第255話 温泉宿のお風呂はオーソドックスなお風呂だけです
開かれた引き戸から、大量の湯気が漏れ出す。それを掻い潜り、中に進む。天井が高く、広いロビーのような空間に出る。何名かの男性が薄着で待機している。
「こちらで体を洗って頂きます」
説明係が言うと、薄着の男性が低い椅子を差し出してくる。それに座り、なされるがままになる。温めのお湯をかけられて、頭を優しく洗われる。そのまま布で全身を隈なく洗っていく。立ったり座ったりとしているうちに、洗浄が終わった。ふむ、石鹸は入れたいけど、赤湯で泡立つかが疑問か。別でお湯を用意して洗浄サービスを設けよう。
最後に温めのお湯を全身にかけられて、洗浄サービスは終わった。うん、誰かに体を洗ってもらうのは気持ちが良い。それにきちんと研修要項も守ってくれている。これなら大丈夫か。
「はい。では、湯船へ入る際の注意事項となります……」
いきなりどぽんと浸からない等の注意事項を説明してくれる。一通りの説明が終われば説明係が退席していく。
「かなり、本格的なサービスですね」
ロットがやや呆れた口調で言う。
「まぁ、いきなりお風呂に入れと言われても戸惑うと思うから、初回サービスみたいな感じかな?」
そう言いながら、浴場を進む。一人で体が洗える人間用の洗い場スペースを抜けて、内風呂の一番大きな浴槽に向かう。広々とした岩風呂に赤茶けたお湯が揺蕩っている。手を入れると結構熱いかなと思う程度だ。42から44度くらいかな。長くは浸かれないな。
息を止めながら、ゆっくりと浸かる。
「くはぁぁぁぁ……」
溜息とも、苦鳴ともつかない何かが口から零れる。続いて入ったロットやドルも同じくだ。
「これは……。樽とは全く違いますね。何て贅沢な……」
ロットが全身を伸ばし、リラックスした顔で呟く。
「あぁ。樽は体を綺麗にして、温もる為の場所だが、ここは根本的に違うな……」
ドルも階段に座り、首まで浸かっている。
「外が寒い分、余計に芯まで温まる感じがするね」
そう言うと、2人が頷く。
「樽は、寒さとの戦いだからな。ここは良いな……。どこまでも暖かで全身の疲れが溶け出す」
ドルが蕩けた顔で呟く。気付かない内にストレスで張っていたのか、背中に岩のゴツゴツが当たって、マッサージのように感じる。痛い場所を押し当てる。岩に関しては、削ってつるつるに加工しているので擦れて痛い感じはしない。ただ、湯の花が付いてどんどん形も変わるんだろうなとは思う。
「いてて。やっぱり疲れているのかな。結構全身凝っているのかも」
「父も度々施療士は呼んでいましたね。書類仕事が続くと仕方が有りません」
ロットはまだまだ若いので、そう言う凝りとは無縁のようだ。元々体を動かすのが仕事だし、そんなものか。
粘度は無いサラサラした泉質だが、濁りが強くほんの先も見通せない。
「馬車で座ったままと言うのも有りますが、じんわりと解れる印象ですね……。これは素晴らしい」
レイも額に薄く汗を浮かべながら、入っている。カビアはちょっと熱いのか終始無言だ。
暫くすると女湯側で歓声が聞こえる。リズ達がお風呂に来たのかな?
「リズ!!こけないようにね!!」
そう叫んでみる。
「こけないよ!!ヒロ、大きいね。楽しいよ!!」
リズが負けじと叫び返してくる。あぁ、何か昭和の銭湯って感じだな。
あまり長く入っていると、カビアが心配だ。露天風呂の方に移動する。引き戸を開けた瞬間、外の冷たい空気に体が晒され、一気に冷える。
「うわぁ、やっぱり外は寒いな」
そう言いながら、急いで、露天風呂に移動する。ベランダ状になったデッキチェアの空間を横目に、露天風呂に浸かる。目張りは女風呂との境界も、外との境界も板張りだ。ちょっと風情が無いか。やはり竹垣が良いな……。
湯の温度は内風呂に比べると低めだ。40度未満くらいか。
目張りから外を覗くと、どこまでも広がる平地が見える。まだ庭等を作っていないので、だだっ広いだけだが、これはこれで雄大だ。
「目隠しも含めて、周囲は設計で頂いた木々で囲みます。しかし、木々の選定が偏っておりますが、何か意図がお有りですか?」
カビアが少し冷まされたのか、元気になって聞いてくる。
「あー。景観のバランスを考えると、その方が良いと思ってね。感性の問題だから、不評なら植え替えよう」
松なんかが主体の和風庭園を想定している。枯山水的な庭園を想定しているが、この世界の住人に受けるかどうかは未知数だ。まぁ、様子見かな?
