第267話 夢想家と現実の話をすると、虚しい気持ちになります
「ナイトをこちらに置きます。チェックです」
そう言った瞬間、ノーウェが額に手を当てて、考え出す。
「6手先でチェックメイトかい?」
「予定ではそうです」
ノーウェが溜息を吐きながら、駒を巻き戻し出す。流石にきつい。定石をちょっと知っているだけだと勝てなくなってきた。フルで色々思い出しながらこっちも必死で打っている。
「んー。途中までは勝てそうだったけど、駄目だね。良く分からないままに逆転されたよ。難しいね」
「15手前のポーンを進めたのが敗因でしょう。はい、ここです。この時は、ポーンを出すか、ビショップでこう牽制するかでした。ビショップを出されていると、五分五分のまま進んでいました。ポーンが出されたので、道が開いた形ですね」
「これかぁ……。欲目が出たのが敗因かぁ……。焦り過ぎたかな?」
「そうですね。まだ攻め切れる状況では無いです。こちらのルークで牽制しているので、この辺りが完全に動けない状況です。まだ攻勢に出るには早いです」
「なるほど。ここを読み始めると、ちょっと読み切れなくてね。どっちかは迷ったけど、攻勢に出たのが駄目だったか。この辺りも現実と一緒だね……。読めない状況で手を出すと痛い目に会うってね」
あー。何か話が核心に絡んだっぽいな。ちょっと突くか。
「ふむ。現実ですか。何か読めない状況が有りますか?」
「んー。これ、男爵の君に言って良い話じゃ無いから。最後の方は子として聞いて欲しいかな。まぁ、そう言う話も有るって事でね」
執事が盤を片付け、おつまみ的な軽食と新しいボトルが出される。流石に何も食べずに飲み続けるのは疲れてきた。飲みやすいって言っても、口の中が渋い。桃と林檎の中間みたいな果実の薄切りを摘まむ。酸味と濃厚な甘さが口に広がる。見た目と違い、ほくっとした歯応えの後にねっとりとした舌触りが続く。これ、日本で食べた事が無いな……。海外でも無い。こっちの果物なのかな?
「お嬢には、どの辺りまで聞いているかな?」
「我が国の貨幣価値が上がった所為で、ユチェニカ伯爵領が立ち行かなくなり、戦争を吹っかける……ですか?」
「あー、うん、近いけど、幾つか足さないと分からないと思うよ。子爵以上になったら、各国との外交条約の閲覧権限が発生するから分かるけどね。まぁ経緯から行こうか。300年程前、元々我が国は東の国、ダブティア王国の中の一領主だった。まぁ、色々有ってダブティア王国が西進政策に疲れてね。東の方は平地がそれなりに有るけど、西は森ばかり。魔素溜まりも多いし、美味しく無かったんだね。と言う訳で、国境線を一方的に引いて、開拓団に今後の権利を譲渡したんだ。これ建国の時の条約にも残っているから、正式な契約だよ」
んん?イギリスとアメリカみたいな物か?まぁ、植民地と言うより生存圏の確立だからもっと切実か。それに正式に譲渡しているならガタガタ言われる謂れは無いな。
「で、その時の開拓団を率いた貴族が西の果てに辿り着いた。国土の果てが分かったので正式に国家として建国した。これがワラニカ王国と今の王家だね。その時に王権が神授されたから、これももう正式な話になった。で、300年かけてじっくりと東側に国土を広げている最中なのが現状だね」
と言う事は、私はその最前線か。あぁぁ……きな臭い訳だな……。まぁ、良い。続きだ。
「まぁ、元々ダブティア王国の公爵が始まりだから、縁戚関係だね。ダブティアは珍しい事に、貴族位を相続している。近隣だとダブティアぐらいだね。まぁ、東と我が国は親子みたいなものかな? もう血も薄まって赤の他人だけどね。赤の他人だから冷静に付き合っていると言う訳だね」
ノーウェがそう言うと、グラスを傾け、口を湿らせる。
「小規模に始まった国だから貨幣価値の差は元々有ったよ。まぁ、そこまで大きな差異は無かったけどね。ただ、成功するか分からない国作りだからね。信用されるまでは結構時間がかかった訳だ。その時に貨幣価値の差を利用して儲けたのが東の領主で結構いるんだ。で、今回の冒険者ギルドの暴走だ。在りし日よもう一度って感じかな?」
ここでギルドが絡んでくるか……。燃やしたい、あの組織……。
「それでも馬鹿じゃないからほとんどの領主は程々で手を引いている。内情は探っている最中だけど、まぁ綺麗にさーっと引いていったね。その辺りは相続の際にきちっと教育されているんで機を見るに敏だね。で、ここに馬鹿がいたと」
「馬鹿……。ユチェニカ伯爵ですか?」
「そう。あそこは2代前は結構やり手でね。子爵から伯爵に陞爵された。でもね、その子が駄目だった。襲爵してから、もう失政続きでね。それを根拠に西の果てに追いやられた。今のユチェニカ伯爵領地だね。で、その子が当代のユチェニカ伯爵だね。これも愚物だ。両王国が認める正真正銘の愚物だ。まるで周りが見えていない。小物だね。でも、あそこの領地って貿易の玄関口でしょ? 金は稼げるんだね。それでますますおかしくなった」
貨幣価値の差で稼いでいるって言ってたな。まぁ、安い高品質な加工品を輸入して高く売り捌くだけの簡単なお仕事だ。そりゃ儲かる。
