第186話 犬の縦社会は結構厳格です
「でも、本当に美味しかったわ。ガレットはそこまで好きじゃ無かったけど、これなら幾らでも入るわね」
ティーシアがニコニコと伝えてくる。
「蕎麦は安いですから、経済的です。少しコツはいりますが、作り方もまたお教えしますね」
「嬉しいわ」
和やかな食事も終わり、後片付けだ。ティーシアと話ながら、熱湯で洗っていく。
「やっぱり便利よね、それ」
ここに来た当時は、お皿も脂でちょっとベタベタしていた。それも熱湯で流していける。
「お役に立てて、光栄です」
そう言うと、お風呂の支度をして部屋に戻る。リズ?今日の主役だ。後片付けは免除でタロの世話をお願いしている。
部屋をそっと覗くと、タロに乳を上げていた。慈母のような横顔に、少しの間魅入られていた。
「タロはどう?きちんと食べているかな?」
「うん。凄く食欲旺盛。もう、凄く吸い付いて来て、痛いよ。歯も少しずつ伸びているね」
指を吸わせながら、優しく撫でる。タロも、もうリズを知らない人間扱いはしなくなった。
ちゅぽんと口を外し、ころころ転がる。リズが背中を撫でてあげると、けぷと言う。
『まま……?まま!!』
匂いで気付いたのか、ひゃんひゃん嬉しそうに鳴き、箱の中をずりずり動き回る。
「ほら、おいで」
お腹の底から掬い上げて、腕の中で抱きしめる。
『まま、ぬくいの、ぬくいの』
お風呂、本当に好きになったな。
もうちょっと後でねと伝えると、ちょっと寂しそうにしたが、すぐにもぞもそし始める。今は兎に角、食べて、行動して、眠りたい年頃だ。何もかもが新鮮なんだろう。
リズの頭の上にぽてんと乗せてみる。
『ほーら、ままだよ』
『まま?まま、ちがう!ままは、まま』
うーん。この年齢の子だと、アルファ牝が絶対かぁ……。まぁ、ティーシアと同格でリズも「ごはんくれるいいひと」辺りのランクには上がっているかな。
ベッドに転がせると、広い空間が新鮮なのか、ずりずりと何処までも進んで行く。落ちないように、方向転換させながら、好きに遊ばせる。
『まま、ままいる』
ベッドに染み付いた、私の匂いかな?
『えへー、まま、まま』
嬉しそうに、ベッドの上をコロコロ転がり、すりすりと体を擦り付ける。自分の匂いも足したいのだろう。
「あー、可愛いなぁ。動きの一つ一つが可愛いよ」
リズが夢見る乙女の顔で、そう呟く。
「リズの方がもっと可愛いよ。一挙手一投足が可愛くて、ドキドキする」
不意打ちで言うと、こちらを振り向き頬を染める。
「あー、何かずるい。ずるくないけど、ずるい」
「ずるくて良いよ、事実だから」
そう言いながら、口付ける。
「うー、何か言いくるめられている?」
「そんな事無いよ。全て真実。私がリズを愛しているのも、リズが可愛いのも。ぜーんぶ真実」
そう言うと、ますます頬を染めて、下を向く。
「もー。ヒロ、やっぱりずるいよ……。いつもそうやって、嬉しい事ばっかり言ってくれる。この幸せって何時まで続くのかなって不安になるよ」
「二人が思い合う限り、永遠に続くよ」
そう言って、頭をポンポンと、そして撫でる。
「嬉しい……」
顔を上げ、嬉しそうに微笑む。
タロがひゃんひゃん鳴く。
『まま、ままくる』
タロの思考を読むと、誰かが近付いてくるのを匂いで察知したのだろう。少しずつ、鼻も利くようになってきている。
ままのニュアンスも少し違う。私と乳をくれる人を区別しているのだろう。ただまだ、ままで一括りだが。アストは知らない人扱いなので、ちょっと怖がる。
「お湯をお願い出来るかしら」
ティーシアが扉をノックして、聞いてくる。
「はい」
そう答えて、樽にお湯を生みに行く。
部屋に戻りながら、石鹸の事を考える。7号も順調に進んでいる。8号は今日始めたらしい。うん完全に手を離れた。次の策を考えるか。
部屋に戻り、色々リズといちゃいちゃする。タロはベッドから落ちないように様子を見ながら、方向転換させる。その行為も楽しいのかきゃっきゃ言っている。
リズがお風呂に呼ばれたので、タロを持ち上げてみる。うん、確実に体重は増えている。
『まま、もっと』
持ち上げられる感覚が新鮮で楽しいのだろう。自然でも、母狼が口に咥えて移動する事は有るし。骨に負担がいかないように注意しながら、上げたり、下ろしたりする。
『きゃっきゃ』
嬉しそうな思考が返って来る。大分長い時間起きられるようになった。少しずつ成長しているんだな。
ベッドの上で、転がして、鼻先に指を置いてちょろちょろ動かす、頑張って前脚で捕まえようと挟み込もうとするが、その前に逃げる。
興奮して来たのか、まだ小さな尻尾をふりふり、一生懸命挟み込もうとする。
そんな事をしていると、お風呂の声がかかったので、タロを抱き上げる。
『まま?』
『お風呂だよ』
『ぬくいの?ぬくいの!!』
お風呂好きの子狼か……。ちょっとおっさんぽいけど良いかな。
何時ものようにタライを用意するが、同じ水量だと、少し背中が出る。あぁ、確実に大きくなっている。少しお湯を足してあげる。
『はふー、ぬくいの……』
四肢をだらんと伸ばし、縁に顎を乗せて欠伸をする。流石にちょっとおねむか?
体を優しく洗っていく。
『まま、まま……きもちいい……ねむ……』
思考も大分複雑になっては来ている。長い単語を考えるだけ、脳が整理、発達してきているのだろう。
そんな事を考えながら、寝入ったタロを掬い上げて丁寧に拭う。
「あれ?やっぱり寝ちゃったの?」
リズが聞いてくる。
「安心するのと気持ち良いので寝ちゃうんだと思うよ」
そう答えながら、箱の中にそっと置いてあげる。毛皮を被せて、体温を保護する。
「じゃあ、私もお風呂入って来るね」
リズの首筋と頬にキスをして、キッチンに向かう。
お湯に浸かりながら、今日一日の事を考える。まぁ、大きな事件も無かった。二日酔いは多数出ていたけど。
ティアナには何を飲んだか聞いたので、またの機会に飲んでみよう。
そんな事を茹る寸前まで、考えていた。樽の後始末まで済ませて、部屋に戻る。
リズが、タロの箱の前で寝ていた。眺めていたら寝入ってしまったのだろう。
「ほら、風邪引くよ」
そう言いながら、お姫様抱っこでベッドに運ぶ。『剛力』も上がって来たので、苦にもならない。
布団の中に潜り込ませて、私も眠る。年末なんて、夜通し友達と騒いでいたなと苦笑する。こんなに穏やかな年末は初めてだ。
12月31日の夜は冷たい風が吹き荒ぶ夜だったが、この部屋の中は温かく、ほっと出来る空間だった。