第206話 紐文字って数字なのか文字なのか未だに謎なんですね
集落の中のオークの反応を『警戒』で探り、残存兵力及び生存者が残っていないかを確認していく。
私は、糞を投げられて牽制された兵の傷を水魔術のお湯で洗い流し、傷のチェックをしていく。糞の所為で破傷風の危険が高い。そこまで考えているなら、相当高度な戦術を考えている。
数人がかすり傷を負っていたので、念の為破傷風菌を含めた菌類の滅菌をイメージしながら神術で治していく。それ以外の怪我人は曲射と魔術を受けた数人だが、それは従軍の神術士が治療している。
「いや、本当に助かりました。最後は私が狙われておりましたのを、態々男爵様が抑えて下さるとは。心より感謝致します」
治療行為が一段落すると、騎士団長が近付いて来て話しかけてくる。私は笑顔を張り付けて対応する。
「いえ、子爵様の大切な方々です。万に一つも有っては大変です。大事無く、良かったです」
「優しいお言葉痛み入ります。しかし、男爵様の大殊勲です。これは子爵様にも必ずご報告致します」
正直、賛辞の言葉も虚しく耳を通り抜ける。営業用のペルソナを被り、非が無い程度に対応するのが精一杯だった。
一頻り賛辞の嵐を浴びせると、騎士団長は指揮に戻っていった。
私は仲間達と、集落の中に踏み込む。ダイアウルフの件も有る。調査の必要を感じたからだ。
建物と言うか、骨組みに皮を被せたテントもどきを開くと、中では生活の残滓が色濃く残っていた。
粘土を焼いた甕や皿、それに皆は気付かないだろうが成形された石。これは石貨だろう。魔物サイドでも経済が回っているんだろう。
ふと足元を見ると、動物らしき形に模られた泥の塊が有った。子供が作ったのだろうか、稚拙ながらも特徴は出ている。故に、悲しかった。
各テントを覗くが、何処も似た感じだった。首魁の為の大きな天幕の中も見たが、堆く積まれた稚拙な加工の毛皮や数点の鉄製の剣や槍、それに何かの意匠なのか旗のような物がかけられていた。
やはり、一定の文化と技術が有る、か。書物の類は無かった。文字文化は無いか、文字以外で記録を残しているのかもしれない。インカ帝国の紐文字なども考えればその可能性は高い。
特に得られるものは無かった。やはりこちらの動きを察知して、逃走の準備をして動いたという判断は正しいのだろう。荒々しく、荷物が散乱している場所が有る。
テントを出て、皆に手伝ってもらい炉や砥石等を探すが、発見出来なかった。と言う事は、この集落以外で生産されたか、オークに渡した何らかの存在がいると言う事か。
ダイアウルフに関しては、集落の外側の一部にその糞らしき物が散乱していた。十中八九集落で飼っている形ではなく、通常は離して生活させて必要な時に『馴致』で従えるのだろう。
そうで無ければ、ダイアウルフの食料も用意する必要が有る。そんな余裕が有る生活では無さそうだ。
残っていた食料も正体不明や読み方が特殊な木の実や狼等の肉だ。持ち帰っても、消費しようがない。
最後に、首魁の姿を見に行った。最後の特攻は判断として間違ってはいない。あのタイミングで騎士団長にもしもが有った場合、綻びが生じる可能性は有った。
そこを突いて逃走すれば生き残る可能性は十分有った。奪ったスキルの高さを考えても、この首魁は相当の手練れだ。普通にやり合ったら、間違い無く犠牲者が出ていた。
悔いに目を見開いた姿に哀れを感じ、無理矢理瞼を閉じさせる。ドルに鎧の精度を見てもらったが、稚拙の一言だった。接合部もガタガタで関節部もまるで精度が出ていない。
正直、まともに動くのも難しい代物だというのがドルの判断だ。だが、今精度が悪くても、何時かは精度も上がる。それが本当に恐ろしい。
それにグレイブもその技術の先で作られた品だ。稚拙とはいえ刃を鋳造出来る技術は有るのだ。量産も可能だろう。
スキルに関しても突出していた。『薙刀術』が1.16も入って来たんだ。どう考えても、2以上3近くの実力の筈だ。レイを考えれば3超えは人類で考えても最高峰に近い。
オークの歳の取り方は不明だが、そこまで老人といった感じでは無い。どれだけの戦場を潜り抜け到達した極みなのか。その人物が、何故こんな場所にいたのか……。
仲間達は軍の手伝いに回した。流石に従軍依頼だ。お客様扱いと言っても手伝いをする必要はある。
私は一人、血糊に濡れていない場所の岩に腰かけて考え込んでいる。今回の顛末をだ。やはり、日本人と言う範疇からは抜け出せない。人類を殺した事実に打ちのめされている。それがエゴで有ったとしてもだ。
ふと、後ろから抱きしめられる。リズかな?
