第146話 地主の同僚が出張の荷物から円座クッションを取り出した瞬間の驚き
朝起きるとリズがいなかった。布団から出ると、床の冷たさに一瞬体がぞくっとする。まだ冬前だがそろそろ朝晩が冷え込む事も増えてきた。
リビングには暖炉が有るが各部屋には無い。冬の間、他の部屋は火鉢みたいにくり抜いた石に暖炉の灰を敷き薪を焚くようだ。
兎に角、冬は薪の需要が上がる。樵ギルドが年次で価格を決めているので、高騰はしないが金がかかる事に変わりはない。
持続的な火魔術で暖房の代わりに出来ないか、試行錯誤中だ。燃料が無くてもイメージ次第だと行けそうな気もする。
寒く冷たい廊下を抜けて、リビングに入る。暖炉はまだ火を入れてはいない。だがキッチンからの暖かい空気と美味しそうな匂いが漂ってくる。
「おはようございます」
朝の挨拶をすると、アストから返事が有った。リズとティーシアはキッチンで奮戦中のようだ。手伝いにキッチンに入る。
朝食のスープを口に含み、嚥下した瞬間お腹から温まるのを感じる。
日本の安アパートですらそこそこの気密性、高断熱だ。現代建築に慣れているとやはりこの世界の建物は寒い。
木造でしっかり密閉する様に壁は組まれているのだが、壁自体が冷気の媒体になって室内を冷やす。熱源が有ればそこまででは無いが、無いと寒い。
ただ、気温もまだ10度以上は有るだろう。朝晩で一桁に近くなる程度だ。池の表面が凍るレベルの寒さは冬の一時期と聞いたので、そこまでは寒くない。
純粋に環境に慣れていないだけだろう。日本でもこの時期の気温としては、かなり南の方の筈だ。
外を見ると空は暗く、しとしとと細かい雨が降っている。調査団員達がましな馬車に乗っていれば良いけど。この雨で体調を崩されると困る。
食事を終え、長旅の用意を済ませる。コツコツとちょっとずつは進めていたので、日常使いの物を詰めるだけだ。伊達に服を買い込んだ訳では無い。
トランク的な鞄は売っていた。木を革で覆ってトランク状に蝶番で留める鞄だ。ただ、そんな便利な物は買っていない。
その為、何時もの背嚢とちょっとした木箱に分ける。木箱は丈夫で、水に強く浮く木材で出来ており、川等に落としても浮かんでくれる。
私は男性なので、服も下着も最低限なのだが。リズの分が一緒に入っている。流石に1人分では収まりきらないらしい。
8人分の荷物だと、大分荷物置き場は圧迫されるだろう。私が飛び出す程のスペースが出来れば良いがと腹を見ながら思う。
リズの用意がまだ終わりそうも無いので、納屋に向かう。石鹸3号の様子を見るが、表面から大分固まって来ている。香油を投入し必死でかき混ぜる。
鼻を近付けると、使用済み油の臭いは若干するが、植物の香りが強く香ってくる。んー。まずはこんな感じかな?4号と合わせて攪拌を繰り返す。
「準備出来たよ」
リズが納屋に来て、声をかけてくれる。
玄関でアスト達に一旦青空亭で待機する旨を伝える。
2人でマントを羽織り、木箱を抱えて青空亭に向かう。取り敢えず、青空亭に荷物をまとめて、明日馬車に乗せるつもりだ。
部屋?ロットに頼んでみたら置いてくれるそうだ。邪魔かなと思ったが、2人共、荷物がそこまで無いので甘えた。
「うわぁ、あまり降っていないけど、それなりに濡れたね」
リズが湿った頭を端切れで拭いている。細かいがしっかり降っている為、濡れるのは濡れる。
ロットの部屋をノックすると、2人共準備の最中だった。
「リズを頼んで良いかな?後、皆の荷物の確認はロットがメインで確認していって欲しいけど良いかな?」
そう聞くと了承の旨が返って来たので、木工屋と鍛冶屋に向かう。明日がどうなるか分からないので受け取りの荷物は受け取っておく。
木工屋に関しては問題無くサイコロの元を作ってくれていた。受け取り、鍛冶屋に向かう。
鍛冶屋は開いており、ネスが店の中で何かの作業をやっていた。
「おはようございます」
「おぅ。早いな。どうした?」
「前に頼んでいた杭がどうなったかと思いまして」
「杭?あぁ、あれか。出来てら。ちょっと待っとけ」
ネスがお弟子さんらしき人に指示を出すと、店奥から箱を持ってきた。
箱の中を見ると、槍の太さの棒に鏃が付いた物が6本入っている。ただ、鏃の切っ先は鈍い。鋭利では無く、有る程度で平面に切られている。
「尖らさなくて良かったのか?」
1本取り出し、仕上がりを確認する。
「はい。まずは試作品ですし。腰のベルトに差して動きますので、尖っているとお腹に刺さって痛いです」
裏を覗き、槍と同じく円錐状の穴が開いている事も確認した。うん、良い仕事だ。
毎回槍を飛ばすのは効率が悪すぎるので、別の方法で物理手段を手に入れようと作ってみた。まぁ、発射型の超短槍なのか?
