第195話 中々割り切れない事もこの世界沢山有ります
食休みを終え、熊の解体を進める。血管の部分から悪くなる為、早めに解体までは済ませる。気温がかなり低いので腐敗の心配はそこまでいらない。藁と氷で明日の帰りまでは大丈夫だ。
リズとロッサが丁寧に素早く捌いていく。大きなブロックごとにズタ袋に分けて行く。荷車に均等に搭載し、乗せていた藁で包み氷を生んでおく。
「ざっと全体を見たけど、古傷も無いよ。フィアの剣も後脚の腱辺りに集中している。普通に見たら、最高級品だと思うよ」
リズが剥ぎ終わった皮を焚火の明かりで確認し、教えてくれる。ロッサも一緒に見ていて同意見らしい。このサイズなので3桁いけそうなのはほっとした。
今回は夜の番が無いので、ゆっくり眠れるはずだ。ドルと同じテントに潜り込み、毛布に包まる。狼次第だが、どうしてもタロの顔がちらついて苦手意識が生まれる。余裕だなと苦笑する。日本人の精神はそうそう捨てられる物では無い。
中番のロッサがテントに入って来て、私を揺らす。狼の群れが近付いてきているらしい。軍が入り込んだ際にかなり散ったと思ったが、テリトリーにしているのが血臭に引っかかったか。この中でどれだけタロもどきの親がいるのかと思うと、ちくっと胸が痛んだ。
ロッサに方角を教えてもらい、接近を待つ。焚火の光量の範囲まで入ってくれないと、魔術の対象に出来ない。どこかに『眼力』持ちの生き物が落ちていないかな。いないだろうなぁ……。洞窟とかかな?
どうでも良い事を考えながら待っていると、こちらの『警戒』の範疇にも入って来た。12匹か……。視界に入り次第、殲滅しか無いか。意思疎通出来れば良いが……。ちょっと危ないが『馴致』試すか。
ホバーで最接近していた狼に近づく。
ここは危険、後退しろ。
そう『馴致』で伝える。
一瞬躊躇した挙動が有ったが、そのままこちらに向かってくる。大きくホバーで後退し、土魔術で頭を撃ち抜く。くそ!『馴致』が低いのも有るが、飢えて、もう判断能力よりも本能に支配されている。
諦めて、接近して来る狼達の頭にレティクルを貼り付け、順番に土魔術で撃ち抜いていく。風魔術で爆砕させても良いが、折角なので土の使用感も覚えておく事にした。
後退を図ろうとした対象にもホバーで大きく後ろに回り込み、振り返った瞬間を狙って頭を撃ち抜く。これで、12匹。『警戒』の範囲にもいない。
その事実が心に染み込み、酷い虚無感に襲われる。はぁ、これだから生き物を飼うのは苦手なんだ。偽善と言われても、こればっかりはどうしようもない。
狼に関しては一か所にまとめておく。明日、改めて解体をリズ達にお願いする。
「ロッサ、終わったよ。ありがとう、教えてくれて」
「いえ、少し顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」
「ん?寝起きか焚火の揺れだと思うよ。大丈夫。心配してくれてありがとう。また何か有ったら呼んでね」
笑顔を作り、ロッサの頭を撫でて、お礼を言う。ロッサが目を細めて安心した顔になる。
テントに戻り、毛布に包まる。はぁぁ、ロッサに気付かれる程、顔に出ていたか。リーダー失格だな。変な心配をさせてしまった。注意しよう。
そう思いながら、毛布の中が温もるにつれて微睡んでいく。
その後も、数度襲撃が有った。結局60匹ちょっとは狩った。その度に『馴致』は試した……。心がささくれ立つのが分かる。
酷い自己満足だとは分かっているが、タロを思うと、どうしても嫌になる。はぁぁ誰にも言えないな、こんな心情。
1月6日は寒いが、日は明るく、暖かくなる気配は感じた。朝ご飯の準備をしていると、リズ達も起きてきた。
狼の山を見て、軽く睨まれた。一人で対処した事を責められているのだろう。
「昨日は余力が有ったから。ごめんね」
「ヒロの判断だから何も言わないけど、頼る時は頼ってね」
