第157話 湯けむり旅情編~ロット、ドルの場合
『警戒』は引き続きロットが行う。即応として、フィアとティアナについてもらう。2人に関しては十分湯冷め対策はしてもらった。もこもこお化けみたいだ。
「さて、実際のお風呂の入り方についてだけど」
ロットとドルに、一通り説明をしていく。手取り足取り?何か嫌だ。
「じゃあ、ロットからどうぞ」
そう言うと、ロットが服を脱ぎだす。精悍な顔立ちと良い、ランタンに照らされるその姿は欧米型マッチョの理想だろう。
ガチのムキムキでは無い。が、しなやかな筋肉がみっちりと体中を包んでいる。タイヤのような筋肉と言うのか?そんな感じだ。
「では、失礼します」
そう言うと、かけ湯から洗髪、体を洗う動作を泡立つまで繰り返す。そのまま、樽に入り込む。流石にちょっと狭そうだ。
しかし、こちらの世界の人間は皆、体が柔らかい。子供の頃からそう育てられているのだろうが、手が背中のどこにも届く。私?無理、絶対。まずお腹が邪魔だ。
「あぁ、これは……心地良いですね……」
星を見上げながら、川のせせらぎに耳を傾ける。
ざぱっと顔を洗いながら、呟く。
「なんて贅沢な時間でしょう。こんな時間が有るとは思ってもみなかったです。フィアと共にこんな時間が過ごせるとは……」
そう言いながら、手桶で肩に湯をかけながら温まる。
暫し浸かると、ざぱぁと上がってくる。
「堪能しました。ありがとうございます」
そう言いながら、乾いた端切れで体を拭いて行く。
湯冷めする前に体が落ち着くまでテントで待機、『警戒』で周囲だけ探る旨を伝えると、そのままテントに向かった。
樽のお湯を入れ替えると、ドルが服を脱ぎだす。こちらの筋肉は本当に城のようだ。あらゆる筋肉がその小さな体で主張し、詰まってはち切れそうになっている。
「すまんな。手数で」
そう言いながら、かけ湯を始める。一式、泡立つまで洗い終わると、樽に浸かる。体が小さいので大分余裕だ。小さな浴槽って感じで羨ましい。
「がぁぁぁぁぁ……これは……我慢出来んな。勝手に声が出る」
ドルが若干苦悶する顔で湯に浸かったと思えば、ほっとした顔になる。
肩まで浸かって、縁に腕を乗せている。
「前にも話したが、俺の人生に余裕なんて無かった。常に死んだ皆に追われていた。寝ても覚めても、浮かんで来る……」
ドルがしんみりと話し出す。
「そんな俺でもこんな穏やかな時間が過ごせるのか……」
そう言うと、湯を含んだ手の平で顔を拭う。
「すまんな……。これからを見てくれ」
小さな呟きが微かに聞こえる。
しばらく温まると、樽から器用に出て来る。体を拭い、服を着て行く。
「手数をかけた。ありがとう」
ごつい笑いで声をかけると、そのままテントの方に向かって行った。
「ごめん2人共。寒かったでしょ。ありがとう」
フィアとティアナに声をかけるが、首を振られた。
「いや、ぽかぽかだよ?こんなに温かいのは僕、初めてだ」
そう言うフィアにティアナが賛同するかのように、頷く。
「そっかぁ。でも油断すると風邪を引くから、テントに戻って。こちら側の警戒は私がするから」
そう告げて、2人をテントに戻す。今までの喧騒が嘘みたいに、辺りが静寂に包まれる。まだ残っていたのか虫の声が微かに聞こえる。
樽を空けて、新たにお湯で満たす。服を脱ぎ、ランタンを濡れない位置でこちらに向ける。
あぁ、露天風呂なんて、日本含めても久しぶりだ。川のせせらぎを感じながら、頭と体を洗って行く。
しかし、水魔術で生んだ水だと石鹸カスがほとんど気にならない。これ、無意識に軟水で生んでいるんだろうか。白湯を飲んでも違和感が無い。
そんな事を考えながら、余裕だなと苦笑が浮かぶ。
洗い終え、ランタンの蝋燭を吹き消す。周りが一気に真っ暗になる。だが、目が闇に慣れるに連れて、徐々に湧き上がるように世界が広がって行く。
樽に浸かり、夜空を眺める。明るい月に負けない程に、満天の星達がその身を懸命に輝かせる。手を伸ばせば届きそうな、そんな錯覚を感じる程に空が近い。
