第201話 部下のモチベーションを維持するのは至難です
家に戻ると、食事も済み、まったりとした雰囲気だった。私は急いでお湯を生み、お風呂の準備を進める。
部屋に戻ると、相変わらずリズはタロの前に寝そべっていた。
「何か変化が有った?」
「もう、ほとんど立てているよ。後、きちんと顔を見てくれるようになった」
箱に近づくと、タロがぷるぷるしながらも、立っていた。おぉ、立っている。
それに接近に合わせて、首を動かし、こちらを視線が追従してくる。ぼやけながらも、見分けはついているのかな?
私の姿と匂いに興奮したのか、しっぽをしきりに振りながら、ひゃんひゃん鳴き始める。
『まま、まま』
箱の前に私も寝そべり、リズをそっと引き寄せる。外の寒さが身に染みた身としては、リズの温もりがありがたい。
「かなり冷たくなっているね。外、寒かった?リナは大丈夫そう?」
「寒かったよ。リナは宿まで送ったよ」
そう言いながら、リズの頭を撫でる。温かい柔らかい感触に、先程の話で凍り付いた心が少し溶け出すような感触を感じた。
「そう。未来の件は喜んでいた?」
「どうだろう?それでも、仲間として迎えられて、居心地が良いとは言っていたよ」
嘘は言っていない。まだ、本心かどうかは判断出来ないが一度懐に入れたのだ。最後まで面倒は見る。
「そっかぁ。良い人だから、ずっと一緒にいたいね」
そう言いながら、そっと抱きしめてくる。温かさが全身に伝わる。
「仲間だからね。ずっと一緒に居れたら良いね」
そっと抱きしめ返す。
『まま、まま、おなか、すいた』
タロがひゃんひゃん鳴く。
「あれ?タロに餌あげた?」
「いや、まだだよ。お腹空いた感じじゃ無かったから」
ふむ、タロ自身が立つのに夢中で、食事の事を忘れていたか。
キッチンに向かい、乳と離乳食の準備をする。乳の割合を減らし、離乳食を増やす。便は少しずつ固まった物に変わってきた。
「さぁ、乳をあげて」
リズに乳と匙を渡し、私は離乳食を口の周りに塗る。塗った傍から舐めとって行く。
『はうー、うまー』
成長して、味覚も発達したのか、美味しいのがはっきりと分かるようになったようだ。
乳を飲んでは離乳食を食べて、大忙しだ。ただ、離乳食を始めて、はっきりと成長に差が出てきた。時期的に一気に大きくなる時期だが、どんどんとマズルも出て来ている。
乳と離乳食に満足したのか、ころりと転がる。その拍子にけぷっとすると、また立ち上がろうとぷるぷるする。忙しい子だ。苦笑が浮かんでしまう。
「小さな時なんて、あっと言う間だね」
リズが感慨深げに、少し寂しそうに言う。
「自然で生きていると、すぐに大きくならないと危ないからね。でも、リズの子供はゆっくり育つよ。その時、楽しめば良いさ」
「ヒロの子、だよね」
そう言いながら、口元を寄せてくる。そっと口付けて、担ぎ上げる。うぉ、『剛力』凄い……。全く重さを感じ無い。
そのままベッドにそっと下ろす。ティーシアの声がかかるまで、思う存分いちゃいちゃした。
昼の疲れと、リナの件、それにアルコールの所為か、お風呂を上がってベッドに入った瞬間意識が遠のいていく。あぁ、将来の事は将来考える。ただもう決めたんだ。私の幸せは私の手で守るって。
1月8日はそんなふわふわした中で、過ぎて行った。
1月9日は晴れだ。タロの食事を考ると、夜明け前に目が覚めるようになった。そっとキッチンに向かい、用意をする。タロはもう目覚めて、超しっぽを振っていた。
今日は鳥が無かったのかイノシシの生肉が置かれていた。昨日狩った肉なのでまだまだ新鮮だ。鳥と違った感触に苦労しながら磨り潰す。
