第203話 離乳食も中々難しいです
1月10日は曇りだが、雨は降らない模様だ。薄暗い中、タロの餌の準備を進める。
今日もイノシシの身の部分が置かれている。量は昨日より多目だ。脂肪の率も上がっている。ティーシアも餌をあげているので、分量は把握しているようだ。
脂肪が含まれても下痢は起こさなかった。便はかなり固くなってきた。このまま量を増やしながら、様子を見ていこう。
繊維を潰すのを意識しながら、イノシシを乳棒で丁寧に磨り潰す。自分の子供が出来た時もこんな状況なのかなと思うとくすっと微笑みが浮かぶ。
部屋に戻ると、匂いが伝わったのか、タロが立ってしっぽを振りながら待っていた。はしゃぎまわったりはせず、大人しい。
ちょっと子狼と考えると大人し過ぎる気もする。『馴致』の影響なら嫌だなとも思う。
乳は乳でやりながら、離乳食は離乳食で分けて与えてみる。嫌がるなら、塗り付けてやれば良い。
もう、小指が痛い程に牙を食い込ませながら必死で乳を吸い続ける。これはもう授乳終了の時期だ。親狼もこれは我慢しないだろう。
まだ満足していないが乳が切れたので、乳鉢から匙で手に離乳食を落とし、そのまま与えてみる。
今まで口に塗り付けていた物が塊になっているのを珍しそうにふんふんと嗅ぐ。イノシシと理解したのか、はぐっと噛み付き咀嚼して飲み込む。
『まま!!イノシシ!!うまー』
食べられる美味しい物と判断し、手に乗せる端からはぐはぐと舐めとって咀嚼していく。イヌ科独特のはぐはぐと噛み付く様を見ていると可愛くて仕方無い。こう言う所は小さくても変わらないんだな。
残っていた分を綺麗に全部やったが、まだ満足しないのか掌をぺろぺろと舐め続ける。
『今回はお終い。また次ね』
『まま……イノシシ……おしまい?』
少し悲しそうな思いが伝わって来る。わしっと両脇を抱えて胡坐の真ん中に乗せ、くしゃくしゃと撫でてあげる。
『きゃー、ままー、ままー』
気が紛れたのか、楽しそうな思いが伝わって来る。そのまま床にそっと下ろすと、感触を確かめるかのようにゆっくりと歩み始める。ベッドに近づくと、ふんふんと嗅ぎ始める。
リズはまだ夢の中だ。あちらのママにも興味が有るのかな?そっと近づき、タロを抱え上げる。寝ているリズの顔の傍に近づけると、匂いと視覚でリズと判断したらしい。しっぽを振り始める。
『まま、ままいる』
あは、まだ混同しているか。個々人なんて分けて考えるのはもう少し先かな。
『この人はリズだよ、リズ』
『りず?りずいる』
『そう。リズはそこにいるし、今は寝ているよ』
『リズ、ねてる?リズ、ねてる』
そんな感じでコミュニケーションを取りながら、リズの寝顔を眺める。しばらく経つと、眉根に皺が寄って、リズがぼーっと目を覚ます。
「何だかイノシシに追いかけられる夢を見たよ……。んー、生臭い。あ、おはよう、ヒロ、タロ」
こちらに気付いたのか、若干ぼーっとしながらも挨拶をしてくる。
「おはよう、リズ。まだ少し早いけど、朝の支度しておいで。ティーシアさん喜ぶよ」
「んー。そうだね。起きちゃったし、やっちゃうよ」
そう言うと、若干ふらふらした足取りでキッチンに向かう。火傷とかしないと良いけど。
朝の食事を終えたタロをベッドの上に下ろすと、ふわふわした感触が珍しいのかきゃっきゃと歩き回る。
遊んでいると催したのかじっとふるふるしだす。急いで箱に戻す。タロが急いで嗅ぎまわりポイントを見つけて座り込む。
きちんと我慢して、出来るのだから良い子だ。ここまでタロが頑張っていると親馬鹿になりそうで怖い。
濡れた端切れを新しい物と代えて、部屋の中に離す。喜んで歩き回るので、そのままにしておき、洗濯に向かう。曇りだが雨の心配は無いので今日中に乾くだろう。
便の処理も済ませ、洗濯を終え、『警戒』で注意しながら部屋の扉を開ける。昔飼っていた犬は何故かドアの後がお気に入りで、何度無意識アタック→リアルファイトの流れになったか。
中に入ると、壁の隅でちんまりしているタロが居た。どうも箱の狭い空間に慣れて、部屋は広すぎるのか、1匹だけだと端に行きたがる。
私の姿を見つけると全力で歩くプラスくらいの速度で向かってくる。しゃがみ込み、掬い上げる。
『はしる、まま、あげる、もっと!!』
どうも、何かの遊びと勘違いしたらしい。まぁ、害は無いので、そのまま箱に戻す。ご飯を食べて運動したんだ。興奮が冷めるともぞもぞと毛皮の中に入り込み、丸くなる。寝るな、これは。
丁度朝ご飯の声がかかったので、リビングに向かう。アスト達は今日も狩りらしい。私は用事が無いので訓練か。
朝ご飯と後片付けを終え、リズと一緒に用意を済ませる。アスト達は先に出て行く。ティーシアとタロの食事の件を相談し、私達がいない間の方針も伝えておく。
確か狼は、生後2週間後からの2週間でその生涯の60%の生き方を覚える筈だ。ここでミスすると後に響く。なので、入念に打ち合わせる。納得がいった所で、ティーシアの顔が変わる。
「リズに聞いたんだけど、湯たんぽ?って言うの?あれ」
あー朝、顔を洗うのに残り湯で洗ってたなリズ。その時に説明したのか?
