第189話 初めての夜が雪の夜って何だか神秘的な気がします
家に戻ると、流石に皆活動していた。アストは納屋で肉の管理を、ティーシアは家事をしていた。
部屋に入ると、リズがタロの箱の前で座っていた。
「あ、おかえり。雪止んで良かったね。昼辺りまで降ってたけど、晴れたね」
「ただいま。助かったよ。日が出て少しは気温も上がって来たし。で、何を見ているの?」
「ん?タロがさっきから、面白いの」
そう言われて、箱の中を見てみると、タロが四肢を踏ん張って立ち上がろうとしている。だが、すぐにバランスを崩し、転がる。その感触が面白いのかきゃっきゃ思っている。
「ヒロが帰って来るちょっと前かな?起きてずりずりしてたら、急にこうなったの。もう、可愛くて、可愛くて」
犬が立ち上がるのが大体生後2週間程度だ。ちょっと早いが、こうやって練習していたなと昔を思い出す。
立ち上がろうとしてはころころと転がる。その度に楽しそうだ。転がる長さが長い程、楽しいらしい。ずりずりと這い回りながら、喜びを表す。ひゃんひゃんと嬉しそうに鳴いている。
「見てると、何だか、お腹の辺りがキュンってするの。あぁ、子供って可愛いなって」
子宮の詳しい位置なんて知らないだろうけど、本能的に感じるんだろうな。
「ごめんね。仕事の都合とは言え、すぐに子供を作る事が出来なくて」
後ろから抱きかかえるように抱きしめる。
「ううん。大丈夫。それが分かってて、結婚を決めたんだから。心配しなくて良いよ。優しい心配屋さん」
そう言うと、頭を倒し、首筋に口付けてきた。
「ありがとう。理解の有る娘さんで本当に助かる。それに甘えないように頑張るよ」
そう言って、唇を交わす。
遊びに飽きたのか、やっと匂いに気付きタロが鳴き始める。
『まま!!まま!!』
そっと抱き上げて、地面に足だけが付くように調整してあげる。すると楽しそうに脚を動かすので、それに合わせて前に進ませてあげる。
『まま、まえ、いく!!』
自分が足を動かして、前に行く感覚が新鮮なのか、興奮して尻尾を振る。
ほぉ。助詞だけでは無く、動詞も分かるのか。まぁ、『認識』先生の通訳も多分に含まれているだろうけど。それでも狼の成長は体も頭も早いな。
「何だか、可愛いね。本当に歩いているみたい。ちゃんと足も動かしているし」
リズが笑いながら言う。
「手を離すとまた転がっちゃうけどね」
そう言って、箱に戻す。宿は夕方遅めで大丈夫だ。それまでは、このゆったりした時間を楽しむのも悪くは無い。
タロを箱に戻すと、ずりずりと箱の端に行き、くんくんと嗅いでは、体を擦りつける。その後再度嗅いで、また他の場所にずりずりと移動する。
マーキングの真似事なのかな?
そんな姿を肩に頭を乗せたリズと一緒に眺める。きっと二人の子供が出来た時にも同じように眺めるのだろう。そう考えると、ささくれだった心が癒される。
『まま、おなか、すいた』
ひゃんひゃんと鳴き出す。動くとお腹も空くか。乳をあげて休ませて皆がお風呂を済ませたら、良い時間だろう。アスト達にはもう今日の事は事前に伝えている。ティーシアに今晩の面倒もお願いした。
乳を温め、ちゅぱちゅぱさせる。満足して転がったのを撫でてけぷっとさせる。もうすぐ、自分でげっぷも出来るようになるだろう。
その後はちょこちょこと動き回る。お腹が重たいのか、立ち上がろうとはせず、ずりずりとしている。
「リズ、一緒にお風呂入れてみる?」
「柔らかいから、ちょっと怖いよ」
「自分の子供が出来たら、そんな事言っていられなくなるよ?」
そう言うと決心したのか、リズが立ち上がる。
「優しく触れば大丈夫?」
「うん。大丈夫。何か有っても癒すから。その代りきちんと配慮してあげてね」
タロを箱から掬い上げる。
『まま?』
ちょっと早いけど、お風呂だよ。
『ぬくいの?ぬくいの!!ぬくいの、すき!!』
あぁ、好悪の判断も出来るようになったか。成長の速さに感慨深いものを感じながらキッチンに向かう。
いつものタライにお湯を生み、タロを浸ける。
『はふー、ぬくい、すきー』
「さぁ、リズ。優しくね」
そう言うと恐々と、リズが、タロの体に触れ始める。
