第149話 兎の意匠と言うとどうしても(・x・)を思い出します
朝起きた時、リズはまだ眠っていた。頬と唇にそっと口付け、ベッドを出る。用意を済ませて、納屋に向かう。
石鹸3号の香りはほぼ変わらず、石鹸4号の香りも昨日と大差は無い。攪拌作業を終える頃に、リズが朝ご飯の旨を伝えに来た。
朝ご飯を皆で揃って食べる。誰も何も言わないが、娘が長旅に出るのだ。心配しない親は、いない。
食後、ティーシアがリズに色々と細々した助言を与えているのを見た。本人は嫌そうな顔だが、大切な事だ。きちんと聞いて欲しい。
いざ旅立ちとなると、アストも仕事を遅らせて見送りに立ち会ってくれた。ティーシアには石鹸の型抜きも伝えたので在庫が無くなったら新しいのを作ってもらえる。
流石に3号、4号が有ればひと月はもつだろう。最悪、1からでも作れる様に手順書も分量詳細と一緒に渡している。本人も暇が有れば作ってみると言ってくれた。
「お互い体に気をつけて。息子よ、娘を頼む……」
アストが頭を下げそうなのを肩を掴んで止める。
「はい。お互い様の話です。リズの事は守ります。行ってきます」
「行ってきます!」
2人で言うと、行ってらっしゃいと笑顔で返って来た。
何時までもお互い手を振りながら、青空亭に向かう。まぁ、この世界だ。ひと月の旅行は下手したら一生の別れの始まりかもしれない。大袈裟な事では無い。
青空亭には馬車がずらりと並ぶ。先頭は私達の馬車だ。皆が指示通り積み込みを開始している。私達も挨拶をして、背嚢を積み込んでもらう。
ペルスを始め、調査団の皆も集まって来たので、空き地で全員の顔合わせを行う。調査団の男女も種族も結構バラバラだ。エルフもいればドワーフもいる。
生活に溶け込んでいると言っていたが実際に見ると、あぁ本当だと思ってしまった。地球で言うと、少し肌の色が違う程度の感覚なのだろう。誰も気にしていない。
ペルスから声がかかり、出発の挨拶が頼まれた。
「皆さん。おはようございます。出発が良い天気に恵まれ幸いです。これも天候を司る神の思し召しでしょう」
ここで笑いが起こる。天候を司る神は移り気でふわふわした捉え所の無い神として有名だ。思し召しも何も有った物では無いらしい。
「旅慣れた方も、そうで無い方も、これから約ひと月は共に歩む仲間です。色々問題は起きるかもしれません。でもこの頼もしい仲間がいれば、乗り越えられない試練は無いでしょう」
そう言うと皆が力強く頷く。
「では、皆さん。出発の準備を進めましょう。これからの明るい未来に向けての準備です。怪我には気をつけて確実に進めて下さい。ではこの旅の前途に祝福が有らんことを」
「祝福が有らんことを」
皆が力強く唱和し、準備を再度進めて行く。
私は調査団の雑務の女性に声をかけられ町で買って持って来てくれた樽を受け取った。空樽で良いんですか?と聞かれたが、空樽が良いんです。
馬の飲み水を入れる樽の上に被せる。径は馬用の方が大きい。すっぽり余裕で入った。馬に水をあげる時にちょっと邪魔だが、まぁ、置き場所はまとめた方が良い。
石鹸?そこそこの数を木箱に入れている。水切りもちゃちゃっと木工屋に作ってもらった。ふふふ。リズの秘密に皆気付くと良いわ。
お酢も補充出来ない調味料なので結構積み込んだ。ちょっとくらい流用しても大丈夫だ。今晩が楽しみだが、アストの様子を見ていると、ロットが我慢出来るのかが心配だが。
馬車を見ると、長旅と言う事でかなり余裕の有った飼料箱も満載になっている。草ばかりでは長旅は辛いので飼料は積む必要が有るらしい。
馬車の中は入り口付近に厚手の布を敷き、奥側の居住スペースに絨毯みたいな厚い毛の織物が敷かれ、貨物スペースには硬い革が敷かれている。
裏地は滑り止めっぽい布で固定されている。長旅なので、靴を脱いで乗る形らしい。
態々ここまで気を使うのかと、レイに感心してしまった。何と言うか執事より凄い。
ちなみにカビアは今回、町でお留守番だ。カビアが指揮する上総掘りの開発はほぼ完了まで来た。
堀鉄管も試験上問題無いらしい。その上、上総掘りの仕様一式が公爵の推薦付きで私名義での特許が申請受理されているらしい。早いよ、動きが。ちょっと怖い。
絨毯もどきを見ると、スリッパ代わりと言うか、部屋用の簡易なサンダルも用意されている。ワンポイントで誰用かすぐ分かる。
意匠の好みなんてレイには言っていないのに、カップか何かを見て気づいたのだろうか?
ちなみにロッサは丸々とした兎の意匠だ。ちょっとチャットと混同しそうだがチャットの一角兎は精悍だ。私のには略式紋章が入っていた。ロットは無地だ。
何か緊急でも、サンダルで飛び出す事は出来る。その際は入り口の布で拭けば良い。
木箱も綺麗に縦に二重に積まれている。実はこの木箱、積まれる事を想定されており、上蓋の横側が留め具になっている。外すと、箱部分を引き出す事が出来る。縦に積んでも、棚状になる。
まぁ、引き出し過ぎると荷物が崩れるので、重要なのは手前に入れろと言う運用だ。後、一つ一つをあまり重くするのもマナー違反だ。
皆、荷物が少ない。女性陣も若干服や下着が増えるだけで、そこまで荷物は大きくない。私とリズの荷物が多いのは皆で使いそうな物を入れている為だ。なので、一番上に置いている。
背嚢は、網を被せて、ロープで固定している。最悪ロープを切ってでも飛び出せるようになっている。
調査団と私達で搭載内容の摺り合わせを行い、不足品の確認を行う。冗長性を考慮し、被るのは良い。食料はトータル3か月分近くなっている。まぁ、何が有るかは分からない。良いと思う。
ひと月と見た場合はかなり過剰な内容だ。壊れても、修理出来る人材は揃っている。そこまでキリキリと神経質になる程では無い。
御者達は制式の合図の確認、練習をお互いにやっている。今回は私達が先頭を走るのでレイが最初の指示役になる。長い旗の色と振り方で後続に指示を出す。「停車予定。スピード落とせ」とかだ。
皆の準備が終わったところで、再度空き地に集合した。
綺麗に整列した皆の前に私が立つ。
「準備は滞り無く終了した。これより旅立つ。では皆、乗車開始。準備出来次第出発!!」
そう叫ぶと、最後尾の馬車から乗車し始めた。私達はその状況を確認し、皆が無事乗り込んだら、乗車を開始する。
仲間達が靴を脱ぎ、居住スペースにクッションを置いて、乗り込む。
レイにクッションを渡したら、物凄い喜ばれた。御者台は冷えるので、マントとひざ掛けだけでは台から冷気が上がって来るらしい。
レイに合図を出すと、旗を振り、ゆっくりと馬車を進め始めた。
緩やかに加速しながら、村を進む。フィアの家族とティーシアが手を振っているのが窓から見えた。さぁ、出発だ。