「私も、寝る時、寒いんだけどなぁ……。リズばっかり?」
ティーシアが微笑んでいるけど微笑んでいない微笑みで圧力をかけてくる。
「低温火傷と言って、温かい物でも同じ個所に当てておくと火傷になるんです。それが大丈夫かのテストをしていました。問題無いので、新しいのを作ります」
そう言いながら使い方を説明し、圧力を躱し、外に出る。
取り敢えず、鍛冶屋に向かう。日が出ていない所為でかなり冷え込んでいる。1月ももう半ばだ。冬本番と考えればしょうがないか。マントの襟部分をしっかり立てて前に進む。
「ご機嫌如何ですか?」
「良いよ!!それ、気色悪ぇからやめてくれ」
「まぁ、挨拶と言う事で。湯たんぽの追加製造をお願いしたいのですが」
「んあ?あぁ、それなら量産予定のが出来ている。持ってけ」
「あれ?量産決定ですか?」
「あぁ。冬物だからな。さっさと出さないと間に合わねえ。あぁ、独占販売権はあの図面と一緒にお前さん名義でギルドには出すつもりだ。取り敢えず一旦は俺が製造責任者になっているが良いだろ?」
「はい。対応頂き、ありがとうございます。ちなみに代金はお幾らで?」
「まぁ、コストで見りゃぁ、6千だな。取り敢えず2万で出して様子を見る」
「んー。6千ってほぼ材料費ですよね。2万でも安くないですか?暖房器具ですよ?」
「母ちゃんがあんだけ喜んでんだ。女ってやつぁ、あれだろ?寒いのに弱ぇんだろ?寝る時ぐれぇ、温かく寝てぇだろう」
俯き気味に恥ずかしそうに呟く。少し頬も赤い。あぁ、照れてるのか。良い性格しているのに勿体無い。
「分かりました。ネスがそう言うなら、それで行きましょう。販路は問題無いですか?」
「母ちゃんが井戸端で広めてる。動き始めたらすぐに発注が入る。材料調達と加工が楽なのが救いだぁな」
「あぁ、それなら間違いないですね。分かりました。鍛冶ギルドの方は独占販売権を移譲して、ギルド製造で純利益の30%をこっちで話を追加して下さい。ネスだけでは捌けないでしょう?」
「んぁ?それで良いのか?お貴族様でも買うぞ、これなら。まぁ、今の規模で国単位に製造販売は無理っちゃ無理だが」
「そこまで加工の難しい物じゃ無いので類似品もすぐに出回ります。低温火傷のリスクも有る。そんな事に係ってる暇は無いです。面倒事はギルドに押し付けましょう。70%は迷惑料です」
「そこまで考えてんなら問題無ぇか。分かった。すぐ動く」
「はい。ちなみに在庫はお幾つくらいですか?」
「今回分は8つだな」
「じゃあ、2個貰っていきます。4万で良いですね」
「おいおい、独占販売者から金取んのか?何か、気持ち悪ぇな」
「まぁ、そこは客と言う事で。では、これで」
そう言って、1万ワール硬貨を4枚握らせる。
「おぅ。毎度。包むか?」
「1個は包んで下さい。1個はそのままで良いです。んじゃ、鎧の件と合わせてお願いします。では」
そう言って、枕大の塊を2個抱えて鍛冶屋を出る。
取り敢えず、急いで家に戻ってティーシアに湯たんぽを献上する。非常に喜んだのかニヤニヤしている。対価の話になったが、日頃のお礼のプレゼント扱いと言いう事で納得して貰った。
そのままノーウェの屋敷に向かい、門衛にレイを呼んでもらう。暫し待つと、屋敷の裏手からレイが向かってくる。
「おはようございます。男爵様。本日は如何致しましたか?遠征は明日と伺っておりますが」
「はい。今日は日頃の感謝と言う事でプレゼントです」
そう言って、包みを渡す。
「これは……。金属の箱……ですか?しかし、これは蓋、ですね……。水筒と言うには大きいですが……」
湯たんぽの使い方と注意点を説明すると納得する。流石に馬車で一人寝は寒い。焚火が有るのでお湯は沸かせる。
「そのようなご配慮まで……。ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」
何か、異常に感動されている。いや、湯たんぽだよ?逆にこっちが恐縮する。
色々こう賛辞みたいなのを言われたが、超引きながら笑顔で受け答えして、分かれる。はぁぁ、疲れた。
