第236話 信賞必罰は世の常です、これが出来ないと色々問題が起きます
現地に近付くと、湯気が上がっているのが見えた。おぉ、本当に湧いた!!タロは嗅いだ事の無い匂いに不思議そうな顔をして静かに抱かれている。
泉源まで到着すると、湯気で真っ白で周囲の確認が出来ない程だ。冬場と言うのも有るが、今日は風が無い。
「怪我は無いと聞いたが、大丈夫か!?」
周囲の作業関係者に聞いてみるが、避難が間に合ったようで軽傷者すらいなかった。ほっと息を吐く。
「湧出までは時間がかかりましたが、出てしまえばこの量です。疑っていた訳では無いですが、本当に出ると感慨深いです」
責任者が声をかけてくる。
「現状は?」
「貯水設備に一旦貯まっている状態です。そこを溢れた場合、排水路を通って、最終の温度調整の貯水設備に貯まり、川に流されます」
「貯水設備が満水になるのにどの程度を見ている?」
「もう1時間も無いでしょう。各水門は昨日のご指示の段階で閉めております。影響は無いと考えます」
不備が無い限りは問題無しか……。その不備を見つける為の試験と見るか。貯水設備の暗渠の蓋を開けて、ロープ付きの桶を借りて投げ入れる。上がってきた桶からはもうもうと湯気が立っている。香りは鉄泉特有の若干鉄が錆びたような感じだ。
空気に触れたからか、徐々に赤茶けた色に濁り始めている。手を軽く入れてみるが、かなり熱い。これ、50度とかじゃ無い。もっと高いぞ。
タロが湯気の香りを嗅ぎ、不思議そうな顔でこちらを覗いてくる。
『ぬくいの?へんなにおい?』
いつもは水魔術で生んだお湯で入浴しているから、香りの有るお湯と言うのが珍しいのだろう。もう少し冷ましたら、一番風呂はタロの栄誉にしよう。折角汲み上げた桶だ。
しかし、本当に、皆……。頑張り過ぎだ……。胸に熱い気持ちが溢れ出す……。この一か月、本当に迷いながらも邁進した筈だ。そう思った瞬間、居ても立ってもいられなくなった。
立ち上がり、作業員の皆に向かい姿勢を正す。
「諸君!!」
そう叫んだ瞬間、作業員達が姿勢を正し、こちらを向く。
「ロスティー公爵閣下及びノーウェ子爵様の忠勇なる部下たる諸君。この度の掘削作業に関して大変苦労をかけた。その結果がこれだ!!」
もうもうと湧き上がる湯気をさす。
「この王国の歴史上初めての快挙となる。誇れ!!自らが為した偉業を。ここに王国は新たな歴史を刻む。新しい文化を生む。その産声を上げたこの場に従事した者として、誉とせよ!!」
叫びに合わせ、各員が感極まった顔で目礼をしてくる。本当にお疲れ様だ。このひと月近く延々掘削作業に従事していたんだ。確信がある私ではなく、出るかも分からない物を使ったことも無い機材を使って掘り続ける。上司の指示だけで達成出来る事じゃ無い。彼等の粘り強い努力が有ったからこそだ。
責任者に近付き、聞こえるか聞こえないかの声で話しかける。
「ここの作業員の明日以降の予定はどうなっていますか?」
「はっ!!本日時点で目的は達成されました。今回の機材の使用感を文書に起こし、子爵様に送付致します。その後は各所に散って作業の補助に入ります」
「ならば今晩程度は休めますか?」
「はい。ひと月近くの作業です。現場には別途監視は付けます。作業員一同に関しては休ませます」
「良かった。後で飯場には話を通します。今晩だけでも皆でゆっくり酒を酌み交わし、憩うのを望みます。手配を願えますか?」
「分かりました。皆喜ぶでしょう」
「そうなれば嬉しいです。後、今回の作業者一同の名簿を別途貰えますか」
そう言った瞬間、責任者が怪訝な顔をする。
「何にお使いになりますか?」
あぁ、誤解を招きかねない表現だったのかな?そもそも秘密を知ったから消すとか法治国家では出来ない。日程的に若干遅延は有るので、その叱責の可能性は考えるかな……。
「いえ。折角の名誉です。子爵様より別途褒賞が出るよう話をします。金一封程度かもしれませんが、今後の頑張りの為にも効果が有れば良いですが」
「なるほど……。いえ、大変な名誉です。ただ漫然と作業に従事していただけの我々に格別の配慮を賜り、恐縮です」
恐縮する責任者に微笑みかける。
「信賞必罰です。皆さん本当に苦労してくれました。それを労うのは当然です」
そう言うと、責任者はただただ唇を噛み締め、深々と頭を下げた。それを止め、姿勢を直させる。
