。そこは心配せんでも良い。元々連判状を回す時点で分かろうが。王を弑する事は国家運営の予定の中に組み込まれておる。まぁ、虚しい話ではあるがな」
ディアニーヌの薫陶か……。現実見すぎだろう……。まぁ、神か。それも織り込まないと国家運営なんて出来ないか。
「もし、君の献策上問題が出るであろうは、王家派の動向かな? 烏合の衆と言っても、ちまちまとは存在するからね。特に敵対している訳では無いけど、どちらにせよ面倒な相手ではある」
ノーウェが真剣な表情で言う。
「ここだけはちょっと面倒なんだ。思想無く、王の指示に従う集団だ。次王が神授されれば黙るとは考える。ただ、開明派が王を弑した事実に対して何を考えるかまでは読めないからね。将来の禍根になる可能性は有る」
イメージが湧かない。なんなんだろう、その集団は……。王に忠誠を誓うのは前提だ。会社で言えばトップなんだから。何で態々王家派なんて集団を組むんだ?
「分かり難いよね? こっちも扱いに困っている。と言うよりも特に何かを為す派閥じゃ無いんだ。基本的に議決権が有っても行使もしない。全く意図が分からない。歴史上も一定数は存在する。でも、議事録や過去の政変の際にも動いた形跡は無い」
「ちなみに、王を弑すると言う案件は歴史上有るのですか?」
動きが分からないのなら、過去の事例を追うしかないか。
「この国では無い。歴史がそこまで長い訳では無いからね。諸国家では有るね」
「その国で王家派は存在したのですか? また存在したとして、何かの動きは有ったのですか?」
「んー。王家派なんて名乗って活動している派閥なんて、うちだけなんだ。派閥に対して連絡は取っているし、構成員で親しくしている人もいる。でも派閥としては良く分からない」
なんだそりゃ?それ、派閥として成り立つのか?利益集団としても成り立っていない気がする……。
「まぁ、読めぬ事に悶々としても始まらぬでな。構成員の把握は出来ておる。後追いになるが諜報部隊を王家派の各所に投げるよう指示は出した。動きが有った場合は把握は出来る」
んー。これも抱え込んでも仕方のない話か。注意だけしておこう。将来的に何かの折に背中からブスーとか嫌だしな。
そうやって、今回の献策内容に関して質疑応答をしながら、2人は書状を書いては執事に渡している。先程の諜報の話もそうだし、結局やらないといけない根回しは多い。世の中なんて段取り八分だしな。今回は動くロスティーのフォローにノーウェが入れるだけましか。予算会議の時と逆だな。
地球の歴史上、クーデターに際して綻んだ原因は質疑応答で潰した。これで、私の出来る事は無いか。そう思っていると、扉が叩かれる。
「ふむ。もう昼か。時が経つのは早いねぇ」
執事から話を受けたノーウェが呟く。話し込み過ぎたな。3人で席を立ち、食堂に向かう。あぁ、リズのドレスの話の方が建設的な気がしてきた。人の生き死に、それも自分の献策での話だ……。純粋にきついな……。後悔はしていないが、胸にちくりと刺さるものは有る。