脂肪部分は避けてくれたが、やはり一定は含まれる。下痢にならないかが少し心配だ。
『まま、おいしいの?』
『そうだよ、今日は少し違う食べ物だよ。イノシシって言うよ』
『いのしし?いのしし!!』
そう思いながら、口の周りに離乳食を塗り、乳を与える。夢中で吸い付く小指に牙の先が当たって痛さを感じる。もう、授乳期も終わりだな。母狼も流石にこれは痛がるだろう。
イノシシは何時もの鳥と違い、脂肪分に陶酔しているのか、舐める度に激しくしっぽを振る。
『いのしし!!あまい!!うまー』
『甘いのか?美味しいのか。良かった』
脂肪の甘さも分かるか。本当に味覚が発達している。口の周りを脂肪でベタベタにしながらも必死で舐めとっている。その度に新たに塗っていく。
何時もなら満足して転がる頃を過ぎても求めてくる。食いしん坊め。可愛くなって、何時もより多めにあげる。体の成長も有るので太りはしないだろう。立つ練習をしているので筋肉の方に行く。
『いのしし!!まま!!いのしし!!』
余程気に入ったのか、転がりながらも連呼している。目も少しずつ開く範囲が広がり、その白みがかった青色の瞳もはっきりと見えるようになってきた。うん、凛々しい子に育ちそうだ。
口を開いて見るが、牙もそれなりに生え揃って来た。触るとやはり気持ち良さそうに目を細める。
そうやってタロと戯れていると、日が昇りリズが目を覚ました。
「おはよう、リズ」
「ふにゅぅ。おはよう、ヒロ。朝、早いね」
「タロがいるからね。さぁ、ティーシアさんが待っているよ、朝ご飯の手伝いに行っておいで」
そう言って額に口付ける。
「ん。良し!!頑張りますか」
そう言いながら、ベッドから起き出し、キッチンに向かう。リズも結婚の話をして、少しずつ成長し始めている。良い事だ、ありがたい事だと思う。
食事が出来るまで、タロが立つのを見守りながら待つ事にした。もう、ぷるぷるもほとんど無い。しっかり立てている。後は一歩を踏み出せば、歩くのはすぐだ。
恐々と一歩を踏み出すが、バランスを崩し、転がる。ただ、その度にきゃっきゃと思っているので、心配はいらないだろう。
食事が出来たとの事なので、席に着く。リズは今日もアストと一緒に猟に出るらしい。大きな戦いの前だから英気を養うものと考えたが、日常生活を狂わせたくないとの事なので尊重する。
リズとアストが出て行くのを確認し、ノーウェの屋敷に向かう。ちょっと朝早いが、まぁしょうがない。忙しくなってからではちょっと面倒だろう。
門衛に用向きを伝えると、すぐに執事の所まで走ってくれる。執事に連れられ、応接間で待つ。そう待たずに、ドアがノックされる。
「おはようございます。ノーウェ様。本日はお顔の色もよろしいようで。安心致しました」
満面の笑顔に血色も大分戻って来たノーウェが部屋に入って来る。
「おはよう。あは、その挨拶も相変わらずだ。お蔭で少しは楽が出来るようになったよ」
席を勧められたので、着席する。すぐさまお茶が置かれる。
「報告は聞いたよ。一人パーティーメンバーが増えたんだよね。良かったよ、こっちもその方が楽になる」
「その件ですが、若干悪戯心が過ぎませんか?ロスティー様の子飼いですよね、彼女」
苦笑しながら、聞く。
「お?分かっちゃった?流石だね。うん、この件は私も了承しているよ。今後を考えたら、そろそろ腹心の身辺警護もいるだろうって」
「少し鎌かけの部分は有りましたが、確認致しました。それを知ったと言う事でご報告に上がりました」
「君も律儀だねぇ。うん、大丈夫。どこかで明かす必要も有ると思っていたから、そこは気にしないよ。まぁ、でも驚いた。人物眼も有るかぁ。君、本当に面白いね」
ノーウェが苦笑を浮かべる。