ガンベルトもどきが有ったので、それで運用をする。ループは調整出来るようになっているので、左右に3本を差し込む。鏃の部分で止まる。
これも旅の途中で威力の調整をしないといけないな。そう思いながら歩くが、結構ガラガラうるさい。うーん、動くとそれぞれ当たるか。
諦めて、基本左右1本ずつで、4本は後で荷物に仕舞う事にする。
「大丈夫そうです。ありがとうございました」
「いや。構わねえ。急ぎじゃ無かったみてぇだからな」
「はい。有れば安心程度ですから」
そう、『術式耐性』持ちなんて、あまり居て欲しくは無い。しかし、その場合を考えない訳にはいかない。
「では、前にも話しましたが、結構長い期間出ますので、開発系含めて程々にお願いします」
「おぅ。まぁ、例の弓はあれだが。他のは仕上げておくようにすらぁ」
頭を下げて、お願いする。
開発関係の話を若干して、辞去する。
青空亭に戻ると、ロットの部屋に皆集まっていた。2人ならそれなりの広さだが、8人が入ると狭い。女性陣をベッドに座らせ、男性陣は立たせる。
荷物のチェックは終わったらしいが、何点か消耗品に関して不足しそうとの話だった。村で手に入る物だったので、買いに行こうとしたらロッサが手を上げる。
「あ、私、お店の中もきちんと知りたいので、行ってきます」
ぴょこんと立ち上がり、走って行こうとするのを肩を掴んで止める。
「一人だと、ちょっと嵩張るよ。んー。ドル、お願いしても良いかな?」
ドルが黙って頷く。
「毎回荷物持ちをお願いして申し訳ない。じゃあ、2人で行っておいで」
そう言って、2人を送り出す。話は済んだと、皆が談笑を始める。
リズとフィアは昨日の英雄譚で盛り上がっている。狼超可愛い!!とか聞こえるので、絶対そうだ。
チャットは研究者としてフィールドワークは慣れている。ティアナも貴族として領内を回る事も多かった。
ロットも護衛の真似事はした事が有るとの事なので、旅慣れはしている。長旅に出た事が無いのは私とリズとフィアだけだ。
んー。時間も有るし、何か足りない物は……。あっ!!あれだ。
「この中で裁縫が得意な人はいるかな?」
そう聞くと、リズとティアナが手を上げる。ふむふむ。3人なら今日中に作れるか。
「簡単な物を手伝ってもらっても良いかな?」
2人が頷く。
「あー。一人だと嵩張るか。ロット、荷物運びを手伝ってもらって良いかな?」
ロットが頷く。
連れ立って、服飾屋に向かう。
「このサイズの生地と、綿、それに携帯道具ですか?」
取り敢えず、説明をして必要な材料を挙げていく。
「そうですね……。綿は冬物の注文はほぼ完了しておりますので在庫は有ります。布も無地の生成りの綿との事ですので大丈夫です」
そう言いながら、棚から何かを探し出す。
「色糸各種と針一式、針刺しや鋏をセットにした物がこちらです。冒険者の方も良く買われます」
学生時代、家庭科の時に使っていた裁縫箱サイズの木の箱を出してくる。結構大きいな。そう思いながら、蓋を開けると、代表的な色糸が大きな糸巻きで一式入っている。
針も縫い針が5本、待ち針が20本針刺しに刺さっている。鋏も裁ちばさみになっている。糸切ばさみも有る。裁縫一式は誰も持っていなかった。都度、服飾屋に持って行っていた。
旅の途中で裁縫も必要だろう。この機会に買っておこう。
「生成りに近い色の糸を一式頂けますか?」
「分かりました」
店員が布の用意をしている合間に、糸を持って来てくれる。見ると、ほぼ白と言う感じだが、巻いていると生成りっぽい色だ。うん。これで良い。
店員が定規と裁ちばさみでさーっと綺麗に布を裁っていく。手に取ってみると、真っ直ぐだった。定規を借りて幅を確認しても歪んでいない。おぉ、プロの技……。