危なっかしい手付きだが、私が傍にいるのとリラックスしているので、抵抗しない。
「柔らかい、それに温かい」
そう言いながら、体をそっとわしわし洗っていく
『ままー、きもち、いい』
タロも誰が体を触っているかは分かっていない。ただ、気持ちは良いらしい。
「可愛いね。でも命って怖いね。すぐに壊してしまいそう」
慣れたのか、スムーズに洗いながら、リズが真剣な顔で言う。
「壊したくないと思えるなら大丈夫だよ。それが人間だから」
そう答えて、タロの口の辺りをくすぐってあげる。なるべく私の匂いを感じた方が安心するだろう。
『まま、ま……ま、ま……ま……、ねむ……い……』
「ん。寝ちゃったっぽいかな。洗えた?」
「大丈夫。後はどうするの?」
「体温が上がれば、そのまま端切れで拭ってあげれば良いよ」
リズと一緒に、タロの頭の毛を掻き分け、体温を感じる。
「温かい……」
「子供だからね。もう良いかな」
タロを掬い上げ、端切れで包み、リズに渡す。壊れ物を扱うように優しく、拭い始める。
真剣な表情だが、どこか、母親の優しさのようなものを感じる。あぁ、女の子だな。
綺麗に拭い終わると、タライを処理して、箱に戻す。主寝室にいるティーシアにお願いすると箱を受け取ってくれた。
「リズ、先にお風呂入る?」
そう聞くと、一気に紅潮する。
「あー、うん。入る……」
最後の言葉はかなり小さめだった。デリカシーが無い?この場合、リードする方が正しい。
「後で私も入るから。ゆっくり温まっておいで」
リズがそのまま部屋に戻り、荷物を持ってくる。それを横目で見ながら、部屋に戻る。
王国法の書籍を眺めながら時間を潰す。今回のギルド長絡みの裏金を受け取っていた商人がどうなるかが気になったからだ。
商法上は、賄賂に関する明確な記載が無い。と言う事は、慣習法かギルドの規約に則って処理される。ギルドの表に出ている規約では裏金の受け渡しは想定されていなかった。
ただ、初めての受付嬢が言っていた通り、「経費・配送物の代金・遅配による損失」を冒険者に課した筈だ。今回の裏金の損金も査定されて、商人側に損害賠償されるだろう。
商人の信用と損害賠償、間違い無く立ち直れないだろう。国家を跨ぐ組織だ。それより小さい規模の商会等、木っ端も同じだ。
国家主導なので、インテリジェンス側による情報統制もされているだろう。取り付け騒ぎが発生する前に、ケツの穴の毛までむしり取られて、その上弁済義務も課される。まぁ、自業自得だ。
そう思っていると、湯上りのリズが部屋に戻って来た。
「温まった?」
そう聞くと、うんと何時に無く、小さな声で頷く。んー。やっぱり、不安は不安か。
「また、宿まで移動だから、温い格好しててね」
返事を確認し、お風呂に入りに向かう。さて、事前準備は済ませたけど、まぁ、本人のナーバスな部分はしょうがない。耳年増でも実際に事に及ぶのでは勝手が違うだろう。
出来る限りフォローはしてあげようと思いながら、樽を洗い、干しておく。
窓から覗くと、晴れていたのに、また雪が降り始めている。今度は結構粒も大きく重い。これが続くと薄くでも積もるかもしれない。
部屋に戻ると、リズが厚着をして少し顔を強張らせている。
「さて、美味しい物でも食べようか。青空亭の店主が腕によりをかけて作るって言ってたよ」
努めてお道化ると、少し強張った顔も和らぎ、笑みが浮かぶ。
アストとティーシアに留守を伝え、雪の中をランタン片手に進む。会話は無いが握り合った手が雄弁に伝えあう。ぎゅっとお互いが握り合う。
青空亭の扉を開けると、温かい空気と蝋燭に灯された明るい雰囲気に歓迎された。店主がすぐに前までやって来る。
「お待ちしておりました。寒かったでしょう。さぁ、奥にどうぞ」
そう言うと、半個室になった席に案内される。テーブルの上の燭台の蝋燭が通った風に揺れ、周囲の風景に光と影が踊る。
上着を預け、軽装となり、暖かい空気に満たされほっとする。
すかさず、ワインとグラスが置かれ、注がれる。
「この良き日に」
そう言いながら、グラスを上げる。
「うん……」
リズが俯きがちに、小声で答えグラスを上げる。
そのまま、二人で飲み始めるが、美味しい……。これかなり良い物だ。澱の感じも無い。おいおい店主、予定外だ。
