第266話 新米領主が自由に武力を振るえる訳が無いです
「夜分失礼致します。主人が男爵様と面会を希望しております。もしご都合がよろしければ、お時間を頂けますでしょうか」
扉を開けると侍女が頭を下げたままでそう告げる。
「はい。問題有りません。あー、少々お待ち下さい」
そう告げて、タロに大人しくしているように告げると、そのまま丸くなりしっぽを顎の下に置いて欠伸をする。
「では、参りましょう」
そう告げると、侍女が先導を始める。応接室の前でノックし誰何の後、扉が開かれる。
「ご無沙汰しております、ノーウェ様。体調は如何ですか? お風邪などは召されておりませんか?」
「はは。相変わらずだね。その調子を聞くと、嬉しくなる。無沙汰だった、久しいね。軍の撤収からだから、もう半月程なのかな? うん、元気だよ。まぁ、彼女の所為かお蔭かで、若干頭は痛いかな?」
にこりと微笑んだノーウェは相変わらずの様子だった。憔悴はしていないが、機嫌もそこまでは良く無いか……。うーん、やっぱり微妙な報告だったんだろうな。面倒臭い。
「そうですか……。それは残念かと。一先ず今回の件に関してカビアより、視察の報告は提出致しました。長くご挨拶も出来ず、ご無礼致しました」
そう答えると、ノーウェが席を勧めてくる。ソファーにかけるとグラスを差し出してくる。焼き物のボトルからワインを自分で注ぎ、その後私のグラスを満たす。
「まぁ、もう夜も遅いしね。少し飲もうか。報告はざっと読ませてもらった。君、本当に冒険者だよね? 政務経験無いのが信じられない。でも、君の文字なんだよね、あの書類。ふぅぅ。意味が分からないよ」
ノーウェが溜息混じりに言うと、肩を竦め、グラスを傾ける。合わせるように私もグラスを傾け、口に含む。渋みの少ない赤だな……。軽い感じだが、飲み応えはきちんと有る。量が飲める赤だな……。
「はい。故郷では色々やっておりましたから、そう言う意味では似たような事もこなしておりました」
「うーん。そっかぁ。いや、助かった。正直、ベティアスタ嬢からの話が重くてね。きついようなら明日に回そうかと考えたが、読み始めたら、気が変わった。この書式、貰って良いかな? 政務系の基礎に組み込みたいよ」
んー。大規模に報告書を書いたのは初めてかな。そう言う所を刈り取ってくるか。まぁ、良いや。それで政務系を育ててこっちに回してくれるなら助かる。
「えぇ。結構です。どうぞお使い下さい。で、報告内容に不備や問題はございましたでしょうか?」
「んー。これも借りになっちゃうか。でも助かるかな。中々固まった形を決めるのが難しくて曖昧になっていたけど、君のは分かりやすい。理解もしやすい。主張が明確だから、上の人間が読む時にすぐに頭に入る。あー、それも狙いなのかな?」
「そうですね。中々お忙しい方に読んで頂くのも難しいかと思いますので。読んで頂ける文書は心がけております」
「はは。書類を書くのに、その心がけか。いや、正しい。はは。あぁ、不備は無いと見ている。問題と言うか、疑義の部分で少しだけ訂正したい部分は有るかな。後はかなり気にしてくれているけど予算上は問題無いね。元々幅を持たせて組んだ予算だから、範疇だよ。それに発掘要員の件に関しては助かった。現場にいたらこっちで恩賞も出せるけど、それも無理だったからね。責任者から、感謝状が来てたよ。士気も上がった。後は村の改造案だけど、あまり気にしなくて良いよ。元々君の案をそのまま採用している話だから、変えるのも君次第だね。利点は十分伝わった。進めよう」
疑義と言うと人魚さんの件か。予算は問題無い。恩賞の件はグレーかと思ったが白扱いか。良かった。海の村の改造の件も問題無しと。これでちょっとは建築が進むか……。
「ありがとうございます。疑義と申されますと、人魚達の件でしょうか? 状況が分からないながらも相手側の訴えに見るべき事が有りましたので、こちらで処理を致しました。不都合がございましたか?」
「いや。逆だね。助かった。南側なんて正直見ていられないから人魚の件なんて顛末が全く分からない。こっちで調べたけど王国として認めているのに、実績が何も無い。このままだったら不味かった。下手したら国ぐるみの詐欺行為だからね。人魚の人達が他国に駆け込んだら、間違い無く糾弾されるところだった。はぁぁ、今回は良かったけど、西側は何を考えているんだか……。あぁ、そうそう。西だ、西」
ノーウェがグラスを傾ける。執事に合図を出すと、地図が出てくる。前に見た地図よりも南側が主体で縮尺が細かい。
「誤解が有りそうだから、先に伝えておくね。ここが君の村の予定地だね。で、西に行って、ここがテラクスタ伯爵の村。だけど、ここは人魚に対して融和政策を取っている。ただ、ちょっとその融和の内容が一方的で人魚側に不信感を与えちゃったかな」
