第223話 雄として胸の谷間に潜り込むのは浪漫だと思います
部屋に戻り、タロを膝に乗せて、決裁系の書類を見直していく。基本的には建築系と各ギルド及び商会への利権調整が主だ。土地の利用に関する決裁も有るので、町の概要図と合わせて確認を進める。
王国法に著しく外れているものだけは念入りに確認しているが、特に見つからない。これはカビアの功績だろう。良く見ている。
ただ、計算が面倒臭い。スマホの計算機で計算していくがフィードバックが無いので気持ち悪い。この世界の人間はどうやって計算を処理しているんだろう?算盤を早めに開発すべきか?
海の村はやはり広い道の開通を先行させないと、効率が悪いとの報告が注釈で付いていた。最低限の村を作るにせよ、食料や生産物のやり取りは発生する。
いきなり大量生産は無理なので、藻塩辺りから始めようと考えているが、それも先になるのか……。予算に余地が有るので、道幅を広げる部分だけでも先行出来ないか明日確認するか。
タロは温かいのか大人しい。ふと見ると、寝てしまっている。そのまま抱きかかえて、箱に戻して毛皮を被せる。
引き続き書類の確認を進めていく。読みづらいなと思ったら、かなり日が傾いていた。窓からの明かりも赤くなっている。ちょっと集中し過ぎた。
木窓を閉めて、キッチンに手伝いに向かう。領主館の政務室だけには窓ガラスを嵌め込んでもらう話に変えた。冬の最中に窓を開けて採光しないといけないのは暖房効率が悪すぎる。
冬の寒さを体験して、透明度は低いらしいが、無いよりはましだと諦めた。引き戸は開発されているので、注意して扱えば問題無いだろう。
キッチンでは引き続き、ティーシアの引継ぎが行われている。頑張れ、リズ。皿出しや、鍋の確認など邪魔にならない程度に手伝っていく。そんなばたばたした中に、アストが帰ってくる。
テーブルに並んだ温かい料理に舌鼓を打つ。黒パンは嫌いでは無かったが、白パンが混じるようになったのは驚きだ。そこまで財政状況が改善しているのだと嬉しくなる。ただ、黒パンで摂取している筈の栄養素も有るので、気にはしようと考える。
お風呂を済ませ、部屋に戻ると、リズが書類を覗いていた。
「面白い?」
「んー。あまり面白くは無いかな……。これ全部読まないと駄目なんだよね?」
「蝋燭の光だと、目が悪くなるよ」
そう言いながら、すっと書類を抜き取る。
「そうだね。自分が指示した事が正しく行われているか、きちんとお金が管理されているか、その辺りは把握しないと何か起こった時に大変だから」
リズの疑問に答える。結局日本でも、ここでも、書類を読むのは自分を守るためだ。誰の為でも無い、自分の為、自分の守るものの為に確認している。
「大丈夫?」
「ん。カビアも手伝ってくれるから、大丈夫。心配してくれてありがとう」
自身もティーシアの愛の鞭で疲れているだろうに、心配してくれるのがいじらしい。ありがたい話だ。
ふと高まって、抱きしめる。
「リズは大丈夫?疲れていない?」
「疲れているけど、ヒロが言ってくれたから大丈夫。新しい家でお母さんの味、再現するね」
そう言って、抱きしめ返してくれる。あぁ、この家の味が引き継がれるのか。良い事だ。私ももう慣れた。今となっては我が家の味だ、願わくば一生食べ続けたい。
そのまま抱きしめ合って、ベッドに倒れ込む。ただ、2人共疲れていた為、大人しく布団に潜り込む。蝋燭を消して、領地までの旅路を話し合っている途中で虚ろになった。
1月20日は朝になっても薄暗い。あれっと思って窓を開けると雪が降っていた。まだ積もる程では無いが、結構粒のしっかりした雪だ。これが積もってしまうと雪道になる。出発をどうしようか考えてしまう。
まぁ、出来る事からと言う事で、タロに食事を与える。流石に窓を開けて採光出来る環境では無いので、燭台を持ってキッチンに向かう。今日からは丸のままで与えてみてどうかを観察する事にする。
「タロ、待て」
そう言って、皿を差し出す。しっぽは落ち着きなく振られているが、きちんと待っている。
