第253話 総料理長は女の子だったのです!!
飯場前で皆と別れ、カビアと共に建物に入る。皆には野営の準備をお願いしている。移動続きの為、早めに休みたい。出張続きのおっさんのような思考だなと苦笑が漏れる。ラウンドアバウト型の交差点も機能し始めて、積載した馬車や人を乗せた馬車が道路に書かれた内容に沿って走っている。まぁ、運用が始まったら、夜間の馬車が走る量は激減するのでぴりぴりしなくても大丈夫か。
飯場に入り、職員に話をする。総責任者は温泉宿で指示中との事なので、歓楽街行きの馬車に便乗させてもらい、歓楽街に向かう。設営状況も大分進み、小規模なら完成した建物も増えてきたとの事だ。わくわくとしながら、門の予定地を抜けて、歓楽街に入る。
各種水路は暗渠化されて、すっきりとした外観になった。建設途中の部分は多々有るが何と無く全体像と言うのは見えてきた。確かに木造建築ばかりで昭和の温泉街だなとは思う。
温泉宿も2F部分は出来上がり、3F部分の骨組みと仮屋根までは上がっている。一番急いで進めているとは言え、10日でここまで進めるんだから、凄いな。
温泉宿に入った瞬間、気温が完全に変わる。元々夏対策で解放を広めに取っていたが、木組みをきちんとして密閉性も上げる構造にしている。温泉の熱が篭っているのか中は暖かだ。ほっとしながらマントを受付に預ける。長旅で汚れているのでそのまま入るのは嫌だ。一緒に靴の手入れもしてくれるので、お願いする。あぁ……。このサービス、もう始めていたのか。確かに化粧床を敷き始めたら必要か。ロビーなどはまだだが、各部屋では実装されている所も有るのかもしれない。
完了の合図を受けて、カビアと共に3Fまで上がる。ここは上顧客用と言う事で部屋数は多く無い。集団を見つけて声をかけると総責任者達だった。
「おぉ、男爵様。お帰りなさいませ。お寒かったでしょう。海の方は如何でしたか?」
「ありがとうございます。こちらに帰ってくると寒さが身に沁みます。ただ、温泉宿は暖かですね。設計上ではいけると思っていましたが、実際に入ってやっと実感した印象です。海の件を含めてお時間を頂きたく考えます」
「なるほど。畏まりました。お昼はもうお済みですか?」
リズ達にはお昼が別々になる旨は伝えている。
「いえ、まだです」
「では、我々もそろそろ昼をと考えておりました。宿の厨房の運転試験も含めて、動かし始めております。どうぞ、ご一緒にいかがでしょうか?」
「良いですね。ご相伴にあずかります」
にこやかに答え、1Fの食堂に向かう。食堂の床の仕上げはまだだが、結構な出入りの痕跡が見られる。壁はかなり仕上がりが見えてきている。石灰が有るので、漆喰が有るとは考えていたが、内側に塗るのか。清潔な白壁が迎えてくれる。
簡易なテーブルに責任者関係の皆と座ると、給仕が席に向かって来て、人数分の白湯のカップを置く。
「日替わりは今日は何かな?」
楽しみという感じが溢れながら総責任者が確認する。
「本日は小麦のパンを焼く日ですね。メインはイノシシのワイン煮になります。温野菜のサラダと合わせてお楽しみ下さい」
料理のレシピもかなりの数を書いた。ワイン煮と言う事は赤ワインで香辛料たっぷりのとろみが有るやつかな?寒かったからありがたいな。ドレッシングもオリーブオイルと若干の酢と塩かな?うん、楽しみだ。
「おぉ、それは楽しみだ。人数分頼めるかな?」
「はい。少々お待ち下さい」
恭しく礼をして、給仕が奥に向かう。
「あれ?侍従ギルドからの人材ってもう入り始めたんですか?」
「いえ。公爵閣下や子爵様よりの派遣ですね。教育係として入って頂いています。侍従ギルドからは今、引継ぎの最中とは聞いております」
「ふむ。と言う事は民間の従業員は入り始めていますか?」
「はい。公爵領、子爵領の公募の人材は徐々に入り始めています。特に温泉宿は開設時の従業員の数が膨大なので、徐々に教育が始まっていますね。農家や商家の家を継げない人間が中心です」
「と言う事は現地には影響は無いですね」
「元々は食い詰めて王都に出るしか無かった人材ですね。王都も仕事は無いですが。ですが男爵様の計画のお蔭で、王都の人材余りも徐々に払拭されております。家に戻られたら、福祉系の官僚からの礼状でいっぱいかと思いますよ?」
そう言いながら、総責任者が苦笑する。