卓上に小麦の柔らかそうなパン、人参のポタージュが並べられる。
リズがパンを千切る時の柔らかさに驚き、口に含んだ時の小麦の香りに顔を綻ばせる。
人参のポタージュも、鳥を一緒に炊いたのか、鳥の香りとうまみが溶け出したスープに人参の青臭い香りが絶妙に混ざりあい、複雑な美味しさを作り出している。
一息つくタイミングを見計らって、魚が持ってこられた。川魚と思いきや、塩気を抜いた海の魚だ。これ高いぞ?おいおい。
バターでソテーされた白身魚は脂も乗っており、塩気を抜いて水っぽくなりがちな部分もバターでカバーされている。
「あ、美味しい……。これ海の魚だよね。香りがする」
リズの顔が完全に綻ぶ。あぁ、美味しい物はそれだけで人を幸せにする。
魚を食べ終わると、肉が運ばれる。今回は鹿のローストだ。内側が赤いが、切る瞬間、熱が通っているのが分かった。すっとナイフを入れる。肉汁も落ち着いている。
口に含む。香辛料の香りと共に、噛めば噛むほど濃厚な鹿の肉汁が口に溢れる。良い焼け具合だ……。ますます、欲しいな。ここの人材。
「ヒロの鹿も美味しかったけど、これも美味しいね」
やっと何時ものリズに戻って来た。美味しい物は人の心を浮き立たせる。
「うん。やっぱり本職は違うよ。全然勝てる気がしない」
「ううん、ヒロのも美味しかったよ」
にっこりと笑いながら、伝えてくる。
「そう言ってもらえると、嬉しいよ」
二人でワインを楽しみながら、ゆっくりとした時間を楽しむ。
部屋は婚約の時のあの部屋だった。
火鉢もどきに薪が焚かれ部屋は暖かだ。酸素不足は心配しなくて良い。建物の密閉率が低いので隙間風で十分補充される。
部屋の中には、燭台が幾つか飾られ、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「この部屋って、あの時の……」
「態々用意してくれたんだね」
「でも、綺麗……」
リズの瞳が燭台の明かりを反射して、キラキラ輝いている。
「リズの方が綺麗だよ。蝋燭の光なんて比べ物にならないくらい輝いている」
後ろから抱きしめて、髪に顔を埋める。香料入りの石鹸を使ったからか、植物とリズの香りが混じった何とも言えない甘い香りがする。
「うー。ずるい。何だか、余裕有るよね?私、心臓、バクバク言っているよ?」
「私もだよ。それでも、今日ここに一緒にいられると思えば、幸せって思うから」
「はぐらかした……。でも、うん。幸せだよ」
リズが両手で抱きしめた腕をそっと握る。
「あのね?」
「ん?」
「やっぱり、怖いよ……。優しくしてね……」
振り向く瞳には、微かな恐怖の色が見える。
「大丈夫、今まで私がリズに何か危害を加えた?」
根拠が無くても、安心させないと、何時までも固いままだ。
「無いけど……」
「信じて……私を信じるんじゃなくて、今までリズが感じた、私を信じて」
そう言った瞬間、緊張が抜け、体の強張りが解ける。
「うん、そうだね。私の信じてるヒロは、頑張り屋さんで、すぐに無理して、倒れそうでも前に進んじゃう、それでも私にはずっと優しくしてくれたよ」
振り向くと、潤んだ瞳が私を貫く。
「ヒロ、後悔は無い?私で、本当に良いの?」
「リズが、良いんだ。リズじゃないと駄目だ。実はここから離れる話は有ったよ。それでもリズがいたから。私は今、ここにいる。永遠にリズと共に在る為に。リズが、リズの全てを欲しいな」
そう言うと、二人とも導かれるように近づいていく。徐々に唇が重なって行く。
「ん。あのね、ヒロ」
「何?」
「私の大切なもの、あげる。だから、私の大切なものになって欲しい……」
「うん……。光栄だ。私は、リズのものだよ」
そう言いながら、二人でベッドに倒れ込む。
時が経って、汗が引いたリズにカップに冷たい水を生み手渡す。
「ありがとう……」
少し恥ずかしそうに受け取り、こくこくと飲み干して行く。
「今まで、待たせて、ごめん」
「うーん。そこはちょっと怒りたいけど、今日の事で許すよ」
そう言って眉根に皺を寄せながらも、満面の笑みを浮かべるリズは何者よりも、可愛く、綺麗で、気高かった。