ゆったりと浸かっていると、女湯の方もガヤガヤしはじめる。
「フィア、熱すぎないか?大丈夫?」
ロットが叫ぶ。
「中はちょっと熱すぎかも。外は丁度良い。でも超寒いー」
フィアが叫び返してくる。
確かに内風呂の温度はちょっと高すぎる。もうちょっと下げないと、茹る。
「リズ、中のサウナに入ってから上がると思う。そっちはゆっくりしてて」
「分かったー。外のお風呂、眺めが良いからいつまでも入っているかもー」
リズの返答を聞き、皆の状況を見る。露天風呂は中々好評っぽい。程々に涼みながらゆっくり浸かれるのが良いのだろう。
レイが腰に手拭いを巻き、デッキチェアに腰かける。
「これはまた……。何とも贅沢ですな。寒い最中に火照った体を冷やすなど……」
ゆったりと深く腰掛け、寝転がる感じでデッキチェアに体を預ける。
「さて、サウナも試すかな」
そう言って、露天風呂を出て、再度中に戻る。中の水風呂の向かいの重めの扉を引くと熱気が漏れ出てくる。さっさと入って、手拭いを敷き、板に座る。
「ここは一般的な浴場なんですね」
ロットが体を伸ばし、ストレッチをしながら、呟く。
「まぁ、慣れている場所も必要かなと。浴場には結構行っていたの?」
「子供の頃はよく連れて行ってもらいましたね。成人後はお金が余ればちょくちょく通ってはいましたが。湯に浸かるのを覚えると物足りない感じはします」
「そっかぁ。ドル達は?」
そう聞くと3人共首を振る。基本的にはお湯で体を清める程度らしい。
雑談をしながら、乾いた熱い空気の中で汗を流す。木組みで守られた中を見ると、炭が赤々と燃えている。通気口に手を当てると風の流れを感じる。ふむ。一酸化炭素中毒で死ぬ事は無いか。
そろそろカビアが限界っぽいので、皆でサウナを出る。
「おぉ、涼しいです」
カビアが目が覚めたような口調で呟く。暑い系に弱いな、この子。
水風呂の水を浴びて、汗を流し、そのまま水風呂に浸かる。
「がぁぁぁ、冷たい……。くぁぁぁぁ、でも我慢してたら慣れるな……」
皆がぞくぞく入ってくると、水が揺れて冷たい。
取り敢えず、静かになったところで聞いてみる。
「と言うのが基本の流れだけど、どうかな?集客出来そう?」
「基本と言うと応用が有るのが気になりますが、十分かと思います。広さ的にも100人以上を想定している物と考えますので。少人数だとかなり贅沢な空間ですね。露天風呂のあの解放感は何物にも勝りますね」
ロットが総評をまとめる。
水風呂を上がり、ポンプで水風呂の水を補充しておく。まぁ、いつでも入れるので、上がろうかと言う話になったので、入り口に戻る。
洗い場を抜けた辺りで、説明係の人に止められて、ここで体を拭ってから外に出る旨を伝えられた。ちゃんと説明が機能しているので良かった。
固く絞った手拭いで体を拭いていく。水風呂に浸かったにも関わらず、汗が後から後から噴き出てくる。赤湯は伊達じゃ無いな……。
ロッカーまで戻り、新しい下着と浴衣を着る。皆は説明係に聞きながら着付けていた。帯は普通に木綿の布なので、ちょっと締まる。この辺りは改善かな。
ロッカールームの奥には、一段高い場所にフローリングが敷いており、デッキチェアなどが置かれている。皆でのんびり座って、汗が引くまで涼む。
あぁ、贅沢な時間だな……。そう思いながらぼへーっとデッキチェアに体重を預けながら汗が引くのを待つことにした。