「このサイズとなりますが、イメージと合いますでしょうか?」
「はい。このサイズでお願いします」
「分かりました。そうですね。これでしたら、勉強致しまして、9万で如何でしょうか?」
一人1万の計算か……。綿が多いから高いな。まぁ、有ると無いとじゃ疲労が違う。買っちゃおう。
「それで結構です。引き続きお願いします」
そう言うと、きびきびと同じサイズで布を裁っていく。
ロットが手持無沙汰に立っているので、フィアに贈る服でも見ないかと聞いてみた。黙ってさーっと在庫の方に走って行ったので、あまり考えていなかったようだ。
うーん。偶に贈り物でもして喜ばしたりしないのかな?イケメンは余裕だな。
奥から別の店員が綿の在庫を持って来るが、小山になっている。あー。ちょっと圧縮してマントに包めるようにしてもらおう。
その辺りを相談して、裁断した布と一緒に綿を包んでもらう。
「本日はありがとうございました。またご贔屓にお願い致します」
店員の声を聞きながら、私とロットで分けた荷物をそれぞれのマントで包み、急いで宿に戻る。
ロットは服を買っていない。何故と問うと、フィアと一緒に来て彼女に決めてもらうらしい。正しい選択だと思う……。
ロット達の部屋に戻る頃には、じめっと全身が濡れていた。鬱陶しい。本格的に濡れるのよりはましだけど。
「リズとティアナ、説明するから少し良いかな?」
そう言うと、2人とも近づいて来た。他の皆も興味深そうに覗き込む。
「まずは、この綿を9等分にします」
私とロットの2人で持って帰って来た綿を、綺麗に分けて行く。
「じゃあ、この布を半分に折りたたんで、そう。でここの端を両方、こんな感じで縫っていく。そうそう、そんな感じ」
何をやっているかと言うと、クッションを作っている。裁縫は学生の家庭科レベルなら出来る。
一人暮らしが長いと縫物もそこそこ出来るようになった。
取り敢えず、座るものだから、本返し縫いを二重で縫っていく。
「縫い終わった?うん、良い感じ。じゃあ、これを裏返して、綿を真ん中に集めて周りを埋める感じで詰めて行く。そうそう」
2人がこちらの手順に合わせて、クッションのカバーを作って行く。
「じゃあ、最後にこちらに開いている口を縫って留めちゃおう。あ、綿が零れないようにちょっと押し込んでね。他と同じ縫い方で」
ファスナーが有れば良いのだが、そんな物は無い。ボタン留めも考えたが、綿が零れたら面倒だ。レイが黙って掃除してくれるけど、それに頼るのはちょっと嫌だ。
諦めて、口は閉じてしまう。
2個目を作っている途中で、ドルとロッサが帰って来た。と言う訳で部屋の椅子に敷いて座り心地を確かめてもらう。
皆驚き、感心した顔をしている。
「これは本当に楽ね……。こんなに簡単なのに、誰も考えなかったのかしら?」
ティアナが呆然としながら呟く。そう町の店で探したが無かった。有るとしたら貴族御用達の店なのだが、名も売れていないので入り辛かった。
「貴族向けの店とかにも無いのかな?」
ティアナに聞いてみる。
「長旅の為に、馬車の中に椅子を新たに据え付ける事は有るわ。大抵、柔らかな厚手の布か毛皮を敷いてその上に座るわね。綿は服に入れる物って思い込んでいたわ……」
これも余裕の無さが発想を妨げている気がする。
そんな感じで3人でせっせと縫っていき、9個分を仕上げる。1個はレイ用だ。御者席は寒そうなので、クッションとひざ掛けくらいは使って欲しい。
時間を確認すると、そろそろお昼だ。お昼ご飯は話し合いの結果、宿の食堂で取る事にした。
皆、雨の中、外に出たくないようだ。分かるけど、と思いながら、ぞろぞろと食堂に向かって階段を降りて行った。