「良し」
そう告げると、皿に突進し、咥える。が、切れていない一枚肉に一瞬戸惑う。端を噛み、引っ張ってちぎるがまだ大きい。それ自体が娯楽で快感なのだろう。いつも以上に快の感情が伝わってくる。
『まま!!いのしし、かむ、うまー!!』
細かく噛みちぎりながら、咀嚼していく。きちんと自分でちぎって食べられるのなら、一安心だ。タロが自分で獲物を狩って喉を詰まらせましたとか洒落にならない。
いつも以上に豪快に食べて満足したのか、おねだりは無かった。そのまま丸くなり、食休みに入ろうとする。抱き上げて、箱に戻す。もそもそと毛皮の中に行く様はいつまで経っても子供っぽい。まぁ、まだまだ子供か。
本当なら兄弟姉妹に囲まれて、押し合いへし合いしながら学んだ事を学べないのは寂しいだろうな。見つけなければ、死んでいただろうけど、怪我さえしなければ他の生き方も有った筈だ。そう考えると少し遣る瀬無い。
リズを起こし、ティーシアと一緒に朝ご飯の用意を進める。アストは空模様と雪を見て、今日の狩りは諦めたようだ。装備は置いて、普段着になっている。器具の整備をすると言っていた。
リズはお掃除の仕方レッスンに引っ張られていった。
私はカビアとの打ち合わせの為、今日も屋敷に赴く。門衛から応接間までの流れは同じで、カビアとの対話を進める。
「海側の村までの道ですか?成程、拡張を先行して行うと言う事ですか?」
「塩は交易の大きな柱になる。最低限『リザティア』の消費を賄うだけでも大きな利益だ。街道敷設は並行して行うにせよ、整備及び村の建設は進めたい」
「分かりました。公爵閣下よりも予算外での予備金が大きく用意されております。内容を伺ったのですが、恩を返すとしか仰らないのです。これを一旦充てて進めましょう」
あー。リバーシの話かな?しかし300km超のインフラ敷設に回せるだけの予備金ってどれだけの額だ……。後で計画書と予算表を見ないと怖いな。
「じゃあ、それの計画書と予算表までは今日中でお願いは出来るかな?」
「はい。大きな処理は終わりましたので本日中には作っておきます。問題無ければ明日署名を頂き、子爵様経由で王国内の決裁が下りれば実行です」
親の親レベルで済むなら、ロスティーで決裁か。間違い無く進むな。よし。
「じゃあ、政務はこのくらいで。昨日聞いた服の量だと、ちょっと足りないので補充をしに行こう。古着で良い?」
「はい。普段は古着ですし、執事としての業務時のみ、まともな服装であれば問題無いです」
「うん。それでは、行こうか」
そう言って、カビアと服飾屋まで向かう。カビアも社会人歴は長いし、政務官僚として給与は貰っている。実は結構な金持ちだ。厚手の服や下着類をまとめて選んでいく。ふむ。センスが良い。
こっちは狩りと兼用なので地味な服だが、中々お洒落な着こなしを目指している。ふーむ。日本から執事服、メイド服を持ち込んで、こっちで縫製させて揃えようかな。型紙も持ち込もう。後ディーラー服は絶対に持ち込む。あれは良い物だ。
後は毛布等の野営関係を買い込み、大荷物を持って屋敷に戻る。
「男爵様、自分で持ちますが……」
「無理だろ?結構な重さが有るし。まぁ、日頃頑張ってくれている分の礼だよ」
そう言って、屋敷まで送り使用人に荷物を渡す。カビアには明日の朝、馬車で待つように話をしておいた。
後は、各所に頼んでいる物の回収かな。木工屋に向かうと、主人から出来ている旨を貰ったので、そのまま受け取る。衝立と玩具複数種だけあって、嵩張る。重くは無いが邪魔だ。一旦屋敷に戻って馬車の荷物置き場に置いてもらうか。
そう思って、屋敷に戻り、門衛に馬車置き場まで誘導してもらい、衝立を荷物置き場に置く。んー。ちょっと嵩張るか……。トランクには余裕あったけど積めるかな。
次はてくてく鍛冶屋に向かう。
「ご機嫌如何ですか?」
「良いよ……、もう。それ、確定なのか?普通に挨拶で良いんじゃねえのか?」
「様式美です。湯たんぽを受け取りに来ました」