「王都から、公爵領や子爵領に戻り、『リザティア』へ職を求める動きも増えております。中々の倍率と、人事担当も悲鳴を上げておりました」
「人材余りが解消されるのはありがたいですね。福祉系と言う事は就職難民だけでは無く、引退系人材の件も?」
「はい。徐々に契約は結んでおります。軍関係や魔術関係、教育、その他産業系、多岐に渡る人材が揃い始めております。しかし、新しい領地で中々引退系人材を使いたいと言う話は聞きませんが……」
総責任者はそう言うと少し怪訝な顔をする。
「元々引退者の知っている情報が更新されていない為、古かったりして新しい場所で使いにくいと言うのが本音でしょうね。ただ、全く初めから教え込まないで良い分、短期で使い物になると言う利点は有ります。何より仕事が出来るのに安いのは美味しいです」
「はは。そう言う所は流石ですね。そう言う汚れた部分も何の躊躇も無く呑み込めるのですから、やはり為政者なのでしょう。はい、当初はさておき、実際に動きを見れば考えを改めました。しかし、手引き書ですか。いや正直信じていなかったですが、やり方や規格を合わせるだけでここまで効率が上がり、事故が防げるとは思いませんでした」
今回の建築作業に関しては徹底的なマニュアル管理と、現場の規格化、清掃の義務化を行った。面倒がるかと思ったが、皆決まっている事は徹底して守ってくれるので、軋轢が無く良かった。
「ほぉ。そこまで効果が出ていますか?」
「はい。現在報告書をまとめていますので、当初建設が一旦完了した時点で報告はしますが、建築速度で1.5倍強ですね。現場の監督者も驚いております。建築様式も規格化されますので、建てれば建てる程慣れて速度も精度も上がります」
この世界だと通常大工は、現地に合わせて建材の調整を行い建物を建てる。『リザティア』の町及び歓楽街は徹底的に整地を行った。建材の狂いも発生しないので、大工的にはガレージキットでは無くプラモデル感覚で建てられるだろう。
「今後の町や村作りでも応用できる部分は多々有るでしょう。手引書の原本を頂けないのは残念ですが、考え方の部分は持ち帰るように致します」
「はは。私共の大切な財産ですので、ちょっと持ち帰られるのは困ります。ただ、考え方を持ち帰って頂ければ公爵領や子爵領の今後には大きな影響を与えると考えます。大いにお持ち帰り下さい」
「ありがたいお言葉です。公爵閣下、子爵様も喜ばれると思います。あぁ、来ましたね」
給仕がワゴンに乗せて、食事を持ってくる。赤ワインのほのかな香りが食欲をそそる。
「厨房の力作です。さぁ、どうかお召し上がりください」
温かい内にと、ワイン煮に匙を差し込むが、するりと匙が通る。繊維は感じない。ふむ、ダッチオーブンを改良して蓋を重めにした大鍋を設計したが、それで煮たのかな……。流石に圧力鍋までは設計出来ていない。中の圧力と安全機構を短期間で開発出来なかったからだ。
口に含むと、するりと解ける。と同時にほのかな赤ワインの香りと深い葡萄由来のコクが口に広がり、うまみと苦みのぎりぎりのラインを突いてくる。それがイノシシの脂で包まれ優しい甘みに変化する。噛むと、微かに感じる繊維質がぱらりと解け、含まれたソースを口に広げる。強いワインの中で華やかな香辛料の香りがぽぽっと花開く。
「これは……。レシピとは少し変わっていますね……。香辛料が鮮やかだ。ふむ、良い腕ですね。料理人はどのような方なんですか?」
「喜んで頂ければ幸いです。公爵領より来た者ですが、若干変わり者で。東の森に冒険者を雇い、自分で分け入り材料を採取して来ます。地の物で作る事こそが美味さの根底だとの事です」
あは。和食の頑固親父みたいな台詞だな。と言う事は、結構な年齢なのかな?
「呼びますか?」
「お忙しいのでなければ、会ってみたいです」
そう答えると、総責任者が給仕に話をする。そのまま給仕が出ていく。
パンも焼きあがりが完璧だ。ソースと絡めて食べても美味しい。何と言うか、使っている食材は素朴なのに、豪奢な味と言うか、華やかだ。日本でも中々食べられない。これは美味い。温野菜のドレッシングも香辛料の調合が変わっているのだろう。予想していなかったエキゾチックな香りが鼻から抜ける。良い意味で予想を裏切られる。
「お呼びですか?」
清潔な服装をした、10代の女の子がテーブルの横に立っている。まだ二十歳は迎えていないだろう。あれ?お弟子さんとかかな?