「冒険者ギルドのごたごたの所為で、税収が上がったからって、侯爵への陞爵を打診していたらしいけど、周囲の貴族は完全に無視だね。まぁ根回しも碌に出来ないんだから仕方が無い。それに怒っていたところに今回の顛末だね。ユチェニカ伯爵領の税収は一気に下がっている。もう赤字なんてレベルじゃない。領地の存続が危ぶまれるんじゃないかって話で真っ赤だね。こっちに依存し過ぎたのが運の尽きだけど。まぁ、厄介者を金の稼げる場所に置いたのは向こうの王家だからね。こっちには関係無いんだけど。で、ここから話が複雑になる」
どこの世の中も為政に小物が絡むと面倒になるな……。百害あって一利なしの典型だ。
「ギルド総長の逮捕に紐づけて、贈賄で商家を検挙したでしょ? あれ大きな商家だけなんだ。末端までは追い切れなかったからね。その末端が集まって、ユチェニカ伯爵に囁く訳だ。今回の件はユチェニカ伯爵を陥れるワラニカ王国の陰謀だ、ってね。筋書見えてきた?」
甘い汁を啜っていた寄生虫が、最後の大儲けを企んで宿主を見つけちゃったかぁ。面倒だな。封鎖して焼き尽くしたい……。
「悪徳商家連合が金を融通するから、単独で戦争継続が可能になると言う訳ですか……。東の国の言い分は如何ですか?」
「うん。そこもねぇ、ちょっと色々有ってね……。あぁ……良いか……。陛下がねぇ。どうも冒険者ギルドの実権を父上に渡す前に、ダブティア王国の外交官におべっか言っちゃったらしいんだ。詳細は父上も分からなくて困っている。宴席の話らしいからかなり情報も混乱している」
あーのーこーもーのーがー……。本気で縊りたい。
「おべっか……ですか……? 冒険者ギルドの利権を東の国、ダブティア王国は独立して渡すとかそんな話ですか?」
「お、正解。良い読みだね。信じられないよね? 国家を跨ぐ組織だよ? 一国に利権を融通したら信用を一気に失っちゃう。それも分からないんだ、もう、困ったよ。本人はおべっかのつもりでも国家間の話だ。諾成契約が結ばれる話になっちゃう。それを今、父上が必死に覆している最中だよ。予算会議が終わって春蒔きの準備を始めないといけないこの時期にだよ? 開明派全体にパニックが広がりかねない。下手したら王国の屋台骨が揺らぐ」
あー。諾成契約まで有るんだ……。ディアニーヌ、ちょっと頑張り過ぎ。大きな話くらいは書面取り交わしを前提にしないと、大事になっちゃう。
「不敬ですが、ちょっと無理が有りませんか?」
「お、言ったね。うん。見解は同じだね。で、この話をユチェニカ伯爵が聞いちゃったらしくてね。権限をダブティア王国に渡すなら、全ての利権を剥奪すべしとか言い始めている。意味が分からない。その根拠が300年前の独立に遡るんだから。誰も話に乗れない。でも金はまだ残っているから個人で動けるんだよね。面倒臭い」
あー。そりゃ、ベティアスタも走るか……。んー。本当なら向こうの王家と一緒に包囲殲滅の予定だったけど、おべっかが足枷になるな……。まじ滅べ。
「利権は置いておいて、先にユチェニカ伯爵をどうにか出来ないんですか? このままだと国と国の争いが始まります。ダブティア側も望まないでしょう?」
「それはこれからの話になるね……。私も今日話を聞いたばかりだから。父上には報告を投げた。あぁ、きっと怒るよ……。王都から戻る最中だから明日辺りには一旦届く筈だし。明後日にはうちに寄ると思う。そこで会議だね。ユチェニカ伯爵領にはこっちの諜報も入っているから、具体的な動きが有れば即応は可能な状況にする。と言う訳で、現状はこんな感じかな?」
「地理上は、私の領地が中継地ですか……。幸か不幸か資材は溜まっているのでフォローはしやすいですね。えと地図だと、攻めてきた場合、この辺りの山で迎え撃ちますか?」
「流石にすぐに攻めて来るとは見ていないけど……。まぁ、防衛を考えるなら、そうだね。そこが隘路だから一方的に叩くならそこだね。うーん、面倒事に巻き込んで済まないね」
「いえ、我が領地で将来発生する可能性の有る問題ですので。先に潰せるなら潰しましょう。まずは、おべっかの処理と軍事行動への対応。この2点を主目的に戦略を立てましょう」
「そうだね。政務と軍務は招集をかけた。明後日にはこっちに集まる。むぅ、うちも春蒔きの話をしないといけないんだけどね……。うん。さっさとこんな話は収拾しちゃおう。4日程度は足止めになるけど構わないかな?」
「はい。その辺りは話をしていますので。大丈夫です。まぁ、もう夜も更けていますね。細かい話は明後日ですか?」
ノーウェが若干疲れた顔で肩を落とす。
「そうだね。父上次第の部分も大きい。それまでは自由行動で構わないよ」
「畏まりました。では、部屋に戻ります。ゆるりとお休み下さい」
「ありがとう。話が出来て楽にはなったよ。明後日は頼むね」
握手を交わし、応接室を出て部屋に戻る。暖炉の光の中、暖かな空気に包まれるが、心は冷え切っている。あぁ、面倒な……。色々と頭の中で錯綜するが、諦めて布団に潜り込む。こう言う時は寝た方が良い。軽く回ったアルコールに助けられ、すぅっと意識を失った。