第131話 猟師の人と山に入ると色んな痕跡を教えてくれますが、言われても見つけられません
と思ったが、あっと言う間に森まで到着した。そりゃそうだ。歩きで1時間程度の道だ。荷車を引いているので時速3から4km程度と考えれば、馬車ならすぐだ。
今までの苦労を思うと、楽過ぎて泣けてきそうだ。皆もその速さと事実に驚いて声も出ない。ロッサだけがキョトンとしているが。
森の入り口近くの平野に馬車を止めると、レイが御者台から颯爽と飛び降り、荷車の再構築を始める。
「では、私は森近くの川を拠点に待機します。馬の世話が有りますので、馬車から離れる場合が有ります。その際はこれをお使い下さい」
そう言うと、細い笛のような物を渡してきた。吹くと音が鳴っている震えは感じるが音は聞こえない。それと同時に馬達が反応して、耳を立て始める。レイがすかさず馬達に近づき撫で始める。
「馬の興味を引く音を出す笛です。鳴らして頂ければ馬の反応を確認し、拠点に戻ります」
あぁ、馬って興味を示すと耳を立てたっけ?乗馬クラブの人の言っていた微かな記憶を思い出す。それに人間の可聴域よりも高い音が聞こえた筈だ。
川に関しては、私達が森の中で指針に使っている川の下流だ。今後帰りは川沿いに下るコースを開拓しよう。
地図を開き、今まで熊を狩っていたポイントを確認する。川側を中心に狩っていた為、逆側から川に抜けるコースを考える。
一旦は奥まで直線で入り、何時もと逆から回り込むか……。
「じゃあ、行こうか」
そう告げて、ロットに地図で方針を説明する。ロットを先頭にロッサが背後に着く。後は団子で最後方にティアナだ。私は中心で咄嗟の迎撃を担当する。
森の中に入ると、ロッサの雰囲気ががらりと変わる。何と言うか、猟師的な雰囲気と言うのか?全周の獲物を逃さず捉えながら歩いている。
基本的に小物は全て回避し、熊だけを狙う。2匹が目標だが、可能かは運次第の部分も高いからだ。運を上げる為には探索時間を増やすしかない。
森の奥までは、ロットとロッサの先導で真っ直ぐ抜けた。何時もより進行が速いのだが、要因は的確に藪を切り分け、最短かつ楽な道をロッサが作ってくれるからだ。
それだけ森と言う概念に精通しなければ、ソロで狩り続ける事など出来ないだろう。
進路を変え、先に進む。程無くしてロッサから声がかかる。
「ここからテリトリーに入ります。ここにマークが有ります」
言われて見てみるが、全く違いが分からない。ロットの方を見てみるが、首を振られる。
「あたし、一人で狩る場合が多いので、熊には注意していました。だから分かります」
その豊満な胸を張って、自信たっぷりに言い切られる。まぁ、森の先輩に教わろう。
「特徴をロットとティアナさんに伝えてもらって良いかな?」
「はい。分かりました」
答えると同時に、詳しい説明を2人に始める。数分後、2人が納得したのか、その場を離れる。近くに来たティアナに内容を聞いてみる。
「言われてみれば微かに気付く程度の痕跡でしたわ。ロットさんも先輩に教わったと言っていましたが、それ以上ですわね」
根拠は有るか……。
「テリトリー内の熊の動きは分かるかな?」
ロッサに訊ねてみる。
「はい。ある程度は分かります。当たりを付けて、痕跡を順に辿ります」
そう言うと、ロットの前に出て、先導を始める。小学生に先導される35歳サラリーマン。シュールな絵面だな……。
周囲の警戒は続けながら益体も無い事を考える。歩き始めて数分後に再度ロッサが立ち止まり、何の変哲も無い木に近付く。
「ここにテリトリーの主張が有ります。比較的新しいので、パトロールしているのでしょう」
「どの程度前と見る?」
「2日以内です。それ以上だと、もっとボケます」
そう言いながら、再度2名に説明を始める。説明が終わると、また先導を始める。腰を屈め、地面の痕跡を余さず確認して行く。
十数分程歩いた時に、ロッサが再度止まる。
「足跡です。はっきりしていますので、昨日以内です」
そう言いながら、指さした先にはほのかな窪みが見える。ただ、これが足跡かどうかは全く分からない。こんなもの見つけろと言われても無理だ。
「方向は分かりました。次の痕跡に向かいます」