それだけ言うと、ロッサと共に狼の処理に向かった。
朝ご飯が出来る頃には、半数以上の狼の処理が完了していた。血臭の濃い中での朝ご飯だが、しょうがない。
皆が食休みをしている間も、二人は驚異的スピードで皮を剥いでいく。
皮を剥ぎ終わった個体の何匹かの腑分けを行う。胃と腸を開けてみたが、小動物の残骸が少し入っている程度だ。ダイアウルフの台頭で生存圏を追われ、この時点でも飢えている。
改めて、豚と馬鹿の顔を浮かべて殴りたくなってきた。この状況を放置し拡大させたのはギルドの怠慢、無関心、欲が原因だ。もし例年なら、警告の時点で引いた個体もいたはずだ。
あの中にタロの肉親がいたかも知れないと思うと、やりきれない。はぁぁ、偽善か……。
そう思っていると、不審そうな顔をしたリズにじっと見つめられる。
「ヒロ、ちょっと来て」
そう言われると、少し離れた木の裏に連れ込まれる。
「タロの事を考えているでしょ?」
リズが核心を突いて来る。
「うん、ちょっとね……」
「あのね、ヒロ。また、背負えない物を背負っている時の顔になっているよ」
少し涙目のリズが目で貫いてくる。
「今の私達に取っては、これが生業なの。前にも言ったけど生き物を殺すのは辛いよ?あの中にタロの肉親がいたかもしれない。でも殺さないと傷付いて、或いは殺されていたのは、私達なの」
リズがすっと息を吸い込み、ほっと吐く。
「リーダーだから、背負う物が有るのは分かる。でもね、背負わなくても良い物を背負うと、ヒロ、動けなくなるよ?私も背負うし、皆も背負う。でも、取捨選別はきちんとしようよ。それがリーダーだよ?」
はぁぁ、リズにまで諭される程、顔に出ていたか……。うん、その通りだ。
「うん、ありがとう。なまじ、ギルドのごたごたに巻き込まれたから、自分で何とか出来るって思い上がっていたかもしれない。それで皆を危険に晒したら本末転倒だ。ありがとう、リズ。助かった」
「本当に分かった?なら、その涙を拭いて戻ろう。皆、待っているよ」
気付かなかったが、目の下に触れると、水分を感じる。あぁ、こうやって親身に諭されるのも、久々だ。人に思われるのって、本当に心にくるな。ささくれだった心が少し、癒された。
「心配かけた。ごめん。そうだね、リーダーだから、頑張らないと。ありがとう」
「馬鹿。リーダーでも人間だよ。だからヒロ、あまり溜めないで。ヒロが出来ない事だって有る。理不尽だって有る。それでも、前に進んでいるから、リーダーなんだよね。だから、皆支えるんだよ」
そう言うと、そっと抱きしめられた。
「吐き出して、辛い事が有るなら。辛いって分からないなら、分かるようになるから。幸せに一緒にいるんでしょ?ヒロがヒロを幸せにしないと、私、どうして良いか分からなくなるよ」
ぎゅっと抱きしめられる。少し震えているのは嗚咽を耐えているからか。それに気付き、抱きしめ返す。
「ごめん。本当に心配かけた。大丈夫。分かった。もう、気にしない。きちんと前を向く。過去に囚われて、必要の無い後悔はしない」
「本当?」
見上げた瞳は涙で潤んでいた。あぁ、本当に心配かけた。はぁぁ、35のおっさんが何をやっているんだか。
「本当。もう大丈夫。安心して」
そう言うと、ぐじぐじと袖で目を擦り、何時もの微笑みを浮かべてくれた。
「なら、安心した。行こう、ヒロ」
あぁ、女の子って本当凄いな。やっぱり男じゃ勝てないや。本気でそう思った。
野営場所に戻ると、ロッサが残りの狼を処理してくれていた。申し訳無いと謝ると、自分の仕事と恐縮された。ありがとうと伝えると、はにかんだように微笑まれた。
「さて、無理をしない程度に仕事をして、さっさと帰ってゆっくりしよう。厄払いは昨日で済んだ。今日は良い事が有るのを祈り、頑張ろう」
そう言うと、皆が頷き、荷物をまとめ始める。本当に、私には勿体無い、良い仲間達だ。勝手に浮かぶ笑みに顔を歪めながら、そう思った。