「一方的……ですか?」
ノーウェがうんうんと頷き、こめかみに指を当てる。
「テラクスタ伯爵様なんだけど、あれがまた素直な人間でね。海産物を王国側が一方的に搾取しているから人魚は保護すべきって話で進めようとしたらしいんだ。でも人魚側にも生活や誇りが有るしね。そもそも問題なのはそのもっと西で何らかの問題に巻き込まれて不信感を持った事かな。王国に対して不信感を持った状態で、そんな事を言われても中々信用出来ないし、受け入れられないね。こっちが同じ立場でも嫌がるよ。と言う訳で、独自に東側に移動したところを君が見つけて丸く治めた状況かな。うん。これも借りだね。はぁぁ、君、うちを乗っ取ったりする気、無い?」
「いや、いりません。自分の領地で手一杯です。しかし、この地図で言うなら、西と言えばここの村以降ですか……。実際に何か有ったんですか?」
「あっさり言われると、若干傷つくね。まぁ、自分で育てた土地の方が可愛いか。んー。何が有ったかは詳しくは調べないと分からない。切った張ったじゃ無いのは確かだと思う。そこ男爵領だし。君も知ってるでしょ? 男爵なら権限上無理だから」
そう、男爵と子爵で明確に変わるのが、交戦権が認められるか、認められないかだ。防衛、自衛、魔物戦力の為の戦争行為は認められるけど、証拠を明確に出さないと罰せられる。原則自分から打って出る事は出来ない。治安出動は戦争と明確に区別されるけど、それも証拠が必要となる。厳密には交戦規定が細かく決まっていて臨検や拿捕等は治安出動扱いになったりもする。だが、基本的に他領地や敵国に武力で攻め込むのは不可能だ。
まぁ、男爵領なら人魚に対して戦争行為は仕掛けられない。相手が攻めてきたなら別だが、武器も持たない人魚に攻めようが無い。また、人魚側にメリットも無い。
「そうですね。そこは謎ですね……。お調べ頂くのは可能でしょうか?」
「うーん、うちで見た方が良いね。と言うかテラクスタ伯爵様に頼む事にする。隣領だしね。と言う訳で、テラクスタ伯爵様は特に人魚と諍いは起こしていない。そこを誤解されると今後の付き合いが面倒になるから。理解して欲しい」
「はい。ベティアスタさんを見る限り、人魚相手に何かをしそうな相手では無かったです。なので、特に他意は有りません。今後のお付き合いも有りますので、ご心配には及びません」
「そっかぁ。安心したよ。いやぁ、あいつも色々誤解されやすくてね。真面目なんだけど、中々清濁併せては飲めないんだ。それでも伯爵まで上がったんだから実力は確かだし、うちも懇意にしているよ」
「その辺りは伺いました。ベティアスタさんは謙遜されていましたが、かなりのやり手でしょう。領内の経営に問題を抱えた状態で、ノーウェ様の代わりに政略結婚なんて言い出さないでしょうから」
「あー。その話聞いたの? あちゃぁ……。いや、結婚を避けている訳じゃ無いんだけど、忙しくてね。中々そっちまで手が回らないのが現実なんだ。君は良いよね。もう結婚するんだし。あぁ、早めに結婚するべきだったかな……」
「妥協なされると、後で泣きますよ? これは先人の忠告です。では、報告の案件は以上でしょうか?」
そう言うと、ノーウェが肩を竦め、苦笑を浮かべる。
「なるほど。経験者なのかな? まぁ、過去は詮索しないけど。うん。その言葉は重く受け止めるよ。報告の内容だと、以上かな……」
だと……か。はぁぁ、ここからが本番っぽいな……。
「まぁ、ちょっと話過ぎたかな。少し休憩をいれようか。飲みながらも楽しいものだ」
ノーウェがそう言うと、チェス盤が用意される。これは渡した物では無い。駒を見ると、若干加工は稚拙だが、こちらの人間が作った物だと窺える。
「ほぉ。量産が始まりましたか?」
「まだ、そこまではいけていないかな。芸術ギルドから人は引っこ抜いたけど、まだまだだよ。リバーシは量産を始めているようだけど、こっちはきついね。彫刻は兎に角時間がかかる。単純な構造だから助かっているけど、単価はちょっと考えたくない金額になりそうだ」
あー。確かにちょっと彫刻だと難しいかな。もう少し単純な構造なら鋳造も出来るんだけど、それなりに面倒な形をしているしな……。もうちょっと簡素化した駒を探してみるか……。
「しかし、まぁ、製造に漕ぎ着けたので有れば、慣れれば量産も可能でしょう。人手次第では無いですか?」
「習熟まではしばらくかかりそうだけどね。さて、何局か相手を願おうか」
楽しそうにノーウェが駒を並べ始める。まぁ、上司のストレス解消だ。付き合うか。
「はい。お相手致します」
そう言って、盤に駒を並べる。執事がそっと横に立ち、メモの準備を始める。うわー。やっぱり早まったか?相変わらず本気か。自然と湧き上がる苦笑に耐える事が出来なかった。