昔、父と夜空を見に、山に登った。その時に見た夜空は今も忘れられない。でも、この夜空はあの時の夜空より絢爛に踊っている。
ふぅ……。溜息が零れ出す。たった1日だと言うのに、緊張の1日だった。
盗賊の事を思い出す。彼らはノーウェの町を根城にしている集団だった。孤独な者ばかりでは無い。家族がいる者もいた。友人もいるのだろう。
馬に縛られ、連れていかれる時の悲痛な叫びは、今でも耳に残っている。
自業自得、自己責任、日本でも声高に叫ばれていた。だが、現実はどうだろう。引導を渡す人間の気持ちは考えなくても良いのだろうか。
仕事と割り切る、か。社会では当たり前の行為だったが、人の命の価値が低いこの世界では、まだ私には難しい話だ。
ふと、過去の飲み会の事を思い出す。あれは、プロジェクト失敗の残念会だった。確か企画部主催で、私もシステム構築に携わっていたので呼ばれた。
高IQの殺人犯と文通をして、そのやり取りをコンテンツにすると言う、二匹目のどじょうと笑ってしまう内容だった。
結局、コンテンツにならないからと言う理由で、没になった。担当者は新人を卒業したての企画マンだったが、結局プロジェクト中止の段階で会社を辞めて行った。
その直属の上司と、差し向かいでビールを注ぎ合い、今回の顛末を話していた。
「あいつりゃあ、本物だ。新人まがいに担当させた俺の責任も有るが、そもそもこんな話上手くいくかよ」
役付きだが、気さくで穏やかな人だ。しかし、この夜は若干荒れていた。
「何人と連絡取った?どいつもこいつも。羊の皮を被った狼だったか?ありゃあ、人の皮を被った何かだ」
ビールのグラスを空け、吐き出すように呟く。私は、新たにビールを注ぎ、聞いた。
「そこまで酷いんですか?穏やかな気性の人もいるんじゃないですか?」
「酷い?そんなもんじゃ無い。奴ら、どこかズレてる。同じ人間と思ったら、痛い目を見る。長く深淵を覗くなら、深淵もまた等しくこちらを見返すのだ、だったか?あれだ、あれ」
料理を摘まみながら、ヒートアップした。
しかし、手紙のやり取りは職員の検閲が入った記憶が有った。それでもそこまでかとは思った。
「ニーチェでしたか?そんなに酷いですか。彼も災難でしたね」
「人間と一緒だ。まともなのも中にはいるかも知れないが、壊れた人間は壊れた人間だ。俺も報告書だけじゃ無い。途中からはやり取りも見ていた。あいつは真面目に見続けちまった。それで悩んで辞めちまった。俺の責任だ……」
その人は、深々と溜息を吐いた。
「間違うなよ。突発的に殺意を覚えて犯行に及ぶ人間なんてごまんといる。でもな?殺そうと計画立てて殺す人間は、結局殺すんだ。どんなに状況が変わっても必ずな」
その後は益体も無い話が続いた筈だ。
今回の盗賊も、そんな殺す人間だったのかも知れない。結果は正しいのかも知れない。でも、常に、自分の中の芯は決めておく。そうしなければ深淵に引きずり込まれる。
自分、仲間、自分の民が命を脅かされるなら、殺さなくてはならない。
日本では過剰防衛かもしれないが、過剰に防衛出来なければこの世界では抑止にもならない。
はぁ、たった1日の旅でこれだ。この先何が待っているか、ちょっと憂鬱になった。
樽から出て、服を着て、タワシで樽を洗う。石で調整し、裏返して置く。裏に重しを乗せて放置しておけば明日には乾いているだろう。風はきつくない。飛ばされはしない。
衝立をトイレの場所に戻しておく。テントは依然賑やかだ。明日の朝、日が昇れば結果が分かる。きっともっと賑やかになるのだろう。そう思うと少しだけ笑みが戻って来た。
前番のフィアを厚着にさせて毛布に包む。他の皆はそれぞれのテントに解散させる。
私はドルと一緒のテントの毛布に潜り込む。流石に今日は疲れた。目を瞑った瞬間、今までの疲労が一気に出てきたのか、ストンと眠りに落ちる。
そうやって旅の1日目は終了した。