第185話 鴨蕎麦は好きですが、中々蕎麦の美味しい店で鴨蕎麦が無いです
「何を作っているのかしら」
ティーシアが鍋を覗きながら、聞いて来た。
「スープに入った主食です。今はそのスープの素を作っています」
「じゃあリズのお祝いは、おかずの方で作るわね」
そう言うと、納屋の方に向かって行った。何か肉料理でも作るのかな?うーん鴨肉も入るんだけど。
そう思いながら、鍋を覗くと徐々に白濁したスープに変わって来ている。お湯を生んで少し足しておく。
「葉野菜の良いのが有ったから、一緒に食べましょう」
戻って来たティーシアが言うので振り返ると、イノシシ肉の固まりを持っていた。って、生ハムか!?塩が高いので、店に卸す分だけなのに。
「この辺りは脂が強くて店で切り落とされるのよ。それでも美味しいわよ」
あぁ、お祝いって言ってたな。しかも、葉野菜がレタスっぽいわしゃわしゃした野菜だった。あれ?欧州のレタスは晩春から夏だった記憶が有る。また、森か……。
でも、先の方がギザギザで細く縮れている。これは見た事無い。『認識』先生も聞いた事の無い名前を言ってくる。
「普通は2か月前辺りが時期なのだけど、少しずらして栽培していてこの時期までは採れるのよ。もう少し寒くなったら枯れちゃうわ」
秋物のレタスって何だっけ……。あぁ、聞いた事は有るのに思い出せない。
「リズのお祝いだから、このくらいは奮発しないと。それに、あの子の為に美味しい物、作ってくれるんでしょ?」
ティーシアがにやにやとこっちに笑いかけてくる。
「故郷の年末に食べる物です。こちらで作るのは初めてなので、美味しいかどうかは分かりません」
そう言いながら、鍋の灰汁を掬う。周囲は強い鴨出汁の香りで満たされ始めている。少し匙で掬って味見をするが、濃い。鴨独特の香りがガツンと鼻に抜ける。それに若干とろりとした触感。
骨は大分脆くなっており、もう少しで完成だろう。これだけ濃い鴨の出汁だ。折角なので昆布出汁でのばして複雑さを出すか。
取り敢えず、山芋の皮を剥き、すり鉢ですっていく。適量の段階で、すりこ木で延々潰し続ける。蕎麦に混ぜる時には、粒子が残る程度では駄目だ。兎に角モチモチになるくらいまで磨り潰す。
「リーズ」
リズを呼んで、山芋を担当してもらう。
「ヒロ、この作業ちょっときつい……」
泣き言は聞かない。
別の鍋を用意して、水を生み、昆布を適当に切って投入する。そのまま火にかける。
蕎麦粉を木を削り出して作ったボウルに入れて、適量の水を少しずつ加える。全体に行き渡り、モロモロな状態にする。
ここで、リズのすっていた山芋を確認する。指で潰しても全く粒子を感じ無い。良し。これを混ぜて、全体にのばす。
後は幾つかの球状にまとめて、ボウルの縁で押しつぶす。これを繰り返す。馴染んで来たら、ボウルの底面に掌で擦りつけるように押し出し、伸ばす感じで捏ねる。
最後にのばした物をまた球状にまとめる。これを数度繰り返すと、表面に艶が出て来る。
後は拳で潰してのびた物を中心に向かって親指を使って固めて行く。最後にへそを作る。ここまでで捏ねる作業は完了だ。
このタイミングで昆布の鍋が沸騰しかけたので、昆布を取り出し、鍋を火から下ろす。懐かしい昆布の香りが上がって来る。良かった、昆布だ……。
味見をすると、あの昆布の香りが鼻を抜ける。懐かしさで少しだけ、涙が滲んだ。
空いた火で、ティーシアとリズに、塩と胡椒をした鴨を炙ってもらう。表面の色が変わったら、遠火でじっくり熱を通してもらう。鴨は熱を通し過ぎるとすぐにパサつく。
肉汁が逃げないようにコーティングした後はじっくり中まで火を通す。串は頻繁に回すようお願いした
大分水分が減った鴨出汁を布で濾す。少しずつ昆布出汁を加えて味のバランスを調整する。鴨出汁が強めで昆布の香りがほのかに立つ程度だ。あぁ、鴨鍋が食べたい……。
濃厚な鴨出汁が若干薄まり、その分昆布と海の香りがする辺りで、止める。ここに塩を加え、味を決める……。良し。
蕎麦を、生みだした石板の上で、へそを下にして手の平で丸く潰して行く。裏返し、板と、蕎麦に打ち粉を塗す。麺棒を生みだし、蕎麦を縦長にのばす。横にしてまた縦長にのばす。
のばしの繰り返しで厚さは均等に、正方形に近い形状に整えていく。後は短い方から順に畳んで行く。最後は三つ折りにして、完成だ。全体に再度多目と思う程打ち粉を塗す。
後は包丁で均等の太さで切って行く。正直補助が無いと真っ直ぐ均等とか難しい、と言うか無理だ。何とか不格好ながら、ほぼ均等に切りそろえた麺が完成する。
