第258話 三千世界の烏を殺し、リズと朝寝がしてみたい
食堂から、部屋まで戻り、皆と別れる。部屋では暗い中、タロの寝息が聞こえる。荷物の蝋燭を点けて視界を確保する。
「ふー。でも凄いね。こんな建物が住む所に有るなんて。ずっと村の中だけが私の世界だったから、驚きでいっぱいだよ」
リズがベッドに腰かけると、溜息を吐きながら、話す。
「負担にはなっていない?」
「んー。面白いから平気かな? ヒロと一緒にいると、生きている事に飽きない気がするよ」
へへへみたいな笑いを浮かべる。
「これから、領地が出来たら、東の森の平定、そして各国との調整、下手したら私達に手を出してくる相手との争いになる。出来れば巻き込みたくないから屋敷で大人しくアスト達と暮らして欲しいなぁ、なんて思うけど……無理だよね?」
言っている途中で顔が険しくなるのが分かった。ふぅぅ。私の奥様は本当に怖い。
「ヒロぉ? 私、ヒロを守るって言ったよね? ヒロはすぐに駄目になるんだから、私がいないと倒れちゃうよ? ヒロが倒れちゃうのなんて嫌だ」
「分かった、分かった。一緒に頑張ろう。さて、従業員の人に話はしているんだけど、家族風呂に行く?」
夜に風呂に浸かる場合のテストもしておきたい。大浴場全体を照らすのは難しいけど、ランタン片手にお風呂と言うのも乙な感じはする。まぁ、今回は家族風呂だ。燭台で問題無いだろう。
「え? またお風呂に入るの? 今日はもう、入ったよ?」
「折角の温泉なんだから、何度入っても大丈夫さ。はい、背中向けて」
そう言いながら、リズの髪の毛を編み上げてシニヨンにする。金髪なので、ちょっと王様で剣士の娘さんみたいになった。重装は黒なのでオルタの方か。
「ヒロ、器用だよね?こんな編み方、知らないんだけど……」
リズが後頭部のお団子を触りながら言う。
「あれ? さっき入った時も上げたんじゃないの? 鉄泉は髪の毛にあまり良く無いから、女性の場合は髪の毛上げてって従業員には伝えた筈だけど」
「単純にまとめて、結い上げただけだったよ。うー。ちょっと見てみたい。大浴場には大きな鏡が有ったけど……」
女性用の大浴場には、鏡と化粧台を用意している。髪の手入れ等に使ってもらえればと考えたが、通常中々大きな鏡を見る機会も無いか。
「ささ、お姫様、参りましょう」
タロがスヤァと寝ているのを確認し、リズの背中をそっと押して、部屋を出る。手拭いはきちんと持った。
「ちょ、ヒロ、押さない、もう、歩くから、行くから……」
リズが諦めたのか、素直に歩き始める。燭台に照らされた廊下をとぼとぼと2人で歩く。まだ漆喰が塗られただけの廊下だが、ここからどんな装飾が施されるのか、任せているので不明だ。それも楽しみかと思いながら、大浴場の方に向かう。
「でも、お風呂を一緒に入るのは初めてだね? 体は洗ってもらったけど」
「樽だと、2人は無理かな? 入ってもぎゅうぎゅうで身動き出来ないよ」
そんな事を言いながら、家族風呂の扉を開けて、閂を閉じる。中からはちょろちょろと水の漏れる音が聞こえる。
「ささ、お姫様、脱ぐのをお手伝い致します」
「いや、すぐ脱げるから、ちょ、ヒロぉ、怒るよ?」
調子に乗り過ぎた。ちょっとお怒りのリズから離れて私も浴衣を脱ぐ。
燭台片手に中に入ると、石造りの結構広い空間に10人くらいは浸かれる岩風呂がでんと有った。うん。広く設計し過ぎたか?でも家族多い時でも安心かな?