「おう。除けてるよ。そこの箱だ」
木箱の中を覗くと、湯たんぽが木屑に包まれ置かれている。
「おぉ。態々梱包まですみません」
「いや。10個で箱作ってっから。それ1個除けといた。数だけ確認しといてくれ」
「はい。大丈夫です。じゃあ、回収しますね」
「おう。気を付けて行って来いよ。あぁ、温石だったか?あれもテスト中だ。帰ってくる頃には出回ってると思うぞ」
「ありがとうございます」
そんな感じでネスと雑談をしていると、奥からドルが出てきた。
「リズの足回り一式が取り敢えず出来た。ここからは微調整になる。リズを呼んでもらって良いか?」
「おぉ。早いね。分かった、伝える。昼ご飯の後でも良い?」
「あぁ、こっちも食事を取る。後で良い」
片手で箱を保持し、手を振りながら店を後にする。
時間的に昼ご飯時なので家に戻る前に、食堂に寄る。男爵領は飲食店街の充実もさせたいな。歓楽街の方にまとめてしまうか……。でもそれだと住民が使いにくいか。選択肢は増やしてあげたい。うーむ。
そんな事を考えながら、胡椒の利いたスパイシーなイノシシのソテーを食べて満足する。スープも山羊の乳ベースのミルクシチューでここの定食は採算を度外視している気もする。うーん。良い腕だが、引っこ抜くと間違い無くノーウェに怒られそうな気がする。
ある程度食休みを取り、雪が舞う中、家に戻る。リズはティーシアと主寝室で掃除の特訓中だった。
「リズ、今大丈夫?」
「うん。どうしたの?」
「ドルが装備出来たから、微調整に来て欲しいって」
「鍛冶屋だよね?分かった。一段落したら行くよ」
そう言って、また掃除に戻る。ティーシアが般若モードで指導中だ。まぁ、君子危うきにと言う事で、湯たんぽの箱を担いで屋敷に向かう。
門衛がこちらの顔を見ると、黙って誘導してくれる。荷物置き場に箱を置くが結構ごちゃごちゃしている。積載に余裕は有るが、嵩張る物が増えているので、ちょっと手狭になるかもしれない。
そんな事を考えながら、てくてくと再度家に戻る。リズは入れ違いで、鍛冶屋に向かったようだ。訓練する程の時間も無いので、タロの散歩でもと部屋に戻る。
首輪を取ると、タロが興奮し始める。首輪を付けて、玄関を出ると舞う雪に驚いたのか硬直する。
『まま、なに?』
『雪だよ』
『雪……、食べ物?』
『食べ物じゃないよ』
ちょっと残念な思考を感じながら、雪の中を歩き始める。道には積もっていないが、木々の下などにはうっすらと雪が積もっている部分が見られる。このまま夜中まで振り続けると面倒だなと再度思う。
時間的には朝出た馬車が着く頃なので、町側の道に出るコースを散歩する。タイミングが合えば、帰りの馬車が見えるだろう。
タロは舞う雪が珍しいのか、落ちてくる雪を捕まえようと、ちょろちょろと飛び回っている。ただ、掴んでも咥えても溶けるので、あれぇ?みたいな顔をしているのが可愛い。
そろそろ戻ろうかなと思った時に、道の果てから馬車の音が聞こえてくる。見覚えのある馬車だ。端によって、馬車が通り過ぎるのを待つ。タロは初めての馬車に驚いたのかきゃんきゃんと鳴いている。馬に慣れさせないといけないか。
そのまま道を戻り、再度屋敷の門衛に手を振ると、そのまま馬車まで誘導される。
「お帰り、皆。結構早かったね」
そう言うと、下りて荷物の整理をしていた皆が口々に喋りだす。フィアとロットは無事、ロットの家族に認められ、食事も出来たらしい。後は結婚まで一直線だろう。
「リーダー、マントが薄手でしたので、予備を買っておきました」
ロットがそう言いながら、端切れの包みを渡してくる。開けると生成りのトライバル柄だが、蝋引き加工の中に綿入れが縫い込まれた冬仕様のマントだった。おぉ、ありがたい。流石ロット。気が利く。
他の皆も、それぞれ買い物は問題無く済ませたようだ。初めての人もいるので、タロを紹介する。
「これがタロ。結構大きくなったでしょ」
