第208話 初めてのお散歩
溜まっていた洗濯物をまとめて洗濯する。タロの敷き布に使っている端切れも洗う。石鹸作って良かった。
物干しに干しながら、タロの今後を少し考える。走ると言う事はそろそろ行動範囲を広げてあげないといけない。
ベルトは有るので、首輪の開発はすぐに出来るだろう。リードは丈夫な紐で十分か。ネスだな。
設計図と運用のポンチ絵をさくっと描いて、ティーシアに少し出る旨を伝えて、鍛冶屋に向かう。
「お疲れ様です。ご機嫌如何ですか?」
「良いよっ!!だから、気持ち悪ぇつってんだろ!!」
「まぁ、挨拶なので。で、相談なんですが、これ作ってもらえませんか?」
設計図とポンチ絵を渡す。
「あん?革のベルトを狼の首に巻くのか……。確かに、これなら逃げねぇか。紐結ぶ部分をどう縫い付けるかか。あぁーちょっと待ってろ。これならすぐに出来る。ループ用のベルトに穴開ければ済む話だ」
そう言って、太めで長いベルトループを持ってきて、穴を幾つか追加で開けていく。子犬から成犬まで使える限りは使いたい。ぶっとい針で革紐をループ状に縫い付けていく。流石本職。手早い。
「ほれ、これで良いだろ」
手渡された首輪は、そう重くも無い。これならタロも嫌がらないだろう。
「ありがとうございます。お代はお幾らですか?」
「けっ。片手間だ。湯たんぽの件でチャラだ、チャラ」
手を振りながらネスが答える。本当に職人気質な。苦笑が浮かぶ。
「分かりました。ありがたく受け取ります。今日もドルは?」
「おぅ。中で作業中だ。ガントレット作っているから、嫁さんの左腕じゃ無ぇか?キュイッスも土台は作り始めた」
「それは助かります。キュイッスまでいけば、後は腰と上体ですか」
「あぁ。その辺りはちょっと加工に手間がかかる。本人がいねぇと調整も出来無ぇ。纏まった時間が無ぇと難しいな」
「ですね。まぁ、護衛試して、新領地見物が終わったら、また纏まった休養入れます。その時にお願いしましょう」
「そうしてやれ。奴も生粋の鍛冶屋だ。鉄に触れりゃ気も紛れるだろ」
ハンマーで肩を叩きながら、そう言う。まぁ、本職がそう言うんだから、そうなのだろう。
「すみません、助かりました」
「いや、構わねぇ。つか、これ普通に犬飼うのに使えるよな?」
「そうですね」
「はぁぁ。これも特許か?」
「片手間でしょう?出しても無駄なので、出しません」
「そうか。まぁ、猟犬飼ってる連中にも伝えておく」
「はい。それで結構です」
そんな感じで、首輪をゲットした。まだ夕暮れと言うには早く、空も赤くなり始めた程度だ。
家に戻り、首輪を体に擦り付ける。全体に隈無く擦り付けて、匂いを移す。革の匂いだけだと嫌がりそうだ。
部屋に戻ると、まだ夢中で骨と格闘している。もう抱き着いて、後ろ脚で蹴ったりしている。ちょっと野生な感じがして、可愛い。
「タロ、帰ったよ」
声をかけると、正気を取り戻したのかしっぽをふりふり走って近付いてくる。のを、がしっと捕まえる。若干、びくっとされた。
『まま?』
首輪を取り出し、匂いを嗅がせる。鞣しの臭いが好きじゃないのか、若干嫌そうな顔をする。ただ、私の匂いもするので、興味は惹かれている。
そっと首元に巻いて、穴を調整する。するっと頭が抜けなくて、首が閉まらない程度に調整してみる。苦しくは無いのだが、首に違和感が有るのか、頻りに後脚で蹴っている。
ループの部分に細身のロープを通して括る。ゆっくり歩き、紐を軽く引っ張るととことこついてくる。そのままドアから出て廊下を歩き、玄関まで行くと初めての為、興味津々で嗅ぎまわる。
何だかいつまでもそうしていそうな気配を感じたので、ドアを開けて外にそっと引っ張って出す。一瞬ドアの辺りで躊躇したが、そのまま外に踏み出す。
ふんふんと周囲の匂いを嗅ぎ、しっぽを振りだす。初めての匂いばかりだ。もう、興味でいっぱいだろう。
『まま、たくさん、ない!!』
あー、分からない、知らない事が沢山有るという意味かな?