「紹介します。アレクトリアです。総料理長ですね」
「いえ。今は人がいないからです。私なんてまだまだです」
謙遜と言うか、真顔で答える少女。え、この子なの?まじで?日本で食べてきた常識が打ち砕かれる。うわー、自分の舌に自信が無くなってきた。老練な技術とか思って恥ずかしい。
「美味しかったです。レシピは書きましたが、ここまで変わるとは思っていなかったです。堪能しました。ありがとうございます」
「と言う事は貴方が男爵様ですか。初めまして、アレクトリアです。レシピ、拝見致しました。あのような独創性溢れる料理の数々。さぞ高齢の方なのかと思っておりました。お恥ずかしい。でも、日々精進させて頂いております。ありがとうございます」
軽く目礼をしたかと思うと、捲し立て始める。おふ……その姿は年齢通りの少女だ。
「この地は豊かです。東の森の産物も面白いです。男爵様のレシピも本当に分からない。作って初めて気付く事ばかりです。私は幸せです。ここで料理を作れる事が」
うっとりした顔で呟く。あぁ、公爵領と言う事は北側か……。難治な分、食材も中々揃わないだろう。楽しんで仕事をしてくれるのなら、ありがたい。
「まだまだ、レシピは沢山有ります。どんどん食材を見つけて開拓していきましょう」
そう言うと、アレクトリアがずいっと寄ってくる。
「な……何か?」
「まだ、お持ちなんですか?レシピを?」
「はい。何百でも、何千でも。故郷は食の坩堝です。覚えている限りは再現出来ますよ?」
そう答えると、無表情で上気していた少女の顔が華やぐ。
「あぁ、ここはなんて楽園なんでしょう。分かりました。頂いたレシピは再現していきます。どんどん増やします。あぁ、楽しみです。あ、そろそろ戻らないと。失礼致します」
何かを思い出したのか、はっとした顔で、頭を下げて、ぱたぱたと厨房に戻る。うわぁ、台風みたいな子だった。
「あー。失礼致しました。何というか、料理の事になると、あのような状態です」
総責任者が慌てて謝ってくるが、気にしないと素振りで示す。
「さぁ、食事を続けましょう。後、海の件ですが……」
食事を進めながら、人魚さん達との交流と交わした契約に関しても伝えていく。
「そのような事態に……。確かに、南西は開明派の影響力が低いですが……。同じ人間がそのような環境になっているのを甘んじるとは何を考えているのでしょうか……」
総責任者も憤慨している。と言う事は王国の常識を考えてもおかしな事態だった訳か……。ふぅむ。西側との付き合いはちょっと考えないといけないな……。まぁ、間に伯爵領が挟まれるからいきなり何かって話ではないだろうけど。
「村の建設に関する変更に関しては分かりました。資料を頂き、急ぎ対応を進めます。そのような非道が早く解消されるよう動きましょう」
総責任者がそう言うと、他の面子もうんうんと頷く。やはり皆も同じ思いか。ますます面倒事の臭いがする。海の村側の防衛をちょっと考え直すか。
その後は詳細な話を進め、日程の調整を進めていく。道に関しては拡張とローマ街道化は後回しにして、物資の移送と職人の移動を少しずつでも進める流れだ。規模の経済が生かせない分ちょっと費用はかかるが、予算がガバガバな状態だと気にするだけ損だ。それにロスティー分で道はなんとかなる。最終的には、当初予算の範疇も超えない算段だ。
「そう言えば、浴場の試験が完了しました。どうですか?お仲間と試しに入られますか?」
総責任者がぼそっと爆弾を投げる。
「お、浴場と言うと、1Fのあれが完成しましたか?」
「はい。マッサージでしたか?施療士達も徐々に集まってきています。長旅でお疲れでしょう。ゆるりと癒されては如何ですか?1Fの使用人部屋は幾つか急なお客様用に開放しております。そちらもお使い下さい」
おぉ?詳しく聞くと、普通にレイ、カビア含めて、皆で泊まれる。テント設営してもらったが、畳むか……。食事は飯場で大丈夫だな。うん、今日は屋根の下で眠れる。
やばい、大浴場だよ。日本含めてどれだけぶりだ?あぁ、記憶が削られている時に温泉に行ったか。でもあれは何かノーカウントだ。家族風呂も利用可能らしい。良し、リズとも一緒に入るんだ。
食事をさくっと済ませ、夜の責任者会議の詳細を確認して、席を立つ。
「カビア、馬車の先触れを頼む。受付で頼める筈だ」
「分かりました。少々お待ち下さい」
カビアが走って行く。その後姿を眺めながら思う。うわぁ、温泉だよ。異世界に来て温泉。楽しみだ……。