そう言うと、女性陣の目が輝き始める。なんで子○○に弱いかな。まぁ、本能か。タロはお座り状態でもみくちゃにされるのを泰然自若に耐えている。嗅ぎ覚えのある匂いも混ざっているので気にしていない気もする。
「狼の子で御座るか。某見るのは初めてで御座るな。おぉ、何とも可愛らしい」
前脚の脇を持ち上げながら、リナが呟く。タロも初めての匂いに興味津々でくんくんしている。
「おぅおぅ。可愛いで御座るな。ほれほれ」
リナが抱きかかえ、頭を撫でると気持ち良さそうにしながら、胸の間に潜り込もうとする。温かいのだろう。
「これこれ」
そう言いながら、リナに下されてちょっと残念そうなタロの思考が伝わってくる。
「雪だったけど、大丈夫だった?」
皆に聞いてみると、レイが答える。
「はい。まだ積もる程の話では無いですので。徐行の必要も有りません。雲の動きを見る限りは明日は晴れと見ますので、出発には影響は無いでしょう」
軍で長く外を走り回った人間の言うセリフだ。そうなのだろう。
「分かった。じゃあ、皆、明日は予定通り、ギルド前で集合と言う事で。積める荷物は先に積んでおいて」
そう言うと、また前回と同じくトランクもどきの中身を点検し始める。今回は共用物を増やしたらしく、前回に比べてかなり圧縮されている。テントや湯たんぽが増えても、大丈夫そうかな。
「レイ、申し訳無いけど、事前の荷物の積載をお願い出来るかな?」
「畏まりました。対応致します」
レイが目礼し、飼料箱を下し、整理を始める。
後はタロを抱き上げて、馬に近づける。馬の方も狼では有るが子供なので、怯えたりはしない。
ふんふんと嗅がれ、ぺろりと大きな舌で舐められる。タロも負けじと嗅ぎ返し、ぺろぺろと舐める。挨拶っぽい。それぞれの馬と挨拶が終わると安心したのか足元にじゃれつく。馬も踏まないように注意しながら、あしらってくれる。
「んじゃ、私は戻るね」
皆にそう告げて、家路を急ぐ。タロも色々有って興奮したのかしっぽを振りながら、ぱたぱた進む。馬なんて初めて見たし、人間以外の生き物との触れ合いも初めてか。
雪は徐々に弱まってきている。雲も薄くなってきたのか、一部は夕暮れの色を映し始めている。前回もそうだったが、今回も初めて尽くしの旅になりそうだ。気合入れて問題を起こさないようにしよう。
家に戻ると、リズが既に戻ってキッチンの手伝いをしている。
「装備は大丈夫そうだった?」
「うん。ドルの見立てで問題無し。微調整と言っても締め付けるベルトの調整とかだったよ」
笑顔で答える。
「そっか。んじゃ、タロ戻して手伝うよ」
「ありがとう」
振り向きざまにキスを交わし、部屋に戻る。タロ用の湯たんぽにお湯を入れ、箱の下に敷いておく。流石にちょっと冷えただろう。小さな体には堪える筈だ。
温まったのを見計らって、タロを箱に戻し水を足してあげる。温もりに安心したのか、水をぺろぺろと飲み、毛皮に潜り込み丸くなる。
それを見守り、キッチンに向かう。アストは点検整備が終わったのか、テーブルに着いている。料理はほぼ出来上がっていたので、皿運びなどを手伝う。
「では、またひと月程、旅に出ます」
食事が始まってしばらくして、アストとティーシアに告げる。前から話はしていたので、特に異論は出ない。
「雪の危険も有る。十分に気を付けて行って来い」
アストが若干心配した顔で言ってくれる。
「はい。ありがとうございます」
温かい雰囲気のまま食事が終わり、いつも通りお風呂も終わらせる。馬に舐められたタロは念入りに洗われていた。ちょっと臭い。
「いよいよ明日だね」
ベッドに並んで潜り込み、天井を見上げながらリズが囁く。
「冬の最中に大変だけど、責任者としては見ない訳にいかないから」
苦笑が零れるが気にせず答える。
「ううん。皆の問題なんだから気にしてもしょうがないよ。頑張ろうね」
リズが首を振りながら、手を握ってくる。それを握り返し、答える。
「怪我無く戻れるよう、細心の注意は払うよ。リズも気をつけてね」
そんな他愛のない話をしながら、夜は更けていく。軽くキスをした後はお互い何も言わず、ゆっくりと目を閉じた。