『知らない、分からないと覚えてね。匂いを嗅いだ事が無い物は知らない。匂いを嗅いでも何だろうと思う物は分からないで良いよ』
『馴致』で教えていく。
『まま、たくさん、しらない!!』
興味のままに周囲を嗅ぎながら唐突に走りだそうとして、首輪が締まりぐえっとなったりして、可愛い。もう、周囲全てが新天地だ。家の狭い空間がタロの世界だったのが一変したのだ。
もう、歩いては嗅ぎ、歩いては嗅ぎの連続で裏の庭に回って歩かせていく。土の感触、草の感触が気持ち良いのか、もう紐の範囲いっぱいに駆け回る。
『まま、きもちいい!!』
ひゃんひゃんと興奮しながら鳴き、興味が惹かれた物は嗅ぐ。ただ、口にしようとする時は叱る。拾い食いは危ない。飽きるまでタロについていき、裏庭を堪能させる。
やがて疲れたのか、足元に寄ってきて擦りついてくる。抱き上げて、そのまま玄関で足を端切れで拭い、部屋に戻して首輪を外す。解放感と安心感でふにゃっと四肢を弛緩させて、でろんとなる。
『まま、おもしろい、たくさん』
散歩が気に入ったのか、興奮したようにひゃんひゃん鳴きながら『馴致』で感情を伝えてくる。それを撫でながら聞いて、答えていく。やがて疲れたのかうとうとしだしたので、箱に戻し、毛皮を被せてあげる。
そっと部屋を出て、キッチンに向かう。ティーシアに首輪の使い方を説明する。出来れば、留守の間短い時間で良いので裏庭で遊ばせてやって欲しいとお願いし、快諾してもらう。
部屋に戻り、そっと溜息を吐く。生き物を飼うのは怖い。昔は無邪気に一緒に成長したから分からなかったが、今となってはどんなに恐ろしい事をしていたか分かる。親が後ろでフォローしてくれただけだ。
タロだって、まだまだ子供だ。何が問題になるのか分からない。だが温室の中で閉じ込めたまま育てるのはエゴだ。出来れば興味の赴くままに、自由に生きて欲しい。自然に返すのも選択肢だが、もうここまで手を入れては難しいだろう。
責任を持って、育て上げないといけない。それが飼い主の権利であり、義務だからだ。
一息つき、夕ご飯の手伝いに行こうとすると、リズが部屋に戻ってきた。どうも食事の用意が一段落ついたらしい。
「狼って、骨食べるの?」
リズがタロの様子を見たのか、聞いてくる。
「食べ物の香りと噛む事が楽しいと言う感じかな。食べている訳じゃ無いよ」
箱の中の骨を取り出し、リズに差し出す。かすかに歯形が出来ている。あの歳でも立派に噛めるんだな。
「ほら、こんな感じで噛んで遊ぶのが狼の習性だよ」
「へー。そうなんだ。何か、骨なのかタロなのかみたいな感じで食いついてはゴロゴロ転がっていたから、何かと思ったよ」
中々激しいプレイだったようだ。流石雄。その辺りは雄々しいのか。
そんな感じで、リズとタロについて雑談をしていると、玄関から呼び出しの声がかかる。やはりか。
「あれ?あの声って……」
「私のお客さんだよ」
そう言って、玄関に向かう。ドアを開けると、ノーウェの執事が護衛を2人連れて立っていた。
「お忙しい時間に失礼致します。男爵様」
「いえ。お気になさらず。そちらこそ。態々ここまで来られるとは。ご用件は何でしょうか?」
「今回のオーク討伐に関して、子爵様より報告内容の確認をしたい旨、承っております。お手数ですが、明日朝食後で結構ですので、お時間を頂けますでしょうか?」
「分かりました。明日ですね。喜んでご訪問する旨お伝え頂けますか」
「畏まりました。良いお返事を頂け、安心致しました。非礼ながらこれで。失礼致しました」
そう言うと、目礼をしながら去っていく。向こうも忙しい身だ。態々私相手に先触れとは。面倒をかけたな。
どちらにせよ情報の価値が分かっているノーウェだ。直接話を聞きたがるのは分かっていた。こちらから先んじて出向いても良かったが、まぁ偶には貴族らしく向こうの使用人に花を持たせるのも良いかと思った。
「誰だったの?」
リズが訪ねてくる。
「子爵様の執事さん。今回のオーク討伐の詳細が聞きたいから明日朝に屋敷まで来てねって」
「そっか。何か良い物貰えると良いね」
リズが無邪気ににこにこと言い出す。
「十分報酬は貰っているからね。まぁ、向こうも詳細は確認したいだろうから大人しく行ってくるよ」
若干苦笑が混ざりながら、答える。
後は雑談をしながら『薙刀術』の事を考える。明日はちょっと試してみるか……。
そんな穏やかな時間を過ごしていると、アストが帰って来た。そのまま夕ご飯となり、お風呂となる。
順に入っていき、リズが眠っているタロを掬い上げて持っていく。キッチンの方から嬉しそうにひゃんひゃん鳴く声が聞こえるので、起きたのだろう。
ほかほかの両者が戻ってきて、ベッドで戯れだす。タロが頻りにリズの服の端を噛んで、首輪の方に引っ張ろうとする。
「あれ?何これ?ベルトのループ……にしては大きいよね?紐が付いてるよ」
「タロの首に着ける物だよ。勝手に遠くに行くと危ないから。それを首に巻いておけば、安心でしょ?」
「あぁ、成程。あぁ、タロ外に出したの?喜んでた?」
「凄く喜んでいた。明日はまた狩りに出るの?」
「んー。ちょっと疲れているから、休みたいかな。流石に今回は色々疲れたよ」
眉を寄せながら、リズが答える。
「じゃあ、明日は用事が済んだら一緒にタロとお散歩しようか?」
「うん、楽しそう!!」
そんな会話をして、お風呂に向かう。上がって戻ると、リズがタロに食事を与えていた。
「あれ?ごめんね。ありがとう」
「ううん。私が飼いたいっていったのに、ヒロに任せっきりだから。偶には私もあげたいよ」
ティーシアに教わったのか、離乳食もきちんと潰せている。タロも安心して食べている。タロもこの辺りの関係は完全に把握したのかな。
食べ終わると、少し骨と格闘していたが、疲れが出たのか、すぐに毛皮に潜り込んでいった。
「やっぱり可愛いね。ヒロが飼わないって言うからどうしようかと思ったけど、飼って正解だったよ?」
「その辺りはきちんと世話が出来るようになってから言って欲しいかな?怠け者の娘さん」
そう答えると、ぽかぽかと叩いてこられたので、ベッドに退散する。追いかけてくるリズを捕まえて、そのままの勢いでベッドに押し倒す。
「んー。まだ、子供は無理だけど、予行演習をしようか?」
「何か、ずるい。怠け者扱いされたのに……」
そう言うリズの唇を塞ぐ。そのまま、蝋燭を魔術で吹き消す。冬の最中温かな夜が更けていく。