「まぁ、条件が揃っておりましたので。その件は納得致しました。お顔が優れたご様子ですが、何か良い事でも?」
そう言うと、ノーウェが喜び半分、面倒事半分の複雑な顔になる。
「んー。ギルド総長の捕縛が報告されたよ。なので一旦この件は解決と言う話になる。やっと手が離せるよ。正直、さっさと捕まってくれて助かったよ」
カップを上げてお茶を含む。
「問題は、王がこの件の命令書を書き換えちゃってね。あぁ、この辺は男爵には内緒だから内密にね。落ち着いた後なら何してもらっても構わないんだけど、今は不味い。もし、何か問題が発生した時に、責任が全部王に行っちゃう」
はぁぁと深い溜息を吐く。
「公文書の書き換えは王権の中でもかなり黒い。これ、本当は王に責任を被らせない為に、スケープゴートに書き換える為の権限なんだ。それを使っちゃったからには、もう書き戻しは出来ない」
ノーウェが肩を竦め、苦笑を強くする。
「ここからの交渉が実際は正念場だ。冒険者ギルドを本当にまともな組織に出来るかどうか、力有る者が必死で動く必要が有る。それをこのタイミングで水を差すから、モチベーションだだ下がりなんだよね。しかも、開明派に完全に喧嘩を売っている。父上もかんかんだよ。はぁぁ、えらいのが上にいるときついね」
「また、それは……。貴族の半数近くを敵に回しますか……」
「明日は我が身だから、半数じゃ効かない。子飼い以外は全員、潜在的に敵に回ったよ。まぁ、今日明日戦争って話じゃ無いけどね。周辺国とのギルドに関する今後の調整も有る。王家でも外面だけは良いからね。そこは踊ってもらうさ」
あぁ、貴族側の扱いとしては、そんな存在か。小物と見たが、妥当な気はする。ただ、小物を嘗めると窮鼠猫を噛む。やる時は過剰防衛でも足りない。徹底殲滅しかない。
「それに、今年の収穫の税制次第で、国が大きく揺れる可能性は有るかな?五公五民は行き過ぎだ。余裕が全く無い。その原因の福祉に関しても君の領地が大分吸収してくれる。と言うか計画書精査したけど、退役軍人あんなに集めても良いの?」
少々体が衰えていても、警察機構は質より量だ。それに軍人経験が長いと言う事は肝が据わっている。最終的に王国を相手取っても、兵の前で怯まず、クロスボウを構えてくれるなら、それだけで良い。その為の経費だ。安い物だ。
「温泉宿周辺は貴族の方が多く逗留されるでしょう。安全と安心、そして少々の夢を味わって頂き、気持ち良く帰って頂く。その為には治安の維持、強化は最優先事項です」
「はぁぁ、君、本当に領地経営の経験無いんだよね?その辺の盆暗共に聞かせてやりたいよ、その台詞。治安なんて勝手に湧いて出るなんて、頭がお花畑なのも多いけど、やるねぇ」
そう言いながら残りのお茶を飲み干す。
「まぁ、そんな訳でお役御免って感じかな?やっと町に戻る算段がついた。オーク戦が終わって後片づけしたら、町に戻るよ」
そう言ってやっと微笑みを浮かべる。
「ご心労、お察しします。その中でも朗報との事で安心致しました。オーク戦に関しては、仲間と協議し、士気も旺盛です。必ずやお役に立ちます」
「あぁ、もう。相変わらず固いね。でも、助かるよ。期待している。例え結果が出せなかったとしても、それをマイナスに思う事は無い。それはここではっきり言っておく。子が動いてくれる。それだけで本当に助かるんだ」
そう言いながら握手を求められたので、強く握り返す。後は雑談をして辞去する。
これでリナの件も、後腐れ無く仲間入りだ。オーク戦をさっさと片付けて、領地側の様子も見に行かないといけない。頭の中で浮いては消えるタスクの多さに若干辟易しそうになったのは内緒だ。