と言う訳で、今日のタスクは終了した。何時ものように川まで出て訓練を続ける。弓矢が飛んで来た際の咄嗟の風の壁構築も含めて色々なケースを考えて対応を練って行く。
昼に食堂で食事を取り若干の食休みを挟んだ以外は、延々訓練を続ける。
今日も曇り空を赤く染めて、太陽が沈んで行く。
オーク戦前の最終スキルがこんな感じだ。
◇スキル情報◇
『識者』
『認識』
『獲得』
『槍術』0.70
『隠身』0.82
『警戒』1.00
『探知』1.19
『軽業』0.46
『勇猛』1.19
『剛力』1.01
『馴致』0.58
『祈祷』2.36
『術式制御』2.19
『属性制御(風)』2.05
『属性制御(水)』2.05
『属性制御(土)』0.89
『属性制御(火)』0.49
『属性制御(神)』1.14
『術式耐性』0.47
『フーア大陸共通語(会話)』0.63
『フーア大陸共通語(読解)』0.57
『フーア大陸共通語(記述)』0.12
『槍術』はもう少しで一人前らしいが自覚が無い。これ、本当に先生が欲しい。
『隠身』『警戒』は順調に上がっている。『軽業』は槍の訓練の仕方で平行して上がっている。『剛力』は結局まだ計測していない。『警戒』の範囲もだ。200mは超えている感じがする。
『馴致』はタロの世話をするだけで勝手に上がる。『祈祷』は呼び出すだけでは上がらないらしい。良かった。魔術関連はじりじりと上げていっている。
と言う訳で、戦争前に出来るのはここまでだろう。出来る限りの準備はした。後は出たとこ勝負だ。これ以上は相手が分からない以上は無理だ。
そのまま汗が冷えるのを感じながら、家に戻る。ざっと湯で清める。タロがじっとこっちを見ているが、お風呂は夜だよ。
ティーシアからイノシシ肉を貰い、少しだけ荒い部分を残して、離乳食とする。脂肪を増やしても下痢はしていない。今度は塊が消化できるかだ。
部屋に戻ると、匂いに気付き、猛烈にしっぽを振る。朝以上だ。味を占めたな。
胡坐をかき、中にぽすっと入れて、乳を飲ませる。もう乳の量は僅かだ。必死で吸い付くのをちゅぽんと引き抜く。
『まま、いのしし?いのしし?』
はっはっと荒い呼吸で、しっぽを振る。少し肉の繊維が残った離乳食を掌に置き、口元に差し出す。匂いを嗅ぐのももどかしいように、はぐっと噛み付く。少し固形が残っている所為か、ゆっくり咀嚼する。
『まま!!いのしし、うまい、きもちいい!!』
味と歯応えが気に入ったか。どんどん塊をあげる。もう、狂喜乱舞しながら食べ進める。無くなっても掌をぺろぺろするのを止めない。
『今回も、終わり。お腹いっぱいでしょ?』
『終わり……おなか、いっぱい?……いっぱい』
満腹感は有るらしい。またわしゃわしゃしてあげると機嫌が戻る。箱に戻すと、そのまま毛皮に潜り込み、うつらうつらし始める。まぁ、寝て、食べて、運動してがお仕事だ。頑張れ。
夕ご飯の旨が告げられたのでリビングに向かう。食事をしながらオーク戦を話題に出すが、今回はノーウェ主体と言う事でそこまでアストも神経質にはならない。
食事を終え、お風呂を順番に進めていく。タロも寝ながら風呂で浮くと言う、遂に野性っぽさの全く無い状況になった。リズは笑っていたが、笑いごとでは無い気もする。
湯たんぽ2つにはお湯を入れて準備万端だ。
部屋に戻ると、ぬくぬくとリズが布団に包まっていた。
「温かい?」
「もう、手放せないかも」
湯たんぽを腰に当てて寝転がると、温か気持ち良いらしい。女子高生の女の子の行動じゃない気もする。
「ごめんね。私の柵に巻き込んで」
「んー。もう仲間だし、しょうがないよ。それは皆分かっているから。だから気にしないで。それを気にしだすと、何もかもがヒロの責任になる」
湯たんぽを抱きながら、真剣な顔で伝えてくれる。
私もベッドに潜り込み、仲間達の事を考える。
「うん。頼れる限りは頼るよ。だから、無理はしないでね。怪我もなるべく」
「分かったよ、心配屋さん。ヒロこそだよ?」
「分かった」
そう言いながら蝋燭を吹き消す。真っ暗な中で色々考える。ただ、人事を尽くした。後は天命を待つだけだ。そうやって1月10日は過ぎていく。明日からは戦争だ。