「どうしたの、リズ?」
「また、何時もの顔をしているよ、ヒロ」
少し悲しそうな、寂しそうな声が耳元で聞こえる。
「んー。これはきっと私の問題だよね。オークにもオークの生活が有ったんだなって思うと、少しね」
そう言った瞬間、強く抱きしめられる。
「ごめん。私もその気持ちは分からない。仲間も一緒だと思う。でもね、そんな優しいヒロが辛いのはちょっと悲しいかな」
「大丈夫、すぐに立ち直るよ」
抱きしめた手をぽんぽんと安心させるように叩く。
「あのね、考えて。もしヒロがゴブリンをどうにかしていなかったら、今回の事が村で逆に起こっていたんだよ」
そう、それは考えた。600を超える、下手したら1000近いゴブリンが一つの村を襲う。壊滅だろう。リズがその中にいたら?考えたくも無い。ぎしっと奥歯が噛みしめた拍子に軋む。
「ヒロはね、いつもそう。折角多くの命を守ったのに、奪った命に目が行っちゃうの。どうしてだろうね……」
「んー。そういう教育だったからね。どうしても考えてしまうよ……」
「辛いんだよね。吐いても良いよ、辛いって。私には分からない。魔物を殺すなんて当たり前だから、分かってあげられない。でもね、ヒロの事は分かってあげたい。だって折角一緒に幸せになるんでしょう?」
はぁぁ、またか。成長しないのもいい加減嫌になってくる。
「うん、ごめんね。これは私の問題だ。でも、これからを永遠に共にすると決めたリズとも折り合っていかないといけない問題だ。だから一人では抱えないよ。ありがとう、リズ」
「分かってくれたなら、良い。でもね、ヒロがしている事は本当に凄い事なんだよ?だから、自分を傷つけないで。褒めてあげて。偉いね、頑張ったねって。そうじゃ無きゃ、救われないよ……」
抱きしめる力が強まる。首元には温かい何かが流れる。あぁ、大切な人をまた泣かせたのか……。本当に成長しない自分をどうにかしてしまいそうだ……。
「うん、分かった。リズの言葉で十分救われた。ありがとう、リズ。これからもきっと間違うかも知れない。その時はきちんと正しい道を照らしてくれるかな?」
「それが、私の役目よ。誰にも譲らない。私だけの役目よ」
そう言うと、首を拘束された腕は解け、後ろでぐじぐじやっている気配を感じて、リズが前に立つ。
「さぁ、凱旋よ!!私達のパーティーの大殊勲よ!!子爵様にだって文句は言わせないんだから!!」
そのポジティブさに、苦笑とも微笑みともつかない何かが零れた。本当に、有り難い。心を支えてくれる存在なんて無くて当然だ。それが有るのだ。どれほどそれが難しいか。だから、有り難い。
「ん。じゃあ、騎士団長に今後のスケジュールを確認してもらっても良いかな。あぁ、ロットとリナも連れて行って。3人で納得したら、それで進めよう」
そう言うと、リズが弾かれたように飛び出した。空の青さは変わらないのに、少しだけ青さが濃く感じた。先程までは灰色の世界だったのに。あぁ、リズには敵わないや。本当に。
あぁ、確認しないといけないか。『殺人』って何?
<告。スキル『殺人』の能力は人類を対象として直接攻撃を加える際に、脳内物質の調整を行い感覚時間を高めます。>
<また、人類を対象として直接攻撃を加える際に、筋肉を魔力で覆い引き上げるものです。『剛力』とは干渉せず相乗します。>
人類相手と戦う際に、攻撃が成功しやすくなり、ダメージも増える感じなのかな。
『カリスマ』って何?
<告。スキル『カリスマ』の能力は説得や納得させたい相手に対して、魔力で干渉し、脳内物質の分泌を促し成功率を高めます。>
<これは、任意で効果を打ち消す事が可能です。また、同じく『カリスマ』を使用した話に対して効果を打ち消します。>
あぁ、説得する時に、こっちの話の際に快楽物質でも分泌させて乗せやすくすると。同じ『カリスマ』持ちには通用しないと。
任意に使ったり、使わなかったりが出来るのは有り難い。基本は使わない方向性で。そうじゃなきゃ本心が分からない。
ありがとう『識者』先生。
『殺人』は中衛だとあまり効果が無いかな。と言うか、誤解していたな。人類相手なら何でも生えそうだ。盗賊の事を一瞬思い出したが、あれは人間相手だろうなと打ち消した。
『カリスマ』は今後、為政者としては使う機会が多そうだ。これは助かる。
そう考えていると、仲間達が手を振っていた。近付くと、軍の斥候隊が周辺探索を終わらせたそうだ。残存するオークはいないと言うのが結論だ。まぁ、遠出していて戻ってきた場合はしょうがない。
そのまま騎士団長とも話し、オークの首魁と鉄製品のサンプルは持ち帰る事になった。またこの集落を再利用させない為に、200が残り、跡形も無く破壊するとの事だ。
今日は昨日の野営地まで後退し、1泊して、明日村に戻る事になった。
荷物の支度も終え、戻り始めたが、騎士団員からやたらと感謝されたり尊敬されたりする。特に魔術士周りは何か信者みたいなのがいた。気持ち悪い。
指揮個体戦の時もそうだが、一騎打ちは武人の誉れだし、一方的に叩き殺すのはもう、好感度だだ上がりらしい。
しかもさりげないし、誇らないのが格好良いらしい。やめて!また私を歌にする気でしょう?エロ同人みたいに!エロ同人みたいに!
と言う訳で特に大きな問題も無く、野営地まで到着した。配給を受け、テントに潜り込む。流石に色々有って今日は疲れた。流石に夜番からは外してもらえた。と言うか、お疲れだから寝ろと言われた。
しょうがないので、ドルと一緒に、毛布に潜り込む。色々とちらつく何かは感じるが、もう噛み砕いて消化するしかない。そうしないとまたリズを泣かせてしまう。
そんな事を淡く考えながら、目を瞑る。折角だから、明日も晴れれば良いのに。そう思いながら意識を手放した、1月12日の夜だった。