「あれ?うどんなの?」
リズが麺を見て気づいたのか聞いてくる。
「うどんとはまた違うよ」
そう言いながら、焼いていた鴨を指で押してみる。生の感触でも焼き過ぎでも無い感触が返って来る。火から下ろし、肉汁を落ち着かせる。
「ティーシアさん、ここからスピード勝負です。始まったら5分程度で出来ますので、他の準備をお願いします」
生ハムを削いでいたティーシアに声をかける。
「こっちは出来たわよ」
オリーブオイルで和えた葉野菜の上に、花の形に盛り付けられた白い生ハムが美しく乗っている。
「じゃあ、アストさんは席へ。作ります」
一番大きな鍋に沸騰寸前のお湯を生み、沸騰させる。兎に角大量のお湯で茹でないと美味しくない。
沸騰したお湯に、固まらないようバラバラと蕎麦を投入する。一度落ち着いた鍋は徐々に沸騰を始め、菊の花のように麺を踊らせる。
その間に、ネギ系の香草を細かく刻む。合わせて鴨を厚めに切って行く。肉汁は零れない。
再度沸騰を始めた所で木のざるに移す。
ボウルに冷水を生み、ざるごと入れて表面のぬめりを洗って落とす。一度冷水を捨て、再度冷水を生み、ざるごと沈める。蕎麦がぎゅっと縮まるのが目でも分かる。
そして、沸騰している鍋にくぐらせ、20秒程温め直す。
スープ鉢に蕎麦を入れて行く。上に鴨を乗せ、ネギもどきを振り、スープ鉢の縁に沿って、優しくスープを加えて行く。はぁぁ、完成だ。
「出来ました」
テーブルの真ん中には緑の園に開いた白い花が置かれ、皆の前には鴨蕎麦もどきが置かれる。
「リズの16歳を祝って。おめでとう、リズ」
アストが食事の挨拶を始める。
「おめでとう、リズ」
私とティーシアが唱和する。
「ありがとう」
リズがちょっと恥ずかしそうに、誇らしそうに答える。
「じゃあ、食べよう」
フォークで食べる物とは伝えていたので、フォークは用意されている。
「こんな感じで巻き取って食べて下さい」
フォークで蕎麦を巻取り、口に寄せる。他の皆も真似して、口に運ぶ。
蕎麦を口に含んだ瞬間、鴨の強烈な香りが鼻を突き抜ける。その後、蕎麦の鮮烈な香り、昆布の優しい香りと続いていく。あぁ、そばつゆじゃないけど、これはこれで有りだな。何だろう、欧風蕎麦って感じなんだろうか?
噛んだ瞬間、蕎麦のぶつりと言う歯ごたえと共に、蕎麦の香りが一層強まる。あぁ、涙が出そう。これだ、蕎麦だ。
噛むごとに、複雑なスープのうまみと絡み合い、玄妙な味を生み出す。味付けは塩だけだが、何とも表現出来ない味になっている。焼いた鴨からの肉汁や油、胡椒の香り、ネギもどきの香り。混然一体だ。
スープを含むと、肉のうまみ、昆布のうまみ、それぞれがバランスを取り合い、焼いた鴨から流れたうまみが、アクセントになっている。
焼いた鴨もジューシーで噛むごとに、口の中に肉汁を迸らせる。強い脂の香りも小気味良い。
これは、これで新しい味だ。うん、美味しい。
「うむ……。鴨は良く食べたが、何だこれは……。ガレットの香りがするが、全く違う食感だな。味は……表現出来んな。口が気持ち良いとしか言えない……」
アストが眉根に皺を寄せ、表現しようとしているが、表現が浮かばないらしい。この世界にうま味が存在しないから、しょうがない。
「これ、美味しいわね。長いのも、もちもちしているし、スープとも合うわね。味も優しいし、幾らでも食べられそうね。また、作り方教えてね」
ティーシアはもう、表現する気も無く美味い美味いと食べている。うん、それが一番嬉しい。
「ヒロ、これ海の香りがする。でも魚とか入ってないよね?何でだろう。でも、優しくて美味しい。今までの、この日で一番美味しかったかも」
リズが嬉しそうに言うが、ティーシアにコンと叩かれていた。母親の料理が一番美味しいよ。何時まで経ってもね。
その後は、各自好き好きに感想を述べながら、蕎麦を食べていった。生ハムもこちらに来て初めて食べたが、うまみの感じが違っていた。表現がしづらいが、塩味が違うと言うか、生ハムなのだが、ちょっとニュアンスが違う物だった。
ただ、オリーブオイルとの相性も良く、葉野菜と一緒に食べるとその水分と青臭さと合わさり、得も言われぬ味になっていた。
「ティーシアさん、美味しいです」
「あら、ありがとう。嬉しいわね。こんなに美味しい物作ってもらったのに、そう言われると何だか照れるわね」
そんな感じで年越しの夜の夕食の席は、温かな雰囲気で流れていった。