「さぁ、話を進めて下さい。ここからは各所、時間との戦いです。一番大切な物は見つけられました。後はこれをどう使うかです。その為にも、もう少しだけ頑張って下さい」
「分かりました!!改めて、作業に邁進致します!!」
そう叫ぶと、責任者は部下たちの元に戻っていき、指示を飛ばし始めた。
「ん?何か有ったの?」
リズが不思議そうに尋ねてくる。
「いや。頑張ってくれてありがとうって伝えただけだよ」
そう返すとリズは取り敢えず納得したような顔になった。
後ろのカビアを呼び、先程の件を伝え、飯場への連絡をお願いした。ノーウェへの文書はカビアに代筆してもらい署名だけを私が書けば良い。その程度の話だ。
開いた蓋の部分から覗ける貯水部分はかなり貯まってきている。もうしばらくしたら排水が始まるか……。湧出量も結構有るな。地盤沈下とか無ければ良いけど……。
桶に手を入れると、我慢が出来る程度に熱い辺りまで温度は下がっている。うーん、源泉は50度超近いのかな、これ。温度計無いと不便だな。
元々水路に関しては、温度が高い場合や低い場合を想定して、複数の経路を設けている。これは高い場合の経路を使って流して下流の温度を見た方が良いか。まぁ、源泉かけ流しでやるには加水出来ない。何とか冷やして温泉宿まで届けよう。
その辺りの指示を責任者に投げる。下流の方には短い経路で、温泉宿には長い経路での流入で水門の調整をしてくれる。ちょっと複雑だが、元々想定していた事態なので、然程の問題でも無い。
そんな事をしていると桶の温度が大分下がって、手を浸けて温かい程度まで下がった。
『タロ、ぬくいの浸かる?』
拭く為の端切れは持ってきている。それにペットが入れる鉄泉は日本でも何軒か見た事が有る。皮膚のトラブルは大丈夫だろう。
『へんなにおい、つかるの?』
ちょっと恐々だが、そっと足から浸けてあげる。深さは体半分超え程度だが、お座りしたら丁度首辺りまで浸かる。
『ぬくいの!!へんなにおい、ぬくいの!!』
きゃんきゃんと鳴き声を上げる。お気に召したのか、ふにゃっとした顔で大人しく浸かり始める。
「気持ち良さそうね」
ティアナが優しい顔でそう告げてくる。可愛い物を見たからか?
「空気に触れると赤茶けるのは鉄が含まれているからなんだ。この水質の温泉は兎に角温まる。きっと浸かったらいつまでも温かく感じると思うよ。それに女性には嬉しい事も有る」
「嬉しい事?」
『認識』先生に聞くと、お湯と答えられるかと思ったが、鉄分を多く含んだお湯との事だ。飲み物扱いしてくれている。少なくとも明確な毒性は無いらしい。
「鉄が含まれているって言ったよね。要は血液の材料になるんだ。飲む事が出来るよ、これ」
「あ……あぁ、そう言う事。だから女性なのね」
血を失う事が多い女性には少し嬉しい。貧血にも効く筈だ。
「名前とかどないしますか?ただの湧き水と呼ぶには不便やと思いますけど」
チャットが聞いてくる。うーん、特に考えていなかった。目の前でタロが銀色の毛をへたっとさせながら桶の中で大人しく座っている。
「温かいお湯が湧き出る泉なので、この現象は温泉と名付けるよ。この場所は、銀狼の湯とでも仮称で付けようか」
「それ、仮称やなくなる思いますよ?」
チャットが呆れたような苦笑いを浮かべる。
タロを桶から出し、真水のお湯で洗ってあげる。温泉成分がどう言う風に影響するかが読めないので、程々辺りから慣れてもらう。風邪を引く前にさっさと端切れで拭いてあげる。
『ぬくいの、すき!!』
温泉はお気に入りのようだ。快の気持ちが伝わってくる。わしゃわしゃと拭い、濡れた感触が無くなるのを確認する。
桶をお湯で洗い、元の場所に返しておく。話を聞くと、もしもの時に排水用で用意していた物なのでそこまで気にする物でも無かった。
しかし、水源を考えると、北側に温泉を沸かすだけのマグマが潜んでいると言う事か……。それとも深層地下水型か……。
北の山を実際見た事が無いから何とも言えないけど、1800mから2000m級の山ならこの温度も分かるか。
まぁ、神の気まぐれと言う線も捨てきれないのが痛いところかな。まぁ、神様との約束は一つ達成出来そうだ。
ほっとすると共に、設備が出来た後の神様の訪問に若干頭を悩ませながら、今日の快挙に拍手を送りたい。そんな気分になった。