燭台置きに燭台を乗せて、リズの手を取る。
「さぁ、浸かろうか」
そう言って、優しく手桶でお湯をかける。若い肌は湯に抵抗して、珠のように弾く。うん、蝋燭の明かりに照らされ神秘的だ。
湯気で空気も温まっている為、寒い思いはしなくても良い。かけ湯をして、浸かる。こちらもちょっと熱めだ。ちょっと上流の経路を増やして冷まさないと熱すぎかな。
「ふぅぅ……。ヒロが出してくれるお湯より、ちょっと熱いね」
リズが徐々に慣らして浸かりながらそう言う。
「ここまで熱いと初めての人は驚いちゃいそうだね。お年寄りにはちょっと辛いかも」
そう言いながら、換気用の窓を開ける。時期的に虫の心配は無い。外から一気に冷たい空気が入って来て湯気が撹拌される。外は月明りと、それに照らされた積雪でほのかに明るい。
「綺麗だね。あまり雪って良い思い出が無いんだ。冬は獲物も痩せているから、中々お金にならないし。お父さんも大変そうだったから。でも、こうやって見るだけなら、綺麗だね」
リズが窓から外を眺めながら呟く。
「そうだね。将来的には越冬する家畜の量は増やすから、狩りそのものの比重は下がると思うよ。アストさんも狩人より、育てる方に転向するのが良いかも。生態は良く知っているんだし」
「あは。そうだね。そうやって、穏やかに暮らせると、良いね。ヒロは忙しくなっちゃうけど、それでも良いの?」
「元々故郷でも忙しいのが当たり前だったからね。特には気にしないかな。リズと一緒に暮らせるなら、なんでもするよ」
湯船の中で背中を抱き寄せて、そのまま抱きしめる。お湯の熱と、リズの熱を感じる。
「リズにはこれからきっと苦労をかけちゃうね。ティーシアが家の事を引き継ぐのもそうだし、男爵の妻としての生き方も有る。私は覚悟の上で選んだから良いけど、リズは巻き込まれただけだから」
そう言うと、リズが首を回し、振り向く。
「またそんな事を言っている。そんな事を気にしてもしょうがないでしょ? それに一緒に生きるって決めたのは私。誰になんて言われようとも、私の生き方は、私が決めるの。ヒロにだって譲らない、私の権利」
眦を決して強い目でこちらを見つめる。はぁぁ。女の子の覚悟か……。うん。甘くは見ない。彼女の人生だ。最大限尊重しよう。
「ん? お腹が少しぷにぷにする?」
「あ、こら!! それ座っているから。ぷにぷにじゃない。つままない。こーらー、怒るよ」
「でも、触っていると気持ち良いよ。リズの全身が気持ち良い。髪の先から爪先まで、全て」
「もう……。そう言う言い方、どこで覚えてくるの? ずるいよ?」
「お褒めに預かり光栄です。故郷には何千年と言う歴史が詰まっているからね。女性を口説く為の言葉は星の数程有るよ」
「ふぅぅ……。ヒロの故郷が怖いわ。何だか、色々と便利そうなんだけど、その便利を無駄な事に使っているんじゃないのかって気になる」
「強ち間違っていないと思うよ? そう言う一見無駄な事が、色々な潤滑になって社会が円滑に回るから。一面的に見ると無駄でも、全体で見ると整合が取れているものさ」
そう言いながら、手をお腹から上に上げて行く。
「こら、駄目。ここではしない。お湯入ったら嫌だ。それに借り物なんでしょ? 綺麗に返さないと」
そう言うとするっと腕から抜けて、逆の方に浮かんで行く。
「ふふ。やっぱり、広いお風呂って良いね。ヒロが言い始めた頃は良く分からなかったけど、実際に入ったら分かった。これは良い物だって」
「納得頂き、光栄です、姫様」
リズの肌が火照ってくる。そろそろ、限界かな。
「温まったなら、そろそろ出る? 茹るよ」
「ん。ちょっとしんどくなってきたかも。上がろうか。でも、良いね。好きな時間に好きな時間入れるお風呂なんて」
「元々、そう言うコンセプトだからね。夜遅くに到着しても、お風呂に浸かってゆっくり休めるなら、良いじゃない」
「あは、良いね。夢みたいな町だね」
「歓楽街はきっと、人々の夢を集めた町になる。生活に汲々してきた世界から、生活を頑張りながらも楽しむ世界への移行だよ」
窓を閉めて、体を拭いながら、そう返す。
「きっと多くの人が集まる。その中には良い人も悪い人もいるんだろうね。またヒロが傷つく事も起きるかも知れない。でも、絶対に傍で支える。それが私の私が決めた生き方だから」
そう言うと、拭い終わったのか、リズが颯爽と脱衣所に向かう。はぁぁ、私の妻は凛々しいね。頼もしい限りだ。だからこそ、リズの手を煩わせる事が無いように動かなければならない。方針はいつでも単純だ。「リズとの幸せな世界を築く」この為に私は悪鬼羅刹になっても良い。幾らでも傷つけるし、幾らでも傷つける。
「三千世界の烏を殺し、リズと朝寝がしてみたい……」
「ん?何か言った?」
「いや、何でも無いよ」
私の邪魔をする有象無象の諸君には悪いが、この優しい世界の維持を前提とする限り、一切の遠慮呵責無く、沈黙させる。それが私がリズと幸せになる為ならば、屍山血河を築いても良い。そう。そう、私が決めたのだから。