ロッサの先導で、そのまま30分程、痕跡の確認と2人への説明が続く。そのまま歩いている最中に、ロッサの顔が険しくなる。
「これは新しい足跡です。今日の物です」
そう言われて見ると、明確な足跡が分かった。大きさは3m前半の熊の足跡に近い大きさだ。
「方向は確認出来ました。一気に進みます」
そう言うと、進行速度を上げる。藪に関しても、鉈で大まかに切り分けながら、速度重視となる。これまでロットが目印の担当をしていたが、ティアナも加わる。
そのまま十分程歩くとロットから『警戒』範囲に熊が入った旨が告げられる。
「釣ってきます。陣地の方、お願いします」
そう言って、腰を落とし、静かに移動を始める。私達は周囲を探索し、比較的開けた場所を見つけ陣地とする。そこでさえもロッサが次々と藪を開き、活動範囲を広げてくれる。
自分の出来る事をする、か……。気が張っているが、あまり無理しないよう言わないといけないな……。
そう思っていると、ロッサから『警戒』範囲に入った旨の報告が入る。
「もう、狩れる感じは掴めたので、倒す事を優先しよう」
そう伝えると、ドルがロングメイスを構える。
リズとフィアは、出現予定の場所を中心に少し間隔を開けて立つ。チャットは少し離れた所で待機だ。
ドルが盾で勢いを殺した瞬間に魔術でノックバックさせ、そのまま殴り殺す作戦だ。斥候組はその間の周囲警戒を頼む。
眼前の藪を突破して、ロットが飛び込んでくる。
「後方15m弱、真っ直ぐ来ます」
ドルが、盾の杭を引き出し、熊の登場を待つ。
その瞬間、藪が爆発した様に膨らみ、破裂して熊が飛び込んでくる。やはり3m超える熊の迫力は凄い。本当に怖い。
ドルが気合の咆哮と共に、熊の鼻っ面にぶつけんばかりの勢いで盾を振りかぶり、振り下ろす。
重い物同士がぶつかった音が聞こえた瞬間、ドルの体勢がわずかに傾ぐが、そのまま保持し、押し返す。
「ドル後退、チャットさん撃て」
私が叫んだ瞬間、ドルが盾を引き倒しながら、ロングメイスの間合いまで後退する。と、その刹那大きな風が熊の下から吹き荒れ、上体を無理矢理起こす。
熊が咆哮を上げながら、不安定に2足歩行の状態になる。
その瞬間、ドルが間合いを調整して、ロングメイスの先端部に十分な遠心力を加え、左から右に薙ぐ。
熊の横顔のど真ん中に一瞬めり込む様に当たったメイスは、そのままの勢いで振りぬかれる。ぐらりっと薙がれた方向に上体を崩した熊は、そのまま前のめりに倒れる。
槍で止めを、と思った瞬間、ドルがメイスを振りかぶり、後頭部に力の限り叩き落とす。
大きくビクっと痙攣した後、細かい痙攣を起こし、そのまま動かなくなった。
うわぁ、ドル、気合入っているなぁ……。そう思っていると、横でロッサがわなわなしている。
「す……凄いです。熊ですよ?3mくらい有りますよ?あたし、見ただけで逃げてました。でも、一人でやっつけちゃいました」
万歳の姿勢で、興奮した様に叫び始める。まぁ、確かに、あれを見たらびっくりする。私も初めての時は度肝を抜かれた。
ドルは先の尖った面甲を引き上げて、ニヤっと野性味溢れる笑顔を見せる。
「これは良い大きさだ」
全長で3mを超えている。これ、日本で狩るのに猟銃で何発いるのかなと益体も無い事を考えていると、リズが手早く血抜きの準備をし、他のメンバーは土台を組み始める。
ロットは引き続き、『警戒』によって、周囲の確認を怠らない。あぁ、皆言わなくてもきちんと考えてくれるなぁ。そう思いながらロッサを見ると、土台作りに混じっていた。
うんしょ、うんしょと言う感じで、石を運ぶ姿を見ていると、未成年者を働かせている気分が盛り上がって来て、心が痛い。
成人未満では有るが就労基準は満たしている相手ではある。失礼と分かっているが、心が反応してしまう。
熊1匹狩るのに、都合1時間強か……。今までだと探索に時間がかかっていたが、ロッサのお蔭で早すぎる。良い事だが、負担がかかっていないか心配だ。
血抜きをしながら、この後の予定を修正して行く。このペースだと、一回馬車に積載して3匹か、2匹を一日で持ち帰る方針も有るか……。
そんな事を考えながら、ドルが一人で熊をひっくり返し血抜きをするのを、ロッサが尊敬の眼差しでワクワクしながら見ている姿を微笑ましいなと思ってしまった。